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2.白昼<ハイヌーン>


 学校見学のことを両親に伝えると二人は顔を見合わせていた。


 父は「そうか」とだけ言った。


 母は「そう・・・」とつぶやいて、しばし沈黙した。そして、


「あなた聖オーを受験するつもりなの。大丈夫?」


 入試のことを心配しているんだ、と思ってわたしは、


「難しいのはわかってるよ。わたしの学力じゃギリギリかも。だけどほんとに行くかはまだ決めていないし」


 母は思案顔で、


「見学は彩華さんの勧めだと言ったけど。あなたたち知り合いだったの?」


 わたしは平静を装って、前にうちに遊びに来たことがあったので顔は知っていた。それでこの間、街で偶然会って話すうちに誘われたのだ、と当たり障りのない説明をする。まるっきり嘘という訳でもないし。


「そう・・・彩華さんが言うなら」


 なんだか不承不承、という面持ちで、けれど許可はもらうことが出来た。


 すぐにそのことを彩華さんに連絡すると、手続きをするから、と返事があった。


 翌日の放課後にまた彩華さんと会って申し込み書類を受け取った。保護者の署名捺印がいるというので母に書いてもらう。それをまた次の日の放課後に彩華さんに手渡した。


「アナログだよね、うちの学校」


 そう言って彩華さんは笑った。そして、


「何人かの“目撃者”からお話を聞けるようにしておいたから」


 と報告してくれた。学校案内をしながらその人たちに会わせてくれるという。



 そして土曜日のお昼過ぎ。


 わたしは聖オーレリィ女学園の正門前にいた。


 良く晴れた温かい日で、上着もいらないのではないかと思うような天候だった。早めの昼食を済ませていた。


 事前に言われたとおり中学校の制服を着ていた。紺のジャンパースカートにボレロという何の変哲もない公立中学の制服だった。


 正門で待っていてくれた彩華さんはもちろん聖オーレリィのセーラー服だった。


 小さめのセーラーカラーのオシャレなデザインで、襟元の赤いリボンタイと胸の校章のエンブレムがいかにも私立のお嬢様学校らしくて素敵だった。


 姉も着ていたその制服につい見惚れてしまう。


 彩華さんは嬉しそうに、


「ようこそ聖オーレリィ女学園へ。さあ来て」


 そして正門横の小さな警備用の詰所に案内してくれた。


 そこには警備員の制服を着たがっちりした体格のおばさんがいて、わたしたちをじっと見ていた。


「二年A組の浅倉です。学校見学の案内です」


 彩華さんがそう申告すると、警備のおばさんはわたしに学校名と名前を書くよううながした。


 言われたとおりに備え付けのノートに記入する。その間中、おばさんはわたしのことをずっと見ていた。ちょっと怖いな、と思う。


 書き終えると、彩華さんと並んで校舎へ向かった。


 歩きながら彩華さんは、


「さっきの守衛のおばさん、強そうだったでしょ」

「はい。でもなんだかちょっと怖いです」


 そう答えると、


「守衛の守屋さんは元警察官なの。学生時代には女子柔道で日本一になったこともあるんだって」


 と教えてくれた。


「不審者を柔道で投げ飛ばして捕まえたこともあるし。だから慕っている子もいるの。頼りになるお母さんみたいだって」


 元警察官と聞いてなんとなく納得した。だから鋭い目つきだったんだ。


 昇降口で彩華さんは革靴を上履きに履き替えて、わたしには来客用のスリッパを出してくれた(わたしのスニーカーは彩華さんの下駄箱に入れてくれた)。


 職員室へ行くと、若い女の先生が待っていた。


 担任の高橋先生と紹介された。髪を後ろ頭でまとめてバレッタで留めている。二十代後半のふっくらした頬の優しい面立ちのひとだった。


 彩華さんがわたしを紹介してくれたので、一礼して名乗ると、


「雨宮さん・・・美来さんの妹さんなのですってね」

「はい。姉がお世話になりました」


 わたしだってそれくらいのことは言える。無作法なことをしたら姉に申し訳がないと思うし。しっかりしなくちゃ。


「そう・・・お姉さまはお気の毒だったわね」


 お気遣いありがとうございます、と言おうとして、うっ、と喉が詰まる。声が出なくなって、視界がにじむ。わたしは気づかれないように小さくあえいだ。


 知らない大人の人(しかも姉の担任教師)に姉の事を言われると、あらためて姉の『死』を突き付けられたような気がした。


「美来さんはとても優秀な生徒でした。あなたが見学に来てくれてきっと喜んでいると思うわ」


 その声がどこか遠くから聞こえる。


「今日は彩華さんが案内してくれるから。彩華さんは美来さんの一番の親友だったの。だから・・・」

「先生」


 彩華さんがやや強い口調で遮る。


 高橋先生がはっと息を呑む気配がした。


「利奈さんはわたしがご案内いたしますから。どうかそのくらいで」


 丁寧な言葉遣いだったけれど、言外に“もう黙れ”とでも言うような険があった。


「ごめんなさい、わたし」


 高橋先生のやや狼狽えた声。わたしは大きく息をついて、


「大丈夫ですから」


 とやっと言えた。


「失礼します」


 彩華さんは一礼して高橋先生に背を向けた。わたしも一礼して回れ右をする。


 ぼやけた視界の端で高橋先生の顔がちらりと見えた。困惑とも憐憫ともつかない目をしていた。


 職員室を出ると、彩華さんが黙ってポケットティッシュを出して私に手渡してくれた。


「ありがとうございます」


 わたしはテッシュで目の端をぬぐい、鼻をかんだ。


「悪いひとではないの」


 彩華さんはつぶやくように言った。


「ただちょっと天然というか無神経なところがあって」


 そしてそっとわたしの肩を抱いてくれた。


「少し休む? それとも辛いようならもう見学はおしまいにしてもいいし」


 わたしは首を横に振った。


「ほんとうにもう大丈夫ですから。それに・・・」


 わたしは努めて明るい口調で、


「これから聞き込みをしなきゃいけないですし。今ので覚悟が出来ました。もう姉のことを言われても平気です」


 そう言う私をじっと見つめていた彩華さんは、つと肩の手を外した。


「わかった。ついて来て」


 そして小さな声で「強い子ねあなた」というのが聞こえた。


「それでどこに行くんですか」


 平静を装って尋ねる。


「図書室。そこで最初の目撃者からお話を聞きましょう」

「図書室?」


 なんでそんなところで?


「図書室は部活動には使わないの。だから本当は閉まっているのだけど、知り合いの図書委員から鍵を借りてね・・・まあつまり定番のサボりの穴場なわけ」


 彩華さんはいたずらっぽい笑みを含んだ声でそう言った。


 図書室に行くと一人の生徒が待っていてくれた。リボンタイの色は姉と彩華さんと同じ赤だった。


 2年B組の設楽れいみさん、と紹介された。面長で細い目をした華奢なひとで、姉と同じ合唱部だという。


 ピアノをやっていた姉は主に伴奏を担当していたけれど、れいみさんもピアノの経験があったので、他のピアノ経験者と交代で弾いていたのだという。


「美来さんが一番上手だったから、わたしたちは美来さんの控えというか、美来さんの都合が悪い時とかに演奏していたの」


 自己紹介もそこそこに肝心の話を聞く。つまり姉の幽霊を目撃した時のことを。


「一学期の期末試験の最終日だったの」


 図書室の長机を挟んで、私と彩華さんはれいみさんと向かい合って座っていた。れいみさんはわたしの顔をじっと見ながら話し始めた。


「試験期間中は部活がないからみんな早く帰るのだけど。あの日は久しぶりにピアノを弾きたくて、先生から音楽室の鍵を借りて一人で練習していたの」


 時間を忘れてピアノに集中していたため、気が付いたときにはもう日が落ちかけていた。


 職員室に鍵を返してから正門を出て少し歩く。れいみさんは聖オーの生徒としては珍しく近くに住んでいたので徒歩通学だという。


 そして見た。


 薄暮の中でたたずむセーラー服の少女の姿を。


 遠目だったけれど、髪形といい体つきといい姉にそっくりだったと言う。その少女は驚いて立ち止まっててしまったれいみさんを見ると(はっきりと視線を感じたという)、くるりと背を向けて歩き出した。


「今になってみると追いかければよかったのかも知れないけど」


 その時のれいみさんはしばらくのあいだ動くことができなかったそうだ。


 わたしは質問してみた。


「あの、誰かと見間違えたとかはありませんか」


 れいみさんはじっとわたしを見ながら考えている様子だった。


「例えば別のクラスとか学年とかで似た人がいたとか。他校の生徒の可能性も」

「他校の生徒ではないはず」


 れいみさんはきっぱりと言った。


「うちの制服は見ての通りけっこう特徴的だし。間違いなく聖オーの制服だった。学年も一緒だったし」

「どうしてわかるのですか」


 れいみさんは自分の襟のリボンタイを指して、


「わたしのと同じ赤だったもの」


 彩華さんが補足してくれた。


「学年ごとに色が決まっているの。今の二年生は赤、三年生は緑で一年生は青」


 リボンタイだけでなく、体操服の襟袖とかジャージの色も学年ごとに決まっているのだという。そしてそれは進級しても変わらずに、緑、赤、青の順番で繰り返されるという。


「でも、二年生の中に思い当たる子はひとりもいなかったの」

 

 そしてこうも言った。


「あれは美来さんだった。少なくともそう見えたの」

「でも夕暮れ時だったのでしょう。そこまではっきり見えなかったんじゃ」

「確かにはっきりとは見えなかったけど。でも、ねえ利奈さん」


 れいみさんは身を乗り出して、やや強い口調で言った。


「わたしは美来さんと一緒にピアノを弾いてきたの。お遊びだけど連弾したこともあった。身近に接していて、美来さんの肌の匂いだって知ってるくらいなの。それに」


 どうしたのだろう急に。わたしはちょっと怖くなって気持ち体を引いた。


「それに、なにより髪形が同じだった」

「髪形、ですか」

「そう。前髪を切りそろえたセミロング。今のわたしみたいに」


 目の前のれいみさんの髪形をあらためて見る。確かにあの頃の姉に似ていた。


「学祭の時、美来さんは特別にピアノのソロを弾くことになったの」


 急に何を言い出すのだろう。でもそのことは知ってる。わたしも母と行ったもの。


「本当はあの時、美来さんは髪を結っていたの」


 また何を言っているのだろう、といぶかしむ。わたしの記憶ではあの時はいつも通りのストレートだったはず。


 彩華さんの補足が入る。


「校則では髪が肩にかかる長さの場合は編んだりアップにしたりしないといけないの」

「え、でも」


 れいみさんの髪もストレートのままだけど。


「ああ、普段は先生方も大目に見て下さっているの」


 そう説明する彩華さん。


 れいみさんは、


「学校行事の時はいつもより厳しくなるの。あの時も髪を結わないなら演奏は許しません、て言われていた。だけど」


 姉はそれに激しく抵抗したという。


 自然な髪形でないとミューズが降りてこない。演奏がうまくできない、と言ったそうだ。けれど教師たちはそれをただのわがままと取ったらしい。結局、姉が折れて控室でゆるい三つ編みに結ったのだという。


「わたしがしてあげたの」


 れいみさんはどこか誇らしげに言った。


「でもね、控室から舞台へ行く途中で、美来さんは髪をほどいてしまったの。歩きながら振り返って、『ごめんねれいみ。せっかく結ってくれたのに』と言って、ふぁさぁっ、て髪をほどいた」


 その時のことを思い出してか、れいみさんはうっとりした表情で、


「あの時の美来さん、すごくカッコよかった」


 そしてそのままの髪で演奏をやり遂げたのだという。


「先生たちはいい顔をしなかったけど。でもそのことを知った一部の生徒からは、聖オーレリィさまみたい、て評判だった」


 彩華さんの解説によると、信念を貫き通した姉の行動は、改宗を拒んで自死した聖オーレリィと通ずるものがある、見なされたらしい。もちろん教師たちはそんな都合の良い解釈は認めなかったそうだけど。


 あの演奏の舞台裏でそんなことがあったなんて。わたしはすこし驚いた。それに優等生だと思っていた姉の意外な一面を見た思いがした。


「また美来さんの武勇伝の話? いい加減にしてほしいんだけど」


 いきなり怒気をはらんだ声が聞こえて、わたしはびくっと体を震わせた。


 いつの間にか図書室の入り口に一人の女生徒が立っていた。眼鏡をかけて三つ編みをおさげにしているひと。胸のリボンタイは赤だった。


「なんだ聡美か。あんまり驚かさないでよ」


 彩華さんが砕けた口調で声を掛けたのに、その人は眼鏡の奥から冷たい視線をかえした。


「図書委員が図書室にいて何を驚くの。それと、図書室はサロンじゃないの。おしゃべりするなら出ていってもらえないかな」

「ちょっとちょっと、高橋先生から聞いてないの? 中学生の子の学校見学で」

「それと美来さんの話と何の関係があるの」


 彩華さんはため息をついて、


「案内してるのは美来さんの妹さんなの。だから・・・わかるでしょう?」


 聡美と呼ばれたその人がわたしを見た。


「そう・・・美来さんの」


 眼鏡越しの視線。なんとなく冷たいような気がする。いいえ、理知的、というのかもしれなかった。


「だったらなおさら妹さんに変な話をしないで」

「変なって」

「幽霊なんてありえないでしょう」


 そしてれいみさんに向かって、


「あなたのお話は前にも聞いたけど。ねぇ、あらためて教えて。あなたの見た“美来さん”は制服を着ていたんだよね」

「ええ。聖オーのセーラー服だったよ」

「どんな?」

「どんなって。自分が着てるのと同じだった」

「目撃したのは一学期の期末試験の頃なんだよね」

「うん」

「その時のあなたと同じ制服を着ていたということは夏服だったのではないの」

「もちろんそうだよ」


 聡美さんは諭すように、


「美来さんが亡くなった時に着ていたのはジャケットコーデの合服だったでしょ。それなのに夏服で現れるなんて変だと思わないの? それとも幽霊も衣替えするの?」


 言われてみればおかしなことだと思う。


「だから単によく似た本学の生徒を見て幽霊と勘違いしただけなのだと思う。つまらないオチじゃない」


 身もふたもなくそんなことを言う。


「さあもういいでしょ。新着図書の整理をしないといけないの。部外者は出ていってくれないかな」


 つっけんどんにそんなことを言う。わたしたち三人は図書室を出ようと扉に向かった。聡美さんとすれ違った時、れいみさんが憎々し気な声で、


「なに嫉妬してんのさ」


 とつぶやくのが聞こえた。


「なんですって」


 聡美さんの耳にも届いたらしい。れいみさんは聞えよがしに、


「このひとはねえ、彩華さんとあなたのお姉さんを取り合ったの」

「え・・・」

「ちょっとれいみさん、やめてよ」


 彩華さんがたしなめる。けれどれいみさんは、


「よくある三角関係なの。女子校あるあるだけどさ」


 聡美さんはものすごい目でれいみさんを睨んでいた。れいみさんはかまわず、


「美来さんの“本妻”が彩華さんだってこと、みんな知ってたじゃない。それなのに何かと美来さんにまとわりついてさ」

「あなたにひとの事が言えるの」


 聡美さんの非難の声にれいみさんは、


「わたしはいいの。一歩引いて二人の邪魔にならないようにしていたから。あなたみたいに二人の間に図々しく割り込んだりしなかった」


 そして反論しようと口を開いた聡美さんの機先を制して、


「ああそうだ、わたしも部活に行かなくちゃ。お忙しい図書委員のお仕事を邪魔しちゃ悪いし。ごきげんよう?」


 そして憤慨している聡美さんひとり残してわたしたちは図書室を出た。


 音楽室に行くというれいみさんと別れて、わたしは彩華さんと二人で廊下を歩いていた。


 さっきの一幕のせいでなんとなくぎこちない雰囲気だった。


「変にとらないでほしいんだけど」


 困り顔の彩華さんに、さっきのひとのことを聞いてみた。


「あのひとは同じクラスの藤聡美さんというの。聡美さんも美来さんと仲が良くて、というか、ホントは聡美さんとれいみさんとわたしと美来さんとで仲良しグループだったの」


 そうだったんだろうな、とわたしはなんとなく理解していた。きっと姉を中心にしたグループだったのだ。だから姉がいる間はうまくやっていけた。けれど、姉という要がなくなってバラバラになってしまったのだろう。


「わかります」


 そう、そして彩華さんが姉の一番の親友だったことも。


 わたしも嫉妬しないわけじゃない。“本妻”という表現も面白くなかった。だけどわたしは知ってる。姉にとっての一番は妹のわたしだってことを。


「次はどこに行くのですか」


 そして今度は誰に会うことになるのだろう。


 彩華さんは穏やかな口調で答えた。


「お御堂に」


 お御堂へは渡り廊下を通って行けるようになっていた。


 その渡り廊下に面した校舎側の室内の壁には壁画があった。


 「聖オーレリィの埋葬」と題されたその絵の下半分には、地面に穿たれた穴に人々の手によって横たえられる乙女の姿が、そして上半分にはその乙女の霊が雲上の主イエスの元に昇天する様子が描かれていた。


 彩華さんは壁画の前で一礼してから、それを背に渡り廊下をお御堂へと向かった。


 わたしは何度も振り返ってその絵を見た。横たわる乙女の姿は姉を思わせた。実際には見ていない姉の死はこんな風ではなかったか、と思う。


 お御堂には二人の生徒が待っていてくれた。


 襟元のリボンタイは二人とも青だった。一年生なんだ。


 さっそくお話を聞こう、と意気込んでいたわたしを尻目に、聖オーの三人の生徒たちは祭壇に向かい手を合わせ、厳かな口調で祈りを捧げはじめた。


「善なる父よ、わたしたちにあなたの存在を求める時間と勇気とをお与えください。聖オーレリィの執り成しによりて、わたしたちが常に善き方向に歩めますよう、すべての慰めと共にあらんことを。わたしはあなたが常にわたしと共にあることを知っています。わたしたちの主イエス・キリストよ。アーメン」


 祈りを終えた彩華さんは、呆気に取られているわたしをお御堂の横の庭(彩華さんはチャーチリィ・ヤードと呼んだ)のテラスにしつらえてあるベンチに誘った。屋外ではあったけれど上履きのまま出られるようになっていた。


 そこであらためて二人の一年生を紹介される。そばかす顔の小柄な生徒は藍川杏さん、丸顔でぽっちゃりした生徒は高垣茉莉さんと名乗った。


 夏休み明けの九月の初めに夕暮れの通学路で姉の姿を見たのだという。


 仲良しの二人が並んで駅に向かって歩いていると、十メートルくらい先を歩いていた制服姿の人影に気づいた。


「なんだか普通に見えなかったんです」


 と藍川さんは言う。


「ふわふわした歩き方、というか。まるで体重が無いみたいな足取りで」

「わ、わたしは」


 高垣さんが口ごもりながら、


「ぜっ、ぜったいこの世の人じゃないって思い、思いました。ゆ、夢の中でしか見たことがない、ま、まぼろしみたいだった、から」


 ややしてそのひとは背後の二人に気づいたらしい。ゆっくりと振り向いたそうだ。


「そのとき、夕陽が差してきて。まるでタイミングを計ったみたいに」


 紅の光の中で、そのセーラー服の少女の顔が見えたという。


「聖女さまだ、てその時思いました」


 藍川さんは恍惚として言った。高垣さんは、


「わ、わたしたち、二人で手を取り合って、み、見つめていたんです」


 その時のことを再現するかのように、二人の一年生はお互いの手を取って見つめあった。


「あんな幸せな時間、はじめてでした」

「す、すごくうれしかったんです。だ、大好きな杏ちゃんと、ふ、二人で聖女さまを、み、見ることができて」


 すっと肩を寄せ合うふたり。目に涙をためて今にも泣きだしそうな様子だった。


「しゅ、宗教の時間の時に聞いた、き、奇跡体験みたいでした」


 藍川さんも感極まったようにつぶやいた。


「神の顔に触れた瞬間というか、そう感じたんです」


 二人の感動にあてられて、わたしもなんだか泣けてきた。彩華さんは、と見ると、こちらはややうんざりした様子で、


「でもあなたたち、美来さんの顔は知らなかったのでしょう」


 藍川さんはちょっとむっとしたように、


「後で先輩方に美来さんのお写真を見せていただきましたから」

「こ、この方だ、お、同じお顔だったって、き、気づいたんです」


 そして藍川さんはわたしを見て言った。


「妹さまともよく似ていらっしゃいました」


 わたしは二人を抱きしめたい衝動に駆られた。さすがに自制したけれど。


 二人に礼を言って別れると、彩華さんはわたしを二年A組の教室に案内してくれるという。


 教室に向かう道中、彩華さんは、


「今までの話で察しがついたと思うけど」


 やや低い声で話した。


「美来さんはこの学園の中でもはや伝説になっているの。直接面識のない一年生の間ですら」


 なんといって良いかわからずに、わたしは沈黙を守った。


「霊魂の不滅とか宗教的法悦感だとか」


 彩華さんは苦々し気に続けた。


「そんなことってあると思う? いいえ神秘体験を否定する訳ではないけれど」


 どうやら彩華さんは今の学園の状態を快く思っていないらしい。


「わたしは、でもうれしいです」


 そう答える。


「へえ。なぜ」


「姉が今も生きているって思えるから」


 足をぴたりと止める。彩華さんはわたしの顔を覗き込んで、


「あなたは・・・いえ、そうだよね。わたしだって美来には生きていて欲しかった」

「わたし思うんです」


 彩華さんを見つめ返して、


「姉が死んだなんて何かの間違いだ、本当は生きているんじゃないか、て」

「それはどういう意味?」

「きっと、何か事情があって姿を消す必要があったのじゃないか、とか。誰かが姉を隠しているんじゃないか、とか」

「そうであって欲しいと。願望?」

「そうかもしれません。そう信じたいだけなのかも」

「ふうん」


 視線を外して再び歩き出す。


 わたしは今言った自分の言葉に少し驚いていた。ただの思い付きで言っただけなのに。もしかして姉は本当に生きているんじゃないのか。そして学園近くに身を隠しているのではないか。それで不用意に外出したところを目撃されてしまったのでは。そう思い始めていた。


 そういえば、彩華さんはどうして姉の幽霊のことを一緒に調べようなんてわたしを誘ってくれたのだろう。ただの気まぐれ? それとも何か理由があるのかも。


 まさか。


 彩華さんを見る。


 このひとも姉の生存を疑っているのだろうか。それとも何か知っているのだろうか。


「ここが私たちの教室なの」


 彩華さんが立ち止まったのは二年A組の教室の入り口の前だった。もちろん中には誰もいない。


「見て。あの席」


 教室の中ほどにある机。その上には花の活けられた花瓶が置いてあった。


 でもそれだけじゃない。花瓶の周りには、ブーケのような小さな花束や、カード、折り紙やフェルトで作ったマスコット人形らしきものであふれんばかりだった。


「毎日のように誰かが持ってくるの」


 彩華さんの解説によると、最初は花だけだったらしい。それがいつかの間にか姉の“信者”たちが様々なグッズを持ち寄るようになって、今ではこんなことになっているのだという。


「学校は禁止したのだけど」

 

 ため息交じりの彩華さん。


「一向に止む気配がなくて。今ではクラスで係を決めて、下校前に片づけることにしているの」


 今日はわたしに見せるために彩華さんが当番を変わってくれたのだという。


「どうするんですか、これ」

「とりあえず倉庫に保管してる。いずれは供養という名目で焼却されると思う」


 色とりどりのかわいらしい物であふれた机。


「まるで“祭壇”ですね」

「そう。新たな聖女のための祈りの場所」


 誰もいない教室。真昼の強い光に照らされた姉の机。そこにはまるでお御堂のような静謐な空気が感じられた。


 愛華さんは自分の席から大きめの紙袋を持って来て、“供物”の回収を始めた。ひとつひとつを丁寧に紙袋に収めていく。まるでそれらが聖遺物であるかのように。


 わたしの目にはそんな彩華さんの行為自体がひとつの“祈り”のように見えた。


「ほかに見たいところはある?」


 彩華さんの問に首を振る。


「いいえ。十分です」


 これ以上は何を見ても蛇足なような気がしていた。見るべきもの見、聞くべきことは聞いた気がした。


「そう」


 聖遺物の回収を終えた彩華さんはわたしを見て言った。


「なら、学校見学はおしまいにしましょう」と。


3.夜<イブニング> に続く

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