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期限は四十九日、夏休みに異世界を目指す件

「さて──今後の話をしよう。この世界から異世界へ渡る方法は、ただひとつ」


そう言って、紫微は懐から小さな勾玉のようなものを取り出した。

光沢のある青緑色のそれは、どこかぬめりを思わせる。不気味なほどに、有機的な艶があった。


「これは、さきほどのすらいむから抽出した“異世界の情報”じゃ。このような勾玉を集めれば、界律の磁場を歪ませ、特異点──すなわち、メビウスの輪を再び開くことができる」


「なるほど。集めれば、道が開く……ってわけか」


「ただし、他の検閲官も同様に動いておる。彼らの目的は、この勾玉を破壊すること」


紫微の目が細められる。


「情報とは、均衡を保つための通貨ペアのようなもの。こちらの異世界情報が消されれば、あちらへ飛んだこの世界の情報──つまり、愛莉も対消滅する」


「……そんな……」


岬が小さくつぶやいた。

さすがの岬も、ショッキングな情報に心を痛めているようだった。 


「だから、他の者に先を越されぬよう今回のようにわらわ達の手で処分ーーしたことにせなばならない」


紫微は一呼吸置いてから、さらに告げる。


「……加えて、タイムリミットがある。愛莉の魂は、あちらの世界に転移してから四十九日が経過すると、完全に定着してしまう。そうなれば、もはや引き戻すことは叶わぬ」


俺の心臓が、一瞬止まったような気がした。


「……四十九日……?」


そのとき、横から静かな声が割って入る。


「……にぃにの学校、今日から夏休みです。七週間──つまり、四十九日ぴったり」


振り返ると、エプロンを外しながら、岬がこちらを見ていた。


その表情には、どこか覚悟めいたものが宿っている。


「偶然とは思えませんね。これが、“期限”なんでしょう」


紫微がうんうんと頷き、口を挟む。


「うむ。界律はときに、辻褄を合わせるもの。まさしく、夏の終わりが決着の時というわけじゃ」


「だが、勝算はある」


紫微は淡々と言葉を続ける。


「要は、演算系にその期間、“この世界は問題なく運営されている”と思わせればいい。わらわがスライム狩りに精を出しておる限り、帳簿上は『界律区画A-719・担当神格 紫微』がきちんと機能していることになる。となればこの世界は一応わらわの担当。余計な干渉も入らないはずじゃ」


「……担当神格って、なんかの部署かよ」


「神など、今や秩序の代行者にすぎぬ」


「……だから俺たちは、その勾玉を集めて、お前の“仕事”を演じるってわけか。そしてこっそり異世界に行き、愛莉を連れ戻す…夏休みのうちに…」


紫微はわずかに口角を上げた。


「そういうことじゃ。わらわの顔を立ててくれ、というわけでもある」


「……ま、愛莉を助けるためだ。やるよ」


静かにそう言うと、紫微が目を細めた。


「ふふ……頼もしいのう。やはり、お主はお主じゃな」


「どういう意味だ?」


返しながら、俺は隣にいる岬に視線を向ける。


彼女はすでに立ち上がり、エプロンを外していた。手際よく畳んで、カウンターの端に置く。


「岬?」


「にぃにが狙われるなら、当然、私も動きます。……元より、そのつもりでした」


それは決して感情的な声ではなかった。ただ冷静で、迷いのない響きだった。


俺の妹は、そういう女だ。


「明日から、動きます。私は先にお風呂をいただきますが、……お二人とも就寝の準備を。今夜は早めに寝ましょう。寝不足は、魔物より危険ですので」


そう言い残して、岬は背を向け、廊下へと姿を消した。


紫微がしん、と静まった居間で味噌汁をすすり終えると、ふと真顔になって言った。


「ところでお主……本当に良かったのか?ここまで、わらわがなし崩し的に話を進めてしまったが……お主や岬にも、それなりのリスクがあるぞ」


「別に。大丈夫だよ」


自然と口をついて出た。

正直、この展開に少しワクワクしている自分がいたし、愛莉を助けたいという気持ちは変わらなかった。


紫微が、少しだけ表情を引き締めた。


「……何故じゃ?」


俺の真意を諭すようなその眼差しに、どこか神っぽくない情感がにじんでいたのは気のせいだろうか…。


俺は少しだけ視線を逸らし、鼻の頭をかく。


「……男に、二言はないってだけだよ」


その返しに、紫微はふわりと艶やかに微笑んだ。


「ふふ……そうか。ならば、リスクに対して相応のリターンが必要じゃな。それもひとつの界律というもの…」


そう言うや否や、紫微はするりと俺の背後に回り込む。


「わらわがお主にしてあげられることは、これくらいしかないが──」


しっとりとした体温が、背中にぴたりと触れる。


「……ほうびじゃ。」


甘やかに囁く声。

柔らかい腕が、そっと俺の腰へ回される。


「あ、あのな……? 紫微……?」


――バンッ!!


襖が音を立てて弾け飛ぶ。


「この祟り神がっっっ!!!!」


炸裂した怒声とともに、湯気を纏った影が飛び込んできた。

こざっぱりとした短い黒髪が濡れて頬に張り付き、肩から滴る水滴が畳に落ちる。黒髪ショートの濡れた美少女。


……岬だった。


その姿は、どう見ても──いや、どう見ても。


「お、おまっ……っ、お前、全裸!?」


妹とはいえ、いや、妹だからこそーー俺は岬の肢体から目を逸らした。


「にぃにの心拍数が通常値を大幅に上回ったため、危険反応と判断しました」


「え、それどうやってモニターしてんの?」


岬は「妹の感です」と答えると水気を帯びた睫毛を伏せ、怒気を孕んだ氷のような視線を紫微に突き刺す。


「これ以上の接触は、私の役職ーにぃにの楽しく健全な生活保障庁所属、筆頭家庭監察官として看過できません。リスクの査定が必要です」


「な、なんのリスクじゃ!?」


「紫微さん、あなたのその身体です。今までは遠くから鈴木愛理ー仮彼女Aとして観察してきましたが…同棲するというなら、あなたの肉体がにぃにの下半身と煩悩に及ぼすリスクを査定しなければなりません。これは妹の努めです。」


「な、なんでそうなる!? やめろ、やめろ、わらわは神じゃぞっ!?」


「容疑者、現行犯逮捕」


「いや、それは警察なんよ」


俺のツッコミもどこ吹く風、ずるずると紫微の首根っこを掴み、容赦なく廊下へと引きずっていく岬。


その背中を、俺はただ呆然と見送った。

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