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妹の愛が重すぎて世界が物理法則ごとバグった件

「おい、スライムって言ってただろ!!!」


声にならない叫びが喉をついて出る。


境内に現れたのは、どう見てもスライムなんて生ぬるい存在じゃない。緑がかった皮膚に隆起した筋肉、牛のような角を持つ二足歩行の巨体――どう見ても、オーク。


しかもでかい。三メートルくらいある。


「話が違いすぎるだろうが!」


俺は思わず紫微に怒鳴る。岬の手を引き、境内の端を回り込んで必死に逃げながら。


ちなみに岬は頬を紅潮させている。手、離すぞ、おい。


「魔物といえばすらいむじゃろう?だからきっとその魔物もすらいむじゃ」


「神のくせに異世界に対する解像度低過ぎか!」


紫微は余裕の顔で、片手に野球ボールのような物体を出現させた。こんな状況なのに、まるで講義でも始めるような態度で。


「さて…お主ら、これを見よ」


俺たちの頭上すれすれを、オークの巨大な棍棒が唸りを上げて通過する。


「それどころじゃねぇって!」


「今からわらわがこの玉から手を離す。するとどうなる?」


紫微は小首を傾げ、イタズラっぽい笑みを浮かべている。


「落ちるに決まってんだろ!」


「ふむ、そうかの」


彼女がそっと手を放す。玉は――落ちなかった。空中に止まったまま、ぷかりと浮いている。


「……は?」


「これは手品ではない。ましてや磁石でも、超能力でもない。理屈じゃ」


「理屈!?」


岬が俺の背後から顔を覗かせながら叫ぶ。オークが再び唸り声を上げ、こちらへと向かってきていた。


「いいかよう聞け。この玉が落ちぬ理由、それはこの場に働く界律――世界の構造的な法則体系が、部分的に緩んでいるためじゃ。言うなれば、重力とはこの世界で観測され続け“そうであるべき”という地位を得るまでに至った、帰納的な確率の傾斜じゃ。その前提に異物が流入すると、重力という“当たり前”の圧力は弱まる」


彼女は静かに指を掲げる。


「この場所には、ほれ、そこのすらいむーー異世界の情報が混入しておる。すなわち、“この世界には存在し得ぬ前提”が侵入してきた状態じゃ。こうなると、物理法則は固定された絶対法ではなく、暫定法に過ぎなくなる。つまり、“落ちるはず”の物が、“落ちないかも”になる」


岬が小さく息を呑んだ。


「この玉が落ちぬのは、わらわが“落ちない”というイメージを、意識の深層で確定させたから。量子論の観点からすれば、これは観測者バイアスによる局所的な現実改変と言えるじゃろう」


「な、なんだよそれ……!」


「簡単に言えば、法則が崩れた場所では、思い込みが真実になる。現実が“信じた内容”に従って再構成される。これが、界律演算系の“破れ”によって生じる、いわば局所的なパラダイムの再編じゃ」


紫微は玉を指でつつきながら、淡々と語る。


「この特異点においては、わらわの信じた重力の挙動が、ニュートンの法則よりも優先された。よってこの玉は落ちぬ。それが理屈じゃ」


「それって……要するに、“超すごいプラシーボ効果”ってことですか!」


岬が震える声で叫ぶ。


だが、その声にはどこか喜色が浮かんでいるような…。


「うむ。だがただの錯覚ではない。“思い込み”がこの空間における因果律を書き換える立派な力となる。故にそれを以て戦え」


「無茶言うな!」


「なるほど」


といきなり冷静に呟いて足を止めたのは岬だった。


「つまり、私が“そうだ”と信じたことが、世界に通るってこと……なら——」


嫌な予感がする。


すぅーっとその小さな体で深く息を吸うと、叫んだ。


「私は…にぃにの…彼女!!!!!!!!!!!!!」


岬の足元を中心に、空気がぐらりと揺れた。視覚には映らぬ波動が、爆ぜるように周囲へと拡散する。


即座にオークの動きが止まる。あれほど凶暴だったその巨体が、一歩、後ずさった。


「これでよろしいですか!?これで私はにぃにの彼女にーー!」


岬は、キラキラと目を輝かせ、無垢な笑顔で紫微に問いかける。


「ふむ、欲望を超えた自我の宣言で現実を書き換えようとは剛腹な。素晴らしいが、まだ足らん。お主が省吾の彼女になったとて、この状況はお前の望み通りか?」


確かに、いや、確かにではないのだが、この状況で俺と岬が恋人になっても…


「その意思を成就させるために、突破しなければいけない障害はなんじゃ?」


「それは…そこの豚人間が…私とにぃにの恋路を邪魔する恐れがあります。許せない…」


その瞬間、空間全体にキンッという超音波が走り、先ほどまで夕焼けに照らされていた薄暮の境内が朝顔のような青色に染まる。明らかに、非現実的な光景と共に緊張感が高まった。


「そうじゃ。しかし、お前の“思い込み”は、まだ理屈としては脆い。この世界を改変するには、思いと理屈が高密度に融合した一点突破でなければならぬ」


紫微はやれやれ、というそぶりで頭をかきながら言葉を継ぐ。


「ふむ、お主の兄を想うブラコン精神と実存レベルの願いの強さーーそして…もしかして岬、お主、魂が一つではあるまいな?よろしい、それならば汝に二つの究理を授けよう。とくと見るがよい!」


紫微は自分の髪を二本、ぷつりと抜くと、そのまま空中に放る。


「ふっ!!…おろ?」


彼女が髪に向けて手のひらを掲げても、何も起こらない。何度繰り返しても空中に浮いた髪の毛は、ただ風に揺れているだけだった。


「……この器のせいか…融通が利かぬのう」


紫微は少し不機嫌そうに眉を寄せ、ぼそりと呟く。


そう言いながら制服のポケットからスマートフォンを取り出す。見慣れた機種の、ちょっとだけ古い型だ。


「少し待つのじゃ……こう見えても、申請はちゃんとせねばならぬのでな」


そう言って彼女は電話をかけ始めた。


「あ〜!お世話になっております〜…はい、私第72世界付検閲官の紫微と申しますが…はい…?ID?えーっとですね…10725008号です。はい、はい、間違いありません…。えーっと今ですね、トラブルがありまして、人間の器に…はい、はい、そうですそうです。そこでですね、他の人間に代執行させようと思うのですが、あ、眷属契約?少々お待ちください」


何やら神らしからぬ平身低頭な態度で話していた紫微は、携帯のマイクを手のひらで覆うとこちらを向き


「お主ら!わらわの眷属ということでいいか?」


「は?どういうことだよ」


「私はにぃにの彼女になれるならなんでもいいです!」


紫微はよし、というと電話を再開し、最後に慇懃に電話の相手に礼を述べて電話を切った。


俺の意見は無視かよ。


「待たせたな。仕切り直すぞ」


「お前サラリーマンだったの?」


紫微は空中に浮かせていた髪に向けてまた手のひらを掲げ、何やら祝詞のようなものをあげ始めた。


ことわりの裂け目より生じし我が理想の式型しきがた、ここに具現せん。

界律の許す範囲において——その手に、在れ。」


言葉が空気に溶けると同時に、紫微の前に閃光が走った。

青い結晶に覆われた、禍々しくも荘厳な杖が、空間に出現する。


紫微はその杖を軽く放り、弧を描いて岬の元へと飛ばす。


「ほれ、これを使え」


岬は戸惑った様子で杖を受け取った。


「……使えって言われましても…にぃにはまだ足腰は丈夫なので介護は必要ありませんし…」


「まずは地を突いてみよ。なに、心配はいらぬ。界律が適合すれば……技は、おのずと生まれる」


訝しげに眉をひそめながらも、岬は杖を握り直すと、地面に向かって軽くトン、と突いた。


その瞬間。


「……っ!禁晶――《リミテ・クリスタリス》!」


岬の口から、意図せぬままに言葉が迸る。


同時に、杖の先端から結晶の波動が走り、地面が青い光に照らされた。


それはまるで、少女の想いが現実を穿ち、世界のルールを書き換える――その始まりの瞬間だった。


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