団子
秋の歴史2023に参加します。
よろしくお願いします。
「殿。またあの男が来ましたぞ!」
家来の甚兵衛が向こうを指さした。そこには屋敷に通じる畦道を進む小柄な侍の姿があった。ひょこひょことせわしく歩いており、その姿は何か滑稽である。
「あいつか。なるほどな。」
その侍は一昨日、初めて屋敷を訪れた。門前で大きな声を上げて面会を求めたのだ。だが素性も分からぬ者に会う気はない。いや、その侍の主とその意図がわかっているから会う気などさらさらなかった。
「しつこうございましたぞ。」
甚兵衛はそう呟いた。それは殿もはっきり覚えていた。
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門番が言い含められた通り、
「殿は今、外に出られておられます。」
居留守を使ってみた。普通の来客ならそれであきらめて帰っていく。だがその侍はしつこく聞いてきた。
「いつ、お戻りになる?」
「いつお戻りになるかわかりません。」
「お戻りになるまで待たせてくれ。」
「明日になるかもしれませんし、数日後になるかもしれません。」
「それまでこの軒先で待つとしよう。」
「それは困ります。どうぞお帰りください。」
そんな問答を繰り返してやっと追い返したのだった。だがその侍は最後に屋敷の中まで聞こえる大きな声で、
「あきらめませんぞ。また参ります。お話を聞いていただけるまで何度も参りますぞ!」
と言って帰っていった。その言葉通り、またやって来たのだった。
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この屋敷の殿はこの地で書を読み、田畑を耕す・・・文字通り晴耕雨読の生活を送っていた。この日、彼は甚兵衛とともに屋敷の前の畑に出ていた。頬被りをして野良着を着て田畑を耕す姿は百姓にしか見えない。その手つきも慣れたものだった。
その殿の見ている前で、その侍は一昨日と同じように大きな声で名乗って面会を求めていた。だが門番と押し問答をした挙句、追い返されてしまった。行きとは違ってとぼとぼと背中を少し丸めて帰っていく姿は少し哀れに見えた。
「やっと帰っていきますな。」
甚兵衛がせいせいしたように言った。殿はそれを黙ったまま見送っていた。彼は
(これでいいのだ。これでいいのだ・・・)
と心の中で自分に言い聞かせていた。別の主に仕えてまで生きていこうとは思わぬ・・・殿はそう心に決めていた。
「おや。あの男。腰を下ろしましたぞ。」
甚兵衛が声を上げた。侍はそのまま帰らなかった。木陰に腰を下ろして背中に背負った包みをほどいていた。
「何をするつもりですかな?」
甚兵衛がつぶやいた。殿もなぜかその侍の行いが気になった。今日は帰らずにずっとそこで帰りを待とうというのか・・・。
侍が取り出したのはやや大きな竹皮の包みだった。それを開けると団子がいくつも入っていた。その一つにかぶりつき、何とも言えぬ幸せな顔をした。
「飯にしたようですな。腹が減ったのでしょう。」
甚兵衛はそう言ったが、殿はその団子が妙に気になった。普通、弁当に握り飯を持ってくることはあるが、それが団子であることは少ない。それにあの数、一人で食べるには多すぎるように思えたのだ。殿はそのわけが知りたくなった。その侍にも興味が湧いてくるのを抑えきれなかった。
そんな時、侍は近くの畑にいた2人の姿が目に入ったようだ。いきなり声をかけてきた。
「おおい。そこの者。こっちに来て団子でも食わんか?」
すると殿は密かに面白そうに笑った。そして甚兵衛に、
「ひとつからかってみるか。」
とつぶやいて畑仕事を止めて侍の方に近づいた。甚兵衛は小声で、
「おやめください。」
と止めるが、殿は侍のもとに行くのをやめようとしない。仕方なく甚兵衛もそれに従った。(物好きにもほどがある。)と思いながら・・・。
2人は侍の前に出た。近くで見るとその侍は愛嬌のある、人好きのする顔をしている。
「ここの者か?」
侍は笑顔で2人に問うた。
「はい。お屋敷の田畑を耕しております。」
殿は答えた。侍は別に怪しむ様子もなく、話を続けた。
「畑では何を作っておる?」
「瓜や芋、菜の類でございます。」
「田は? 今年の出来はどうじゃ?」
「よく実っております。」
「それはよかった。今年はどこでも豊作のようじゃ。うれしい限りだ。さあ、団子をやろう。たんとあるかならな。」
侍は団子が乗った竹皮の包みを差し出した。
「これはありがたい。」
殿は両手の汚れを懐の布で拭い、頬かむりを外した。すると侍の顔が一瞬、「おやっ?」という表情になった。殿は構わず竹皮の包みから団子を一つ取った。続いて甚兵衛も・・・。
侍は少し空を仰ぎ、また話し出した。
「実は儂は百姓の出での・・・こうやって作物が実るのを見るのは楽しいものだ。」
「そうでございますな。」
「でも儂は嫌になって家を飛び出してしもうた。それでな・・・」
侍は懐かしそうに昔話を始めた。殿は団子を手に持ったまま、その話に適当に相槌を打っていた。
「いろいろあってやっと今の主に仕えることができた。我が主は素晴らしい方じゃ。敵をどんどん追い払い、今や、日の出を落とす勢いじゃ。」
確かにその侍の主は勢力を拡大している。だが殿にはその所業が気に入らなかった。逆らった者には弟であろうが容赦はない。苛烈なお方だ・・・それがその主に対する彼の評価だった。
「儂は主に拾っていいただいたご恩に報いるために、懸命に仕えることにした。他の者から疎まれようが、そんなことは気にならぬ。ただ主のために・・・。」
殿はこの侍の純粋な思いが好ましかった。かつての自分を見るかのように・・・。だが、
(この侍のように心を尽くして仕えても、用がなくなればさっさと追い払われるか、首を斬られるのが関の山だろう。)
とも思っていた。
彼にもかつては仕える主がいた。彼はその優れた才を主のために存分に発揮した。だがその主は彼を遠ざけた。才あるが故、警戒されたのだった。それでいてその主は酒色に溺れ、政務を顧みようとしなかった。
それである時、彼は暴挙に出た。それで主に目を覚まさせようと・・・だが無駄だった。彼はあきらめてこの山奥にわずかな家来と隠棲することにしたのだ。
だが各家から自分を家臣に加えようと誘いが来た。だがそれは彼の才を求めているのではない。ただ家臣に加えて、その名をもって周辺の土豪を味方につけようとしているだけなのだ。
(私自身を必要としている者などいない。才を生かす場などもうない。こうしてすべてを断っているうちに誰も見向きしなくなるだろう。)
とそう悟っていた。もうこの世に未練などないと・・・。
侍はまだしゃべり続ける。
「足軽だった儂はやっと侍になれた。だがまだまだじゃ。儂の踏ん張りはこれからじゃ。」
「そうでございますな。」
殿は相槌を打ったが、それが気のないものに聞こえたのだろうか、その侍は急に話を変えた。
「ところでこの屋敷の殿を知っておるか?」
「はあ、まあ・・・。」
「ここの殿は才優れたお方じゃ。お会いしたいと思ったのじゃが・・・」
侍は急に顔を曇らせた。
「儂のような者には会ってくださらぬ。一昨日も来たのだが断られてしもうた。」
「ここの殿はもはや誰にもお仕えする気がないようでございますな。もはやこの世と縁を切っておられるようで。」
殿ははっきりとそう言った。だが侍はかまわずに話を続けた。
「それで気落ちして家に帰ったのじゃ。だがそんな儂をかかぁが笑顔で迎えてくれた。次はきっとお会いくださると。」
「そうでございますか?」
「それでこんなに団子をこしらえてくれたんじゃ。皆さまと食べればきっとうまくいくってな。」
侍は笑顔で竹皮に乗った、たくさんの団子を見せた。彼は殿や甚兵衛が団子を手に取ったままなのを見てあらためて勧めた。
「さあ、食べてみてくれ。かかぁがこしらえた団子じゃ。うまいぞ。」
侍は団子をもう一つ、うまそうに食べた。殿も手にもった団子を口に運んだ。すると何とも言えない心地よさが広がった。
「うまい!」
思わず声が出た。何か温かみを感じる素朴な味である。
「そうじゃろう。かかぁがこしらえた団子じゃからな。かかぁは儂なんかもったいないほどの女子じゃ。評判になるほどの器量よしなのに、儂のような家柄もない、力もない、ただの足軽のところに嫁に来たんじゃ。だから少しでも出世してかかぁを喜ばせようとしてな。懸命に務めを果たしてきた。」
侍はそう言って、竹皮の包みからもう一つ団子をほおばった。
「主は儂を認めてくださり、さらに大仕事を任された。そんな儂のもとにはいろんな者が集まってくれた。それもこの団子のおかげじゃ。儂がこれをもって話に行く。すると皆、儂の家まで来てくれる。そこでかかぁじゃ。うまいものをたんとこしらえくれるんじゃ。」
侍の身振り手振りが大きくなった。
「儂のところの飯はうまいぞ。何せ、儂の村の米じゃ。かかぁが焚きたてを出してくれる。それに芋。近くの山から掘ったものでほくほくしておる。もちろん畑で取れた菜っ葉もうまい。」
「ほう。それほどの馳走を。」
「それだけではない。海が近いから魚が手に入る。かかぁが市で買うてくる。それを焼いて食うとたまらぬ。それに酒。これが一番肝心じゃ。かかぁが儂の少ない稼ぎから揃えてくれる。」
思わずゴクリと生唾を飲み込みたくなるような話しぶりである。殿は食い物のことを楽しく話す侍を不思議そうに見ていた。
「そこで大騒ぎをするんじゃ。そして次の日からは我が家の者になる。儂のところには様々な者がおる。野盗崩れや流れ者、百姓上がりの者・・・皆が儂のために命を懸けて励んでくれる。有難いことじゃ。」
(この侍の配下にはまともな者はいないようじゃ。仕方がないことだ。百姓上がりでは・・・)
と殿は少し気の毒に思った。侍は話し続ける。
「儂は皆のために何をしてやれようか。だが儂は小才しか利かぬ。儂のできることなどたかが知れている。集まった者どもをどう使っていくか・・・。これが肝心じゃ。かかぁのようにうまく仕上げられぬ。だがこの屋敷の殿は違う。優れた才の持ち主じゃ。兵法、人の使い方、すべてに通じておられる。うらやましい限りじゃ。」
殿は黙って聞いていた。侍はなおもしゃべり続ける。
「この国はもう荒れておる。国主がうまく治められぬからじゃ。だから皆が苦労している。そうじゃろう。だが我が主は違う。この国を治め、皆を幸せにしてくれよう。それには今の国主を追い出さねばならぬ。打ち破らねばならぬ。それには力だけではない。才が必要なのだ。この国一の才が・・・」
侍は殿をじっと見つめて言った。
「我が主はここの殿をぜひとも必要としているのじゃ。いや我らにはぜひ必要なのだ。もしお味方になっていただけたら百人力、いや千人力であろう。」
それを聞いても殿の表情は変わらない。侍はため息をついた。
「だがここの殿の才が儂の心を伝える術はない。あるのはかかぁの団子だけじゃ。」
「お侍様のお心、いつか届きましょう。」
殿はなぜかそう言っていた。すると侍は大いに喜んだ。
「そうか。そう言ってくれるとうれしいぞ。おお、そうじゃ。この団子をすべてやろう。皆と食べるがよいぞ。」
侍は笑顔で竹の包みを差し出した。
「これはありがとうございます。」
殿は頭を下げてそれを受け取った。侍の顔を見たが、ただ無邪気に笑っている。
「この団子をこの屋敷の殿が食していただけたらいいのだがな。そうならかかぁの団子の術にはまり、儂の話を聞いていただけるかもしれぬのにな。ははは。」
侍は最後にまた笑いながらそれだけ言って、そそくさに立ち上がって帰っていった。殿はじっとその後姿を見送りっている。横にいた甚兵衛は殿に尋ねた。彼には殿があの侍に並々ならぬ興味を持ったように見えていた。
「殿、いかがでした?」
「面白い男だ。見も知らぬ百姓にそんなことまで話すとは・・・」
殿は団子をもう一つ口に入れた。
「うむ。うまい。」
また声が出た。本当にそれほどうまかったのかはわからない。だがその団子が彼の心を打った。かたくなな心の扉を壊したのである。
「この半兵衛。術にはまりましたぞ。あなたの団子に。今度はきちんとお会い申そう。木下藤吉郎殿。」
殿は侍が帰っていった方角に向かって笑顔でそうつぶやいた。