31.深淵の森と老婆
さて昼間で何しようか、背を反らすようにして上を見上げた。もうそれは見事な針葉樹の森だ、散歩でもするかね。
事故で飛来してから、飽きるほど見た森なのだが不思議と嫌にならないものだ。それにしても獣の気配が全くないな、何か居そうではあるんだが…。少し奥まで行ってみよう。
いた。薄暗い森の景色に溶け込むかのような保護色で、見分けが付かなかったのかもな。鹿がいる、鹿を狩る狼たちもいる。こんなもの日本に居たらライブで観れないからな。エンドレス石器時代なら人間の狩りが見られそうだけど。
しっかりと森の中で命が循環しているのだろう。……なんだ?何か聞こえる。
『・・・・・けて・・・・・たす・・・て・・』
つい先程、狼が鹿の喉笛に噛みついたところだ。鹿の思念の残滓だとでもいうのか?
『・・・・はん・・・・ごはん・・・たべ・・・い・・』
今度は狼側の意思か、残滓って動物の言葉まで翻訳されるんだな。そういや他の残滓も翻訳されているよな、どういう仕組みなのだろうか。
彼らの生存競争に介入する気は更々ない、食物連鎖はこの世界に必要なものだろう。目を逸らさずに、一部始終を見届ける。
腹を満たしたのか、それとも足りないのかは不明だが、狼たちは森の奥へと消えていった。辺りには、さっきまで鹿だった血や肉の破片が散らばっているだけだ。
それからも暫く散歩を続けたが、特に何があるということもなかった。…そろそろ戻ろう。
ブランコの大木まで戻って来た、少女を待たせずに済んで良かった。俺の狂いに狂った時間の感覚なら、もう少しのはずなんだけどな。
少女が手を振りながらやってくる、こんなスケスケで正体不明の何かに笑顔を向けてくる。でも、嬉しい。
『まった~?』
なんだこのデートの待ち合わせみたいのは。
『う~んそうだな、待ってたよ』
そこまで待ってはいないのだが、女の子というのはそういった機微にうるさいので気を遣う。
『お兄ちゃんの話して!』
またなの?
『俺の話は昨日したろ?』
困ったな、雑談なら大歓迎なんだが語るのは正直厳しい。
『ん~、お兄ちゃんは勉強してるの?』
勉強ね、訓練ならしてるが…余りに身になってない、今回の事故もあるし。
『じゃあ、その話をしよう』
少女はコクンと大きく頷いた。
『う~ん、そうだな。俺は神になってしまったということを、他の神様に教えてもらったんだ。しかし、その神様も俺がどんな神なのか知らなかった。
だから俺は「何の神なのか?」を調べることになった。最初は何が何だかさっぱりわからなくてね、涙が出そうになったこともある。
それでも続けた、俺が人間だった頃の言葉に「継続は力成り」って言葉もあったからね。何にせよ続けるってのには根気も必要だからね。
それに並行して訓練もした。俺にはさっぱり使い方の分からない力だからね、基本を教わって徐々に慣らしていった。
まぁでも何だ、特に無理したつもりは無いんだが、失敗しちゃってここに居る訳だけどね』
少女は静かに聞いてくれた。
『失敗しちゃったんだね~』
他人に言われると凹むな。
『ああ、失敗した。でも、失敗から学べることもあるんだよ。
失敗の原因はイマイチ分からないけど、他の色々なことが分かったよ。たまには失敗するのも良いものだ』
負け惜しみを含めて話した、少女は不思議そうな表情をしている。大人気ないおっさんだこと。
『話は変わるが、ここには二人だけで暮らしているのか?』
『うん、お祖母ちゃんと二人だけ。近くの村に叔父ちゃんが住んでるの』
近くの村ってあの辺鄙な集落のことか、それにしても両親の話題が出ないってことは、そういうことかもな。気を付けておこう。
『婆さんとも少し話をしたいのだが、招待してくれるかい?』
『いいよー、いこ』
ブランコの大木から移動する。ちょっとした悪戯で少女を空中に浮かべ、一緒にフヨフヨしながら進む。相変わらず遅い。
『飛んでる~!おもしろ~い』
少女は軽いので、移動するだけで消耗しない。
家の前に到着する、家というか小屋なんだがね。少女をゆっくりと降ろした。
『ただいま~お祖母ちゃん。神様つれてきた~』
『……あらまぁおかえりなさい。神様もいらっしゃいませ、狭い家ですがどうぞ』
婆さんは、奥で作業でもしていたのか少し遅れて出てきた。
『突然すまないね、少しあなたと話をしたくてね。今大丈夫かい?』
『こんな所で立ち話もなんですから、どうぞ中へ』
『では、お邪魔するよ』
中に入らせてもらった。俺はどうでもいいが、婆さんは座らせた方が良いだろう。
小屋の中は、想像していたより広い。二人暮らしなら十分だろうか。
『悪いが少し質問がある。その子には聞かせたくない、声に出さないでくれよ』
念話なので婆さんが声にしなければ、いくらでも内緒話は出来る。
『はい、わかりました』
婆さんは頷いてくれた。
『あの子は孤児か?』
『いえ、私の孫です。両親は流行り病で亡くなりました』
婆さんが目を伏せた。
『それは悪いことを訊いてしまったようだ。
話を変えよう。この森少し見て廻ったのだが、やたら人の手が入っているな、どういうことだ?』
散歩しながら不思議に思ったことを尋ねる。
『この森が深淵の森と呼ばれる理由と関係があります。
この森の奥には、あなた様のような神が存在します。神は数十年に一度集落に現れ、生贄を召されるのです』
『酷い話だな、俺は余所者だから手出しも口出しもしない。ここにはここの遣り方があるだろう。
ただ一つ訊きたい、あの子は贄か?』
『いいえ、あの子は私の後継者です。いずれこの森の管理をすることとなるでしょう』
後継者か、なら一安心だな。情が移ったとでもいったところだ、流石に生贄にされるのは不憫だからな。
『…俺には名が無いのだが、あなた達が名を告げないのはそのことと関連があるんだな?』
『神に名を告げたものは贄とされてしまいます。そう伝えられています』
婆さんはそう答えると、頭を下げた。
『いや、気にするな。先程も言ったように余所者だ、完全に関係がない神だ。
それに風習というものはそう簡単に変えられまい、例外であれ変えてしまうのは危険を伴うだろう。
だから、あなたたちは名乗るな。それでいい』
俺は両手を前に出して、横に振りながら気にするなと訴えた。とても難しい話だ、ふいに現れた俺が口を出していいのもではない。
人間でしか無かった頃なら、馬鹿げていると一蹴しただろう話だけどな。
婆さんは再び頭を下げた。年寄りに頭下げさせ捲って、悪い奴だな俺って。
『答えてくれて、ありがとう』
礼を述べて、俺は婆さんに頭を下げた。少女に切り替えて言葉を掛ける。
『今日はこの辺で失礼するよ、ブランコの所に戻るからね』
婆さんに目礼し、少女には手を振った後、そのまま扉をすり抜けてブランコの元に戻ってきた。
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