仮彼女リストに新たな刺客が現れた件
あのスライムを倒したあとも、何匹か“狩った”には狩ったのだが──結局、勾玉はひとつも得られなかった。
「雑魚すぎて、界律に十分な干渉ができんのじゃ。倒す意義はなくはないが、さすがに効率が悪すぎる」
そう紫微は言い捨てると、帰宅後すぐに縁側に腰を下ろし、涼しげなショートパンツ姿であぐらをかいて、タンクトップの胸もとをぱたぱたとうちわで煽いでいる。
「クーラーの褒美はどうなったのじゃ。わらわは約束を守るぞ?」
「……スライムの勾玉出てないんだから、実質ノー報酬です」
「むう」
そんなやり取りをしていると、ふいにポツ、ポツ、と屋根を打つ音がした。
「……雨?」
空はまだ明るいというのに、ぽつぽつと水滴が落ち始め、それがすぐに激しい夕立へと変わった。
境内を包む檜の香りに、雨の匂いが混ざる。
瓦屋根を滑り落ちる水の音。草木を叩く水の粒。湿った風。
紫微が雨の帳を見上げて、ぽつりとつぶやく。
「……風情があるのう」
「夏の雨って、なんかいいよな」
「自然は変わらん。この風景も、あの時、お主と見たようにーー」
と、夕立をしみじみ眺めていた紫微が何か言い出したその時。
「……あれ?」
岬が立ち上がって、指差した。
視線の先──境内の石畳、雨の帷の向こうから、ひとりの少女が現れる。
セミロングの栗色の髪を揺らしながら、雨に打たれても気にする素振りもなく、白シャツの袖をしとどに濡らしながら、ゆっくりと歩いてくる。
紫微が眉をひそめる。
「お主の知り合いか?」
「……いや、同じ学校の子だけど、クラスは違う。文芸部だったかな……久住、柚葉」
すると、紫微の隣にいた岬が、ぴょこりと膝を立て、腰の小さなポーチから手帳を取り出した。
表紙には、“仮彼女リスト”と書かれた可愛らしいシール。
その中の一項に視線を走らせながら、岬は低くつぶやいた。
「ーー久住柚葉。鈴木愛莉ほどの危険度はありませんが……要警戒人物です。にぃにとの接点、複数確認済み。昨年の文化祭で一度、屋上で会話していた記録もあります。趣味・詩作、小説の執筆。にぃにとの接触動機・不明。」
岬が少しだけ身構えたそのとき、柚葉がふとこちらに気づいたように顔を上げた。
「あ……こんにちは。偶然ですね」
濡れそぼったまま、どこか夢見心地な口調で、にこりと微笑んだ。
「雨、すごいですね。……なんだか、空が昔話の続きを語りたがってる気がします。泣きながら──」
濡れた前髪をそっと払って、柚葉がそうつぶやいた。
ほんのり笑ったようなその横顔に、どこか切なさがにじんでいて、俺は少しだけ息を呑む。
(……こやつ、不躾にもわらわの…?しかしそれにしても…)
紫微は俺の隣でふっと顔を曇らせてつぶやいた。
「……僅かだが、“転写残留”の匂いがするのう」
転写残留──異世界や転生が発生する瞬間、界律を越えた際に付着する、異世界の情報の痕跡。異世界から渡って来た者、つまり俺たちのいう"すらいむ"はその匂いに寄せられ、集まってくる。
「ということは、久住さんはあのとき、にぃにのように事故の近くにいた…という事ですか?」
「ふむ、気をつけていたつもりじゃったが、省吾ほどではないにしろ、あの現象を観測してしまったのかもしれぬな…」
紫微と岬のやりとりのをながらも、境内の空気がじわじわと濃くなっていく気配を背に感じる。柚葉のどこか現実離れした佇まいを見ていると、謎の焦燥感が迫ってくる。
「……どうしてここに?」
思わず訊くと、柚葉は一瞬きょとんとして、どこか無邪気な表情を浮かべて静かに目を伏せた。
「……なんでしょう。なにかに、呼ばれたような……そんな気がしたんです」
そのときだった。
胸騒ぎのように降り注いでいた雨が急に止むと、雲が風に裂かれたように割れる。
夕焼けとも劫火ともつかない、赤い光が境内に射し込んだ。
雲の裂け目から吸い込まれるような影が降りてくる。
翼のようなものを広げた、巨大な──なにか。
「……にぃに、なんか、あれ、怖いです」
岬がすっと俺の袖を握った。
その横で、今までになく紫微の目つきが鋭くなる。
「界律が、溶けている…やはり愛莉を送った代償は大きいか…」
その緊張のなかでーー
裂ける空を眺める柚葉がぽつり、と呟いた。
「……やっぱり、この夏は……書けそうな気がします…!」




