諦めるべき相手として
次の週の月曜日、私は努めて普段通りに振る舞う事に努めた。ただ、朝の新聞回覧では元子の方を見ないようにしていた。元子もこちらを見ない。こんな状態であと2週間すれば、銀行へわたしは戻るのだ。しかし、人事部からは連絡が来ない。もしや、あと半年ぐらいは残るのだろうか。
色んな事を考えていたら、昼頃に社内線で元子から直接連絡があった。わたし宛に出身行から連絡が来ていると。電話を代わると、案の定、人事部からだった。あと2週間。4/4に本店の人事部へ朝10:00迄に出頭しなさいと。そこで次の配属部署を言い渡すとのことだった。遂に終わりがやって来たのだ。しかし覚悟していたこと。これで元子と離れてしまうのだろう。寂しいがそれが一番なのだ。
銀行員が出向先の会社の娘と不倫だなんて、冷静に考えれば、外聞の良いものではない。しかも妻は病気だ。だからこれで何もなく終わることが出来るのだ。
そう考えながら、一応上司に銀行から呼び出しの電話が有ったことを報告すると、総務部長にも報告するように指示が来た。私がいつまでも居られるのか、伝えて欲しいと。それまでに色々と準備があるらしい。その足で総務課長へ報告へ行く。当然元子とも会う。元子は
「銀行の人事部からですか?」
「そうだよ、やっぱり戻るみたい。4月3日までお世話になります。」
「良かったじゃないですか。きっと久木さんなら、凄い部署へ配属されますよ」
その言葉は、私が去ることを喜んでいるような気がして寂しかった。でも、先週のこと思えば当然なんだと思った。
それからの日々は本格的な残務処理だった。とにかく忙しかった事だけ覚えている。そんな中、金曜日はあっという間に来た。この週の金曜日は若手の飲み会の最後と銘打ち企画していたのだった。
幹事は私と南山。大東は忙しくて来れず、高川も何だかよそよそしく参加しなかった。
そして元子は相変わらず参加。今まで皆勤賞。こう言うところが良く分からないが、元子はただ皆と普通に楽しみたいだけなんだろうな。そこで、花見をしようと言う話になった。企画は当然と言うか、毎回の流れで私になった。たぶん開催日にはこの職場に居ないのに。でもその回が元子の会える最後の日なんだろう。元子がやりたがってるなら、わたしが動かない理由はなかった。これぐらいのことしか出来ないが、好きな女に利用されるのも、また良いもんだ。
しかし、帰りの元子は先週の事もあってか、素っ気なかった。
そうして最終週が来た。ただ忙しかったのだが、週中で総務部へ名札と社員証を返しに行く。そうすると担当の方の隣に居た元子が、
「そっか、もう居なくなっちゃうんだもんね。返すの当然か。」と言うような事を言う。そんなこと、言わないで欲しい。私の好きな気持ち分かってるくせに。諦め切れなくなる。
私は「記念に持って帰るかって、ちょっと考えたけど、やっぱりちゃんと返すよ」と言うのが精一杯だった。
それからこの週は久し振りに元子とメールした。内容は花見の企画について。律儀にメールを返してくれるが、私も事務的な内容に徹する。場所の下見は数日前の土日に終えていた。そこで調べた会場の飲み屋ごとの特色を元子に伝える。更に4月からの新メンバーを呼ぶかについてだが、呼ばない方針にした。私が居ない以上、とても纏めきれないだろうし、内心は元子に会える最後の時間は、顔見知りのメンバーで纏めたかった。そうして3日でメンバーの日程調整を終え、会場を予約し、元子に報告した。元子は3日で纏めた事に驚いていた。私は最後に彼女へのプレゼントとして、この花見を捧げたかった。他のメンバーには少し申し訳ないが。
最終日、私は急に重い荷物の移動を手伝って欲しいと日野と山城に呼ばれる。
そうして行ってみると、ハンカチと色紙を頂いた。しかし、私の前に立つ三人のうち、他の二人の親密な目と違って、元子だけは顔色が悪かった。
随分と無理をしてくれているようだった。私が原因なだけに、色紙を頂いた事は嬉しかった半面、申し訳無い気持ちしかなかった。
最後、他の職員達が帰宅する時間になり、他の二人の後輩は改めて私に挨拶に来てくれた。とても嬉しかった。本当に慕ってくれていたのだと思う。
そして私自身が他の職員達に最後の挨拶に回る段階になって、元子のところに行こうとしたら、すっと去ってしまった。そんな私を、例の噂好きのおばさんが、物言いたげな目で見ていた。私は全てを察したし、ショックだった。さよならすら言わせてくれないのか。せめて、あなたにはそれだけは言いたかった。しかし、あの色紙を頂いた時で充分だったと思うべきなのだ。
色紙には、他の二人の後輩からそれぞれコメントがあり、片方の後輩からは「また飲みに行きたい」との旨だった。この後輩の娘は恐らく、私の事が好きなのだろうが、私は先輩と後輩の関係以上を求めるつもりはない。
更に例の元子からは「久木さんがが企画してくれた若手の飲み会で、他のみんなと仲良くなることが出来ました。今までありがとう」と書いてあった。私はとても表面的かつ、社交辞令的な文章に感じざるを得なかった。
しかし、これが元子の精一杯なんだとも思った。内心はこれ以上、関わりたくはない、しかし、他の二人と色紙を送る手前、この程度の事は書かねばならない。そう言った迷いが見えた。
元子に言いたい。あなたの誠意にありがとう、と。私のわがままのせいで、苦労をかけました。
どこかで、いや、今度の花見で、私のこんがらがったプライベート、家庭の話は、話しておくべきかもしれない。そしてだから、君が余計に好きになってしまった、とも伝えても良いかもしれない。もはや、元子とどうこうなることはない。失ってしまったのだ。彼女の信用を、信頼感を。
しかし、こうも思う。今さらになって、私の話など、きっと聞いてはくれないだろう、とも。
何にせよ、私は銀行に戻った。うたかたの夢は終ったのだ。そう、例の元子への不純だが一途で不器用すぎた恋は。