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寝室の電話がけたたましく鳴り始める。ベッドの中で楽しげな夢を見ていた俺は一気に現実へと引き戻されて、少し不機嫌な顔をしてから受話器を手に取った。
「はいもしもし。夏目です」
『もしもし、桐ケ谷です。京くんおはよー、もうお昼だけど』
「なんだよ、玲子か……せっかくいい夢見てたのに、恨むぞ。しかしなんで家電?」
『だって京くん、スマホだといくら掛けても出ないし。着信音切ってるでしょ?』
「まあね……で用件は何?俺また寝たいんだけど」
『休日だからって寝すぎ、逆に体に悪いよ。でもって用件は単なるお誘いだよ、サークルの。今年もみんなで海行かないかって』
「あー、勿論行くけど。でもなんで玲子が?」
『正人君に頼まれてね、いくらスマホに電話掛けても出ないからって。京くんの家の番号知ってるの私だけでしょ?それに私、今日の講義は一限だけだったから』
枕元に置いてあったスマホを見てみると、確かに奴からの不在通知が溢れていた。
「なるほど。ちなみにいつ頃行く感じ?」
『ええと、八月の土日のどっかだって。向こうのホテルで一泊して帰る感じらしいよ』
「なら第二土日以外がいいなぁ……ちょっと用事があって。まあそっちは最悪キャンセルできるから、大丈夫っちゃ大丈夫なんだけど」
『りょーかい。正人君にそう伝えておくね』
「おう頼むわ、それじゃまた」
『うん、またね』
こうして彼女と電話するというのも中々久しぶりな物だから、少し昔を思い出した。部活の後輩は今頃どうしてるのかだなんて考えながら、俺はキッチンに立って朝食兼昼食の準備を進める。紅茶にティーパックを入れてお湯を注いでから、トースターに食パンを差し込んで、暫く待つ。ベルの音と一緒にパンが跳ね上がるから、皿に載せてから蜂蜜を塗って、ついでにカップの中のティーパックをゴミ箱に捨てる。そうして出来上がった無機質な食事を、一人で使うにはあまりに広すぎるダイニングへと運んでから、俺は椅子にどさりと座る。
「いただきます」
俺は薄暗い部屋のソファに寝転がり、録画していたドラマを惰性で見続ける。ふと画面から目線を外すと、閉め切ったカーテンからはすっかり白い光が漏れ出していたから、やっぱり昼なんだなあと実感する。しかしまあ、昼間まで寝るという事を最近はしなくなっていたから、こんなアンバランスな空気も新鮮である。いつもの休日なら大体七瀬さんをレンタルしているから、ここまで寝続けるという事は無いのだけれど、残念なことに今日は彼女の予約が埋まっていた。加えて特に連れからの誘いも無かったから、こうして何をするでもなく、一人でポツンと過ごしているのだった。
しかしこうも広くて陰気な部屋に閉じ籠るというのは、精神衛生上良くないんじゃないか?
「久しぶりにドライブがてらご飯でも行こうかなぁ……」
ぼっちで出掛けるのも中々寂しいものである。けれども正人とか中村とか、その辺りの連れは皆がっつり授業中であるから、誘う訳にもいかない。……まあ玲子はさっきの電話からして暇なんだろうけれど、何となく誘いづらいからね。
海沿いの道を青いプジョーが駆け抜ける。ちょっとだけ横に目を逸らしてみれば、初夏特有の澄んだ青空と、深い青色の海とがいい感じに混ざり合うのが、真夏とはまた違って素晴らしい。そんなグラデーションにぽつりと浮かぶ小島もまた良くて、まさに海に来たんだなぁという気分にさせられるのだ。
「但し、ゴミさえ無ければね……」
いくら景色が綺麗であっても、日本有数の都市に接する湾の内側であるし、観光地という訳でもなく清掃なんてされていないのだから、ちょっと波打ち際を見て見るとゴミで溢れている。見かけだけは良いけれど、本質的には汚い辺り、まさに俺みたいだなぁだなんて思ってしまう。そうしてブルーな気分になって、やっぱり海なんだなあと改めて感じる。
港横の神社の境内にある、小さな食事処で飯を食べる。魚のアラで出汁を取った汁物だとか、新鮮な貝をそのまま焼いたものだとか、そういった凝ってはいないけれどもひたすらに旨いものを味わってから、店の横にある赤い灰皿の前で一服する。充足感に包まれて、ぼーっと目の前の海を見ていると、心の隙間をそうやって埋めて、ここまで騙し騙し走り続けてきたんだなぁなんて思う。最も近頃はあの子をレンタルし続けて、そもそも隙間自体を気にしなくて済むようにしていたんだけど。
一人で何処かに出掛けるとこんな風にセンチメンタルになってしまうからいけない。でも俺は他にやり方を知らなくて。連れとべろべろになるまで酒を飲んで馬鹿騒ぎしたって、可愛い女の子とデートしたって、心の隙間はぼやけてはくれるけれど、埋められはしない。自分の心を埋める事が出来るのはやはり自分だけである。
真に繋がり合えた相手ならば、互いの隙間を埋め合う事だって出来ると言うけれど。結局はその繋がったという感覚だって、自分の世界の中にある相手の虚像へと向けた幻想に他ならない。究極的な繋がりと言える実の親でさえも、結局は自分ではない他人なのだから。
それに人間関係というものはいとも簡単に崩れ去る、不安定な物だ。当たり前であると心の底から信じる環境の上に成り立った関係であっても、外的要因であっという間に、抗えもしないまま消え去ってしまう。そうして何か自分に出来なかったのかと、責任も無いのに無駄に後悔しつくして、結局心の隙間を広げてしまう。
だからこうやって、自分自身で何とかするしかないのだと、心の底から思うのだ。
煙草をふかすと、紫煙が澄んだ青へと溶けていく。俺は痛々しくて餓鬼っぽい、下らない考えも一緒に溶けてしまえばなあと、思った。
京くんソロパート。自分に酔った人間性が垣間見えます。