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Nの作品

天狗の町

作者: SSの会

 性癖と言うのは幼少期の刺激的な体験がきっかけによって植え付けられ、生涯を共にしなければならない呪いのようなものだと思っている——僕の女装趣味もまた、幼少期のほんの些細なきっかけが原因であった。


 十年前、僕が六歳の時に姉が死んだ。

 車に轢かれそうになっていた小学生を庇い、八歳という若さでその生涯を終えた。


 母は心の弱い人で、姉の死を受け入れることが出来なかった。

 姉の部屋はそのままの状態を維持され、食事の時は常に姉の分も用意し、毎日のように「はじめ、れいちゃんを呼んできてくれる?」と、あたかも姉が生きているかのように振舞っていた。


 いいや、振舞っていたのではなく、そのように思い込んでいたのだろう。

 もし現実を受け入れれば、母は壊れてしまうから、母の脳味噌が姉の死を受け入れることを拒否したのだろう。

 だから僕も父も、姉をいるものとして扱った。そうしなければいけないくらいに、当時の母は痛々しく、弱っていた。


 ある日母は買い物から帰ってくると、「れいちゃんに似合うワンピースが売っていたから買ってきたのよ」とやってくるので、「お姉ちゃんは友達の家に遊びにいってるよ」といつものようにはぐらかした。


 ここで「お姉ちゃんは死んじゃったんだよ」なんて言おうものなら「そんな縁起でもないこと言ってんじゃないわよ!」と父でも手を付けられないくらいにヒステリックを起こし大暴れし、子供のように泣き、気を失ったように眠り、目を覚ますとまた「れいちゃんはいつまで遊びに出かけているのかしら?」と記憶の混濁を起こすのだ。


 そんな母を見ていられなくなり、僕は子供ながら母に喜んで貰いたくて、姉のために買われた件のワンピースを着て母の前に出た。


「お母さん」


「あら、れいちゃんお帰りなさい。そのワンピース、よく似合っているわね、ほら、もっと近くにいらっしゃい」


 と母は喜んだ。




 でもそれは最初だけだった。




 母は僕のことを姉だと思い込むようになり「れいちゃん、どうしてはじめの恰好をしているの?」「あなた、この子はれいちゃんよ、自分の子供の名前を間違える親がいるものですか」などと言うようになり、とうとう父も堪忍袋の緒が切れた。


「バカを言うのはお前の方だ! 見ろ! こいつははじめだ! れいじゃない! れいは死んだんだ! どうしてはじめをれいとして扱うんだ! はじめが可哀想だろう!」


 父の怒声が、辛うじて繋ぎとめていた母の精神を壊してしまった。

 母は精神病院に長期入院することになり、それは僕が十六歳になっても変わらなかった。

 僕は安易な考えで姉の恰好をしたことを後悔してしまった。


 けれども、それでも、僕が姉の恰好をしたときに見せた母の笑顔が忘れられなくて、姉びいきだった母が初めて僕の頭を優しく撫でてくれた感触が忘れられなくて——最初はそんな可愛らしい理由だった。でも気付いたら僕は、女の子の恰好をすることで性的興奮を覚える変態になっていた。


 長女が死に、母は壊れて、長男は女装趣味、父のことが本当に気の毒で仕方がなかった。



 * * *



 天狗風が吹いた。


 天狗風っていうのは、この町の海が運んでくる強烈な潮風のこと。

 昔々、まだ白麻しらま町が白麻村と呼ばれていた頃からこの町には天狗の伝承が根強く残っており、天狗様が起こした風だから天狗風と呼ばれている。


 天狗風が僕のスカートをめくりあげ、ビンビンに興奮したイチモツをギリギリ収納しているパンティがガーターベルトと一緒に大衆に晒される。


 不味いバレたか? 誰も見ていないか? 見られていたとしても男だとバレてないか? と心配になっている時に限って知り合いが近くにいるものだ。


「もしかしてはじめか?」


「……亮介」


 うひょ~、べらぼうに可愛い女の子いるじゃん、今天狗風吹いたらパンツ見えるかな? お! 天狗風吹いた! 天狗様ありがとう! ってなんかもっこりしてない? ていうかよく見たら知り合いに似てない? いやはじめじゃん、がっつり幼馴染じゃん!


 ——ってな感じで幼馴染に僕の性癖がバレてしまった。



 * * *



 加藤亮介。

 同い年で小中高と同じ学校同じクラスの幼馴染。

 町一番のイケメンだけど彼女はいたことなく、伸ばした前髪から覗く派手な古傷がまた陰を生んで女の子の恋心を刺激する美青年。


「うっそ! マジで!? うわ、めちゃんこ美少女! おいおいおいおい、初恋以来のトキメキ返せよ!」


「勝手にトキめいて勝手にショック受けないで」


 亮介とはただの幼馴染ではない。

 姉が最後に庇った小学生こそ亮介であり、額の傷は姉が車に轢かれそうな亮介を突き飛ばした時に出来たものだ。


「でも本当に可愛いぞ。どう見ても女の子、男に見えない」


「ふーん、そ」


 亮介の提案で近場の喫茶店に入ることになった。

 僕は興奮気味に話す亮介から一歩引くような距離感でメロンソーダをすすった。


 そのタイミングでストロベリーソースのミックスベリーパンケーキが届き、添えられたバニラアイスと一緒に温かいパンケーキを頬張った。


「んで、なんでそんな恰好してるの?」


「趣味」


「そか」


「そか……って、それだけ?」


「まあ趣味は人それぞれだしな。それに、凄い似合ってる」


 亮介はブラックコーヒーをすすりながらサラりとそんなこと言う。

 もし僕が女の子ならその一言で亮介に惚れていただろう。

 でも僕は女装趣味こそあれど同性愛の気はなく、かつ亮介は二次元の幼女にしか興奮出来ない変態であることを理解しているので、曖昧な笑みで流した。



 いや、嘘。



 本当は少しだけ、嬉しかった。


 僕にとって女装を認められるのは、救いなのだ。

 姉の恰好をすることで、母が笑ってくれたから。

 あの時の喜びが忘れられなくて、多分僕は、女装をしているのかもしれない。


「はじめ、顔、赤いぞ?」


「うるさいな……初めてなんだよ……その、可愛いって言って貰うの」


「おま……その顔で消え入りそうな声でそんなこと言うな……俺ちょっとドキっとしただろ」


「キモ……」


 いや、どう考えても、僕の方がキモい。



 * * *



「そろそろ白法祭ねぇ」


 病室のベッドの上で、カレンダーを見ながら母が呟く。


「そうだね」


「今年の巫女様は誰になるのかねぇ」


「さぁ、誰だろうね」


 母は精神を病んでもう十年近く病院で生活している。

 父は病んだ母を見るに耐えられなくなり、定期的に行うお見舞いはもうずっと僕一人でやっている。無論、はじめとして。


 母はまだ姉が生きていると思い込んでいる。もしここで僕が女装して母に会いにいけば、母は本当に壊れてしまうかもしれない。


「れいちゃんはそろそろ十八よねぇ」


「そうだよ」


 母はいつも姉の話をする。目の前にいる僕の話は一切しない。


「れいちゃんは美人だから、巫女様に選ばれてもおかしくないわよねぇ」


「……さあ、どうだろう」


「見てみたいわ、れいちゃんの巫女姿」


 年に一度の白法祭。


 白法神社で執り行われるこの町の夏祭りである。そこでは毎年町一番の美少女が巫女として選ばれ、巫女装束に身を包んで舞を披露する伝統がある。町一番の美少女とは言うが、実際は立候補制だが。


 そのルーツはこの町の天狗伝承が始まりであり、この町に昔から住む大天狗、白法坊様はイタズラに大風を吹かせて村の家屋やら家畜やら田んぼやらを吹き飛ばしてしまうので、村の人は天狗様の機嫌を取るために毎年一人、村一番の美少女を生贄にして天狗様に捧げたという割と残酷な伝統が変化したものである。


 天狗クソ野郎過ぎる……。


「れいちゃんの巫女姿、見たいわねぇ」


「……見たいの?」


「うん、すっごく」


 母は遠い目をしてそう言った。母は慈しむように、サイドテーブルに置かれた姉の写真の入った写真立てを撫でる。


 その瞳に僕は映っていなかった。



 * * *



「白法祭の巫女に立候補したいって言ったら、笑う?」


「……いや、興奮する」


「キモ」


「いや性的な感じじゃなくて、なんかこう、ワクワクするって言うか、うおおおお! ぶちかましてやれ! みたいな感じの興奮」


 ため息が出るほどのイケメンが形の良い鼻から荒い息を吐きながら興奮していた。


 いつもの喫茶店。

 ジャズと一緒に「あの席のカップルの彼氏、凄いイケメンじゃない?」「彼女さんも凄い可愛いね」などという声が聞こえてくるので、頬の緩みを誤魔化すためにピーナッツバターソースのバナナパンケーキを頬張る。


「はじめ程の美少女なら絶対巫女になれるよ。応援する」


「なーんか亮介の言葉って嘘くさいよね。からかわれているみたい」


 もしくは、女装野郎にしてはレベル高い方だよ、的なニュアンス。


「いや、本当だって」


「ほんとーに?」


「うーん、いや、なんつうか、この話をはじめにするのは恥ずかしいんだが、俺、れいさんに惚れてたんだよね。初恋だった」


「お姉ちゃんに?」


「ああ。だかられいさんじゃなくて俺が死ねばよかったって今でも思うし、はじめに恨まれてたらどうしようって思うし、れいさんが生きてたらはじめみたいな美少女に成長してたんだろうなって……そう思う」


 割とガチめな顔と声のトーンでそう言われてしまえば、こちらとしても素直に受け入れるしかない。

 姉ではなく自分が死ねばよかった、なんて言う幼馴染の言葉をチャカしたり出来るほど、僕は無神経な人間ではない。


 同時に亮介のロリコン趣味は、姉への恋愛感情が変化したものなんだろうな、と一人納得した。


「だから、はじめのその恰好を初めて見た時、すげードキドキした。それに、色眼鏡なしに見ても、今のはじめはすげー可愛い」


「……分かった。信用する」


「あと、すぐ顔を赤くするのも、可愛い」


「うっさいなっ」


 それでも亮介のその言葉は、確かに僕の背中を押してくれた。



 * * *



 白法祭が行われる白法神社の中で、巫女のオーディションが行われる。

 バチバチにメイクした僕も立候補者と一緒に、審査員が来るのを静かに待っていた。


 僕の隣に普通にクラスメイトがいて、冷や汗でメイクが落ちないか心配だったが、向こうも向こうで緊張しているのか、僕の正体に気付いた様子はない。


 審査員は毎年白法祭の巫女を選抜している白法神社の神主、大庭密氏が行う。

 123歳のお婆ちゃんであり、かれこれ百年以上この神社の神主として巫女を選抜しているらしい。太平洋戦争所か日清戦争まで経験している我が町の大長老である。

 すげー元気で去年の中学校の卒業式に参加しては祝礼のスピーチを凄いはきはきした声で読んでいたのを覚えている。


 密氏は挨拶もそこそこに立候補者の顔を一人一人確認していくが、老眼が原因か凄い顔を近づけてくるので、女装がバレないだろうかと内心ヒヤヒヤとしていた。


「じゃあ今年はそちを巫女とする。異論は認めんぞえ」


「あ……はい」


 ——選ばれたのは、僕だった。


 その日から僕は週に二度神社に足を運び、密氏の指導の元巫女の舞の練習に励んだ。


「最近はこのような便利なものがあるでの、これで家でも練習するといいぞえ」


 と今となっては骨董品扱いのVHSを渡された。

 何十人もの巫女に舞を教え込んだ貫禄を伺えるボロボロにすり切れたVHSだった。

 2000年代生まれの僕はVHSすらもなんだか神聖な神器か何かに見え、それを恐る恐る受け取ったのであった。



 * * *



「はぁはぁ……どうかな? うまく踊れてる?」


「ダンスならともかく舞踊って全然分かんないけど、最後に大きくジャンプする所、あそこはもう少し激しくやった方が迫力あるかもな。あれって天狗風を表現してるんだと思うし」


「そっか。分かった」


 神社での練習がない日は、亮介を家に呼んで舞の練習に付き合って貰っている。


 ちなみに練習中でも女装は忘れない。

 これはいわば僕が僕ではなく姉になるためのスイッチであり、巫女の舞の練習をするのであれば、やはり女装してするのが筋だろうと思うし、その方がやはり動きにキレが出てくる。何より女装する大義名分が出来る(つまりは女装したいだけ)。


「今更なんだけどさ、どうして巫女になろうと思ったの?」


「……あー」


 亮介の素朴な疑問に僕は答えを詰まらせる。


「もしお姉ちゃんが生きていたら、お姉ちゃんは巫女に選ばれていたかもしれない。だから……いや、違うな、分からないや……」


 大勢の人に女装した僕を見て欲しいからとも違う。

 なんていうか、なんとなく、そうしたくなった。そうとしか表現出来なかった。


「ま、別にいいけどな。なんであれ俺は応援するよ」


「ん、ありがと……」


 本番まであと半月。



 * * *



 あっという間に白法祭当日はやってきた。


 神社の境内には数々の屋台が立ちならび、老若男女が浴衣姿で楽しそうに屋台で食べ物を購入したり、射的やら金魚すくいやらの催しを楽しんでいる。


 そんな境内の最奥、拝殿の正面には大きな櫓が組まれ、白と緑の横幕が張られ、櫓の元には敷物の上に太鼓がセットされ、神社の礼服を着た代々祭囃子を行う楽団員の人たちが笛やら琴やらを持って軽いリハーサルを行っている。


 僕も拝殿の奥で密氏に巫女装束の着付けを手伝って貰い、巫女の舞が始まるのを待っていた。


「緊張してるの?」


「うん……」


 付き添いで来てくれた亮介が心配そうに声をかけてくる。


「大丈夫。お前は可愛い、それに沢山練習してたのを俺が見てきた。だから大丈夫だ。堂々としてろ」


 ぎゅ、と亮介の大きな手が僕の手を掴む。

 それだけで緊張が和らぐのを感じ、なんだか心まで女の子になってみたいだった。


 やがて巫女の舞の時間がやってきて、笙の甲高い音色が響く。

 それを合図に各々祭を楽しんでいた人々が櫓の元に集まってくる。


 僕は巫女装束に身を包み、柄尻に飾り房のついた金色の神楽鈴を手に持ちながら、ゆっくりと櫓を登っていく。



「今年の巫女様、凄い綺麗」「おお、べっぴんじゃ、こりゃあ天狗様もお喜びになるぞえ」「でもあんな娘この町にいたっけ?」——櫓の上からでも、ギャラリーの声がある程度聞こえてくる。



「今年の巫女様は、松原れい殿が選ばれた。大天狗、白法坊様へ捧げる舞を、ご覧下され」


 と密氏が大きな声で言う。



「松原れいって誰?」「もしかして松原君のお姉さん?」「え? でもれいさんって十年前にもう……」「でも、なんだか面影があるよね」



 僕ははじめとしてではなく、姉の名前で巫女になった。

 本名で参加する訳にもいかず、偽名を使うのであれば、やはり姉の名を騙るのが一番いいと判断したからだ。


 沢山の視線が僕を射抜く。

 僕は無意識に亮介の姿を探した。

 亮介の顔を見れば、緊張が解れるような気がして。

 けれども見物の数が多すぎて、亮介の姿を見つけることは出来ないまま、前奏が終わる。舞が始まる。


 凄く緊張していたが、自分でもびっくりするくらい身体が軽く、魂に動きが刻まれているかのように舞うことが出来た。

 まるでこの櫓に染み付いた歴代の巫女の魂が、僕に憑依しているかのように。


 シャン——と鈴を鳴らしながら舞う。

 沢山の人が僕の舞を見る。

 けれども一番見て欲しい人である母はここにはいない。


 やがて舞はクライマックスになる。

 右足を軸にクルリと半回転し、膝に力を入れてめいいっぱい飛ぶ。

 着地にも成功し、完璧な舞が出来たという自負があった。

 実際、櫓も下から感嘆の声が聞こえてくる。


 このまま一礼し、櫓を降りれば終了だ。




 ——その時だった。まるで巫女の舞に感化されたかのように、強い天狗風が吹いた。




「うっ!」


 目も開けられない強風が吹き、すっと頭が軽くなる。嫌な予感がした。


「まずい……」


 ウィッグが風で飛ばされた。

 ハラリと地毛が僕の額にかかり、ザワザワと見物の人達からも動揺が広がる。



「え? あれって松原君!?」「全然気づかなかった!」「でもどうして女の子の恰好を?」



 僕のことを知っている人は即座に僕の正体に気付く。

 確かに姉の名を騙り巫女を演じれば、自ずと僕の正体に気付くのは必然と言えた。



 ——終わった。そう絶望したその時だった。





「ふわはははは! それでは約束通り、このおなごはワシが頂いていくぞ!」





 まるで忍者のような身のこなしで、組まれた櫓をスルスルと登って僕の元にやってくる男が一人。

 高い背丈に白塗りの天狗面を被り、時代劇に出てくるような笠に白と緑のマントを羽織っている。

 まるで天狗様のような。



「だ、誰だあれ!?」「おお、白法坊様じゃ! 巫女の麗しさに白法坊様が御下りになられたのじゃ!」「不審者だ! あいつを捕らえろ!」「え? でも天狗様じゃ」「天狗様な訳ないだろバカ!」



 皆は彼を天狗様と言うが、至近距離にいる僕には分かる。


「亮介……なんでこんなこと」


「こういう時のために準備してたんだよ。でもまさか天狗風でカツラが吹き飛ぶとは思わなかったな!」


 櫓の唯一の登り口から、半被を着た祭を取り仕切る若い衆(恐らくこの神社と癒着しているヤクザ)がやってくる。


「ど、どうすんの亮介!?」


「案ずるな。策はある」


 亮介は懐からピンポン玉のような物を取り出すと、それを櫓に叩きつける。

 すると物凄い量の白煙が立ち込め、僕等の姿を隠した。


「煙玉とか、どうやって作ったの!?」


「作り方調べれば通販で材料は買える! さ、逃げるぞ!」


「逃げるってどうやって!」


 唯一の登り口は若い衆で固められているが、亮介は登った時と同じように、スルスルと僕を抱えたまま忍者のように櫓を降りていく。

 視界も悪い中凄い運動神経だな、と感心している内に櫓を下り切り、そのまま亮介に手を引かれて人気のない方へと逃げて行く。


 もう一度天狗風が吹いて煙玉の白煙を吹き飛ばした後には、巫女も天狗様も煙のように消え去っていった。



 * * *



 巫女が女装した男であり、更にそれが天狗様に連れ去られた事件はちょっとした話題となった。

 それは口伝で祭に参加していなかった人の耳にも入り、どうやら母の耳にも入ったようだ。


「今年はれいちゃんが巫女様に選ばれたんだってねぇ。私も見たかったわ」


「そうみたいだね」


 巫女装束を返しに後日神社へ出向いた時に神主の密氏から聞いたのだが、どうやら白法祭の天狗の伝承は間違って伝わっており、どうやら天狗様は男色の気があり、本来は美少女ではなく女装した美少年を生贄に捧げていたらしい。


 でもその生贄の儀式が祭に変化するとき、「女装した男より若い女の子に巫女をやって貰った方が盛り上がるだろ」ということで、伝承そのものを歪ませて美少女が巫女をすることになったらしい。


 でも数百年振りに女装した巫女が現れたもので、興奮した天狗様が山から降りてきたんじゃ、だなんて密氏は興奮していた。


「でも、れいちゃんは、天狗様に連れ去られちゃったみたいねぇ」


「うん、まあ、そうみたい」


「天狗様もきっとお優しいお方のはずよ、残念だけれど、れいちゃんが元気ならそれでいいわ。少し早く嫁入りしたようなものだと、そう思うことにするわ」


「……お母さん」


 母はサイドテーブルに置いた姉の写真の入った写真立てを伏せると、僕へ視線を動かす。

 その母の瞳には、確かに僕が映っていた。


「ありがとね、はじめ」


「…………うん」



 涙が零れた。


 僕はただ、その言葉が欲しかったんだ。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。

 この作品はSSの会メンバーの作品になります。


作者:N

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