表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

花が咲いた日のこと

作者: コバヤシ

 いつもの村の朝。


 遠い山々に囲まれた、小さな村のことでした。

 この村には特別なものはありませんでしたが、それゆえに、人びとは静かな暮らしを送っていました。


 朝が来ると、どの家からも煙突から細い煙が立ち上り、

 牛飼いはのんびりと草を食む牛を連れ、畑仕事をする者はくわを肩に畑へ出ていきました。


 村の道には子どもたちの声が響き、鳥は木の枝で歌をうたい、花は季節になると当たり前のように咲きました。


 だれもが、それを特別だとは思いませんでした。

 あたりまえの日常は、あたりまえであるがゆえに、まるで空気のように存在感を持ちませんでした。



 ひとりの少女。


 この村に、ひとりの少女が住んでいました。

 名をナミといいました。


 ナミはごくふつうの子でした。特別な才能もなく、目立った特徴もありませんでしたが、毎朝、同じ時間に目を覚まし、同じ時間に朝食をとり、家の手伝いをしては学校へ行くのでした。


 けれど、ナミにはひとつだけ、特別な楽しみがありました。それは、庭の隅に咲く小さな白い花を眺めることでした。


 その花は毎年、春になると決まったように咲き、夏になるとそっと散り、やがて忘れられてしまうような小さな花でした。


 ナミは毎日その花を見つめながら、ふと思うことがありました。


 花はいつか散るのに、どうして咲くのだろう。

 何気ない毎日は、いつまでつづくのだろう。


 それでも、彼女はそれ以上深く考えることもなく、毎日を静かに過ごしていました。


 村に訪れた異変。


 ある年の春、村に思いがけないことが起こりました。

 いつもなら決まったように咲く花々が、いっこうに花を開かなかったのです。


 空は晴れているのに、草木には芽吹く勢いがなく、鳥たちは、なぜかいつものように歌いませんでした。


 人びとは首をかしげました。

 「今年はなにかおかしいなあ」

 「どこかで変わったことがあったかねえ?」


 けれど、理由は誰にもわかりませんでした。


 ナミも、庭の小さな白い花が咲かないのを見て、胸が痛むのを感じました。

 毎年、当たり前に咲いていた花が、今年は蕾さえもつけていませんでした。


 花を待つ日々。


 村人たちは、心配になって何度も空を見上げました。

 子どもたちも、なぜか元気がなくなり、いつもはにぎやかな村の道も、どこか寂しいものになりました。


 ナミは庭に出て、咲かない花の前に座り込みました。


 「ねえ、どうして咲かないの?」

 問いかけても、花はなにも答えません。


 毎日が過ぎ、村人たちはやがて気づきました。

 当たり前にあると思っていたことが、当たり前ではなかったのだということに。


 ふつうの朝が来て、ふつうに花が咲き、ふつうに鳥が歌い、子どもたちが遊ぶ、そんなありふれた日々こそが、どれほど尊いことだったのかを、村人たちは静かに知りました。


 花が咲いた日。


 ある朝、ナミが目を覚ますと、庭が少し明るいように思えました。

 庭に出てみると、あの小さな白い花が、ひとつだけ、静かに咲いていたのです。


 それは、かつて当たり前のように見ていた姿でした。

 けれどいま、ナミの目には、その小さな花がまぶしくてしかたありませんでした。


 村のあちこちでも、少しずつ花が咲きはじめました。

 鳥たちは、ふたたび枝の上で歌いはじめました。

 子どもたちの声が、いつもより大きく響きました。


 村の人びとは、それらを目にするたびに微笑みました。

 そして、何度も口にしたのです。


 「ありがたいことだねえ。ふつうの日が戻ってきたよ。」



 ほんとうの豊かさ。


 ナミは、その小さな花に向かって言いました。


 「毎年、当たり前のように咲いていたけれど、あなたが咲いてくれることは、本当はすごいことだったんだね」


 花は答えませんでした。

 けれど、風に揺れるその姿は、うなずいているようにも見えました。


 そしてナミは、心にひとつのことを誓いました。


 これから先、どんなに何気ない日々が続いても、

 それを当たり前だと思わず、ちゃんと目を向けて生きよう、と。


 花が咲くことも、朝がくることも、鳥が歌うことも、それらはすべて、かけがえのないものだと心に刻もうと。


 その日以来、村人たちは毎年春がくるたび、あの花が咲いた日のことを思い出しました。


 そして、あたりまえの日常に、ひとつひとつ感謝をしながら暮らしたのでした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ