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六話

 美春はひとしきり泣きじゃくって、ようやく落ち着いた。

 この先、自分はどうすればいいのだろうか。闇に包まれながら出した答えは、『ここにいてはいけない』、その一点だった。


 自分に対する違和感を示す人間が多くなれば、学校や近所で騒ぎになるかもしれない。もしも両親や優子に、自分がもう死んでしまっているのが知られて、()()目で見られたら? 怯えられてしまったら? ──きっと自分は耐えられないだろう。


 答えを出した事で、ようやく一歩進める気がした。


 貯金額を思い出すが、何年も暮らして行ける程ではない。だいたい家を出て、どこへ行けばいいのか。ビジネスホテルやネットカフェに行くと言っても限度があるだろう。大人びた外見をしていない美春では、明らかに家出娘にしか見えない。


 ……チリリ、と琥珀に貰った根付が鳴った。

 貰ったその日から、スカートのポケットに入れたまま忘れていた。

 何度か洗濯したはずだが、母も気づかずにいたのか、ずっと入ったままだったのだろうか…。取り出した根付は、そんな扱いにも関わらず美しいままだった。そっと揺らすと、チリリンと可愛らしく澄んだ音を奏でた。


 結局、今の美春が頼れるのは琥珀しかいないのだった。




 心は決まったものの、まだ決定的に学校と決別も出来ず、昨日の連中に出会う事を恐れながら一日を過ごした。ようやく放課後になり、部活に向かう優子に別れをつげ、神社へと向かった。

 鳥居の前に立つと、携帯につけた根付けがチリン、と澄んだ音を奏でる。すると、鳥居の向こう側があちらへ繋がったのだと分かった。


 玄関の前で躊躇ちゅうちょした。ここまで来たのに、未だに決意が揺らぐ自分にあきれてしまう。

 深呼吸して、呼び鈴を探したが見当たらない。やむを得ず、古臭い引き戸をガラガラと開け、おずおずと声をあげた。

「……こんにちは」


 人の気配の感じられない屋内に、美春の声が響く。しばらく立ちすくんでいると、チャッチャッチャッ、という音が屋内から聞こえて来た。

 音の主は、白と黒の子狐二匹だった。木の廊下と爪が鳴らす音だったのだ。前回来たときは軽やかに飛び跳ねて来たのに、迎える者が違うと足音まで変わるのか。


「なんだお前か」

「なんだ美春か」


「こんにちは。…琥珀は、いますか?」

 主を呼び捨てにする美春を気に入らない様子の子狐達だが、琥珀の元へ案内してくれた。


 初めて来た時に通された和室。その部屋のソファで、琥珀は横になっていた。うっすらと目を開けてこちらを見る。

「……なんだ、あんたか」

 相変わらず気だるそうに言う琥珀。子狐達と同じ口調に少しおかしくなった。

「あの…ね、琥珀。私ここに来ちゃ、駄目かしら」

「好きにすれば、と言っただろう。二尾にび三尾さんび、空いた部屋教えてやれ」

 余りにもあっさりと受け入れられて、美春は拍子抜けした。



 この家の作りはどうなっているのか。明らかに外から見た大きさとは釣り合わない位、奥へと長い廊下が続く。

 先導する二匹に六畳の和室に案内された。押入れには布団が一組入っており、小さなタンスや鏡台まであった。

 二尾、三尾等という呼び方は可愛くないな、そう思った美春はこまっしゃくれた子狐達へのお返しも込めて、呼び方を変えてみた。

「ありがとね、黒、白。今日は一度、家へ帰るわ」


「黒って何だ!?」

「白だなどと失礼だ!」


 抗議してくる小さな二匹に美春は思わず笑みをこぼし、きちんと一礼した。

「明日から、よろしくお願いします」


 二匹は揃って、ぷいっと顔を背けた。

「…仕方がないから、受け入れてやる」

「…仕方がないから、色々教えてやる」


「ありがとう」





 今日は町に寄らず、まっすぐ家へ向かった。

 帰り道にスーパーへ寄り、夕食のおかずを買う。献立は、煮込みハンバーグ・玉ねぎスープ・ポテトサラダだ。美春が作れるおかずの中で、一番の自信作。いつも両親が喜んでくれる献立だった。


 ちょうど出来上がる頃に、珍しく両親がそろって帰宅した。

「ただいま、美春。うう~ん、いい匂いがするわ」

「お帰りなさい」

「ただいま。おおっ、今夜はごちそうか!?」

「久しぶりに食べたくなって、頑張っちゃった」

「食欲が出てくれて嬉しいわ」


 大きな鉢にポテトサラダを盛り、どんと中央に置く。この青い大鉢は、一品を盛って皆で取り分けるのに活躍している食器だった。

 後はスープとハンバーグをよそおうとして、美春は気づいた。

「……あ、ご飯炊くの忘れた」


「ぷっ、美春ったら」

「どこか抜けてるんだよな」

 あははと両親が笑い、ムッとした美春も終いには笑い出した。

 笑いすぎて、美春は涙が出た。


「よし、父さんがご飯を炊いといてやる。美春と母さんはお風呂へ入っておいで」

「そうね。久しぶりに母娘で入ろうか」

「お風呂はちゃんと洗ってあるよ」

「……米は洗わなかったのになぁ」

「お父さんったら、ひどい!」


 母の背中を流し、二人では少し狭い浴槽に向かい合ってつかる。

「ああ~、こんなにのんびりしたのは久しぶりだわぁ」

 母はううん、と伸びをした。

「ねぇねぇ、美春。仕事が片付いたら、三人で旅行に行こう! 温泉もいいし、いっそのことヨーロッパとか行って見る?」

「ヨーロッパ!? そんなにお金あるの?」

「これだけお父さんと頑張ったんだもの。残業代とか、ボーナスとかね。有給もたまっているし、行きたい所を考えておいて」

「そうだね。行ってみたいな」


(──行って、みたかったな)

 涙で潤みそうになった美春は、お湯をすくって顔にかけた。




 食事は美味しく思えた。

 三人で囲む食卓が楽しくて──。

 味はしなくても、その空気が美味しく感じたのだろうか。


 お休みなさいと挨拶をし、自室に入った。

 美春は押入れの奥から、中学時代の修学旅行で使った旅行鞄を取り出す。下着や着替え、必要と思えるものを詰め込んで行く。お気に入りの本を一冊だけ選び、家族の写真を何枚か挟んだ。


 今日がこの部屋で過ごす最後の夜。そう思うと、中々寝つけなかった。




 翌朝、母の作ってくれたお弁当を持った。

 明日はたくさん食べたいの、そう言って作って貰ったお弁当だ。母は張り切って、たくさんのおかずを詰め込んでくれた。いつもよりも重たいお弁当をしっかりと持ち、両親に挨拶した。

「行って来ます!」

「行ってらっしゃい」

「おう」

 母のいつもと変わらない声と笑顔。父の、眠気が冷めやらず腕を上げるだけのその姿を、美春は胸に刻んだ。





 ──いつも通りに時間は過ぎる。


 お昼休み。

 優子とお弁当を食べた。色とりどりの冷凍食品が詰め込まれたお弁当。冷凍食品でも栄養バランスを考えてくれたお弁当には、野菜の煮物やサラダも入っている。出汁巻き卵は母の手作りだ。甘くない卵巻き、美春の大好きな母の味。

「美春! 今日はしっかり食べてるね!」

「うん、昨日からね。久しぶりに煮込みハンバーグ、作っちゃった」

「おお~。美春の得意料理とやらだね。一回食べさせて貰わないと!」

 それには答えず、「でもご飯炊くの忘れちゃって」と笑って見せた。

「美春って、ほんと抜けてる…」

「うう…、お父さんと同じ事言わないで」


 学校の、どこかピリピリとした空気は変わらない。

 美春に対する、どこか恐れるような視線も感じている。


 ──だけど、気付かないふりをして、今この時を刻みつける。




 優子は部活へ行った。「久しぶりに一緒に帰りたいのになぁ」と抱きつかれたが、試合が近いとかで部活の先輩に引きずって行かれた。その姿に笑いながら手を振った。


 玄関を出て、校舎を見上げる。

 楽しい思い出よりも、つらい思い出が増えてしまった学校。それでも、目に焼き付けた。


 校門を出てしばらくして、「美春ちゃん!」と呼ぶ声がした。

「──山本先輩」

「何だかものすごく久しぶりだね。元気だった?」

「はい」


 山本は委員会で顔を合わせる先輩だった。学校の行事で三学年合同で対戦する時には、必ず同じチームになる事から、顔を合わせる事が多く自然とよく話すようになった。

 背が高くスポーツマン。顔立ちも整っている山本は、女生徒から人気が高かった。

 美春は、まさか自分が告白されるとは思いもよらなかった。告白された時は本当に驚いて思わず断ってしまったが、嫌いで断ったのではない。断った後も、優しく声をかけてくれる大好きな先輩である事は変わらなかった。

 もう三年生は、部活は引退している。帰宅時間が一緒になったのだろう。


「あれ? 何だか雰囲気が変わった?」

 美春はドキッとした。悲鳴を上げて逃げられる事はあったが、変わらずに話しかけてくれた山本に安心していたのに、やはり何か感じるのだろうか。

「何か…違いますか? 私」

「う~ん。きれいになったよ」

「え、ええっ!? な、何を言って!?」

 慌てる美春を、優しいまなざしで見つめて来る。

「美春ちゃんの周りの空気が、とても澄んでいる気がする。元々隣にいると、落ち着いた気持ちになれたけど、それがもっと洗練された感じ、かな」


 自分の事をそう言ってくれる山本は、どれだけ良い人間なのだろうか。琥珀が言っていた、自分は清浄な気を放っていると。自分を怖がる人間の、なんと多かった事か。それを感じてなお優しく接してくれる。

「──先輩の方が、きれいです」

 美春は小さくつぶやいた。

「美春ちゃん? 何て言ったんだい?」

 山本は、不思議そうに美春を見た。そんな山本の目をじっと見つめた。


「ねぇ先輩。私が人間じゃなかったらどうします?」

 山本は目を瞬いた。

「どういう意味? そんな事を言われても分からないな」

 真剣なまなざしを向けて来る美春に、山本は真剣に答えなくてはならないと感じた。

「そうだね、もし美春ちゃんが人間じゃなかったら、か。──僕の前にいる美春ちゃんは、変わってない。僕が好きな、優しい美春ちゃんのままだ。それじゃダメなのかな?」


 変わっていない、その言葉が嬉しかった。

「──ありがとう先輩。さようなら」

「さよなら、また明日ね」


(さよなら…、もう……)



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