灰色の空
青空のど真ん中、
どれ程の人間が重なり合えば
手が届くのだろうかも
分からないくらいに高いところで
鳶が翼を大きく広げて飛んでいた。
鳶が鳴く。
その鳴き声に、どこか嘲りを
感じたのは、自分でも如何に
この状況が馬鹿らしいことを
自覚してしまっているからだろうか?
と、少女は平原の岩場に腰を下ろし、
齢十六になるにしてはやや低い背丈には
とても似つかわしくない、大きな銃を
抱えて、荒く息をついて思った。
『ナンシー!ダメだ!
パトリックがやられた!
撤退するぞ!!』
と、慌ただしく駆け込んで
来て同じように腰を下ろした男
ブレットは吐き捨てた。
歳は三十になるだろう大の男が
情けなく慌てふためき、逃げおおせようとしている。
少女、ナンシーは
口を一文字に結び、
続いて唇を噛み締めると
ブレットへの返答か、
はたまた八つ当たりか、
抱えた銃を構えて岩場を
乗り出して、敵陣へと
銃を撃ち放つ。
タタタと、軽快なパレードの
ドラムのような音と共に撃ち放たれた弾丸は、
目標に当たり血の花を咲かす…
かと思われた。
しかし弾丸は豆鉄砲でも当たったか
くらいの音を立てる。
目標はそれを気にも留めず、
右手を大筒を構え、
続いて"号哭"が聞こえた。
そしてナンシーとブレットが
いる岩場の近くが消し飛ぶ。
敵からの"レーザー攻撃"だ。
「あ――」という声が微かに聞こえた気がした。
近くにいた仲間がまるで、死ぬ直前の虫のような
悲鳴を一瞬あげて、そして焼き消えた。
…ああ、本当に馬鹿げている。
馬鹿げた戦力差だ。
舌打ちをひとつ、ナンシーは
それでも銃を撃ち続けた。
ナンシーの銃撃が敵にあたっては、
その何倍もの砲撃が撃ちはなたれ、
味方ばかりが死んでいく。
苛立ちを含めて、ブレットがナンシーを引き摺り降ろす。
『撤退だって言ってんだよ!』
『離せ!!まだ…!まだ皆の仇を!』
『弱い奴が言うな!!』
ブレットは、ナンシーを抱えて
一目散に走り出そうとして、
ブレットの右頬をナンシーの拳が
射抜いた。
ナンシーはブレットに一瞥も
くれず、退路を駆ける。
その様子にまたも苛立ちを浮かべた
ブレットだったが、不意に見えた
ナンシーの表情に、出かかった
罵声を飲み込んだ。
『…よぇんだよ、クソ』──
亡国スペシア共和国領、アイーダの街
かつて、トマトとスパイスの
名産地と呼ばれていたこの街は、
当時の面影は跡形もなく消え去り
傷病人と弾薬の寝床と化している。
昔は露店商たちと、踊り子たちの舞で
賑わっていたメインストーリーには
人影はほとんどなく、無惨に破壊された
街の亡骸が広がっている。
しかし街の中央に位置する大広間に
微かに人の息があった。
もっともそれも、今や風前の灯火と
なりつつあるが。
アイーダの街に防衛線を張る、
僅かな人類の生き残りと、
その精鋭たち[レジスタンス]の駐屯地だ。
アイーダの駐屯地に
何とか逃げ延びた、
ナンシーとブレットは
作戦室と呼ばれているテントの中で
地図を広げ、忌々しげな表情を
浮かべて、被害報告をあげていた。
『…パトリックは
なんとか一命を取り留めたが
目を潰された。
狙撃手はもういねぇ。
弾薬も食糧もありゃしねぇ。
次の戦いで、終いだ』
ブレットはそう言うと煙草に
火を着け、盛大に煙を吐く。
隣ではナンシーがむせこんで、
ブレットを睨む。
ブレットからの報告を受けて、
向い側では壮年の男性が、
俯き思惑に耽っている。
アイーダ駐屯地の兵たちをまとめる
司令官ジョージである。
もともとは自国の軍部の、
それも内地の防衛を任されていた
所謂エリートであったが、
人手不足を理由とされ、こうして
一戦に身をおくことになってしまった
実戦の経験もない、お飾りの哀れな司令官である。
「・・・敵の戦力は?・・・」
ジョージはなんとか毅然と振舞おうと、
振り絞り出た言葉がそれだった。
ナンシーは内心溜息をついて、目を伏せた。
ブレットは、ジョージの吐いた言葉に
噛みつくようにして答える。
「戦力だぁ・・・?
エリート様よ、てめぇの目で
確認してきやがれや。
こっちはライフルに、自動小銃、
大砲に狙撃銃引っ提げて
ヒーヒー言いながら戦ってんだよ!
それに対して、やっこさんはどうだ?
"空飛ぶの鉄の鳥"やら、"自力で動く鉄の戦車"!!
おまけに"魔法"だぞ!?
でたらめにもほどがあんだろうが!!
こっちは一方的にやられていくだけだ!
こんなのは"戦争"とは言わねぇ、"虐殺"ってんだよ!!」
八つ当たりにも等しい罵声が、
ジョージに浴びせられた。
ブレットはジョージと違い、かつては
傭兵を生業としていた男だ。
十代の頃から戦争を知っている。
それを証明するかのような大きな体から
溢れんばかりのオーラと、厳めしい獰猛な面構えが
今怒りでその獰猛さをむき出しにしている。
これには叩き上げの指揮官様はひとたまりもあるまい。
現に、ジョージはブレットの罵声にビクリと
肩を震わせたが、すぐさまハッとなって
ブレットに食って掛かる。
「だ、黙れ!!
口を慎め戦争屋めが!
私は指揮官だ!
この戦いを終わらせるために
兵をまとめ、作戦を練っているのだ!」
「だったら尚更!
もう少しまともな言葉や作戦でも
浮かびやしませんかねぇ!?
増援やら物資の調達やら、
いくらでもあるでしょうが!
まぁもっとも、見捨てられちまってんなら
仕方ないでしょうがねぇ?
こんな無能な指揮官なんざ、俺はごめんだ」
「き、貴様ぁ!!」
ジョージは怒りをあらわにするが、
相手が相手なだけに、しっぽをひっこめてしまっている。
ナンシーは見るに堪えず、相棒であるブレットを
置き去りに、テントを後にしようとした。
「はぁ・・・こんな時こそ
"勇者様"の出番じゃねぇのかよ」
テントの垂れ幕に手をかけて、一瞬足を止めるナンシー。
しかしすぐさま、バツが悪そうにして足早にその場から立ち去った。
テントがあった広間から少し離れた
街と平原を隔てる城壁の脇に設けられた
射撃場にナンシーはいた。
ぼろぼろになった目標に向かって、
不慣れな狙撃銃を構えて、懸命に射撃の訓練を
行っていた。
部隊一の狙撃手と言われていた、パトリックを
失ったのだ。この穴埋めは誰かがしなくていけない。
それは自分でなければいけない・・・
"役立たず"の自分が。
反動で身がよろめきながらも、
一心不乱に的への銃弾を放つナンシー。
それを後から来た男が諫めた。
「無駄弾使うなよ。
それに、お前さんにはそいつぁ
荷が重いと思うぜ」
そう言って煙草に火をつけ、
近くに投げ捨てられていた
木箱にドッと勢いよく腰を落としたのはブレットだ。
先ほどとは打って変わって、くたびれた顔を
浮かべている。
「うるさい、さっきまで
みっともない姿をさらしていた男に
言われたくない。」
「そいつぁ、悪かったな。
聞いてくれや、"懲戒処分"だってよ。
あのバカ、どうせ次の戦場にだって
出しやがるくせになぁにが処分だ。
温室育ちの言うことはほんと呆れるぜ」
「なら、次はより敵が近いところに
配置されるんじゃないか?
よかったじゃないか。早く死ねる。
私も、煙くさくて喧嘩っ早い男が
相棒だなんてごめんだね。
それより、こいつの使い方教えてくれよ。
あたりゃしないんだ」
そう言いつつも、
貴重な弾を装填しては、
一向にあたる気配のない
射撃を繰り返すナンシー。
しかし、ナンシーの投げかけに
答えることなく、ブレットは沈黙し
天を見上げて煙を漂わすばかりであった。
様子がおかしいと感じたナンシーは、
そこで初めて手を止めて、ブレットの方を見やった。
「・・・どうしたんだよ?」
ナンシーの問いにひと間置いて、
煙草を投げ捨てると、ブレットは口をついた。
「・・・そうかもしれねぇなぁ」
「おい、なにが・・・」
「俺は多分、次の戦いで死ぬ」
幾度となく戦場を駆けた相棒のブレット。
いかに絶望的な状況でも誰よりも的確に
戦況を見極め、一度ではあるものの
敵を屠ってきた歴戦の勇士が初めて見せた
絶望の姿。
ナンシーは、それがひどく許せなかった。
ずかずかとブレットに歩み寄ると、
細い少女の腕で、その胸倉をつかんだ。
「アンタ、何逃げ腰になってるんだよ・・・!
逃げる気か!!
司令官は確かに無能だよ。
でもアンタは違うだろう!?
この半年間、みんなアンタの背中を見て
歯ぁ食いしばってあの地獄を駆けてきた!
ギャリックも、パトリックも、死んでいった仲間が!
アンタこそ私たちにとっての・・・!」
「俺は"勇者"じゃねぇ、押し付けんな」
ブレットの目が、言い表せぬ表情を浮かべていた。
それは絶望か、諦観か。悔しさやそれこそ怒りも
あったかもしれない。
ナンシーはそれ以上言葉が出せなかった。
力が抜けたナンシーの手を振りほどくと、
ブレットは子供を諭すように、ナンシーに語り掛ける。
「あいつの言う通りさ。
俺は所詮、しがない戦争屋なんだ。
"勇者"なんかじゃない。
過去この世界が、滅亡の危機に瀕して
あんなおとぎ話しに出てくるような
化け物を相手取ってきたのは、
英雄や勇者たちだった。
そうでなくちゃ、あんなもんに
立ち向かえねぇからだ。
伝説の剣も魔法も、みんな勇者の専売特許だ。
俺たちは、ただの人間なんだよ」
2年前、突如として現れた、"異界からの侵略者"
見たこともない兵器を手に、瞬く間に一つ国を
滅ぼすと、次々と多くの国を、命を奪っていった。
しかし、この世界においてこれは初めての
出来事ではない。
数百年、数千年前にも
人類は幾度となく、"異界の侵略者"の魔の手に
脅かされてきたのだ。
その度に、武器を手に果敢に立ち向かっていったのが
[勇者]である。
時に剣を振るい、魔法を操り
幾度となく、世界の平和を守ってきた人々の希望。
人々はその意志を受け継ぎ、長いこと平和を
保ち続けてきた。
今回の戦いでも、人々は己を奮い立たせて
脅威に立ち向かった。
しかし、結果は見るも無残なものだった。
二十の国、数千もの街や村、何億もの人々
その半数が、たった一年の間に"半数以下"にまで
減らされたのである。
人々はそれでもなお戦い続ける中で、
次第に祈るようになった。
――勇者よ、来たれ、現れてくれと。
だが・・・
「勇者は一向に現れやしなかった。
あの無能司令官にあぁは言ったが、
もう、戦えるやつなんざどこにもいねぇんだよ。
・・・ナンシー、お前が一番よくわかってんだろ?
かつて世界を救った勇者の・・・
その末裔であるお前自身が!」
「私も勇者じゃない!!」
今度はブレットが口をつぐんだ。
相棒と呼ぶには、若すぎて
生意気で、それでも人の何千倍の努力を続けてきた
この少女の、初めて見せる涙だった。
「あたしだって・・・!戦いたいんだよぅ・・・!
でも!みんな、死んじゃった・・・」
あぁ、自分はなんてことをしてしまったのか。
押し付けていたのは、自分もそうではないか。
それも、本来なら戦う必要もなかったかもしれない
いたいけな少女に対して。
ブレットはどう話しかけたらいいかわからずにいた。
ようやく「ナンシー、俺は・・・」と言葉が喉から
絞り出たところで――
「あー・・・すみません、ちょっといいですか?」
突然の来訪者の声に、すぐさま腰から
小銃を抜き取ったのはブレットだった。
「なにもんだ!?」
ブレットに銃を向けられた、その人物は
銃を凝視すると、遅れて両手をあげた。
「あぁ、殺さないで!
俺はその・・・あやしいものじゃない、です。多分」
ナンシーは涙をぬぐい去ると、
すぐさまブレットに続いて銃を謎の人物に向ける。
一見すれば、人間に見える。
異界からの侵略者が言葉を話した記憶もないので、
こちらの世界のものである可能性はある。
しかし、ボロボロの外套で顔を隠していて
種族を判別できない。
武器は持っていないように見える。
歳は、自分と同じくらいだろうか?
男とも女ともとれるくらいに声が高く、
背丈はやや自分より高いくらいだ。
ナンシーは用心深く、相手の観察を続けた。
引き金に指を掛けるナンシーに対して、
手で静止を促すと、ブレットは謎の人物に対して
いくつか質問を始めた。
「どこの国の出だ?」
「えっと・・・
すみません、わかりません」
「わからねぇだ?・・・
ふざけてんなら撃ち殺すぞ」
「わぁー!!ほんとに!!
ほんとにわからないんです!!
気が付いたら荒野のど真ん中で、
人を探して歩いてきたんですぅ!!」
ナンシーは銃を下ろしてブレットに
近づくと、小声で語り掛ける。
「おい、こいつ、どっかの生き残りなんじゃ?・・・」
「油断してんじゃねぇ。
敵がどんな技術持ってるか、
こっちゃまるで知らねぇんだ。
人間そっくりの機械、なんてことも
あるかもしれねぇ」
次の瞬間、ブレットは小銃で
外套に隠れてほぼ視認できない
相手の顔すれすれに向けて銃を撃った。
ひと間置いて、撃たれたことに気が付いた相手は・・・
「ひぁ~・・・・」
と、情けない声を立てて、その場で気を失った。
「なんなんだ、こいつ・・・」
「とりあえず、運ぶぞ。
ナンシー手ぇ貸せ」
―――