06:国家安全対策基本法
俺は追われていた。
それも、その相手は一つじゃ無かった。
ただひとつ明らかなのは、相手が確実に俺の命を狙っているという事だ。
そして俺の命を狙っている相手が、俺と同じようにゲームの中で見た事のある能力を使ってくるという事も、忘れずに付け加えておく必要があるだろう。
どうやら、俺の他にもゲームの力を手に入れた奴が複数居るらしかった。
俺を追っている奴らは二人から三人程度のチームを組んでいるらしく、一対一ならともかくとして、複数の能力者を相手にして俺がまだ生きているのは、ニンジャという職業のスキルと運に助けられた事が大きい。
何度目かの追撃をかわした俺は、ニンジャというゲームキャラクターのスキルを使えることを心の底から感謝していた。
隠密行動に長けていて身を潜ませることが得意なニンジャだからこそ、生き延びられたんだと思う。
多人数を相手に冷静さを失えば、攻守を逆転させるのは不可能に近い。
這々(ほうほう)の体で何度目かの危機を脱出した俺は、一旦身を潜めて何が起きているのか確認するために、急襲されて逃げた時のままの薄汚れた格好で、ホームレスの集まる河川敷の運動公園の中に居た。
こんな事になってしまった事の始まりは、俺を訪ねてきた相手への対応を俺が間違ってしまったからかもしれない。
「藤丸 悠介くんだね。 初めまして、国際関係研究所の矢島と言います」
あれから最初に俺を訪ねてきたのは、いけ好かない中年男と、俺と年代の近そうな表情の薄い男たち二人を含む三人組だった。
ご家族には聞かれたくないだろうから何処か近くで話でもと言われて、俺はそいつらの目的が判らないまま万一の場合を考えて、家族に話の内容を知られないように一緒に家を出た。
俺たちが向かったのは近所の公園で、先導する矢島という男が迷わずに屋根付きのテーブル付きベンチに座ったのを見て、下調べをした上で俺を訪ねてきた事が実感出来た。
俺の警戒心は顔を合わせたばかりの最初よりも、数段跳ね上がる。
その、いかにも自分は頭が切れますというような顔を絵に描いたような銀縁眼鏡の男は、初対面の俺に二回目の自己紹介をしてきた。
そして、キッチリとしたダークグレーが印象的なスーツの懐から茶色い革の名刺入れを取り出すと、鮮やかな紙の白さだけが妙に記憶に残るけど遊びの無い地味な名刺を俺に差し出してきた。
その後方には、彼の部下らしい俺と同じ年頃か少し上くらいの男が二人立ったまま待機している。
最初の印象通りに、無表情で後ろ手のまま座ること無く、忠実な犬という雰囲気で静かに立っていた。
そもそも高校生の俺に名刺なんて差し出されても、そんな物の価値も対応も俺に判る訳が無い。
だから俺は相手に顔を向けたままで、軽く頭を下げる真似をした。
矢島という男は、そんな俺の態度がどうやら気に入らなかったようで、ほんの少し俺を馬鹿にしたように口元が僅かに歪んだのが見えた。
なんだろう…… 最初から苦手というか、どうにも相性の悪い相手ってのは居るもので、目の前にいた矢島という男が俺にとってのそれだった。
「その矢島さんが、俺に何の用事があるんだ?」
だからこそ、ついつい言葉が雑になる。
年上だろうが何だろうが、俺には関係が無い。
そして、明らかに年下の俺から発せられたその受け答えが矢島という男には、どうやら気に入ってもらえなかったようだ。
わざとらしく小さな溜息をつくと、細い銀縁の眼鏡のフレームを右の指先でこめかみの辺りに触れて、ズレているようには見えないけれど少し上げて見せた。
「本来なら、私は直接泥臭い現場に出向くような立場では無いのだよ。 それでも立場上、無能な部下の尻ぬぐいをしなければならない事もあると理解はしている。 だから、その私が直々に訪ねてきたという意味を、君にも理解して欲しいものだね」
俺はそれを聞いて、何かピーンと閃くものがあった。
こいつが何だか気に入らなかったのは、普段からきっと偉そうに踏ん反り返っていた奴で、他人を最初から見下している雰囲気が強烈だったからだ。
「それって、あんたが何かでミスったから管理職から現場仕事に回されたって事じゃねーの? それって俺に何か関係があんの?」
俺の言葉を聞いて、矢島という男の表情が強張るのが判った。
後ろで控えている二人が相変わらず無表情のまま、チラリと顔を見合わせた。
矢島という男の言葉の端々から、望んでここに来た訳では無いという不満げな雰囲気が、漂ってくる。
当然俺だってカチンと来るし、誰だってそんな嫌な雰囲気で誰とも判らない相手と、何事も無かったかのように友好的な話が出来る訳は無いだろう。
「単刀直入に言おう。 ――藤丸くん、君に特殊な能力がある事は判っている。 それを隠そうとしても無駄だし、君のためにもならないと忠告をしておく。 我々は…… 」
「なっ!…… 」
この場から去るために立ち上がろうとして、俺は『見切り』が発動している事に気付いた。
迫っている危険が何なのか、必死で限られた視覚情報からそれを読み取ろうとするが、何も判らなかった。
周囲の情景が遅くなる度合いから判断すれば、銃などで狙われている訳では無さそうだ。
水の中に居るように体が重かったけれど、動かそうと思えば重いなりに動かす事は可能だった。
矢島という男は時間が停まったかのように動いていないけれど、後ろに控えていた二人のうち一人の姿が、目の錯覚なのか僅かにブレて見えた。
スッと掻き消すように姿が消えた、その男。
ほぼ同時に、気配探知スキルが俺の後ろに発生した新たな反応を感知していた。
それを転移系のスキルだと予想すると共に、自分以外にもスキルを使える者が居たことに俺は驚いた。
後ろに反応が発生したと同時に、周囲の速度は先程よりも更に低下していた。
そいつが何かを仕掛けてきているとしても、それはまだ人の動作速度の範囲内だった。
周囲の速度低下具合を、俺は散々普通の人間を相手にして来たから、それと同程度か僅かに遅いくらいだと判断した。
その周囲の速度が、更にガクンと大きく低下する。
背後に転移してきたそいつが動作速度上昇系のスキルを使ったと判断した俺は、『瞬身跳躍』で近くにある銀杏の枝の上へ跳んだ。
危険回避に成功したらしく、たちまち周囲の速度が元に戻る。
太い枝の上から下を覗いて見れば、黒いスーツを着込んだ一人が俺が居た場所の背後から両手を回して俺を抱え込もうとしたらしく、その二本の腕が何も無い空間を掴んでいた。
矢島の後ろに残っていた方の若い男が俺の方を一瞬仰ぎ見て、矢島に耳打ちをする。
当たり前だけど、俺と同じようにゲームのスキルを使える奴が存在するのなら、同じように感知系のスキルだって持っていても不思議は無い。
俺は何だか判らないまま、この場から逃亡しようと思った。
だけど、わざわざ俺の家を訪ねてくる奴らを相手に何処へ逃げれば良いのだろう。
そんな戸惑いが、俺を枝の上に引き止めた。
矢島は、耳打ちをした若い男を片手で制する仕草をした後で、俺の方を見上げる。
三人の視線が、上に居る俺に突き刺さった。
「藤丸くん、判っているとは思うが、君の事は充分に調べさせて貰った。 本来であれば警察に引き渡す方が日本の法律の上では正解なんだが、我々の組織はその法律の上にあり、それに縛られる事は無い」
俺の事を調べてあると言われたけど、それはその通りなんだろう。
住んでいる家もバレているし、俺が犯した殺人事件の事も見られていないと思っていたのは俺だけで、ずっと監視をされていたのかもしれない。
感知スキルに何も引っかからなかったのは、隠密行動系のスキルを持っている盗賊系統の職業を取った奴が監視して居たのかも知れない。
そう思うと、この場に居るのが三人だけとは思えなくなって疑心暗鬼に陥った俺は、まだ迂闊に動かない方が良いと考えた。
俺が返事をしないからか、更に矢島は発言を続けた。
見る限り平日の午後だと言うのに、周囲に子供連れの母子や老人などの、普段よく見かける人影が見受けられない。
「我々は、君と敵対するつもりは無いんだ。 むしろ君をスカウトに来たと思ってくれ」
「スカウト? ――あんたは何者で、俺に何をさせたいんだ?」
矢島の思いがけない言葉に、思わず問い返した俺。
だってそうだろう、いきなり訪ねてきて問答無用で俺を捕縛しようとした相手から、そんな事をを言われても、そうそう簡単に信じられるわけが無い。
「ゼロ! ――と言っても、まだネットの噂レベルでも聞いた事は無いだろうが、我々は国防省情報本部防諜部所属の特務第零課、通称ゼロと呼ばれる国家組織だ」
「なんだよ、その中二病の妄想みたいな名前は…… 」
それを聞いて、思わず俺はそう呟いた。
だって自分たちの事を自らゼロとか自信満々で言うとか、あまりにも臭い、臭すぎるだろ。
「我々の存在は国家機密であり、その名称と結びつけて我々の姿を認識した者は、例え同じ国家に仕える身であったとしても、その秘密を守るために排除せざるを得ないのだよ」
俺の反応をどう受け取ったのかは知らないけれど、矢島はそう言ってニヤリと嫌らしく口角を上げて見せた。
そして俺は少し遅れて、その言葉の意味する事に気付いてしまった。
「つまり、名前を聞いた以上断ったら殺すって事か、オッサン」
「それ以外に、どんな解釈があるのかね? 藤丸くん」
一段低い声で、ゆっくりと聞き返した俺に対して矢島は、余裕たっぷりに問い返して見せた。
こんな、逃げ道を塞いでおいて追い詰めるような嫌らしい言い方でイエスと答えられる程、俺はまだまだ大人じゃあない。
「つまり、初めから俺にノーって言わせたいって事なのか、あんたは」
「おやおや、とんでもない誤解をされてしまったようだ。 あくまで私の目的は君のスカウトに過ぎないよ。 それを拒否して国家に対する敵対行為を取ると言うのであれば、組織のルールに則って残念ながら君を排除せざるを得ないという事でしかないのだよ、これは」
「あんたの組織の勝手なルールを押しつけてきたのは、あんただろう! ふざけんな!」
「これは心外だ。 我々の組織について訊ねてきたのは君の方で、私は聞かれてもいない事を答えた訳じゃあ無い。 そもそも協力する気が無いのなら、我々の組織の事を聞く必要も無かったのではないかな?」
矢島は、さも楽しそうな表情で俺にそう言った。
俺一人に対して何らかの能力を持っていると思われる奴が二人、あるいは最初からこの公園へ俺を誘ったのは、それ以上の伏兵を仕込んでいるからなのか?
とにかく奴が俺に勝てると思っているのは、その自信のありようからして間違いが無い。
「クソが、俺に何の恨みがあるってんだ。 俺が、お前に何かしたのかよ」
情けない事に、強気の言葉とは裏腹に、そんな泣き言が口を突いて出てきた。
まだ負けると決まったわけじゃ無いけど、どうにも分が悪そうな展開だ。
「恨み? ――君個人に対してでは無いが、君たち特定能力を所有している同年代の小僧に昔痛い目にあった事があってね…… まだ君らの事が今ほど明確に判っていない頃に様子見が過ぎて大事な手駒を無くした上、私が大事に育てた組織は解体させられて、今では自ら現場復帰せざるを得ない立場だ。 常識で考えても恨みが無い訳がないが、私はそんな私情に左右される事なく粛々と与えられた仕事を全うするのみだよ」
「私怨で公私混同して俺を追い込んだ、までは判った。 自分語りが長すぎて、それ以上は何言ってんのか判んねーよ」
どう考えても、これは私怨だ。
俺の挑発に、矢島の右の眉毛がピクリと跳ね上がったのが見えた。
「ふむ、君たちのように無軌道な特定能力者を放置しておくと、先程話した前例のように某巨大宗教団体を壊滅させた上に、ゲーム運営会社の上層部を逆恨みから殺害し、私の子飼いの部下を殺しただけではなく、逃亡を図られて未だに行方不明という大失点を繰り返す事になってしまうからね。 我々に協力できない特定能力者は、今すぐにでも力ずくで排除させてもらうよ」
「自分の失態で左遷させられた恨みを俺で晴らす、まで判った」
そう言い放つと、矢島の左の眉毛もピクリと跳ね上がった。
どうやら、図星らしい。
――て言うか、それしか無いだろう、こいつ。
さっきまで分が悪そうだと揺れていた俺だったけど、こんな流れでゴメンなさい仲間になります、仲間にして下さいとか言える訳が無い。
同じ年代の男なら俺の気持ちは解って貰えると思うけど、権力を嵩にかけている卑怯でイヤミな相手に尻尾を巻くくらい、格好悪い事は無い。
「今からでもまだ遅くは無いし、私も冷徹な鬼じゃあ無い。 君くらいの年代の子供特有の戯れ言と気の迷いを許す度量も持ち合わせているつもりだ。 どうだろう、協力してもらえるかな?」
「答えは、ノーだ!」
俺の中二心が相手の理不尽な要求に対して、一も二も無くノーと告げていた。
こいつの部下になって下に入るくらいなら、この場で叩き潰してやると俺は決めていた。
そもそも、こいつは微塵も俺を仲間に引き入れようとしているようには思えない。
立場を利用して、私怨を晴らしているだけじゃないだろうか?
「しかたないね。 残念だが、断腸の想いで国家安全対策基本法に基づき藤丸悠介、君を排除する」
「ちっとも残念そうには見えないぜ、私怨のオッサン」
矢島は、今の遣り取りの際にも無表情を貫いていた二人の部下に、合図を送った。
瞬間、『見切り』が発動して、周囲の体感速度は大きく低下した。