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五話

「あ…。はぁはぁ……」


 美春の体に力がめぐって行く。あれだけ力が抜けていたのが嘘のように、全身が何かに満たされて行くのだ。

 目を開くと視界がクリアだ。町の雑踏も、嫌になるくらいに良く聞こえて来た。


 ──琥珀の姿はいつの間にか消えていた。


(血を飲んで回復するなんて……。私…、吸血鬼みたい……だね)


「ふ、ふふっ……。あはは…、あはははははっ」

 公園の闇に、美春の笑い声が流れて行った。





 翌日も美春は、気味が悪いくらいに体調が良かった。

「今日は顔色いいじゃない! 良かった。ずっと心配してたんだよ」

 優子が嬉しそうに言ってくれた。

「……ありがと」


 昼休み後の移動教室。先生につかまり教材運びを手伝った美春は、1人廊下を急いでいた。

 前から少女が歩いて来る。うつむき加減の少女が、ふと顔を上げて美春と目が合った。

「ひぃっ!?」と、少女は飛びずさった。

 廊下の壁に背をつけ、がたがたと震えている。見た事もない生徒だった。人の顔を見て悲鳴を上げるなんて、何なの? イラついた美春が少女をじっと見返すと、顔がどんどん青ざめて行く。

 その顔色の悪さに、心配になった美春は「大丈夫?」と少女に近づいた。


「い、嫌…。来ないでっ!!」

 少女は悲鳴を上げて逃げて行った。





 ──その日から、自分を遠巻きにする人に気付く。こちらを見てひそひそと話しているのだ。

(何、何なの…?)

 自分はどこか変なのだろうか。

 変わらずに接してくれる人もいるけれど…。美春を焦燥感が襲った。


 相変わらず家に帰る気がしない夕暮れ時。

 注意して町を歩けば、同じ態度をとる人に気付かされる。外でもいたたまれなくなった美春は、家に帰る事にした。


「あら、美春…ちゃん?」

「こんばんは。森田さん」

 森田は、美春が子供の頃から可愛がってくれていた、近所の主婦だ。

 それなのに…。

 なぜ、どうして後ずさって行くのだろうか…。

「森田…さん…?」

 美春から、自分が出したとは思えない、か細い、泣きそうな声が出る。

 一歩森田に近づくと「ひぃっ!?」と、どこかで聞いたような悲鳴を上げて、森田は自宅へ駈け込んで行った。


 閉められた扉がにじんで見えた。





 惰性で学校にやって来たものの、教室に行く気にはなれなかった。

 先生に見つからない校庭の隅にでも行こうかと、1階の廊下を歩いていた。その時、向こうから歩いて来た男子生徒と目が合った。先日の少女を思い出し、思わず美春は身構えた。

 だが、男子生徒は逃げずに近づいて来た。

「何だぁ、お前。気持ち悪い奴だなぁ」

「何ですか…急に……」

 不良っぽい少年だった。顔を醜悪にしかめながら、美春に近づいて来る。


 気味が悪いから近づかない。気味が悪いから排除する。

 少年は後者だった。美春の腕をつかむと、殴ろうとして握りこぶしを振り上げた。

「やめてっ!」

 とっさに美春は目をつむり、腕を振り払った。


 ガシャーンッ!


 ガラスの割れる音が辺りに響き渡った。

 目を開いた美春の前に、少年の姿はない。

 目の前の窓枠がひしゃげ、ガラスが割れていた。ガラスに赤い液体がついていて、とろりと流れていく。

 ガンガンと血が脈打つ音が聞こえる。


「いてぇよぉ…」

 窓の外から、弱々しいうめき声が聞こえた。

「生きてた……」

 美春はホッとして、次の瞬間青ざめた。


 ──自分は何をしてしまったのか。


「何事だ!?」

 人が集まって来る。美春は立ちすくんだまま、動けずにいた。

「山瀬? 何があった!?」

 真っ先にやって来たのは、美春の担任の安西だった。

「先生…、私…、分からない…」


 何が起こっているのか。自分が何をしてしまったのか。分からなかった。

 窓の外から叫び声がした。

「おい! 救急車を呼んでくれ! 生徒が怪我をしている!」

「すぐ呼ぶ!」

 先生は携帯を取り出した。

「山瀬。話を聞きたいから、そこで待っていてくれ。……あ、もしもし、救急車をおねがいします」


 美春は何もかもを振り払う様に、駆け出した。

「おい! 山瀬!」

 先生の呼ぶ声が、遠くに聞こえた。





 学校から親に連絡が行っていたら、そう思うと家にも帰れない。

 どうしたらいいのか分からず、やって来たのは中央公園。まだ明るいが、琥珀に血を貰った建物と木々の間は人目に付かない。美春はそこへ入ると、うずくまった。


 どうしよう、どうしよう、と思考が悪循環を繰り返す。


 谷村の姿が浮かんだ。どこか人の物とは思えないその動き。それに対処出来ていた自分。

 もしかしたら、普通の人から見たら違和感を感じるのかもしれない、自分に…。

 人から離れている自覚は芽生えていた。けれど、決別する決心はつかなかった。

 もう、ここにいてはいけないのかもしれない。学校にも、家にも……。そう思っていても、まだ心を決められない。


「あんたってさ、芸のないしもべだよね。先に進む気はないわけ?」

 否応なしに聞きなれて来た、冷たい声が落ちる。

「──琥珀」

 顔を上げると、気だるそうに木に寄りかかる琥珀がいた。

 呆れたようにこちらを見る視線にかっとなった。

「どうして…。どうしていつも、私が困っているのが分かるのよ!! 私の事を見張ってるの!?」

「はっ、うぬぼれにも程がある。見張っているだって? 僕があんたを? ずっと? 前にも言っただろう。僕はそんなに暇じゃない。不本意だけどさ、使鬼とあるじは繋がっている。あんたが僕を呼んだのさ、『助けて』って、ね」


「私が…、呼んだ?」

「そう。無意識に呼びたくないのなら、力の使い方を覚えなよ」

 自分が助けを呼んだと言われても、まるで実感がない。

 美春は琥珀を見た。初めて出会った時と変わらない、冴え冴えとした美貌。こちらを人と思っていない、冷たい眼差し。美春の主だと言う少年。最初に出会った時は琥珀色の瞳に見えたのだが、陽の光の下では瞳の色は黒く見える。



「で? 何を暗くなってるのさ」

 面倒くさそうに聞いて来る琥珀。

「………」

 答えず顔を埋める美春に、琥珀はわざとらしく深々とため息をついて見せた。

「あのさぁ、神気で使鬼になったあんたと、ただの傀儡を一緒にしないでくれる? そいつ等が違和感を感じたのは、神気にだ。さぞかし怠惰な生活を送っていたんだろうさ」

「……だって、気持ち悪いって言われたもの」

「神気にあてられて気分が悪くなった、それだけだ。怠惰な生活を送っている者、人に悪意を持っている者、人をうらやむ者、自分だけが可愛い者。あんたを見て変な顔になるのは、みんなそう言う奴」

「そんなの、私だって人をうらやましいと思う事あるわ。それくらいで…」

「一線を越えた者に、清浄な気は耐えられない」


「そう…なの…?」

 美春は自分の両手を見つめた。清浄な気などと言われても、全く実感がわかない。

「くくっ、あんたが清浄だっていうのが、一番おかしいね」

「自分でもそう思う」

 真顔で言い返してやると、琥珀はつまらなそうな顔になった。

「あんたを殺した奴は、近づいて来るか?」

 美春は首を横に振った。

「そういう事だ。態度の変な奴は、みんな一線を越えた加害者かもね」


 廊下ですれ違った少女、可愛がってくれていた森田、そして怪我をさせてしまった少年。


 ──加害者? 祐里奈が私を殺したみたいに、誰かを殺したの?


「琥珀」

「……何」

 何と返されても、何を言えばいいのか分からなかった。自分はどうするべきなのか、どうしたらいいのか、まるで判断出来ないのだ。

「何度言わせる。僕は好きにしろと言った。あんたを縛る気はない。──そして命令してやる程、優しくない」

 琥珀はそう言い残すと、どこかへ去って行った。





 美春は恐る恐る帰宅したが、母は変わらない態度で迎えてくれた。いつもより遅くなった事でお小言を貰ったが、それだけだ。

 学校からの連絡はなかったのだろうか。


 その日から美春は学校に行く気になれず、体調が悪いと家に閉じこもった。


 優子から何度も携帯のアプリにメッセージが届く。

『大丈夫?』

『何かあったの?』

『お~い。美春~』

『美春ちゃんってば!』

『既読にはなるから、見てるんだよね?』

 プンプン怒ったキャラクターのスタンプが、間にはさまる。

『安西先生は体調が悪くて休んでるって言ってたけど』

『体調どう?』

『ご飯は食べてる?』

『もう! 返事もくれないなんてさ。何かあったなら相談してよね!』


 心配してくれるメッセージを何度も見返して、ようやく電話した。

「美春!? 大丈夫? 体の調子は? 何かあったの!?」

 矢継ぎ早に聞かれた。

「うん…、ちょっと体調悪かっただけ。もう大丈夫。ね、学校で何か起こらなかった?」

「雰囲気が悪いのは相変わらずだよ。悪化、してるかな。他には…、そうそう。不良同士の喧嘩で上級生が1人、病院に運ばれたって聞いたよ」


 そんな話になっているのか。

 学校に行けば安西先生に呼び出されるだろうが、そこまで問い詰められる事はないかもしれない。

 優子と話した事で少し安心した美春は、ようやく学校に行く決心がついた。




 久しぶりに登校した。

 雰囲気は悪いが、いつもの学校だ。美春は覚悟していた通りに、安西先生に呼び出された。

「怖くてショックだったのは分かるが、出来れば残って状況を説明して欲しかったぞ。まぁ、目の前で乱闘騒ぎを見てしまえば、怖かったのも仕方ないがな…。もう大丈夫か?」

 そういう話になったのか。

 あの少年がそう話したのか? どういうつもりで?


「……大丈夫です。ご心配おかけしました」




 何事もなく数日が過ぎたある夜。いつものように町を歩いていた美春は、少年たちに囲まれた。

「お前か、慎吾が言ってた奴は」

「うわぁ~、ほんとだ。こいつ気持ちわりぃ!」

「なぁ、俺こいつに触るのやだぜ?」

「あんだけ女に触りたがるお前が、嫌がるなんてな~。あ~、でも俺もやだわ」


 囲まれた事の怖さよりも、投げつけられた言葉にさすがに腹が立った。

「人のことを気持ち悪いとか、失礼でしょう」


「うわぁ、しゃべった!?」

「声も気持ち悪~い」

 美春は唇を噛み締めた。

「何か用ですか?」


「用? 分かってんだろ? 慎吾の慰謝料を払ってもらわねぇとなぁ」

「あんたがボロボロになった写真持って、見舞いに行くのさ」

「治療費なら請求してくれれば、払います…」

 さすがに怪我をさせた責任は感じていたのだ。

「金はいらねー。アイツんち、金持ちだからよ。あんたの写真が一番さ」

「ホントは~、あんたで楽しんだ写真にするつもりだったけど~。これじゃね~、その気になる奴いないよね~」

「無理無理! これに突っ込むなんて、ないわぁ~」


「だけど。殴るくらいなら、我慢できるよなっ!」

 言って1人の少年が殴りかかって来た。

 美春はじっと動きを見て避けた。

 目をそらしたら駄目だ。不用意に振り払ったら、今度こそ殺してしまうかもしれないから。美春は暴力とは縁遠い生活を送っていた。運動神経も並みだ。だが、少年の動きは緩慢に見え、避けるのはたやすかった。


 避けられた事に腹を立てた少年達は、一気に向かってきた。

 美春は手加減して払い、あるいは避けて、その場から逃げ出した。

 本気で走った美春に追いつける者はいなかった。





(また、ここに来ちゃった……)


 中央公園の暗がりが、美春を優しく包んでくれた。

 怖かった。悪意をまともにぶつけられ、睨みつけられ、そんな経験のない美春は、今になって体の震えが止まらなかった。

 使鬼は主と繋がっている、琥珀の言葉を思い出す。

(……呼ばない。あんな奴に助けてなんて、思わない!!)

「う、うぅ…」

 うずくまった美春は、嗚咽を漏らした。




(──だだ漏れ。めんどくさ)


 琥珀は、うずくまり肩を震わせる美春をじっと見て、夜の闇に消えた。




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