幕間『アムパパ』
物資投下作戦前の、パラシュート用の幌を探していた時の話です。
「ふむ。今日も爽やかな朝だ」
鶏の鳴き声と共に目を覚まし、部屋の空気を朝の気持ちの良い空気と入れ替える為に窓を開けて言う。目の前を馬車馬が糞を垂れながら歩いていくが、このさい目を瞑ろう。
自分の屋敷ではまずこんな事は無いのだが、今居るのは皇都の自商会が管理する私の別荘だから仕方のない事だろう。
皇都は皇帝陛下のお膝元。政治の中心であり流行の中心地であり経済の中心地である。ここに居を構える事が出来ない商人は四流五流だと私は思う。
しかし、だ。そうは言っても煩いのは勘弁だと皇都の端に居をかまえたのは良いが、逆に言えば洗練も何もあったもんじゃない場所だし、こんな感じに掃除も余り行き届いていない。
一応言い訳をさせてもらえれば、この別荘の周辺は商会の丁稚に言って掃除を行わせているが、それでも捨てる――垂れ流す奴らが多すぎて追い付かない状況だ。
現に今も馬糞を枝に刺して、友人と思われる男児にくっつけようとしている。全くもって恐ろしい。
「やれやれ」
朝の爽やかな時間が台無した。だが、今日の私はその程度ではくじけない。なんたって、今日は夕食を娘のアムニットととるのだからな。
「さて、着替えるか……」
爽やかかつ英気を養える一日であろうと、今日もたくさんの仕事があるのだ。
これからやる内容は、帝国軍が客先である鏃などの軍事物資の卸だ。最近は隣国との突き合いも終わって落ち着いた経済状況だと思っていたが、今度は反対側の国境に砦を築いており、そこでまた突き合いをしているのだろう。
痛手を負わない程度に戦争をしてくれれば、それだけで自分達はお金を儲けることができる。
しかし、それもこんなに短期間でやってもらっては用意するのも大変なのだ。
と、そんな事を考えているとドアをノックされた。
「カナターン様、お目覚めですか?」
これは自分の右腕とも呼べる存在のマーロウだった。
「あぁ、起きている。何かあったか?」
「さきほどアムニット様がこちらにお見えになり、カナターン様へのお手紙を置いて行きました」
「なぜ起こさない!!」
娘がここに来ただと!? それだけで疲れなど吹っ飛んでしまう!
窓際から文字通り一っ跳びでドアに近づき開け放つと、良い具合に距離を空けて立っているマーロウが居る。
「なぜ起こさない!」
そして再び問いただした。娘が竜騎士育成学校に入学してから何度も別荘に来ていたが、娘がここまで来てくれることは今までなかったのだぞ!
「アムニット様が起こす必要はないと仰っていたので」
「ななっ、なに!? アムニットがそう言ったのか!?」
「はい。お父様は連日のお仕事でお疲れだろうから、と」
「なるほど。私の娘は本当に優しいなぁ」
起こさなかったのがマーロウのせいではなく、娘の優しさだと知ると顔を情けないくらいデレェとさせた。
その情けないほどの顔を見てマーロウはいつも同じことを思う。
「(この方は、商人としては最高峰と言って良いお方である。先見性があり、自らの考えに曇りが全く見られない。しかし、そこに娘の事が絡むと途端におかしくなる。言うなれば、星空を見る為に井戸を覗くほどのおかしさだ)」
こうして、カナターンの胃に穴を開けさせる一日が幕を開けた。
★
「あっ、お父様!」
「アムニット! こんな所まで、どうしたんだい?」
ここは荷車から荷物を下ろす集配場だ。馬車が行きかい、大きな――アムニット程度であれば押しつぶせるほど大きな荷物を抱えた荷夫達が忙しなく動いている危険な場所だ。
危険な所へ来てはいけないと言わなければいけない自分と、来てくれた事を嬉しがる自分がせめぎ合うのを感じた。
「お父様にお願いがあって来たの」
「お願い? それは何だい?」
そういえば、今朝貰った手紙にも会いに行くと書いてあったが、それがいつなのかまでは書いてなかった。それが今だったようだ。
母親が病弱の為か、娘は全くと言っていいほど我が儘を言わずまっすぐ育っている。
本人は竜騎士育成学校に入ることを我が儘だと言っていたが、これは帝国人として国益を担う者として当然と言えるもので、これによって商会も信頼を得ることができたので、これは我が儘と言うには少し違うものだ。
だからこそ、こういったお願いをしてもらえるのは常に娘に我慢をさせているのではないか、と危惧している自分にとって嬉しい申し出である。
「ロベール様が大きな布を探しているの。だから、お父様が扱っている幌を譲ってほしいの」
娘から出た名前を聞いた瞬間、雷に打たれたような感覚に襲われた。そもそも雷に打たれては死んでしまうので、雷に打たれたらどんな感じか分からないがきっと今と同じくらい衝撃を受けるのだろう、と冷静に考えてしまった自分が悔しい。
「あっ、どうも、初めまして。アムニットさんとクラスメイトのロベールです」
「あっ、あぁ……」
こいつがあのロベールだと!? 私が聞いた噂の悪鬼羅刹とした蛮族と同じことしかできないロベールだと!?
「わわっ、私がアムニット! の父親のカナターンだ。マフェスト商会の商会長! だ」
娘が男を連れて歩くなど言語道断! まだ早い! いや、早い遅いではない! 男と歩くのは私以外禁止だ!
「そっ、そうですか。マフェスト商会のお噂はかねがね」
「ん、うむ、そうか」
さすが大貴族の息子とは言え、帝国でも一、二を争う大商会であるマフェスト商会の商会長である私を目の前にすれば、その凄さにおよび腰になるだろう。
勝ったな。
「あの、アムニットさんから、お父さんが大きな布を扱っていると聞いたので来たんですけど――」
「お義父さんだと!?」
ガツン、と棍棒で後頭部を殴られたような衝撃が私を襲った。これは子供の時に、兄に遊び半分で殴られた時に経験したのでこの衝撃には覚えがある。
こっ、ロベール……。大人しそうな顔をしているが、娘に取り入り商会を乗っ取ろうとしている所を見ると、やはり噂通りの男らしい。
しかも、よくよく見ればこいつの背後には酒の悪魔が見え隠れしている気がする。こいつはいかん奴だ。娘の教育には悪すぎる。
「なぁ、アムニット。お前のお父さん大丈夫か?」
「えっ、えっとぉ、だいたいこんな感じ……かな?」
仲良く会話しているのが羨ま――妬ましい! 体中から血が噴き出しそうだ!
「ららっ、ラコ――」
「商会長! 急ぎの案件がでました!」
二人のやり取りを「見ていられない」と言った様子で駆け寄ってきたマーロウは、適当な理由を付けてカナターンを奥へ追いやった。
「あっ、マーロウさん。こんにちは」
「お父様の代わりに、お嬢様の案件は私が引き継ぎます」
「本当に!? ありがとう!」
★
ニコニコと話をする娘とマーロウ。遠く離された私は地獄の業火で焼かれる哀れな小鳥の様な気分だ。
娘の事を軽く考えている節のあるマーロウが私の代わりに話しはじめると、あの酒の悪魔は拍子抜けしたのかすぐに商談をまとめた。
情けない事に、私は蚊帳の外で娘を見守ることしかできない。何て情けない父親だろうか。
「それでは、よろしくお願いします」
ペコリ、と酒の悪魔は頭を下げた。、
謝罪……? いや、奴がそんなタマではないのは、今さっきの会話で分かった。では何の儀式だ?
きっと呪いの類だろう。悪魔祓いの為に光燐教会へ行かなければいけない。
「ロベール様、早く帰らないとお昼休みが終わってしまいます!」
と、アムニットはロベールの手を握り駆けだした。
「ムッギィィィィィィイイ!!!」
最早我慢ならん、と腹の底からの奇声を上げたカナターンに驚いた荷夫達は持っている荷物を落としそうになったが、これを落としては路頭に迷ってしまうので何とかギリギリの所で持ちこたえた。
アムニットの父はコメディ枠なので、貴族(仮)である主人公に対してこんな対応は普通しないと言った突っ込みは無しでお願いしますw
目に入れても痛くない娘が男連れでやってきては、父親は戦々恐々ですね。
ちなみに酒の悪魔はミシュベルの事ではありません。ミシュベルは学校で留守番ですw
そして、朝に商会へやってきたのはアムニットだけではなく主人公とアバスも居ました。二人は外で待機をしていましたが、きっと暇を持て余して遊んでいたんでしょうw
11月8日 誤字修正しました。




