転
「話の前に酒はまずいな。好みの茶葉はあるか?」
「さっさと本題に入ってください」
「ハハ、不躾な男だな…まあいい」
ミリドは自分で淹れた紅茶を飲み干すと鋭い目でこちらを見据えた。
「10年前の王宮の事件を知ってるか?」
「ネロの両親が亡くなった事故のことですか?」
「知ってたか、じゃあそこにあの侍従が居合わせていたことはどうだ?」
「彼女も王宮に!?」
「ああ、なんでも護衛として奴の父親に雇われていたらしい」
事件の後に奴の侍従になったのは知っていたが…その前から繋がりがあったのか?
「さらに、問題なのは事件の原因だ」
「原因、暗殺…とか?」
「当たらずとも遠からずだな…あの時王宮では蔵にあったいくつかの呪具に対する貸与が行われていた、それを狙った賊によってあの事件は起きたわけだ」
「呪具…」
呪具、それはかつて魔法によって作られたという古代王国の遺産だ。多種多様な力をもち、用途は多岐にわたる。戦場にもいくつもの呪具の使い手がいた。
「ここからが本題だ。あの事件の後、王宮から消えた呪具の一つは、命の共有の力を持つものだったらしい」
「命の共有?」
俺はその言葉の響きに嫌な予感を覚えた。そしてすぐにその嫌な予感は的中する。
「呪具の中でもかなり特異な逸品でな…二人の人間をつなげることで一方がもう一方に命を分け与えることができるらしい。不治の病の人間を歩けるようにしたり、死んだばかりの人間を蘇らせることもできるそうだ」
「そんなとんでもない呪具がこの世に!?」
「もちろん命を分け与える方は相応の消耗があるはずだが…呪具を解除することもできるそうだ。死人に使った場合は解除された時点で相手は死人に逆戻り、つまりは分け与えた相手の生殺与奪の権利を持つことができる、完全な奴隷を作ることができるわけだ」
「完全な…奴隷…」
(この女は俺の奴隷だ)
奴の言葉が否が応にも思い出された。
「奴の家族は事件の時この呪具のうち一つを借り受ける予定だったらしい。奴が呪具を手に入れられる余地はいくらでもあったわけだ。そしてあの女のネロへの献身振りは相当なもんだ。どんな時にも身を粉にして働きやつの危険があれば真っ先のやつの盾になる。邪推というにはどうも、な…」
「わかりました。知りたいことは知ることができました。今日はありがとうございます」
俺は椅子から立ち上がり外に歩き出す。妙に冷静な気分になっていた。必要なことを知ることができ何をすべきかわかった。さっきまでの混乱が嘘のようだ。
「おいおい落ち着け。今の話でわかっただろ。あの女を取り戻すのは一筋縄じゃいかない。幸い俺のコネで呪具に詳しい人間は紹介してやれる。ネロを追い落とすなら準備とタイミングが重要だ。あんまり慌てるなよ」
ミリドがこちらの背中に声を投げかけた。振り返ると彼は心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「わかっています。俺だって馬鹿じゃない。ちょっと頭を冷やす時間が欲しいだけです」
俺はミリドに笑いかけると背を向けて彼の家を後にした。
空は厚い雲で覆われて星も月も見えない。僕の周りはへばりつくような黒と赤に満たされている。どこかから響き渡る悲鳴と怒号を人ごとのように聞きながら僕はただ瓦礫の中に立ち尽くしていた。
父が真っ赤な何かに塗れて倒れている。母が真っ赤な何かに塗れて倒れている。父でも母でもないたくさんの誰かが真っ赤な何かに塗れて倒れている。
折り重なる赤い何かに塗れた人たちの真ん中に一人の女の子がいた。彼女は他の誰よりも濃く、深く、澄んだ赤に染まっていた。でも他の人たちと違って彼女はまだほんの少し動いていた。
真っ赤で真っ黒な世界の中で僕と彼女だけが動いていた。僕は倒れ伏す真っ赤な彼女の姿をじっと見つめた。
そして、僕は…
「ちっ…」
俺は椅子の上から体を起こした。じとりとした額の汗をぬぐい体を起こす。ここは屋形の屋上にある俺の執務室。机に向かって仕事をこなしている間に数分意識をなくしていたようだ。眠るのは嫌いだ。
「お目覚めですか、ネロ様」
背後からブランカの声がする。彼女の体には鎖が巻き付き、柱に囚われていた。眠る前に俺が行ったことだ。
「こんないましめがなくとも私は逃げも隠れもしません」
そんな異常な状況下にあってもブランカの表情は氷のように鉄面皮のままだった。いつも通りの無表情がこの上なく俺を苛立たせる。
「黙っていろ。いつ俺に口答えできるほど偉くなった?」
そう言った瞬間、爆発音が響いた。窓から外を見ると正門のあたりから火が上がり、黒い煙が立ち上っている。
「ネ、ネロ様、館に侵入者です!奴は…えぇ!?」
部下が息を荒げて部屋の中に飛び込み、縛り上げられたブランカを見て目を剥く。俺は愚図の部下に叱責する。
「お前の仕事はなんだ?俺の部屋の見物でもしにきたのか?さっさと言うべき事だけ言って俺の部屋から失せろ」
「ネ、ネ、ネロ様!?」
「はぁ…早く言うんだ。今は一刻を争う状況だろう」
「は、はい只今!」
つい仮面が剥がれてしまった。ここ最近はずっとこうだ。つい素が出てしまう。それもこれも奴とこの女のせいだ。
「英雄グレン殿が乱心のもと、王宮の呪具庫に侵入、中の呪具を強奪したあと我らの…」
「あとは見ればわかる。待機してる全戦力を持って甲型防衛態勢で迎撃だ」
「え、で、ですが。相手はたった一人ですよ?」
「奴は正門の設備を突破してきた。呪具を持たない人間と思うな。呪具を装備した国軍の大部隊と想定しろ。さっさと行け」
「は、はい只今!」
部下は忙しなく部屋から出て行く。後に残された俺は、ブランカに目を向ける。彼女は唇を噛んでその視線を下に向けていた。
「どうした?嬉しくないのか?囚われのお姫様を助けに王子様が来てくれたぞ?」
彼女は何も言わない。俺は舌打ちすると部屋の窓から庭を見下ろす。庭の真ん中には仁王立ちする人影が見えた。人影は立ち止まり、こちらを見つめてるように見えた。
「先日は失礼したな…今晩は俺の持つ全てを以て存分にもてなそう」
「楽しんでいってくれ、英雄殿」