我が家
玄関の前で深呼吸し呼吸を整える。
扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
僕は靴を履いたまま右手にある部屋に入る。
ソファに横たわってテレビを眺めている五十代の男の後ろ姿を視認する。
男は顔を振り返り、僕を一瞥するとすぐにテレビに視線を戻す。
僕は男のすぐ後ろまで肉薄するが、もう男はこちらを見ない。
僕は後ろ手に隠し持っていたナイフで男の首を掻っ切る。
覚悟が足りなかったせいだろうか、あまり深くえぐることができなかった。
それでも血が舞い散る。
男の悲鳴が響く。
背筋が凍りつきそうになり、足が冷え切ったようになり気持ち悪い。
男はソファから墜落し、何が起きているのか分からずも悶えながらも、恐怖と困惑の目を僕に向けてくる。
僕は心臓はこのあたりかな、と適当に胸を狙い凶器を突き刺す。
心臓に当たったかどうかは不明だが、しばらくして男は動きを止めた。
別の部屋に移動しようと身体の向きを変えようとすると―――――
背中に鈍い衝撃が走った。前のめりにが倒れていく。
なんとか右手をつき、腕で身体を支え背後を確認しようとするが、そんな暇は与えられなかった。
脇腹を蹴り飛ばされ、右に飛ばされる。
追撃を避けるため転がり、テーブルの下に潜り込む。
そこから相手の足もとが止まるのが見えた。次の一手を思案しているのだろうか。
両手をテーブルの裏面にあてがい、相手の方向に全力で投げ飛ばす。
相手は後退し、その間に僕は素早く立ち上がり、間合いを取る。
目の前にいるのは二十代の若い男だった。そしてその背後に四十代の女の姿もあった。
ナイフが手元からなくなっていたことに今更気づいた。
心臓が暴れまわる。息遣いが乱れる。
もう自分を確認できない。
しかし不思議と恐れはなかった。
それは目先の男もなんの武装もしていなかったからか。それもあるかもしれない。
それとも勝手知ったる相手だったからか。
しばしの場の硬直。
動いたのは同時。
お互い殴る、蹴る。乱れるように、絡まるようになり床に倒れこむ。
首をつかまれ引き絞られる。
意識が遠のきそうになり、両手両足をみだらに振り回す。
つま先に鋭利な物体が触れる感覚がした。
頭突きをぶちかまし、足で相手を押し出し、自分から遠ざけ、飛びこむようにしてナイフを再び手にする。
そして僕はまた宙を舞った。蹴りあげられたのだ。
床に落下すると同時に起き上がろうとするが、先手を打たれた。
右足で踏みつけられ、腰の上にまたがるようにして、のかかってきた。
抑え込まれた。背中を激しく床に打ち付ける。
一瞬呼吸が止まり、相手からナイフを奪おうとされるが、両手でナイフを守り、必死に抵抗する。
すると相手の両手が僕の両手首を掴み、固定される。
そして刃先を僕の方に向けようとしてくる。
足をばたつかせ、蹴りあげようとするも、この馬乗りの状態ではたいしたダメージも期待できない。
相手の手を払いのけられないまま、じわじわと刃が僕の方に向かってくる。
そして目先に刃の先端が来た。
僕はもう力を抜いた。完全に狙いが固定される。
刃が接近してくる。
上半身を駆使して身体を捻じ曲げる。
顔面直撃は免れたものの、左肩に突き刺さった。
相手はうろたえた。
血を見て。返り血を浴びて。凄惨な僕の左肩を見て。悲劇を見て。
その隙を逃すわけがなかった。
僕はナイフを抜きとり、それに伴う出血など気にせず、相手に刺し込む。
刺す、抜く、刺す、抜く。右腕、脇腹、胸、耳、頭。
まだ気を抜くわけにはいかない。
僕は痛みをこらえ、最後の標的に目を向ける。
女は台所から包丁を抜きとり、構えてきた。
相討ち覚悟。
思考などもう機能しない。無為無策に突っ込む。
女の胸に、僕の腹に凶器が入り込む。
まだ死なない。僕も彼女も。
しかし動いたのは僕の方が早かった。
ナイフを抜きとり、刺す刺す刺す。
これで終わった。
僕もほっとけばこのまま終わるだろう。
終わりだ。
父も母も兄も、そして僕も。
予定通り。
世界初じゃないかな。
こんな一家心中。