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腕の中であいつが力なく微笑む。どうして、どうしてなのか。こんな目にあっていい奴じゃないのに。なぜ、もう少し俺に力があれば。
あいつが何か呟く。なんと言っているのか聞こえない。俺は耳を澄まし、目を凝らしてあいつの最後の言葉を聞こうとする。
「マスター!! 起きてくださいってばっ!!」
びくっと身体が震えて目が覚めた。耳元でがなり立てているのはギルドの受付嬢のニッツだった。
「うっせぇな。そんな怒鳴らなくても聞こえるっての」
ガンガン痛む耳を擦りながらニッツを睨む。
「さっきから散々呼びかけてるんですけど……。もういいや。お客さんがお待ちですよ」
ちらりとニッツが目を向けた方を見ると、テーブルの前にローブを纏った若い女性が立っていた。大層蔑んだ顔で彼を見下ろして。
「あなたが最年少でAランクの冒険者となったウィル・サージェントですか? 噂とはあてにならないものですね。こんなクズみたいな目をした男とは」
ウィルは、ははっと乾いた笑いを漏らした。
「まぁまぁ、座んなよ、お嬢さん。どうせ他に行く気もないんだろ?」
彼女はウィルの言葉にぴくっと反応し、立ったまま冷たい目で見下ろした。
「どうしてそう思うんです? ギルドなんてこの街だけでもかなりあるのに」
「勧められてもいないのに椅子の背に手をかけて、随分焦っている様子。それに噂を聞いて俺のところにやって来たってことは、他のギルドになんて依頼しに行く気にならないだろ」
にやっと笑って彼女を見上げると、彼女はふん、と笑った。
「椅子なら勧められましたよ。あなたがぐっすり寝こけている間に、先程のあのお嬢さんに」
「あれ……」
「ですが、もう一つの方は当たっています」
彼女は椅子を引いて、美しい所作で腰掛けた。そしてにっこりと微笑んだ。
「ただし、あなたがどの程度使えるのか、少しテストをさせてください」
彼女はテーブルの上に懐から出した小さな鈴を放り投げた。それは瞬く間に大きな四つ目の黒猫の姿に変わった。
猫は彼女を守るようにウィルを威嚇する。木のテーブルがミシミシと軋む音を立てる。
ウィルはちらりとニッツがお茶を入れに出て行ったドアを見る。
「おい、備品を壊さないでもらえるか? 有能な受付に俺が怒られるんだ」
彼女はじっとウィルの腰に刺した長剣を見つめた。
「でしたらさっさと対処を。あと四秒であなたに襲いかかります」
彼女の言葉が終わるやいなや、猫の身体が飛びかかる前触れを見せた。ウィルは腰のポシェットから取り出したものを部屋の隅に放った。
巨大な猫はすぐさま目線を変え、そちらへ踊りかかった。そして、ウィルが放り投げた干し肉の塊を貪るように齧りだした。
「……!」
「冒険で得たウリノエの肉……ではなく、この近所の肉屋の親父からもらった肉の切れ端」
「……戦わないんですか?」
彼女は少し不服そうにウィルを睨んだ。
「猫を虐めるなんて可愛そうだろ。それに冒険者なら魔獣の対処くらい心得ている。そこの肉屋の肉は大好評だよ」
彼女はしばらく不服そうな顔をしていたが、ふう、と息をつき、それから真っ直ぐにウィルを見つめる。
「依頼人のどんな希望も叶えるという冒険者ギルドのギルドマスター、ウィル・サージェント。
あなたに依頼したいことがあります」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼女は魔女リリスと名乗った。魔女リリスと言えば、この界隈で知らない者などいない。
それこそ『あらゆる願いを叶えることができる魔女』と言われている。ただし、相当へそ曲がりの性格のため、叶える実力はあるのに願った通り叶えられたという人の話は聞かない。
リリスはニッツの淹れたお茶に手をつけることもなく話し出した。
「あなたに助け出して欲しい人がいる。絶対にミスは許されません」
「なぜ俺に依頼する? あんたの実力なら一人でもできるんじゃないのか?」
「もちろんできます。ただ、私一人では時間がかかりすぎる。一秒でも早く助け出したいのです」
彼女は謙遜もせず当たり前のこととして話す。この魔女の数ある逸話を聞いていれば、彼女がこの国、いや世界でも有数の実力者だと知れるが、それが目の前にいるという実感が湧いた。
依頼の内容に改めて興味を覚える。
「一体誰なんだ? あんたとの関係は?」
リリスは目を伏せる。
「この世の何よりも大切な人。私の全てです」
「……はぁ。それで? どんな奴だ? 容姿は? 性別は?」
「残念ながら、私はまだ会ったことがないのです」
「はぁ?」
「恐らく、まだ幼い女の子、という程度しかわかりません」
「妄想か? 妄想なのか!?」
リリスはふぅと溜息をついた。
「そう思われても仕方ありませんね。実際お告げというか、予知夢というか、そのようなもので私も最近その存在を知ったのです。恐らく元同胞のうちの一人の仕業ですが」
「……」
胡散臭そうに見ているのが顔に出ていたらしい。リリスは彼の方を見ずに淡々と話した。
「別に私の話を信じなくても結構。その場所で、虐げられている人間を一人助け出してさえくれれば」
ウィルは頭をかいて溜息をついた。
「あんたの話は要領を得ない。それに人を一人助けろと言うが、そいつがそこで幸せだったらそれは人攫いをしてこいと言っているのと同じだ。犯罪には加担できない」
「……」
リリスは何も言わずに席を立ち上がって出ていこうとする。その背に向けてウィルは続ける。
「だから俺がそいつをこの目で見て、本当にこの依頼がそいつの助けになるかどうか判断する。依頼を受けるかどうかはそれから決める。それで良いだろ」
リリスは立ち止まった。
「命の保証はできませんよ……」
「はっ、今さら言うなよ。もっと早く言ってくれれば断ったよ」
リリスは小さな笑みを口に浮かべた。振り返ったときにはそれを消して、改めて椅子に座った。
「もしあなたが死んだら、死体は使い魔にして有効利用させてもらいますよ」
「……お前、友達いないだろ……」
リリスはにっこりと魅力的な笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それで、どうやって忍び込むんだ」
夜が更けるまで少し待って、リリスについて謎の人物救出作戦の現場までやって来たウィルは、隣に歩く彼女を見やる。
リリスは説明もそこそこに、というか詳しい説明は現地に向かいながらにしろ、と言うので、詳しいことがわからなかった。本当に一秒でも早く助けたいらしい。
そして、乗り込みにはリリスも参加するらしい。危ない、などとはこの高名な魔女には恐れ多い言葉だろう。というか、この魔女が依頼する内容だ。自分の身の安全を優先すべきだろう。
「そこは表向きは宗教団体。地上部分がその施設です。そして、地下には実態である研究施設があります」
二人は人気のない森の中を歩いていた。薄暗く、陰気な森だった。
リリスはどこから取り出したのか、杖を振りかざした。瞬時に二人の衣服が白い装束のようなものに変わる。
「……すごいな」
「当然です。解除したくなったら指を鳴らしてください。さっさと進みましょう」
リリスは恥じらいも躊躇いもなく称賛を受け入れて先を歩いた。すると俄に視界が開けた。高台のような場所に出たらしい。リリスに倣って崖下を見下ろすと、確かに珍しい建築様式の建物があった。言われてみると宗教施設にしては厳重な警戒態勢なようだった。
「……ほんとに、今回のターゲットって一体何者なんだ?」
「それは……言いたくありません。その方の今後の為にも。もしかしたら救出の過程で知ることになるかもしれませんが……そうなったらあなたの口を封じることになりますが」
不穏当な呟きに、頬を引き攣らせてリリスの方を窺う。彼女は下の施設を見ていて、表情はわからない。
「おい……それは冗談だよな……。ちなみに依頼人の守秘義務は守る。
それで、どうやって潜入する?」
「陽動でいきましょう。囮を使って侵入します」
「は? その囮って……」
「もちろんあなたのことですよ」
リリスはそう言うと、いつの間に後ろに立っていたのか、ウィルの背中を蹴っ飛ばした。
「は!? って、おぉぉぉぉぉぉい!!」
彼は崖から叫びながら落下した。
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もう一話15時アップ予定です。