メビウスゲーム
パソコンの隅っこで眠ってたやつを発掘しました。
『神の山』の頂上で、少女クロエは倒れている少年を見つけた。
長く続いた冬の終わりの事だった。頂上には温かな雪のじゅうたんのように、一面に白い花が咲いていた。クロエは自分の住む山小屋に、少年を運びこんだ。
目覚めた少年は、ぼんやりとした口調で問いかけた。
「……君は、誰?」
「私? 私は、花守のクロエ。あなたは?」
少年は黒々としたつぶらな目をまたたいて、栗色の髪を揺らして起き上がる。少しはっきりしてきた声音で、少女を見つめて返事をした。
「コータ」
「そう、コータ」
クロエは答えを知っていたような口ぶりで呟いて、どうしてか、ひどくなつかしそうに微笑んだ。コータは黙って花守と名乗る少女を見つめた。
色の抜けた白い髪に、透き通るくらい白い肌。
クロエは、山に咲いている花そのもののように思えた。
その花が、また穏やかに口をきいた。
「ここへは、何をしに?」
「……山のふもとの国を治める王様が、この山の花が見たい、って。だから行って採って来い、って」
クロエが、口元を緩めて苦笑する。
「無理だわ。あの花は、この山の澄んだ空気と、石くれの混じった土とでしか咲けないの。城の庭の濁った空気と、草を抜かれた土とでは、すぐにしおれて枯れてしまう」
「でも……」
言葉につまったコータが、ふいに、ぱっと顔を上げた。
「じゃあさ、しばらくここにおいてもらえない? 僕、その間にあの花を枯らさず城に咲かせる方法を探すから」
クロエは一つまたたきし、柔らかく微笑してうなずいた。
季節が一回りし、次の春が来た。
頂上の花は枯れなかった。実を結ぶ事も、種をつける事も全て忘れたように、ただ美しく咲き続けた。秋は冷たい風に吹かれ、雪が降れば雪の下で、魔法のように咲き続けた。
「不思議な花だね。僕と君以外、見るものもいないのに」
「花は咲くことが嬉しいの。花守が一人そばにいたなら、それで満足なの。誰が見るとか見ないとか、気にもしないで咲いているのよ」
水晶のような透き通る目をして、クロエがささやく。真っ白な彼女に言われると、まるで花そのものに告げられているようだった。
コータは幸せだった。
幸せだったが、淋しかった。
山の暮らしにもだいぶ慣れたつもりだが、ふもとの国の人波もやはり恋しい。国へ残してきた両親のことも気になって、少年は日ごとに口数が少なくなっていった。
ある日、クロエが何気ないそぶりで、そっと訊ねた。
「どうかした? コータ。このごろ何だか元気がないわ」
「うん。……実はね、故郷へ帰ろうと思ってるんだ」
クロエは淋しそうに微笑して、まつ毛の長い目を閉じた。また開かれた水晶の瞳は、わずかな翳りを帯びていた。
「見つかった? ……花が枯れない方法は」
「見つからない。でも、そんなのはどうでも良いんだ。あの言葉は君と一緒にいるための、ただの方便だったから」
コータはクロエの手を取って、細い指先に口づけた。
「クロエ。僕と一緒に山を降りて。両親に君を会わせたい」
花守姫はとまどったそぶりで視線を泳がせ、ほろほろと崩れるような声音で訊いた。
「でも、山を降りたら、どうなるの? 王様の命令は?」
「どうせくだらぬ戯言だ。王様ももう、花のことなんて忘れているよ」
コータは無理やりにクロエの手を引いた。
少女はあきらめたように、ふっと身体の力を抜いた。
山の頂上から一歩外へ踏み出したとたん、クロエの手のひらがぱ、っと散らけた。驚いて振り返った少年の目に映ったのは、さっきまでクロエだった白い白い花びらが、雪と舞い散るさまだった。
この花は、ここでしか開かない。
花守のクロエも、いつしか花と同じように、ここでしか生きられなくなっていたのだ。
(あなたの、番よ)。
クロエの声が、少年の頭に淡く響いた。
「……僕の、番? そうか。今度は僕が、白い花の花守になるんだね……」
コータは微かに笑いながら、顔をおおってしゃがみこむ。
花守になる運命をけって、山を降りる事は出来ない。
足元に広がる、憎らしい白い花の海。その存在だけが、愛しいクロエを思い出す、たった一つのよすがだから。
コータがく、く、っと小さく声をもらす。少年は幼く細い肩を揺らして、笑いながら、泣き出した。
コータが次の花守になって、もう何年が過ぎたろう。
花に同化してきたのか、栗色の髪と黒い瞳は、透き通るくらい色が抜けた。
浅黒かった肌も、雪のように白くなった。歳をとることも忘れて、少年は幼いままの姿で白い花の花守をし続けた。
そんなある日、コータは花の中に倒れている少女を見つけた。
長く続いた冬の終わりの事だった。
少女の髪は、闇を染め抜いたように黒かった。だが、少年は彼女の姿に見覚えがあった。
コータは自分の住む山小屋に、少女を運び込んだ。目覚めた少女は、ぼんやりとした口調で問いかけた。
「……あなたは、誰?」
「僕? 僕は、花守のコータ。君は?」
少女は栗色の目をまたたいて、黒髪を揺らして起き上がる。少しはっきりしてきた声音で、コータを見つめて返事をした。
「クロエ」
「そう、クロエ」
コータは答えを知っていたような口ぶりで呟いて、ひどくなつかしそうに微笑んだ。
これで何回目になるのだろう。君と僕の、花に縛られた白い輪廻。
いつか抜け出そう。
二人とも生き延びて、幸せになろう。あの花はあまりにも綺麗すぎるから、ここから逃げ出すには、まだしばらく時間がかかるかもしれないけれど。
コータが小さな窓のガラス越しに、萌え立つ花々の白い炎を流し見る。
さわさわと春の風が吹き、花たちが微笑するように妖しく揺れた。 (了)




