表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かつて愛した君たちへ【未完】  作者: K.K.
第一話 もうすぐ君と僕に夏が来る頃
10/18

8

 橋の東側にある、終着駅というにはやや小さい駅で、七瀬さんと待ち合わせる。相も変わらず空はうっとおしいほどに濁っていて、じとりと重苦しい雨を降らせ続けている。駅の入り口で雨宿りしながら、隣にあるコンビニで買ったペットのカフェオレをちまちま飲んでいると、可愛らしい傘を差した彼女か小走りで近づいてきた。

「京くんこんにちはっ……ちょっと遅れちゃいました?」

「ええと、まだ大丈夫。俺も結構余裕をもって来たからさ、雨だし一応ね」

嘘である。雨のせいで大学以外は家に引きこもりがちだったからか、単に今日のレンタルが楽しみで仕方がなかったのだ。

「私ももうちょっと早く家出ればよかったかな、予想以上にバスが遅れちゃって」

「まあ間に合ったから大丈夫だよ。それじゃ」

財布から札を数枚取り出して、彼女に渡す。

「うん、確かに!じゃ京くん、早速行きましょうっ」

彼女は俺の手を掴んで、すたすたと歩き始めた。


 赤い特急は長いトンネルを抜けて、雨の中をがたごとと走る。

「そういえば今日は宇治に行くって言ってたけど、平等院とかですか?」

「いや、それもいいんだけど紫陽花を見たいなって」

「ああなるほど、梅雨ですもんねー。でも宇治に紫陽花見れるところなんてあったんですね……私、こっち来てからまだ日が浅いから知らなかったです」

「まあ僕もまだ二年目なんだけどね。宇治の中心部からはちょっと離れてるんだけど、お花で有名な寺があって。そこの紫陽花を見てから、宇治なんだしお茶でも飲もうかなーと」

この時期に外に出るとどうやっても体が濡れて冷えてしまうから、最後にあったかい茶を飲んで〆ようという算段だ。

「お茶いいですよねっ!お茶菓子を少し食べて、あったかくて美味しい抹茶を飲むと、ほっとするといういか何というか……」

「そそ、それがいいんだよね」

脳内で思い出すだけで、どこかほっこりする。そうして一通り想い出をめぐってから現実に戻ると、彼女がじっと俺の顔を見ていた。

「えっと……七瀬さん、俺の顔に何かついてる?」

「あっ、ごめんなさい京くん……。また顔色良くなったなって思って、ね?」

「此間も言ってたけど、そんなに変わった?」

まあ春先よりかは多少気が軽くなった気はするが、そんなに劇的なものだっただろうか?

「うん……今だから言えるけど、春先に初めて会った時の京くん、目と表情が死んでたもん。ぱっと見では隠されててすぐは分からなかったけど」

「マジ?」

「本当だよ?そんなだった京くんが今や、偶に自然に笑ったり、目にも若干だけど感情が宿ったり。大分元気になってるような気がするなっ」

「……あんまり変わってなくないか?」

常人には気付いて貰えないレベルの誤差である。

「比較論の話だもん……京くんが前言ってた、問題の先送りとやらのお陰だったりするの?」

「まーね、問題解決を未来へぶん投げて、騙し騙し時間を進めて、そんな感じで割と楽しく過ごしてる。まあ勿論理由はそれだけじゃないと思うけど」

「……えっ?」

きょとんとする七瀬さんに向かって、控えめに人差し指を向ける。

「わ、私?」

「そそ……ちょっと今から恥ずかしい事言うけど、聞いてくれる?」

こくこくと彼女は頷く。

「俺さ、彼女と気楽にデートするって、あんまりしたこと無かったんだ」

「……えっ?」

「まあ色々あってね……だからまあ、レンカノって割り切った関係を意外と気に入ってて。可愛い彼女と気を抜いてデートできる、そういう時間を持てた事が俺にいい働きをしたのかもね」

「……そうなんですか、良かったです」

そう言って笑う彼女に、俺は少し寂しさを見たような気がした。



 七瀬さんに優しい嘘を吐いて、久しぶりに彼女と付き合い始めた頃を思い出す。

 

 捉えきれない悲しい現実から文化祭に逃げて、受験に逃げて。そうして大学生になって、にっちもさっちもいかなくなった僕の目の前に、やっぱり悲しみが立ちはだかった頃。いつも俺の隣に自然と在った親友は、当然俺が逃げ場をなくした事も知っていて。俺の辛そうな顔を見るたびに、色々な所に連れていったりしてくれて、それでもなお悲し気な笑みを浮かべる俺に、彼女は少しだけ寂しい顔をしていたのだった。

 ある日の夜、大学からの帰りに、他愛も無い会話をしながら玲子と夜道を歩いていた。高校時代と変わらぬ、いつも通りの日常、いつも通りの関係がそこにあった。そうやって今日も歩き続けて、この坂を登れば彼女の家だ、という所に差し掛かった時だった。

 いつも横にそっと立っているだけの玲子が、突然俺の左手を掴んで立ち止まった。急に何だ、珍しいなとふっと彼女の方を見ると、玲子の眩しい顔は俺の目の前にあって。あっ、と驚く間もなく彼女は俺を引き寄せて、唇にそっとキスをした。

 俺も彼女も一気に顔がぼっと赤くなって、恥ずかし気に何も言えぬまま立ち尽くし、只々白い蛍光灯の明かりに照らされていた。彼女の唇は柔らかくて、甘くて。今まで意識などしなかった、否、無理やりにでもすることを拒否していたのにも関わらず、照れている彼女がやけに愛おしくて、もう一度彼女に触れたくて、頭がぐっちゃぐちゃになる。

 長い沈黙を破ったのも、やはり彼女だった。急に真面目な顔をしたと思えば、またぐっと近づいてきて、俺の耳元で囁く。

「ねえ京くん。私と付き合わない?」

 未だ思考の渦に囚われていた俺は、それでもなんとか言葉を捻りだして、「ああ」と一言呟いた。そしてまた俺たちは見つめ合って、優しいキスをした。


 こうして、俺と玲子の新たな関係はドラマティックに始まった。けれども俺は玲子から様々なモノを貰うだけ貰いながら、彼女には大してリターン出来ずにいた。あまりに眩しい彼女と恋人として釣り合いを取るだなんて、ただの臆病者の現実逃避者である俺には不可能だったのだ。勿論、これは彼女も分かっていた上で、俺に告白したのだろう。けれどもそんな一方通行の歪んだ関係は、時が経つにつれやはり綻びを生じて、結局は彼女が俺を振って終わりを迎えることとなる。

 そして独りになった俺は、たとえそれが自分の心の穴を埋めるものじゃなくて、酒の様に誤魔化すだけのものだと分かっていても、それでもなお彼女の温もりを忘れられなくて、もう一度触れようとした。けれどももうその手は届かない気がして、それに気付いて兎みたいに寂しがっていた頃に、俺はレンタル彼女を見つけたのだ。だから別に気を抜いてデートできるとか、そんなのは殆ど言い訳でしか無くて、単に彼女の温もりへの欲求を別の温もりで誤魔化すために七瀬さんを借りているのだ。勿論、余計な気を使わなくて済むのは事実だけれども。



『まもなく、宇治、宇治です』

車内放送の声で、一気に現実へと引き戻される。

「あっ京くん、おかえりっ!ずっと話し掛けてもああとかうんとか、生返事しか返ってこなかったから心配したよ」

「ああごめんごめん、ちょっと考え事をしてて……デートなのにごめんね」

「あ、謝らなくていいよ……だれだってそんな時もあるし」

もうそこには寂し気な彼女の顔は無かった。



 青、赤、紫、白……色とりどりの紫陽花がばっと目の前一面に広がる。

「綺麗だねっ、想像してたよりも凄いかも?」

「本当に綺麗だよなぁ……ここの紫陽花は」

梅雨の風景が鮮やかな花が見事に引き立てていて、その景色は素晴らしいの一言に尽きる。

だからあの忌々しい灰色の空から降る雨や、冷えた空気さえ迄もが、今この時だけは愛おしく感じた。

「京くんセレクトだけあってやっぱりいい場所だねっ」

「まあこの季節は紫陽花くらいしか見物が無くて……だからここも来たことがあってさ」

偉そうに語っているが、ここに来たのはまだ二回目だったりする。去年の今頃に、相も変わらず引きこもってた俺を某人が無理やり連れだしてデートした時以来だった。彼女は紫陽花が好きだったから、やっぱりこの場所も好きで、一人でも何回か来ていたらしい。

 なるほど、と言う彼女の手は相変わらず俺の手に繋がれたままで。そんな暖かさを感じながら花を見ていると、白いカーディガンを羽織った何時かの彼女の姿が見える。ん?と思って目を凝らしてみるとやっぱりそこに玲子がいて、俺は思わず固まってしまう。すると向こうも俺を見つけて、ついで隣の子を見ると、しーっと唇の前に指を出して、悪戯っ子みたいにウインクをした。そして彼女はそのまま、俺が声を掛ける間もなく、さっと風の様に去っていった。

「……京くん、どうしたの?」

「別に、何でもないよ」

 俺はまた七瀬さんに嘘を吐いて、目の前の一幕を有耶無耶にした。

彼女は彼女を見つけたようです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ