夕暮れ時の境内は汗ばむ美少女がぴったりな件
「とりあえず、省吾の妹…岬はわらわが神であるということ、理解したということでよいな?」
「認めたわけではありません。ただ、今まで私が追ってきた仮彼女Aーー鈴木愛莉の人格でないことは認めます。」
「まぁ、よろしい。省吾の方もわらわがもはや鈴木愛莉ではない、人智を超えた存在であること腹落ちしているかな?」
腹落ちも何も…正直、何も飲み込めてすらいない。
鈴木愛莉は、俺の目の前で鉄骨に――恐らく――押し潰されて。考えたくもないが、死んだ…のかもしれない。
彼女の生死を直接確かめたわけじゃないが、その直後、紫微と名乗り始めた彼女が、鉄骨をヒーロー映画みたいに跳ね除けて、俺を抱えてビルからビルへ跳んだのは現実だった。
スパイダーマン…というより、もはや韋駄天。
神かどうかはわからないが、少なくとも人間の枠では説明がつかない。
「まぁ、今は一旦俺も認めよう」
「うむ、よろしい!」
これで一件落着、と言わんばかりに満足そうに目を細めた紫微は片膝を立てて勢いよく立ち上がる。
「言より行じゃ!お主たちには早速、すらいむを倒してもらう。ついてこい」
は?すらいむ?何言ってんだこいつ…やっぱり頭がおかしいだけなのでは?と思いつつも俺と岬は紫微の後に続いて縁側から中庭に出る。
俺たちの家は燕神社と呼ばれるそれなりに由緒正しい神社の境内に面している。
奈良家は代々、この燕神社の宮司なのだ。
「うむ、境内か。ここは戦いやすそうでちゅーとりあるには丁度いいかのう」
境内には夕陽が差し込み、長く伸びた木の影が玉砂利の上にゆらりと揺れていた。夏の空気はまだ熱を残していて、蝉の声が耳にまとわりつく。
日落ちも近い、なかなか風情のある神社じゃなぁ、なんて呑気なことを言いつつ、すらいむとは…と彼女は続ける。
「異世界からやってきた魔物のようなものじゃ。鈴木愛莉が死に、転生した際に思わぬ形でメビウスの輪が開いた。」
そういうと紫微は、あれを見よと言わんばかりにすっと顎を動かして俺たちの視線を誘導した。
そこにはいつの間にか、無数の知恵の輪のようなものが鎖状につながり、大きな輪をなしている立体映像のようなものが揺蕩っていた。
紫微はおもむろにその知恵の輪のようなものを摘んだ。それ、触れるのかよ。
「これがメビウスの輪じゃ。この世界や、お主らがいうところの異世界はこの輪一つ一つがそうであるように、表裏を一体としながら捩れ、円環を為している。そしてこのようにーー」
紫微は知恵の輪のようなものーーメビウスの輪を手放すと今度は鎖状の全体の輪を指差す。
「メビウスの輪が数珠つながりになったものが世界の界律演算系じゃ。結論から言えば、一つの世界は他の世界と曖昧に交わりながらも演算可能な数理システムとして繋がり、互いを律しあっている」
「ほうほう、なるほどね」
自己暗示であっても、そろそろ分かったフリをしておかないと頭がパンクしそうだ。
「お主らがいう異世界転生というのは、何らかの理由で輪の捩れの均衡が崩れ、世界の界面が交わることで発生する。輪は自然と元に戻ろうとするが、その間、互いの世界の情報の片鱗のようなものが不慮の形で往来してしまう。これが異世界転生の仕組みじゃ」
「つまり、さっきの鉄骨の事故の時、鈴木さん…鈴木愛莉は異世界に飛んでしまって…それで?」
「スライムがこっちの世界に来たってことですか?」
「正解じゃ!岬、なかなか聡いな。」
なんと、国語の成績が万年赤点の妹に理解の先を越されるとは。
「それで、狩るとか言ってるが、なんで俺たちがそのスライムを狩らなければならないんだ?」
当然の疑問だ。
どう考えてもとばっちりじゃないか。自分を神と称するなら超能力みたいなものでスライムくらいパパッと片付けてくれよ。
「まず、すらいむ…この世界にあるはずのない他の世界の存在が紛れ込むというのは、一言でいえばばぐーー界律の綻びじゃ。放っておけば演算系を乱しかねぬ。」
まぁ、それはそうかも知れないが…。
「できることならわらわが直々にやってもいいのじゃが、この身体じゃ」
紫微は破けたシャツの上に岬の夏用カーディガン一枚という無防備なーー鈴木愛莉の肉体を忌々しそうに見下ろしたした。
彼女が片手で軽く汗ばむ胸の谷間をなぞる仕草に、思わず目を逸らしたくなる。あれが鈴木愛莉の身体だとしても、中身は…神様だ。いや、そうだったとしても、ちょっと反則だろ、あれは。
「わらわのような“時空検閲官”は、あくまで間接的に世界へ介入するのが原則。ところがこの身体では目立ちすぎる。しかも、事故の影響でわらわはこの器から離れられなくなってしまった。色んな意味で、のう。」
「はぁ…。」
「だからお主らにやってもらいたいのだ、すらいむ退治を。」
「はぁ…。」
やる気なんて湧くわけがない。
「もちろん、お主らに利もある。鈴木愛莉を異世界から救出するなら、わらわの指示に従うしかない」
「気乗りするはずがないじゃないですか。ちょっと脅迫じみてるし、何で私がにぃにの仮彼女Aを救出するために仮彼女A“の指図を受けなければ……」
岬はぷいと顔を背けたが、ちら、と紫微の胸元に視線を滑らせる。軽く鼻を鳴らすと、悔しそうに唇を噛んだ。
「フ、そうも言ってられるかのう」
紫微がほくそ笑んだ直後、足元から突き上げるような揺れ。境内の木々がざわめき、空気が一変する。
「長話が過ぎたか。ちゅーとりあるの前に、すらいむ様がおいでなさったようじゃ。よし、言より行。早速やってみろ」
紫微がそういうと、俺の岬の前には想定を遥かに超えたーー
“モンスター“が現れた。
説明回になってしまいましたね。次回はバトルします、すみません。更新は明日の夜になります。