特別な日などない
バレンタインという事で一話。
時系列的にアールヴとの戦争が終わって暫くした後のお話です。
──それはクラウンが雑務をこなしている最中。
「……クラウンさん」
「む?」
クラウンは書類に落としていた目を上げ、自身に声を掛けて来た女性──ロリーナを見遣る。
「どうしたんだロリーナ? もう昼過ぎだぞ?」
──戦後、クラウンは多忙を極めていた。
学院に関する事やギルド立ち上げに際した諸々の契約、根回しや案件等。そして何よりかつて敵国であったアールヴとの国交に関する細々とした事案……。上げていけばキリがない。
そんな忙殺の日々に追われる彼だが、その身に宿るスキルをフル活用する事でそれらを効率良く処理し、半日の内にはその日のタスクを終わらせている。
故にいつもは昼時には秘書業をこなすロリーナに進捗を聞いて調整等を行なっていたのだが、今日に限って彼女は一時席を外していた。
何かあれば一言残してから離席するはず……。しかも戻ったのは昼過ぎだ。いつも澱みなく仕事をこなすロリーナにしては珍しい事といえる。
「勝手をして申し訳ありません。ですがどうしてもクラウンさんを驚かせたくて……」
「いやまぁ、ある意味でもう驚いてはいるが……。何かあるのか?」
「はい。コチラを……」
そう言ってロリーナが取り出したのは、ずっと背中に隠すようにして持っていた小さなケーキスタンド。
不透明なガラスケースが被さっており、中身も匂いも判然としない。
「これは……」
「どうぞ、開けてみて下さい」
促されるままクラウンはケーキスタンドを受け取り、執務机に置いてガラスケースを開ける。
するとそこには──
「これは……。フォンダンショコラか?」
「はい」
開けた瞬間から漂う、濃厚なチョコレートと粉砂糖の香り。
焼き立てらしくほんのり熱が感じられ、プロが作ったものと遜色ない程に形が整っている。
隣にはバニラアイスまで添えられていて……。一目でかなり手の込んだものであると理解出来た。
「成る程。これを作っていたわけか」
「はい。色々と勉強して、なんとかお出ししても恥ずかしくない完成度に仕上げられました」
「ふふ。確かに素晴らしい出来だ。君の努力が伺えるよ」
「ありがとうございます」
「──それで、どうしてまた今日これを? これほどのもの、一朝一夕のものではないだろう? 勉強したと言っていたしな」
簡単に身の回りの出来事を思い返してもみたが、クラウンとしては思い当たらない。ましてや愛するロリーナに関する事でうっかりなどしようはずもない。
だがロリーナはこのフォンダンショコラを作るために勉強し、わざわざ仕事を一時抜け出してまで用意してきた……。何もないという事はないだろう。
「ご存知、ありません?」
「む? 何をだ?」
「最近ようやく活気付いてきた飲食店界隈で、自店の目玉商品を売り込もうと各所が様々な宣伝をしているんです」
「ああ、アレか。少々強引なこじ付けで喧伝していたな。中には不謹慎なものもあってコランダーム公が対処に困惑していた」
「はい。──それで中には……その……」
「ん?」
「…………「愛する人に、飛び切りの甘いデザートを」という宣伝をしていた雑貨店がありまして、デザート作りに関する材料をまとめ売りしていたんです」
「……成る程」
クラウンはポケットディメンションを開いてスプーンを取り出し、フォンダンショコラに差し込む。
「別に今日だからって事ではないんです。ただ満足いく完成度に出来たのが昨日だったので、今日を本番としました」
「ふむ……」
掬ったフォンダンショコラを持ち上げ、中からゆったりと流れ出すチョコレートがこぼれ落ちる前に口へと運ぶ。
口内に広がる濃厚な甘味と、それを引き立てるほろ苦さと芳醇な香り、そして温もり……。適度に振り掛けられた粉砂糖のシンプルな甘さも程良くあって、たった一口で満足感が湧き上がる。
「……美味しいよ。とても美味しい」
「ありがとう、ございます」
はにかむロリーナに、クラウンもつられて笑みをこぼす。
「何も特別な日ではないですけど、アナタを慕う気持ちに……どんな日も関係ありません。私は毎日、いつでも……アナタをお慕いしています」
「……流石にそう真正面から言われると照れてしまうな」
「ふふ。いつも臆面もなく情愛の言葉を口にされてるお返しです。少しは手加減して下さい」
「そうか? では──」
クラウンはフォンダンショコラをスプーンで掬った直後にテレポーテーションを発動。ロリーナの側に転移する。
そしてロリーナの腰を抱くと可能な限り密着し、彼女の顔を至近距離で見つめた。
「──っ!」
「今度は言葉だけではなく、行動でも愛を伝えてみようか」
手に持つフォンダンショコラが乗ったスプーンをロリーナの口に運び、彼女がそれを口に含む。
「……どうだ?」
「……甘い、です」
「そうか。なら、もう少し甘くしてみようか」
クラウンとロリーナの顔が近付き、触れ合う。
震えるほどの甘さが、二人の身体を駆け巡った。
「……ねぇ」
「な、なーに?」
「これ、いつ入んのよ。私達書類届けに来ただけなんだけど?」
「さ、さーねー……。ただ──」
「ただ?」
「多分、いま邪魔したらボク達あとで死ぬほど扱かれるよ? たっぷり愛のこもった……」
「……」
「……」
「……」
「……勘弁してよ、もぉ……」