我が校のS級美少女が目の前で異世界転生した件
ジーワジーワジーワ……
うだるような暑さの中、無風。
夏の日光を浴びた街路樹が歩道に黒々とした影を落とす。
このあたりは再開発の真っ最中。立ち並ぶビル群はほとんどが工事用フェンスに囲まれていた。
──高校二年の夏。
それは、俺にとって“推し”と青春を手に入れるはずの季節だった。
俺の名前は奈良省吾。
目の前を歩くのは、我が校きっての美少女、国民的芸能人・鈴木愛莉。
物心ついた頃からテレビで見ていた“あいりちゃん”。
小学生の頃には子役としてドラマやバラエティに出演し、
その後はアイドルとして一世を風靡。最近ではモデル業にも進出し、ファッション誌の表紙を何度も飾っている。
演技・歌・ルックスのすべてを兼ね備えた、今や“マルチに活躍する令和の顔”とも言われる存在だ。
そんな彼女が、今は同じ制服を着て、俺のクラスで席についている。
整った顔立ちに、透けるような白い肌。飾らないのに洗練された所作。
どこか現実から浮いたような雰囲気があって、まるで“この世界のルール”に従っていないような──そんな存在感だった。
大袈裟だが、もし女神というものに遭遇するとしたら、それはこの鈴木愛莉のような女性に違いない。
それが、俺の“推し”だ。
少し話したこともある。
あの春の放課後、偶然ふたりきりになった教室で。
机に突っ伏していた彼女がふと顔を上げて、俺と目が合い、ぽつりと「眠いな」と呟いた。
その声は思ったより素っ気なくて、でも妙にあどけなくて。
気づけば、お互いぽつぽつと話すようになっていた。
彼女が探偵漫画のファンであること、俺と同じく映画版を楽しみにしていること。
そうして少しずつ距離が近づいたとき、彼女は俺に向かって微笑んだ。
──それは、スクリーン越しの笑顔とは違っていた。
まるで“この世界の中で、自分だけに向けられた光”のようで、俺の心臓は一発で落とされた。
だから、今日こそは……
ほんの少しだけでいい。何か言葉を交わしたかった。
妹とは別々に帰り、愛莉の後を追ってもう20分。
あとは……きっかけだけだ。
そのとき、背後から駆け抜けた一匹の猫が、愛莉に向かってまっすぐ突進し、威嚇を始めた。
慌てて助けに入ろうとした、その瞬間。
彼女は、しゃがみ込んで猫に「よしよし」なんて話しかけていた。いやいや、動物番組じゃないんだからそんな呑気に対応してる場合じゃーーと思ったその時、ふわりとスカートが揺れて、灼熱のアスファルト擦れ擦れの高さで、まるで蜃気楼のように幻想的な白いリンネルがーー
「あー、危ない!逃げろ!」
誰かの声が聞こえた。次の瞬間、鉄骨が落ちてきた。
「す、鈴木さん!!」
轟音。振動。舞い上がる灰神楽。
地面に突き刺さった鉄骨。
血の気が引く。手のひらにべったりとついた赤は、直感でわかった。推しの血だ。
「す、鈴木さん!!!!!」
……その絶叫に、別の声がかぶさった。
艶のある、でもどこか投げやりなような女の声。
「あー、うるさいのう」
次の瞬間、鉄骨がぐらりと動いた。
――鈍い音とともに、鉄骨を押しのけるようにして何かが立ち上がる。
崩れた瓦礫の中から現れたその人影は、制服こそ破れ、髪も乱れ、全身が血にまみれていたがーー
その顔は確かに鈴木愛莉のものだった。
けれど、その表情はまるで別人だった。
涼しげで無垢だった目元が、今は冷たく怪しく光っている。
唇の端には、どこか挑発的な笑み。
まるで、超越的な存在が人間の皮をかぶって顕あらわれているかのような、そんな美しさだった。
「ちっ、間に合わなかったようじゃ」
「鈴木さん……?」
「その女なら、今ごろ異世界で転生中じゃ。魂だけな」
「は?」
目の前の“推し”が、別人のような口調で、当たり前のようにそんなことを言い出す。
「わらわの名は紫微しび。第七十二世界付時空検閲官──まあ、お主らの言葉で言えば、神じゃな」
ついていけるわけがない。
ただ、ひとつだけ確信した。
この瞬間から、俺の青春は“ルール違反”になった。
神様と、推しの魂を巡る、とんでもない夏が始まったんだ。