C-x:調律師と屋敷の少年①
C-x:調律師と屋敷の少年①
トロイはルワーユの音楽家の家に生まれた。どこよりも美しく栄えた“永遠の都”、ルワーユ。そこで彼はわりと裕福に何不自由なく育った。彼は20歳を過ぎてルワーユでピアノの調律師として働くようになった。
ある日彼が仕事から家に帰ると、おぞましい光景が広がっていた。引き出しという引き出しがひっくり返され、ものというものが形を失い、家中がさんざんに荒らされていた。空き巣にでも入られたのだろうか、金品全てが奪われていた。そして、彼の両親の姿もなかった。
あとでわかったことだが、彼の両親は“世界溝”の淵で死体となって発見されたらしい。トロイは父と母を殺した犯人として疑われ、白狼騎士団に追われる身となった。勿論、彼は誰も殺していない。しかし、全てを失い追われる身となったとき、彼に出来たのはただ逃げることだけだったという。
彼ははじめて完全なる孤独を知った。頼れる親類などいなかった。友人に迷惑をかけることなど出来なかった。繰る日も繰る日も逃げて、少しずつ情報を集めた。あの日何があったのか、どうして父と母は世界溝で命を落としたのか。
人々が溢していく、飛沫のような情報から分かったのは次のようなことだった。
・その日の午前中、両親の様子は特に変わったことはなかった
・昼過ぎ、二人は急に世界溝へと何も持たずに歩き出した
・世界溝へ二人が飛び降りるところを目撃した人がいる
・淵にあった死体には特に何の外傷もなかったがびしょびしょに全身濡れていた
トロイはますます訳がわからなくなってさらに情報を得ようとした。
そして、その少年に出会った。曇天の空の下、ルワーユの人通りの少ない裏路地で。
青い瞳に黒い髪。完全に普段のドッペルと同じ姿だとトロイは断言する。
その少年はトロイを見るなりこういった。
「屋敷をもらってくれないか?10年以上空けることになる。ほら、家は住む人がいなければ腐るというだろ?」
今考えればなんとも怪しい言葉だったが、不思議とNoとは言えなかった。トロイは取り敢えずその屋敷に行ってみることにしたのだ。トロイはとても驚いた。そこは単に屋敷というより、城や豪邸といった方があっていたからだ。
「今日は君を客人としてもてなそう。なに、どうせここには俺しかいない。好きな部屋を使ってくれ。まあ、開かない扉もあるけど。で、明日答えを聞かせてくれ。ここを貰ってくれるかどうかの」
彼の言葉に嘘はなく、本当に他には誰もいないようだった。四階まである屋敷の部屋の数は数えきれないほど多く、一つ一つがとても広かった。少年は魔法使いで、全てを魔法で維持しているのだと教えてくれた。ここをもらってくれるなら望んだ料理が好きなだけ出てくる魔法のテーブルと、一生遊べるほどの金貨を好きに使ってもいいと言ってくれた。
こんなにいい話があるだろうか。トロイはだんだんと少年を疑い始めた。彼の言葉、彼の動き、そのすべてを注意深く観察した。観察して、分析して、見極める。けれど、それはとても無意味なことだった。屋敷の案内をする少年はどうしても子供だった。どんなに大人びた話し方をしても、その仕草、表情はまさに子供のそれだった。
ただの客人には豪華すぎる夕食のあと、トロイは少年に「トランプをしないか」と誘われた。
案内されたその部屋にはピアノがあった。特別有名なものというわけではなかったが、造りを見る限り、なかなかの一級品だろう。調律さえしっかりすれば、おそらく軽やかな音を響かせてくれるに違いない。
「いつもひとりだから、とても嬉しい」
少年はとても楽しそうだった。勝ったときには、頬を上気させ、声を高くして、高らかに笑う。負けたときには、頬を膨らませ、足をバタバタと暴れさせ上目使いにトロイをにらんだ。ひととおりトランプのネタが尽きたら、次はチェス、オセロ………と新たなゲームへ手を伸ばす。もうトロイも少年を疑いなどしなかった。ひとつ気になることがあるなら、彼の大人びた口調は一体誰をまねたものなのだろう、ということくらい。
トロイがトイレにたった時、少年はピアノを弾いていた。戻ってきたトロイはとても驚いた。とてもその少年が弾いているとは思えない、やけに深い、そして味のある大人びた音。真ん中のGとオクターブ上のFisのピッチがイカれていたが、そんなことお構いなしに彼は演奏を続ける。悲しい、けれど愛に満ちたバラード。どんな表情で弾いているのか、トロイが確認することはできなかった。
演奏が終わった。少年照れ隠しなのか舌を出して椅子から降りた。パタン、とピアノの蓋を閉じる。
「どうして、私を選んだ?」
トロイはその衝動を押さえきれなくなって、単刀直入に聞いた。
すると、彼はとても申し訳なさそうな顔をして言った。
「すまない。本当は全てを知っているんだ」
と。トロイは最初、何のことかわからなかったが彼が何か重大なことを話そうとしていることだけはわかった。静かに次の言葉を待つ。
「俺がここを出るのはルワーユをでて旅に出るためだ。これはちょっと前から考えていたことで、君とは全く関係がない。その準備をしているとき、君の家に事は起こった。ある術者が君の家族に魔法をかけた。世界溝を調べるため、無差別に人を選んだんだ。その結果、運悪く君の両親が選ばれた。噂通り、世界溝にはいった人間は生きて帰ることは出来ない。君の両親は死体となったあと、その術者に縁まで引き上げられた」
こんにちは。ななるです。
いまさらですけど………『世界溝』の読み方ですが、『トレンチ』でも『せかいこう』でも、どちらでも正しいです。作者もルビをつけたりつけなかったり、気分や雰囲気で変えてます。具体的な世界溝に関する説明は数話先でドッペルかリンナがしてくれるでしょう。ツイッターでも今回は『図』をだそうと思っているので、チェックしていただけたら幸いです。
さて、次回があれば、またお会いしましょう!




