「落ち葉の証」 作者:如月 佑
「速報です。○○大学大学院の研究グループが、地球の引力が年々弱くなっていると発表しました。四十年後には、地球は完全に無重力の惑星になっていると考えられます。また、衛星が……」
あの日、地球が傾いた。世界が変わり始めた。
「たっちゃん、無重力になったら、家ってどうなるんだろう」
「宙にぷかぷか浮くんじゃない?」
「ローン払い始めたばっかりだよ。ぷかぷか代なんか払えないよ」
結婚二年目。私たちはようやく自分たちの家を買った。最初は誰も信じていなかったこのニュースも、一ヶ月も見ていれば実感がわいてくる。
「それよりさ」
たっちゃんはテレビを消して言った。
「俺は、秋がなくなるのが嫌だ」
「秋がなくなるの?」
「秋は英語でフォールだよ?」
「オータムともいうよ」
「落ち葉がみれなくなるんだよ? そんなの秋じゃないよ」
たっちゃんは秋が大好きだ。パソコンのデスクトップは年中紅葉の写真だし、オレンジと赤を見ると「秋みたいで良いな」って言う。
「あやちゃん、落ち葉見に行こう、今のうちに」
「落ち葉? まだ夏だよ?」
「大丈夫、行こう」
そう言って、ドライブに連れて行ってくれた。
山道を抜けると、まだ青々とした葉の覆い茂る森に着いた。
「別に枯れ葉じゃなくってもいいの!」
たっちゃんは言った。
地面に落ちた葉っぱを見て、嬉しそうにしているたっちゃんを見ていると、なんだか悲しくなってきた。
「また来年も見れるよ。もうすぐ秋になるし」
「うん、そうだね」
ひとしきり写真を撮った後、たっちゃんが言った。「俺たちがここに来た証を残そう! そして、無重力の世界になったら、ぷかぷか探しに来よう」
「それ楽しいね、しよう」
たくさん考えた結果、見つけた中で一番大きくて綺麗な葉っぱを、小枝で地面に貼り付けた。
「無重力に負けるなよー」
と言いながら、小枝をさすたっちゃんがなんだか可愛くて笑ってしまった。
世界が変わっても、たっちゃんがいれば怖くない。
数年後
私たちは、1人の娘に恵まれ幸せな生活を送っていた。重力がなくなっていく感覚は年々感じるようになった。身体が軽くなっていくことで自分が痩せたと勘違いしてしまい、食べ過ぎてしまう「無重力太り」が社会現象になったり、土地の価格が暴落したり、社会全体がなんとなく不安に包まれていた。
そんな中、たっちゃんが交通事故に遭い、この世を去った。
いきなりのことで困惑し、娘とともにたっちゃんの後を追ってしまおうかと何度も考えた。しかし、この子には素敵な人生を送って欲しいと強く願う。いつしか私は、娘と2人で生きていく覚悟を固めることが出来ていた。秋が来ると、たっちゃんがいてくれているような気がしていた。
十数年後
娘も成人し、家のローンも返し終わった。私はふとたっちゃんと見に行った落ち葉を思い出した。あの葉はまだあるのだろうか。世界は、重力の少ない暮らしに適応しつつあり、いつしか重力のない世界を懐かしむようになっていた。後数年で無重力になるらしい。もはや、それを疑う人はいなかった。
しばらくすると、娘も結婚し孫が出来た。孫の顔を初めて見たとき、「生きてて良かった、この子が生まれてきてくれて良かった」と涙がこぼれた。
五十年後
まだまだ元気なおばあちゃんとして、現役で働いている。移動は、車に代わる空中船が一般化した。ようやく運転に慣れてきた頃でもある。
この日は、久しぶりに顔を見に、娘夫婦の家に向かった。手土産のケーキを喜ぶ可愛い孫に、どのケーキが食べたいか尋ねると、「ショートケーキ!」というので、いつの時代もショートケーキが人気なのだと実感した。
「昔はね、お皿って言う平べったい器に、ケーキを置いて食べていたんだよ」
「そうなの?」
今、食事は、物を宙に留めておく「クリップ」のような物が一般化している。
「お母さん、そういえば、先週ハイキングに行ってきたのよ」
「まあ。お父さんも好きだったのよ! 今でもいけるのね」
「うん、それでね」
娘は小枝にささった大きく、しおれた葉っぱを持ってきた。
たっちゃんの声が頭に響き、自然と涙がこぼれた。