16
咥えた煙草の先っぽから、ゆらりゆらりと煙が上って、コンクリートのビルディングに囲まれた青空に溶けてゆく。左手に持つ氷の溶け切ったアイスコーヒーなんかじゃ夏の暑さを打ち消せる訳もなく、俺はただじわじわと蒸されるのみである。
「おーい京介、何してんだ」
「……なんだ、正人か」
相変わらず能天気そうな奴がいた。
「なんで露骨に面倒臭そうな顔するんだ……てか熱中症なるぞ、お前」
「それもそうだな」
「そうだなってお前……キャンパス内で倒れるとかシャレにならないからな」
「ま、ちょっと考え事をしててね……」
玲子との帰省リハ凝きから大して時間が流れていないから、頭の中は彼女たちの事で塗り潰されていた。考えども考えども、やはりストンと腑に落ちる答えは出なくて、結局グチャリとしたまま放り投げられてしまった。
「なーに汗だくでカッコつけてんだ。取り敢えず水飲め、俺のやるから」
「えー……お前のだろ?」
「まだ口付けてねーよ!後で買って返せよ」
「へいへい……」
ペットボトルを捻り潰して一気に水を流し込むと、全身に染み渡る感じがして、宙に浮いているからのような感覚が消えていった。
「いやー、さっきは完全に脱水症状起こしてたわ。頭フワフワしてたし」
「だろうな、あれだけ汗かいてりゃ。にしても、さっきは何考えてたんだ?京介にしては珍しい」
「なんだ、俺が普段何も考えずに暮らしてるとでも言いたいのか?」
「だってお前、普段から何にでもニコニコとして適当に楽しくやってるじゃん。あ、彼女に振られてたときは別だけどなー」
「なんだか貶されてるような……まあいいや。ちょっとねー、ドラマティックな三角関係に悩んでて」
「嘘だぁ」
「まあ嘘なんだけどね、単に下らない事考えてただけだ」
本当の事を言えるはずもなく、俺は二重に嘘を吐く。
「なんだよ、お前を中心に血みどろ愛憎劇でも起きたらネタになったのに」
「ネタかよ!つーかお前こそ何も考えてないだろ」
「バーカ、俺だって考えてる事あるわ。最近狙ってる子がいるんだけど、ガード堅くてさ」
「女の事かよ……お気楽なものですなぁ」
ま、人のことは言えないが。
「うるせー、こちとらモテない野郎君なんだわ。お前みたいにまた玲子ちゃんとよろしくやってる奴とは違うんだよ」
「大丈夫大丈夫、俺よりお前の方が遥かに男としてマシだから」
何時も嘘で外面を塗り固める俺の、珍しい本気の一言であった。
講堂の隅で、枠埋めに取ったつまらない授業を受けながら、躰を机にだらりと預ける。
玲子が隠した彼女の本性と、彼女が8月まではといった乙女の秘密とやらは、恐らく同一なのだろう。これ位は猿でも予測が付く。けれども、肝心の中身がまるで分からない。そもそも彼女の正体や本名を、七瀬さん自身から態々言う必要などあるのだろうか?レンカノのルールに則ってずーっと黙っておけば良いのだから。
つまりはそれを破ってまで、俺に正体を話さなければならないという事。一体、玲子は七瀬さんに何を言ったのだろうか。そしてパンドラの箱が開かれたときに俺にどんな影響があるのか。所詮は自分の意思が介在しない他人の事だから、分かりようがないのだけれども、それでも気になってしまう幼さである。ああ嫌だなぁ……。
目の前の爺さんの話なんて全部聞き流して、それなのに余計な事ばかりを考えて、自己嫌悪に陥る。結局は考え尽くして本当は分かっているのに、分かってないふりをして思考を逸らし、現実逃避に至る。それを何処かで感じながらまた別の事を考えるのだから、余計に気持ち悪くて、愈々辛さが増していく。耐え切れずに、より一層だらりと顔を机に押し付けようとした時、終わりのチャイムが鳴った。
「……だりぃ」
ぼそりと呟いて、放り置かれたくたびれた鞄を雑に手に取る。そのまま肩に担ごうとして、やっぱりダサいなと思って普通に持ってから講堂を出ると、中村がすぐ横の自販機前で待っていた。
「おー中村、また授業サボったのか?」
「違えよ、結構早めに終わってさ。ボチボチで試験だろ?」
「あ、そう言えばそうだったな……もう七月も半ばだし」
七月末から八月の頭まで、我らが大学の試験期間である。だから一部の心優しい人々はするべき事が終わったら、授業を早く切り上げてくれるのである。
「忘れてたのかよ……真面目くんは直前に勉強しなくてもいいもんなぁ」
「そんな事は無いんだがな……まあ今から大して勉強するつもりも無いが」
「やっぱりそうじゃねーか!」
直前に頑張らなくてもいい様に手回しする、怠け者の鏡であった。
「で、何さ?」
「いやさ、晩に集まって試験前の勉強会でもしないかって。俺とか正人とか、その辺のサークルの面子で。あ、でも残念ながら愛しの玲子ちゃんは来ないぞ」
「ただの連れだって……というかどちらにせよ今日はパスで」
俺の断りに、奴はポカンとした顔をする。
「おー珍しいな。何か用事でも入ってるのか?」
「今日車なんだよ。六限まで授業埋まってるし、一旦家帰ってからまた出てきたら相当遅くなるからな」
「あの黒いのかー、BMWの」
「そそ」
「なら仕方ないか。それじゃまた今度な」
「おうよ、お疲れさん」
最後の授業が終わって校舎から出ると、夏だというのに既に辺りは真っ暗であった。辺りも昼に比べると随分と寂しく、下らない考えと相まって若干メランコリーな気分になると、俺は自分から敢えてそれに浸った。守衛さんに軽く会釈をして門を出ると、ポケットからキーを取り出して指先でくるりと遊ぶ。そのまま通りを歩くと、嫌でも赤色の光が視界を侵して、今日何度目か分からない溜息をつく。この街は毎日酷い渋滞が起きるから、通学に車を使うのは馬鹿である。けれども何となく、今日は車に乗りたい気分だったのだが、やっぱり面倒と思ってしまう我儘さだ。
コインパーキングの料金を払ずに、そのままどさりと車に乗り込むと、ドアを開けっぱなしにしてエンジンもかけずに、シートを倒して目を閉じる。どうせ最大料金一杯まで駐めているのだから、渋滞が収まる夜まで寝てしまおう。そう考えて寝ようと思えど、やはり愚かな考えが一杯に広がって、どす黒い世界が広がっていく。これならまだ赤い方がマシだったかなと、今更ながら思う。
メランコリックな主人公です。幼いなぁ……(´・ω・`)
あ、この話も次回に直接続きます。一度に書けるほどの力が無いのです。