第二の依頼 立体世界地図
「はい、いつもお世話になってます。ありがとうございました」
やってきた大家さんに、いつものようにお金を渡す。これでまた一か月この家で過ごすことができる。
「かつてはアスター家の三男であったルインさまが商家のご婦人である大家さんに頭が上がらない。どうしてこうなってしまったのか」
「……もう突っ込まんからな。僕は好きでこうしているんだ」
「パン屑を集めて食べる生活を?」
「いつまで引っ張るんだ、そのネタを!!」
何度でも言わせてもらうが、そんな極貧生活はしていない!
きちんと家計をやりくりして鑑定依頼がなくともある程度の期間生活できるようにしているのだ。仕事していないかのように言われるのは心外だ!
どうも、僕はルイン・アスター。ついこの間、初めての依頼を達成し、そこからいくつかの小さな依頼を受けて実績を重ねているさなかの新人鑑定士だ。知識こそあるが、やはり実践あるのみのようでたくさんの謎を見つけては、わき道にそれたり、紹介所に同じような依頼がないか探したりと探求心の赴くまま自由にやらせてもらっている。
(とは言え、たしかにカツカツな生活してたからな……不満が溜まっているとしたら、良くないことだ)
そうして彼女――テスタの様子をうかがう。
いつものように薄紫の髪をショートにした美貌を見つめる。もともと実家にいた僕の専属侍女だったが、僕が家を出て数日ほど経ってから追いかけてくれたのだ。馴染みの人が隣にいるというのは、やはり気持ちが落ち着く。
彼女の様子はいつも通りのようだ。
「では、本日は予定通り街に出て買い出しをしましょう。パン屑とかもしかしたらタダで手に入ると思いますよ」
「ほんといい加減にして!無茶苦茶言ってんじゃねーよ!」
……うん、いつも通り過ぎて、泣きそうです。
*
我が家が建つ街、『メルセーヌ』は、可もなく不可もなくといった具合で、首都圏のような人混みでいっぱいということはなく、しかし田舎過ぎない。
滞りのない――ときたま野盗や魔物が商人を襲うこともあるが、比較的治安はいい――物流と、郊外にある土地で行う農業に住人の生活は支えられている。
そして街がある国、『マダルード王国』は雲海に面した国で、多数の交易品がやってくる貿易大国なのだ。さらに、水夫達はあまり密航者を気にしないらしく、実家がその権力を存分にふるって国外逃亡を阻止しようとしても、なんとかこの『エルグリード』浮遊大陸に来ることができたのだ。
……ただ、気にしていないのはあくまで水夫達だけであり、商人達や護衛の傭兵達は特に警戒していたようだ。航海中に見つかって船から投げ出されるところだったよ。交渉でなんとかなったが。
石を敷き詰め舗装された道を歩く。この街道は別名『商人街』と呼ばれる多くの商館が立ち並ぶ場所に向かって伸びている。そして、商館の周辺には露店商や屋台なども立ち並んでいる。
「おっ、この置物とかいい感じじゃないか。古びた感じがなんともアンティークらしい……贋作か……あっいやすみません何でもないです」
「高名な方の作品なんてこんなところに出回りませんよ。あと息をするかのように鑑定するのもやめた方がいいです」
テスタが思わず突っ込みに回るほど羽目をはずしていたようだ。気分がいいが、経験上このあとどぎつい毒がとんでくるはずだからこれぐらいにしておこう。
骨董品を売っているという露店を見て掘り出し物がないか探っているのだが、つい思わず魔法を使って鑑定してしまったのだ。
魔法と言えばおもに二種類ある。一つは貴族達や一部の研究者等の特権階級が秘匿する構文魔法だ。知識さえあれば誰でも使えるはずなのだが、基本的に攻撃的なものばかりであるため、反乱防止もかねて現在まで一般に公開されたことはない。
そしてもう一つ、構文魔法よりも研究が進んでいない文字通り固有の魔法、固有魔法である。人の魔力が変質して発現するとされ、発現する人は総じて魔力を豊富にもっているという。しかし何が切っ掛けで発現するかはわかっていない。辛うじて、傭兵の間では命の危機に直面して発現したという報告が多いことが明確な傾向と言えるだろう。
今使ったのは、もちろんこの固有魔法である。
「しかし、良いものがないねぇ。露店ははずれかな」
「ルインさま、一応食料品が主な買い出しの対象なんですが……いえ、これがあればしばらくはもちますね」
そう言いながらブリキでできた缶を手渡すテスタ。
そしてこういうときに限ってとんでもないものを放り込むのが彼女であり――
「……いや、ペットフードって!いよいよ主人をなんだと思ってやがる!!」
「まさか、ルインさまに食べさせるわけないでしょう。私の分ですが?」
「もう一度言うよ、人をなんだと思ってるんだ!?」
娯楽小説に毒舌メイドというジャンルがあったと記憶しているが、毒舌に自虐が入ってしかもメイドとなると、テスタしかいないだろう。というか、そうであってくれ、マジで。
*
いくつかの脱線もあったが、数日分の食材や必需品などを買いそろえ、我が家の模様替えでもしようかと再び商人街を見て回る。近頃は、新しく遺跡が発掘されたとのことで、狩人やその護衛を勤める傭兵、あるいは両方のライセンスを持つ探求者達の姿が散見され、にわかに増した喧騒や物々しさ、少々の荒っぽさがこの街を包んでいるようだ。戦闘中の号令や掛け声などで大声を出す機会が多い彼らの値切りの声がこの商人街でも好く聞こえるのだ。
やがて、歴史を感じさせる小さな建物が見えた。ここは行きつけの家具屋で、テーブルやタンスなどの大きな家具はここで揃えたものだ。
家具以外にも置物やワンポイントになりそうなものも多く取り扱っていて機会があればまたいきたかった店だ。
「物はいいのに何で流行ってないのかねぇ。高すぎるってこともないのに」
「立地のせいだとは思いますがあまり詮索するのは迷惑ではありませんか?」
「いや、これも一種の謎だ。見逃したくはないね」
「……今まで何回、そうやって痛い目にあったんでしょうね。まったく学習能力がないんですから困ったものです」
聞こえないキコエナイ。
まあしかし、この隠れ家らしい装いが実に好みである。つぶれない程度に売り上げがあるなら気にしないほうが吉だろう。
「ん?これは魔道具かな?数は多くないけど……職人階級出身の店主だったのか」
装飾に紛れるようにしてルーン文字が刻印されてるのが分かった。
攻撃性の少ない魔法を魔道金属と総称される魔力伝導率が高い金属を用いてルーンを刻印されたもの――それが魔道具である。
以前鑑定した魔法の手帳とは違い、最近になって実用化された発明品だ。当然、魔法特有の違和感もない。魔力を通すだけで刻まれた魔法が発動する便利な代物だが、作れる人間は限られている。
(そういえば、これができたとき、世界中で大いにもめたんだっけ)
エルグリードと同じく浮遊大陸群に属する『スロウスザート』浮遊大陸のどこかの王国で誕生した魔道具は、当然貴族や王族などといった特権階級の人々から反感を買った。十数年かけて会議を開いた結果、魔道具には特別に税金をかけるという決まりができた。
『反乱を恐れるぐらいなら逆手にとって利用すればいい。平民が力を持つなら、こちらから力を奪うのだ』といったニュアンスの台詞が当時の議会の議事録に残っているらしく、発言したある国のとある伯爵家は王族の娘を嫁にもらって公爵家に格上げとなったが、まぁどうでも良いだろう。
一度きっかけができればあとは簡単に広まり、魔道具もたくさんの種類が作られた。しかし、権力者としては武器になるものは出来るだけ広めたくない。よって魔道具に関する研究はそれを専門とする研究者が、実際に魔道具に刻むルーン文字の文章を提供するのは魔道師が、それらをもとに魔道具を作るのはその地方を治める領主が認める各種の職人がそれぞれ分担することになっている。
そんな手間をかけているだけに、魔道具はその単価も高い。加えて税金がかけられているので非常に高価だ。今や必須といわれる清潔な水を作る魔道具でさえ、町なら数軒に一つ、村で一つといった具合であまり普及していないように見えるが、徐々に生活に必要な魔道具の税率が見直されるようになっており、破損した魔道具を安価で修理するなど様々な動きがある。いずれ生活に必要な魔道具は一家に一つずつあるような時代が来るかもしれない。
とにかく、魔道具がある時点で充分この店は流行っているようだ。製作にかかる費用はばかにならないのだ。数が少ないからってその事実は変わらない。
そんなことを考えながら、せっかくだから何か良いものがないか探してみる。すでに生活に必要な物は揃っているので、あとはあれば便利といったものしかない。
そんななか、気になるものが一つ――
「これは……模型?いや、地図か」
中央が少し盛り上がった半球状の台座に四つの陸地が浮き彫りで表現されている。
また、台座の端から延びる針金のような金属に支えられ、これまた精巧な彫刻が三つの浮遊大陸を表現していた。
大きさは両手で抱えなければならないほど大きく、全体的に木で作られている。浮遊大陸を支える台座は金属で縁取られ、試しに魔力を通すと、生成されたわずかな水が海や河川を再現している。
その精巧さ、美しさは他を圧倒しており、しばらく僕は見入っていた。
*
「……で、結局買ったわけですか」
「良いだろう、別に。ちょうどお洒落な調度品が欲しかったんだ」
この彫刻だけで、七十万ディールと、一般家庭の月収入の三倍以上もしていたが、買えないわけではなかった。
魔道具のわりには安すぎるぐらいだ。どうやら劣化して一度に生成出来る水の量が減った飲み水生成の魔道具を再利用した、店主のアイデア商品らしい。
劣化した魔道金属は、通常なら鋳潰して作り直すのが普通だが、それではまたコストがかかることになる。この魔道具が新たな時代を予見しているような気がしてどうせなら手元に置いてみようと思ったのだ。
何より――
「これがあればあのときの美しい光景を思い出せると思ってね。テスタも気に入ってただろう?」
そう言うと、彼女は驚いたように目を見開き、珍しく微笑んだ。
*
「もういいのか?お二人さん」
雲海船の操船において、最も気を付けなければならない雲を突き抜けるという大事に、僕らはただ、船倉に籠ることしか出来なかった。
事情が事情なだけに密航するしかなく、そのために見つかったときには覚悟を決めたが、なんとか追加の護衛としてこの船に残ることができたのだ。
雲を抜けたことを知らせてくれた水夫が船倉から出た僕達に声を掛けてきた。何でも、雲の上から見る景色は格別なのだという。
「何を勘違いしているかは分からないけど、想像するようなことはなにもしてないからね」
「そりゃ残念だ。まぁいい。あれを見てみろ」
そう言って指差した方向には――
「……!!」
――息を飲むほど美しい光景だった。
目的地であるエルグリード浮遊大陸は河の端が地上に向かって滝となって落ちて行き、空に浮かぶ雲を形成している。そこには地上では拝めない雲が出来る瞬間があった。
それだけではない。雲の切れ間から見える地上の様子。あの位置は『グラトニール』大陸だろうか。特徴的な大農園が見えるほか、石畳が敷き詰められて白く見える街並み、小さく見える派手な色合いの屋根は、おそらく宮殿だろう。
草原や森は緑一色ではなく、影や葉の色合いでどんな色にも見えるような気がしてくる。
蒼一色の海はキラキラと光を反射して、サファイアのようだ。時折横切る渡り鳥や低空を飛ぶ魔物さえアクセントにして我々を魅了し、海底から飛び上がる巨大な翡翠の鱗を持つ水龍が出ても大海原には敵わない。
人間だろうがなんだろうが関係ない、あまりに世界は大きくて美しかった。何より全てを包む圧倒的な包容力に魅せられて言葉もなかった。
「これが……世界、『ドゥニアムンド』の姿」
隣のテスタが感嘆の声をあげる。
なんと大きく、なんと美しい。僕らは時間も忘れて食い入るように見ていた。
ただ、美しい世界を忘れないように。刻みつけるかのように。