はずれの魔女と無神経エルフのブルース
わたしはとある田舎の村に生まれた。それほど貧しくもない村の中でわたしの生まれた家は最貧で、父は酒代に金目の物を全て持ち出し姿を消した。
子を残された母は、理不尽だと子どもたちに当たりながら、痩せた畑を耕していた。
腹をすかせた子どもたちは少ない食べ物を我先にと奪い合う毎日で、少し大きくなると皆家を飛び出してしまった。末子だったわたしは食いはぐれることが多くガリガリで小さい身体をしていたが、毎日ブツブツと文句を言いながら畑を耕していた母が病で倒れると、母と畑の世話を一手に担うことになった。逃げようとしたが、母の世話を押し付けられるのを厭った村人たちにつれ戻され、弱った母が怒り狂って手近な物で殴りつけてくるので、数度であきらめた。
母はこの村の最貧に自分を縛り付けた子や父が、許せなかったのだ。最後まで残されたわたしがその憎悪を全て引き受けることになった。
母は弱りながらもしぶとく生き、亡くなった頃にはとうにわたしは嫁き遅れだった。わたしは閉鎖的な村と痩せた畑を捨て、遠くの大きな街へ出た。
そこでいくつかの仕事を転々とし、物価の高い街で村と変わらないようなかつかつの生活をなんとか送った。食いつなげればよいとどんな仕事もした。縁があってとある魔女が営む工房で働くことになり、性格の悪い魔女に低賃金でこきつかわれたが、おかげで薬の調合を覚えることができた。
人の多い街にいれば、いつかわたしもまともな生活をして、村人や街の人たちのように家族を持てるかもしれない。そうすればわたしの知らない家族と、わたしの知らない暮らしをして、わたしは幸せになれるかもしれない。きっとそうだ。わたしはそれだけを希望に街で生きていた。
だが、いつまで経っても生活は厳しく、仕事に追われ自分に残されるのはわずかな睡眠時間だけという毎日。貧しい女独り身は軽く見られ、仕事を簡単に切られたり、どれだけ努力しようが安い仕事しか回されなかった。いろいろな仕事でたくさんの人に出会ったが、少し親しくなっても職が変われば疎遠になる。恋人どころか友人もできなかった。
そんな暮らしを十年ほど続けたところで、わたしはとうとう身体を壊し動けなくなってしまった。魔女の工房を辞めよそで調合の仕事をしていたわたしは、少ない貯金の保つ限りで休養を取った。
必要最低限の物しか置いていない極狭の自宅で、わたしは初めてゆっくり休める時を得て自分のこれまでを振り返った。
わたしはただ苦しかった。当たりの出ないくじを引き続けるような期待外れの毎日。なのに周りはくじを当ててわたしの欲しいものを得て、幸せそうにしているのだ。
なぜわたしだけ当たらないのか、そんなことを考えた日々もあった。それがわかれば、その原因を解消すれば、きっとわたしも当たりくじを手に入れられるはずだと。
だけどそんな毎日に疲れてしまった。なぜかなんてわからない。ただわたしには手に入らないのだ。
わたしは、当たりくじを手に幸せに生きている人々と自分が、まるで別の世界にいるように感じた。同じ場所に生きているはずなのに、わたしと彼らには決して越えられない隔絶があるのだ。
そんなことはない、がんばればわたしだってと何度も思い立ち上がってきたが、こうやって倒れてしまっては、そうではないのだという受け入れるしかなかった。
周囲との断絶を受け入れると、あきらめしか湧いてこなかった。何をやっても、目の前に見えている輝く世界にはたどり着けない。わたしの世界はわたし一人のみで完結しているのだと、認めるしかなかった。
神様、もういいです。わたしは祈った。もう十分生きました。これ以上やりたいことはありません。どうせ何をしても叶わないのだから。
けれど、神が何も叶えてくれないことはわかりきっていた。もう死なせてほしいという望みすら、叶えてはもらえないのだ。
気づくとわたしは、歳を取らず、死ぬこともできなくなっていた。
いつまで経っても死ぬことができないのに、低賃金でこきつかわれる毎日は耐えられない。
わたしは街を出て、城壁外のはずれにある森で引きこもることにした。
何度か死のうと試しに入った森の奥に、誰も使っていない小さな小屋を見つけたのだ。
調合した薬を売り、細々と生活する。生活は相変わらず貧しかったが、周りに人がいないだけで少し息がしやすくなった気がした。
長らく暮らすうちに、いつしかわたしは「はずれの魔女」と呼ばれるようになっていた。
鬱蒼と繁った森の奥にある小さな小屋に、あのエルフがやって来たのは、わたしが小屋に住み始めて何十年も経った頃だった。
旅のエルフ族の男はきらきらと輝いていた。容姿だけではなく、心までも。
彼は今まで幸せなことしかなかったと話した。人は皆優しく、欲しいものはなんでも手に入った。自分はとても運が良く、恵まれているのだろうと。こんな森の奥まで来ていて、なぜか服や長靴すらも汚れていないのだ。
わたしは惨めだった。彼を見ているだけで、自分の手にはやって来なかった当たりくじを思い出してしまう。彼が目の前に存在するだけで、苦しくなってしまうのだ。
(こうやって別世界の人間を見たくないから、こんなところに一人引きこもったのに……)
わたしは腹が立ち、彼が小屋にいる間ほとんど黙ったまま過ごした。彼は何かと話しかけてきたが、ことごとく無視した。激しい雨の中やってきた彼にひと晩の宿を乞われたので物置部屋を貸し、翌朝には金を払わせさっさと追い出した。
何でも手に入る恵まれた者には、こんなボロ小屋は似合わない。わたしの大切な砦をこれ以上侵されないよう、彼が発った後は痕跡を消すよう必死に掃除した。
だが彼は数十年後に再び現れた。そして十年に一度やって来るようになった。
わたしはその度に迷惑だ帰ってくれとはっきり言った。それでもしつこく小屋へやって来るのだ。
「とても迷惑なので、もう来ないでほしい」
あなたといるだけで疲れる、という言葉を呑みこみ、幾度目かになる言葉をわたしは繰り返した。彼にはひとかけらも自分の心をさらしたくなかった。
「ごめんね。けれど僕は君に会いたかったんだ。君と一緒にいると安らぐし幸せなんだ」
さすが異世界の民。彼の選んだ言葉のひとつひとつがわたしの心に刺さり、血を流す。
安らぐのは、わたしが何も持っていない人間だから。持っている者が自分より惨めな人間といれば、それは安心するだろう。自分はこいつより幸せだって。全てを持っているくせに、持っていないわたしの消えてくれという願いすら無視し自分の願いまで押し通そうとするなんて、なんて傲慢なんだろう。わたしは幸せの民である彼には、言葉すら通じないのだと絶望した。
「僕は不幸だ。なんでも簡単に手に入ってしまうことの悲しさがわかるかい? 皆が懸命に努力して手に入れるものが、すんなりと手の中に転がり込んでくるんだ。そんなつまらないことはないよ。自分が皆と違うんだと言う気がして悲しいんだ。けれどここに君といると、そんな苦しさを忘れられる」
彼は悲し気に微笑んでみせたが、それすらも光輝いていた。
わたしは納戸から箒を取り出すと、彼に振り下ろした。何度も何度も打ち付け、彼を小屋追い出した。
「この無神経男! 二度と来るな!!」
わたしは扉を勢いよく閉めた。激しい怒りでうろうろと小屋の中を歩きまわった。
なんて無神経な人間だろうという思いでいっぱいだった。
エルフは扉を叩き、外からわたしを呼んだが、わたしは返事をしなかった。
数日経ち、エルフは去ったようだった。
それからさらに百年が過ぎた。街に住む人たちの顔ぶれは変わったが、わたしは変わらぬ毎日を送っていた。
調合した薬を売ったある日の帰り、街の広場から歌う声が聞こえて来た。大道芸人や屋台がひしめく中、途切れ途切れに聞こえる歌が気になったのは、「はずれの魔女」という歌詞が耳に引っかかったからだ。
知らないうちに歌にまでされているのか――そう思ったが、どうでもいいと思いなおして止めた足を再び動かした。人ですら百年もすれば入れ替わるのだ。歌などすぐに廃れてしまうだろう、と。
「あんたのことを歌ってるエルフが酒場にいるよ」
と馴染みの薬品店で言われたのは、しばらく経った頃だった。
エルフ、と聞いて「またあいつか」とうんざりした。まだあのエルフはわたしに頓着しているらしい。
わたしはその足で酒場に向かった。店の隅に座り、フィドルを弾いているエルフがいた。あの男だった。
黙ったまま彼に近づくと、彼は顔を上げた。わたしに気づくと、にっこりした。
その姿は、以前より痩せて色が悪かった。
「やあ、やっと出てきてくれたね」
「わたしのことを歌うのはやめて」
「君の歌じゃないよ。僕の歌だ」
彼はフィドルを弾きながら、歌い始めた。
それは、彼のこれまでを語った歌だった。
どんな幸せも簡単に入ることを不幸だと思っていたこと、街のはずれに住む魔女に恋をしたこと、それが叶わずそこからは何をしてもうまくいかなくなったこと。そんな悲しい歌を、彼は明るい曲に合わせて歌うのだ。
歌い終わった彼はわたしをまっすぐ見て、言った。
「あの時は本当にごめん。君が森に住む理由や、抱えている苦しみに気づいていなかった。君に無神経だと言われて初めて、考えることを始めたんだ。そこから、ずっと君にできることを考えていた」
わたしは黙っていた。
「悲しいことがあれば、歌えばいい。曲に乗せて歌えば、それはもうみんなに愛される音楽になるんだ」
「能天気に歌なんか歌いたくない」
わたしは答えた。
「それなら、僕が歌ってあげよう。君のこれまでを教えてほしい。僕が代わりに歌って、君に聞かせてあげるよ」
「そんなことをして、何になるって言うの」
「君の心が安らぐように。君の苦しみが少しでも紛れるように」
わたしは面倒だと思った。長い長い時間をかけて、やっと今の生活に満足できるようになったのだ。さまざまなものが手に入らず失ってばかりで、やっと残ったものしかもう持っていないのだ。これ以上何かを失う可能性のあることはしたくなかった。
だが、彼は真摯に、慎重に手を伸ばしている。そこにかつての無神経さは見られなかった。
わたしは、これまでの自分のことを話し始めた。
自分のことを人に話したことがなかったので、言葉がなかなか出てこず、時間がかかった。
酒場の客は入れ替わり立ち替わりしたが、わたしは店の隅で薬草茶を片手にエルフに話をした。
話し終えると、エルフはフィドルを抱えなおし、歌い始めた。
わたしの人生を語る歌は明るく美しい曲に乗り、明るいからこその悲哀を感じさせ、しかし悲しみを吹き飛ばすようでもあった。
客たちは初めて耳にする歌に聞き惚れ、エルフが歌い終わるとわっと歓声を上げた。
歌を讃える客たちを見て、わたしは自分の心が彼らに受け入れられたように感じた。わたしの感じて来た苦しさ、悲しさを、彼らが受け入れ共感してくれたように感じたのだ。
「これがわたしの歌……」
わたしは酒場の喧騒を眺めながらつぶやいた。
エルフはうなずいた。
その後、エルフはまた森の家に来るようになった。
やって来た彼は、外で見たいろいろなことを歌ってくれた。それを聞くうちにわたしは、もっと遠くに出てみようかと思うようになった。
どこかに不老不死を解く方法があるかもしれない。それを探そうかと思うのだとエルフに言うと、彼は一緒に行くと言った。
長い時を経て、わたしが得たのはあの頃欲しかったものだったのだろうか。
それよりも、歌を得たことの方が、あの頃望んだすべてよりももっといいことなのかもしれない。
わたしは隣にいる彼を見て、一番いいものは彼なのか彼の歌なのか、考え始めたのだった。