黒い本
「おらあああああっ!」
師匠が地面を殴りつけると巨大な土石流が生まれ、私の視界を覆いつくす。
「『爆発』」
私は指先を土石流に向け、詠唱を放つ。指先に生まれた魔法陣に体内で練った魔力を流し込み、発射。魔法陣から飛び出した火の玉は土石流に衝突。空間を抉るように縮まった瞬間、大きく爆ぜた。
それを見計らったように師匠は爆炎から飛び出してきた。
私の目の前に着地すると身が凍るほど殺気が籠った蹴りや拳が雨のように浴びせられる。
私は師匠の攻撃を紙一重で躱しながら反撃の手段を探した。だが、師匠は疲れ知らず。逆に私の方が体力を削られ、攻撃の応酬が続き息が出来ない。呼吸しなければならないのに、体を動かしすぎて肺を膨らますことすらままならなかった。手の平に魔力を溜め、攻めの姿勢を作る。回避しているだけでは勝てない。
師匠の死を思わせる硬い拳が私の顔面に打ち込まれる。顔面に拳がめり込み、首が跳ね飛ぶ。だが、散り散りになって消えた。
「『幻』か、いつの間に」
私の偽物が師匠に殴られたころ、私は師匠の内側に潜り込んでいた。拳を師匠の鳩尾に当てる。
「『無反動砲』」
私の詠唱と共に師匠の腹に魔法陣が展開された。その瞬間、拳の魔力を一気に流し込む。
師匠は腹に強烈な一撃を受け、ゴムボールのように弾き飛ぶ。木々を粉砕しながら森の中を進み、大岩に叩きつけられ、ようやく停止した。
一方、私の方は一切の反動を受けず、その場で紅茶を飲んでいる時のようにほっと一息つく。ただ、やっと呼吸ができるようになり、荒々しい呼吸になってしまう。油断せず、師匠の姿を見る。岩に叩きつけられた師匠の体がなかった。
「ふっ。まあまあだな」
後方から声が聞こえ、振り返ると回避不可能な距離に拳があった。
私は今日が命日だと思い、やっと辛い日々から抜け出せると考えて目を瞑った。だが、殴られることはなく、頭に手を置かれる。
「合格だ。私の幻を倒せるくらい強くなったようだな」
師匠は後頭部で結んでいた長い金髪を解き、おろした。どうやら、私は死ななかったらしい。
「はぁ、はぁ、はぁ、もう、脅かさないでくださいよ」
私は地面に座り込み、どっどっどっとうるさい心臓に手を当てる。どうやら、まだ死にたくなかったらしい。
「はははっ、いやぁー、思ったよりもキアスの成長が良くて楽しくなってしまってな。大人げなく本気で戦ってしまった。だが、よく生き残ったな。さすが、私の弟子だ」
師匠は私の頭をグシャグシャと撫でてきた。長い黒髪が視界の前でちらつく。
「じゃあ、キアス。後は世のために生きろ。お前は世界の救世主になる人間だ。そのために時間を使え。まあ、たまに息抜きしていても目を瞑ろう」
「また、気まぐれですか」
「ああ、気まぐれだ。だが、私以外の相手に殺されたら泣いちゃうからな」
「まあ、死なない程度に頑張ります。えっと今すぐに出て行く気はないんですけど」
「構わない。私もキアスがいないと生活が成り立たないからな。もう少し居てほしいくらいだ」
戦うことしか能が無い師匠は生活がゴミだった。なので、私が所々手助けしており、師匠もその点は物凄く感謝してくれていた。だから、私は今まで頑張ってこられたのかもしれない。
私達は森の中に作られた小屋に帰る。私は朝食の準備をこなして師匠は椅子にドカッと座ると手紙を書き始めた。
私はフライパンに鶏卵と猪の薄切り肉を入れ、焼く。卵と肉が焼けてきたら塩コショウを軽く振り、フライ返しを使って木製の皿に盛り付けた。自家製のパンを沿え、山の湧水を煮沸させた安全な水が入った水差しからコップに注ぐ。
「キアス、私は葡萄酒がいいー」
師匠は朝っぱらからお酒を飲みたがった。お酒は水ではない。
「駄目です。朝はお酒を飲だら駄目だって言いましたよね」
「私はいたって健康体だ。だから、問題ない」
師匠は瓶が大量に入った棚に向かい、手を伸ばす。
私は手に持っていたナイフを投げ、木製の棚に突き刺す。
「駄目って言っていますよね?」
私は精一杯に威圧する。建物がかたかたと揺れ、軽い地震のような現象が起こった。
「うう……、けちんぼ」
師匠は椅子に渋々座り、両手を握り合わせた。食材の命に祈りを捧げ、食事をとり始める。
「ありがたくいただきます」
私は村を助けてくれなかった神は嫌いなので食材を育ててくれた農家さんに感謝して朝食を得た。
「ふぅー。食った食った。じゃあ、キアス、これをお前に渡す」
師匠は私に封筒を渡してきた。良い紙を使っており、がさつな師匠にしては綺麗な字で宛先が書かれていた。
「ウルフィリアギルド? ルークス王都にある一番大きな冒険者ギルドですか?」
「ああ、そうだ。金はそこに行って稼ぐといい。ただの雑用係りなんかよりよっぽど稼げる。今のお前なら大抵の魔物に苦戦しないはずだ。なんせ、私の幻を倒せるくらいだからな」
師匠は無駄に長い脚を組みながら椅子の腕置きに肘を置き、頬杖を突く。
「この手紙に何の意味があるかわかりませんが、助言ありがとうございます。じゃあ、色々と準備します」
「じゃあ、私はちょっと出かけてくる」
師匠は家を出ると忽然と姿を消した。
私は洗い物を終えた後、自分の部屋に向かう。その途中で師匠の部屋の前に来た。
「家を出ていく前に師匠の部屋を一度掃除しないと」
私は家の中で一番汚い師匠の部屋に入った。私がいなかったときは汚部屋で、ゴキブリや鼠の宝庫だった。今は私が管理しているのである程度よくなったが、目をはなすとすぐに汚部屋に戻ってしまう。
「まあ、あれが読めるから掃除も苦じゃないんだけど」
私は扉の取っ手を握り、引く。中に入って魔石の照明をつけた。視界に広がるのは大量に散らかった魔導書や紙。脱ぎっぱなしの服もある。なんなら、隠れて飲んでいたと思われる酒瓶が木製の箱に大量に入っていた。
「この前掃除したばかりなのに。師匠は本当にずぼらなんだから」
私は右腰に付けられている杖ホルスターから三〇センチメートルほどの細い杖を取り出す。
「『除去』」
部屋に落ちている汚いゴミは一掃し、本や衣類は自分の手で片付けていく。大量の本棚に魔導書を一冊ずつ戻していき、散らばっていた紙は麻紐でしっかりと纏めて机の上に置いた。衣類は洗濯し、外に干しておく。酒瓶は洗って日向で乾燥させた。
ある程度掃除が終わったころ、私は師匠のベッドに視線を送る。いつも、この瞬間だけは神に感謝していた。枕元に黒い魔導書のような分厚い本が置かれている。生唾を飲み、息を殺しながら分厚い本に手を伸ばす。泥棒のように本をさっと手に取り、表紙を見た。黒い革製の本の表紙に金の文字で『禁断の書』と書かれていた。
「なーにが『禁断の書』だ。師匠ばっかりずるい」
私は禁断の書を開く。本来は真っ新な状態だった紙の上に縦書きで文章が羅列されていた。
『つっ、ば、馬鹿野郎。勝手にそんなところを触ってんじゃねえ』
『あれあれ、君って案外、こういうのに弱いのかな?』
『く……、ん、んなわけねえだろ。お、俺を誰だと思ってやがる、くっ!』
『はは、面白い反応。ちょっといじめてるだけなのに、そんなに可愛い顏しちゃって。もう、止まれそうにないよ』
私は数文読んで禁断の書を閉じ、ベッドに投げる。
「はわわわわっ! も、もう、読めない!」
私は頭を抱え、胸の苦しみに耐える。この歳になるまで男子との接点はほぼなく、師匠の禁断の書によって私の男の人格象が形成されていた。




