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少女が薄っすらと目を覚ます。
ウィルはほっとした。リリスから万能回復薬を貰っていたのだった。さすが魔女様謹製であった。
「お前、魔法を使うと身体にだいぶ負荷がかかるみたいだな。誰も教えてくれなかったのか?」
少女は横に座るウィルのことをくりくりした目で見上げた。寝ている間はわからないが、やはり目を開けるとその目の光の無さに大きく違和感を覚えた。あるべきものがそこにないような喪失感に近かった。
「なぁ、俺が思うに、お前の恐怖の根源は外じゃなくて、ここにあるような気がするよ。俺はできることならお前のここでの恐怖を取り除いてやりたい。だが、外に出ていくにはお前にも必要なものがあるよ」
「……?」
彼女はぼんやりした目でウィルを見た。
「勇気、だなんて大層なことは言わない。ただ俺の手を掴んでくれるだけでいい。少しくらいの道案内はサービスしてやるからさ」
ウィルはそう言って笑って彼女の頭に触れた。びくっと震えられたが、特に嫌がられなかったので、そのまま頭を撫でた。
「まずはお前の名前を教えてくれ」
「……185番」
「……。そりゃセンスの無い名前だな……。気に入ってるわけじゃないなら呼び名を変えていいか? なんか呼ばれたい名前あるか?」
彼女はウィルの手の下でまたふるふる首を振った。
「そうか……俺が好きなように呼んでも構わないか?」
彼女はこくりと頷いた。
「じゃあ、そうだな……。ユーリ。ユーリはどうだ?」
「……ユーリ……」
彼女はぽつりと呟いた。そのまま何度か呟いた。
「ユーリ……わたしの、名前……」
頬に赤みがさし、瞳に少し生気が宿った気がした。この反応は喜んでいるらしい。
その名は自分の知る中で一番優しい奴の名前をもじってつけた。それに、彼の故郷でその名の意味は「悠久の里」と言う意味だ。どうかこれから彼女の周りに優しい人が集まるように、という気持ちを込めて。
「きっと大丈夫だ。ユーリ。外に出よう」
彼女はほんの少し、瞳に明るさを抱いて頷こうとした。
「感動的な話をしているようだが、その子は渡さんぞ」
少し前に破った扉をくぐり抜けるように、スタイルの良い女、相当背の高い大きな女が入ってきた。
ヒールを鳴らしながら近づいてくる。
その音に、マントに包まれていたユーリの顔色が明らかに悪くなる。
彼女はふらふらと立ち上がった。
「おいっ!」
ユーリは彼の言葉も耳に入らない様子で、そのまま覚束ない足取りでその女の前に立った。
「ごめんなさい……また魔法を完璧に使うことができませんでした……」
ユーリは小さな震える声で呟いた。女はウィルを無視して破壊された床や壁を見、ふうっと溜め息をついた。
「お前は本当に出来損ないだな、185番。この程度のことも満足にできないとは。捨てられないだけ感謝しなさい」
「はい……申し訳ございません……キーファ様の罰を受けさせてください」
そう言ってユーリは震える手で顔を覆った。
「良いだろう。罰を受けることで完璧なあの御方に近づきなさい」
キーファと呼ばれた女はユーリに鞭を振りかざした。
「おい」
ウィルはキーファの振り上げた手を受け止めた。ユーリが顔を上げて驚きに目を瞠る。
「胸糞悪いもん見せやがって。ガキが血を吐いた跡もあるのに心配もせずに鞭打ちかよ」
「人間ごときが触るな。汚らわしい」
キーファは恐ろしい怒りの表情を露わにしてウィルの手を振り払った。
「この子の仕置を終えてからゆっくりいたぶってやろうと思ったのに、そんなに早く殺されたいか、人間」
「お前らの教育方針には反吐が出すぎてカラカラだよ。コイツは俺が連れて帰る。ここは『助ける』と言うに値する地獄だ」
「はっ! その子がここから出たいと言ったか?」
彼は後ろで俯くユーリに向けて言葉を発する。
「ユーリ、これは俺の勝手な願望だけどな。
ガキはその日の晩飯とか、宝物の隠し場所とか、今日見るだろう夢のこととか……そういう事だけ考えて生きていればいいんだよ。
……こんな目をしているガキがいる場所を、俺は否定する」
「価値のわからない人間ごときに185番は渡さないよ。その子は私が見つけたんだ」
ウィルはユーリを後ろに庇うように立ちながら、ゆっくりと剣を抜いて構える。
「こいつの価値はお前が決めるべきじゃない」
キーファは暫くウィルのことを殺意を含んだ目で睨んでいたが、ふっと無表情になった。
「ふん……いや、もういい、人間。お前と議論をしている暇はない。今日は大切な日。お前は排除する。そして185番には罰を与える。他の侵入者も排除する。それだけだ」
言うやいなやキーファの姿はムカデのようなものがとぐろを巻く姿に変わった。頭の部分は彼女の上半身が残っているようだ。
キーファは手で周囲に火炎の球を作り出すと、それをふっとウィルに向かって吹きかけた。
それはゆらゆらと地面に広がり、ところどころに炎の柱を作り出す。
「あっつ!」
くくっ、とキーファは笑う。
「人間には耐え難いだろう」
「こいつのことは全く気にしてねぇのかよ……」
ウィルはちらりとユーリの方を見やる。キーファが来てからずっと怯えている様子だ。
火柱から断続的に飛び出してくる炎をユーリを庇いながら払いのける。
「その程度で死ぬ器ではない。それより良いのか? 人の心配をしていて」
背後からずるずると忍び寄っていたムカデの長い身体が彼を締め上げた。
「ぐっ……!」
キーファは舌なめずりする。
「逃さないぞ。……あぁ、ついでだ」
ぎゃう、という苦しげな声が聞こえ、見ると、ユーリが同じ様に締め上げられていた。
「おい! やめろ!」
「まだ元気そうだな、人間。この子には罰を与えると言ったはずだ」
言うなり、ユーリが苦しげな呻き声を上げる。絶え絶えに「ごめんなさい」という呟きがウィルの胸を締め付ける。
「ふっざけんな!!」
身体と一緒に締め付けられていた右手を勢いよく引き抜く。
指で魔法陣を描き、爆発を起こす。
キーファが巻き起こった煙に咳き込む。
「ごほっ! 自分を巻き込んで爆発を起こしただと……」
煙が引いてくると、奥からぐったりするユーリを抱いたウィルが歩いてくる。
「ふん、名前なんてつけて、その子を手に入れてどうする? 力がほしいのか?」
「俺はこいつを外に出してやりたいだけだ」
「馬鹿な。その子はそのままでは何の価値もない。
そう言えば、この子の価値を私に決めるなと言ったな。ではお前が決めるとでもいうのか、人間?」
「いや、こいつが、ユーリが自分の価値を自分で決めていい。
人から与えられるレッテルでじゃなくて、成長とか、才能とか、関係性とか、自分が培ったもので人は自らの価値を決めるべきだ」
「小賢しいことを……この世で最も崇高で、完璧な存在にしてやろうというのに」
「それになるかどうかを決めるのもお前じゃない。ユーリだ」
ユーリがゆっくりと目を開ける。
ウィルはユーリに笑いかける。
「お前が決めて良いんだ」
彼女の瞳はまた輝きを増したように感じた。
ウィルは彼女を腕から降ろして立ち上がらせた。
「ユーリ、さぁ、お前はどうしたい?」
彼女はウィルを見た。今までになく強い眼差しを持って。そして恐ろしい顔で睨みつけるキーファの方を見て、唇を引き結んだ。
「キーファ様。私をどうか完璧な存在、魔王様にしてください」
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