09
「パーカー」
名前を口にしただけでパーカーが胸元から袋を取り出してテーブルの上に置く。ジャラッと鳴った金属音で男爵はその中身に察しが付いたらしい。
無論これはポーカー行為の賭け金だ。
パーカーは納得がいかないと膨れっ面を晒す。男爵は予測出来ない事態に直面して見る見るうちに表情を青ざめていった。
袋の大きさはサッカーボール一個分程度、男爵は私の掛け金を視認して自分が受けた勝負の重さをようやく理解したらしい。掛け金とは本来は同等であるものだ。最も多く賭けているプレイヤーに合わせるのがルール。
つまり男爵は私の懐事情を全く考慮していなかった、と言う事になる。
と言うか最初から気付けや。
だから貴方はダメなのよ。
私は公爵家令嬢だと男爵だって知ってるだろうにと私は呆れから露骨に大きく深いため息を吐いてしまった。
「パーカーもそんな顔しないの」
「……お嬢の清らかな裸でこのオッサンがゲスな想像してると思うとぶっ殺したくなっちまうんすよ」
「だから言ったでしょう? 女に恥をかかせた罰だって」
「……いずれは俺の方からお嬢に告白しやす。お嬢と一緒になっても誰からも反対されない様な男に絶対に自力でなってやる」
「その時には私の気が変わってるかもね?」
ソッとパーカーの頬に手を添えてみる。
うーん、やっぱりパーカーはいい男だ。イケメンで人懐っこくて一度信頼した人間にはとことんまで傾倒する。何よりも彼は強い。
パーカーが口にした「いずれ」と言う言葉を何度も脳裏に焼き付けて思いを馳せていった。目を閉じて将来の自分の隣にいる自分の推しキャラを想うと涎が垂れてしまう。
おっと、これは令嬢としてははしたない。
ソッとハンカチで自分の口元に滴る涎を拭き取って、そのまま私を恨めしく睨む男爵へと視線を移していった。
彼は自分の決断を後悔したのか、激しい歯軋りの音を立てて私を威嚇していた。
「卑怯だ、これは流石に……」
「あら? 払えない額じゃないでしょうに、今更になって何を仰ってるのですか?」
「袋の大きさから察するに金貨五百枚はある筈だ、……こんな額を私が払える筈がない」
「担保なさい。例えば、そうねえ。……ああ、男爵の屋敷なんて良いのではありませんか?」
「や、屋敷だと!? あそこには妻が……屋敷を差し押さえられてはラザニアの住む家が無くなってしまう!!」
「……参加の後の掛け金未払いは認めませんよ? ああ、そうでした。因みに上乗金も同額を準備してますので、そちらの準備も当然お願いします」
「な、ん……だと?」
「そちらは爵位で勘弁して差し上げましょう。あまり欲しくありませんが領地もオマケして貰いましょうか。私は参加費に体を差し出したのですから、それくらいは宜しいのではありませんか?」
ガクガクと震え出す男爵が全身は恐怖で支配されているのだろう。
入口を強引にこじ開けて出口も力付くで塞ぐ。
私のこの手口は男爵の様な人物には最も効果的だと思った。何よりも心理戦を土俵とするポーカーにも最適な手段だとも思う。彼は自分の何もかもが奪われる未来を想像してしまったのだ。
人は一度ビビると中々立ち直れない生き物だ。
男爵の情けない姿を見て油断すると笑いが込み上げてしまいそうだった。その横で手際よくカードを配るパーカーも「やっぱお嬢は凄えわ」と言葉を漏らす。
大金でベットしても文句が出ない様に自分自身を差し出した私の意図を彼は汲み取ったらしい。そして目の前には完全に震え上がって間抜けにも自分の手札を晒す男爵。彼の方は完全に正気を失ったらしい。
数分ほど経って男爵はやっとの思いで言葉を搾り出した。
「き、君は公爵家令嬢だろう? その君が何故今更になって男爵位などを欲しがる?」
「私のパーカーに上げるためです」
「パーカーに?」
「爵位は伯爵位以下は席数が決まっています。パーカーが出世した時に空席が無いと彼が然るべき席に座れないでしょう?」
「お嬢……、アンタって人は……」
「ですからパーカー、私が結婚出来る十六の歳になるまでの間にせめて男爵程度にはなってね?」
心理戦とは相手に対して如何に自分が冷静に狂っているかを見せ付ける事が肝だ。
自分の想い人のために爵位を返上しろと強制する私が男爵の目にどう映っているのやら、しかもそれは彼の家族も巻き込む事に繋がる。今頃男爵は思い詰めている筈だ。
自分が失踪しなければこんな事にはならなかった、と。
少女の体と金に目が眩まなければこんな事には、と。
当然今から勝負放棄を選択すれば私がこの件を他言無用とする義理も無い。男爵が勝負を降りれば彼には更に不名誉が付き纏う。
男爵には一択しか選択肢はない。
この件が他言すれば彼だけでなく彼の家族までもが不名誉に晒されるのだ。まあ、ここで苦悩するのではあれば彼の心にはまだ善意が残っていると言う事だろう。
私がここですべき事は一つ、彼に残された道を照らす事。
堂々と胸を張ってそれを言葉にする事だ、いやあ、これも一度だけやってみたかったのよねえ。マフィアの首領みたいな椅子の座り方。腰を深く椅子に落として相手を見下す様な格好。
て言うか男爵もアホね。
受けた動揺が激しすぎて配られたカードが見えてるじゃない。まあ、これも私の作戦が成功したと言う事なんだけどね。
「オール・オア・ナッシング、ギャンブルとは本来そう言うものでしょうに。ねえ、ロリコンの変態男爵さん?」
「あ、あれは……君が誘うから……」
「誘われたら誰でも構わないと?」
「ち、違う!! そんな事は断じて無い!!」
「では早くベットを宣言して下さいませんか? 下半身のバナナの皮を萎れさせてる場合ではないありませんよ? 私、待ちくたびれてアクビが出そうです」
きっと男爵の心の内は屈辱に塗れてるんだろうなあ。
十歳の少女に見下されて煽られて。終いにはここで勝負を降りようものなら何を言い触らされるか分かったものではないと思っている筈。
実際は男爵に勝負を降りられても私は何も口外する気はない。
パーカーも私の本心に気付いているだろう。だからこそパーカーはカードを配りながら私にアイコンタクトで怒りを伝えてくるのだ。「屋敷に帰ったら説教っすからね?」と自分を餌にした私を咎めるのだ。
私も少しだけ反省しようかな?
口パクで「ごめーん」と伝えるとパーカーもまた「隊長に見られますって」と口パクを返す。ま、そこは大丈夫でしょう。何しろ今の彼には精神的なプレッシャーに潰されかかっているのだから。
もはや男爵は相手すらも見ていない。
手札を不用意に晒して全身をガクガクと震えさせている。男爵の本来の器量を知る私としては彼の姿が狼の群れに放り込まれた子羊にしか見えない。
とは言えだ。
これ以上のんびりとしているほど私も暇ではない。ここは一つ男爵の尻を叩くとしましょう。
「パーカー、上乗金をテーブルの上に出して下さい。それと男爵に一筆書いて貰いましょう。証人は誰でも良いのですが男爵としてはあまり広めて欲しくないご様子みたいですね」
「うっす。隊長、この紙に一筆お願いします。俺が証人になりますんで」
「ひっ!?」
「早く書いてくださいませんか? 男爵は私みたいな子供がご趣味なんでしょう?」
「お嬢ってカリスマ感が半端ねえくせにたまに悪魔にもなりますよね? だから胸元を俺以外の男にチラつかせんなって」
パーカーは大分慣れてきたのか私の挑発行為を平然と咎めて頭にチョップを落として来た。対する男爵は差し出された紙に視線を落として身動き一つ取れなくなっていた。
話が進まねえ。
だから私もそこまで暇じゃないっての。
「……お書きなさい。プッタネスカ男爵、貴方は自分の立場を理解出来ているのですか?」
「……はい。申し訳ございません」
「宜しい。では勝負に移りましょう、パーカー、私は三枚交換します」
「うっす。隊長はどうするんすか?」
「……」
「隊長? 俺の声が聞こえないんすか?」
「……私はこのままでいい」
男爵の手札は先ほど見てしまった。その時は確か役無しだったが私は見逃さなかった。剣の腕を鍛えると必然的に動体視力を鍛える事にも繋がる。
乙女ゲームの世界でも天才と呼び声高い私が一瞬だが男爵の目付きが変わったところを見逃す筈がない。どうやら私は男爵を追い込みすぎたらしい、彼は目付きと共に素早く右手を動かしていた。
だけどちょっとだけガッカリだった。
何しろ覚悟を決めても尚、自分の行為に罪悪感を抱え込むのだから。男爵は先ほどよりも更に全身を激しく震わせていた。ガクガクと震える彼の動きがテーブルにまで伝わってくるのが良く分かる。
びびるくらいなら最初からしなければいいのにと目の前の男に呆れてしまった。
「パーカー」
「うっす。隊長、ちょっと袖を確認させて貰いますよ?」
パーカーが少しだけ強引に男爵の手を掴むと一枚のカードがヒラリと床に落ちた。男爵は自分が助かる道はこれしかないと思ったのだろう、小物は小物らしくセコいイカサマに走ってしまった。
別にイカサマを咎める気はない。
ポーカーとはそれを含めての心理戦が勝負の鍵だから、それでもイカサマがあからさまだった事とあまりにもセコすぎて呆れる事しか出来なかった。
役を晒す前に私の手札は無意味な存在となってしまった。
そしてパーカーはホッと肩を撫で下ろして、彼が掴みかかった男爵は世界の終わりを直面したかの如く脱力しきっていた。
まあ彼にとっては屋敷に爵位など全てを没収されるのだから仕方がないと言えなくも無い。私は自分と男爵がイカサマで作り上げた手札の役を見比べて大きくため息を吐きながら言葉を吐き抱いていた。
「はあ、イカサマしても負けるだなんて……。男爵は何をやってもダメな様ですね」
「隊長はフルハウスか、お嬢は? ……げえええええええ、ダイヤのロイヤルストレートフラッシュ!? バケモンかよ……」
「……もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ俺は……君は一体全体俺をどうしたいんだ?」
「パーカー、男爵を私の屋敷にお連れします。準備なさい」
「え? どうしてっすか?」
「私だって鬼ではありません。同じ道場の仲間を好き好んで貶めたい訳では無いのですよ?」
「良く分かんねえけど、分かりました」
こうして失踪した男爵を確保した私たちはスラム街の酒場を後にした。屋敷に向かう途中で全てを失ったショックで男爵がうめき声を漏らしていた。その彼を担ぎながら私と隣り合って歩くパーカーは「本当にどうするんすか?」と話しかけてくる。
別にどうもしない。
ただ男爵を交えて今後の段取りを決めたいだけだ。私がパーカーに「屋敷に着いてから話します」と返すと彼は首を傾げながら簡潔に返事を返してくる。
「うっす」
「今回は随分と素直じゃないの?」
「なんか、なんて言えばいいんすかね? お嬢に逆らうとロクな事にならないって今さっき思い知ったばかりなもんで」
「ふーん? でもベッドの上では割と従順かもよ?」
「ああああああああああ、あああああああああ!! 何も聞こえねえーーーーーー!! って言うか公衆に面前で恥ずかしげも無くンな事言うんじゃねえっすよ!!」
声とは裏腹に私の頭に落ちたパーカーのチョップは思ったよりも優しかった。
お読み頂いてありがとうございますm(_ _)m
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