つかの間の平穏
「ボクって、とても頭が良いのね! 私の仕事を、あんな風に言ってくれる人なんて初めてよ!」
「ふひひ、いやいや、それほどでも」
相手側から力強く抱きしめてくれるんだから、遠慮なくその柔らかさを味わった。
そんな柔らかさに包まれながら、「よく分かんなかったけど、よくやったぞボウズ!」「貴族の悔しそうな顔が笑えるな!」「俺達を必要と言ってくれてありがとな!」などなど、野次馬として俺と貴族とのやりとりを見ていた人たちからお褒めやお礼の言葉を貰った。
「おら、熱冷ましだ」
貴族とやりあっている時は気付かなかったが、どうやら飲み屋の前で舌論会を開いていたらしく、その飲み屋の店主から果実水を貰った。
柑橘系の果汁を入れた物だが、香りから結構果汁の量が多いと判断される。普通に買えばいい値段をするだろうけど、さきほどの見学料が含まれているのだろう。
「おぉ、どうもどうも。いや~、喉がカラカラでして――」
飲み屋の店主から果実水を受け取ろうとしたら、すぐ横から伸びた手に奪い去られた。
その腕の持ち主は、俺を抱きかかえたまま果実水を飲み干すと、すぐに俺に向き直った。
「火照った体を、果実水で冷ますなんて無粋よ。ねっ、ウチに来ない? まだ客とってないからさっ」
いや、熱りより喉が――、と言いたかったけど、幸せに包まれて口が動かないのでモゴモゴとしか声が出て来ない。
それでも、すぐ目の前で美人がとろんとした熱を持った瞳でこちらを見てくると、それに反応してこのままベッドまで行ってしまいたくなるのは男の性なんだろう。
「ねっ? 行きましょ?」
最後の一押しと言わんばかりに、娼婦は俺の耳元で舐めるように、熱を持った言葉をかけると立ち上がった。
それにつられて立ち上がり、誘蛾灯に誘われる虫のように娼婦に付いて行こうとするが、そこに現れた人物に冷や水をぶっかけられたように我に返らされた。
「ロンくん!? こんな所に居たんですか!」
声のした方を見ると、そこには肩で息をしているミナが居た。
「モガ」
寮で待っているはずのミナがどうしてこんな所に居るのか驚いていると、ミナは俺を娼婦から凄まじい力で引きはがすと、二度と離すものかと言わんばかりに力強く抱きしめた。
「良かった……。さっき、向こうに居た人が、子供と貴族が喧嘩をしているって――それが、もしロンくんだったらと思うと気が気じゃなくって……。でも、ロンくんじゃなくって良かった」
安心している所すんません。その子供って、俺のことです。などと、口が裂けても言えないけど。
娼婦とは違い、引き締まっているミナの体は柔らかくもあるが、固くもある。
胸も、反撥性が強く、沈めるのではなくその弾力を楽しむような物だ。つまり、馴染んでいない。何が言いたいかと言うと、両方幸せって事だ。
「えっと、この子のお姉さん――で、いいのかな?」
再会を喜ぶ姉弟(設定)に、なかなか声をかけられないでいた娼婦が、新しくやってきたミナに聞いた。
「はい。そちらは……?」
「私は、この子に助けてもらった、ただの通りすがりよ」
娼婦は、さっきまで熱がこもった言葉を吐いていた人と同一人物とは思えないほど、そっけない態度で言った。
「そっ、そうなんですか」
「それにしても、良くできた弟くんね。娼婦を、あんな風にかばってくれる人なんて初めて見たわ」
貴族と喧嘩していたのが俺だと知らないミナは、娼婦の言っている意味がわからないのでしどろもどろになりつつ、しかしどんな事を言ったのか気になったのか聞き始めた。
「そ、そうなんですか……? どど、どんな風に?」
最近、落ち着いているがハキハキと話すようになってきたミナには珍しく、言葉尻が小さくどもっている。
たぶん、ミナと対極とまでは行かないが、そんな位置に立っている娼婦に苦手意識を持っているのだろう。まぁ、男を知らない女の子に、男の相手を生業としている娼婦とはあまり相性が良くないんだろう。知らんけど。
娼婦は、ミナの質問に「う~ん」と少し考える素振りをしてから――
「教えないっ」
「えぇっ!?」
「だって、あなたは彼と一緒に過ごしてるんでしょ? 全部知るなんて面白くないわ」
「えっ……、は、はあ……」
俺を含めて、ミナも娼婦の話に付いて行けないようで曖昧に頷くだけだった。
娼婦は、俺達から一歩後ろに下がると笑顔で言ってきた。
「彼、飲みすぎているけど、結構素面よ?」
「えっ? ロンくんお酒飲んでるんですか?」
むぎゅ、とミナは俺の顔を両手で挟むと、自分の目前へと持ってきた。
「むっはぁ~~」
「うっ!? 酒クサッ!」
「あひゃひゃひゃひゃ!!」
俺から発せられた毒の息吹に当てられたミナは、軽く咳き込んだ。
「ふふっ。それじゃあね、カッコいい騎士のボク」
娼婦は俺に投げキッスをすると、人ごみの中へ消えて行った。
俺にとっては、先ほどまでのギャップのせいで。ミナにとっては、良くわからないやり取りのせいで、二人とも会話の流れに置いて行かれてしまったせいで呆然とそこに立っている。
「あの……ロンくん、帰りましょうか?」
「むっはぁ~~」
「酒クサッ!」
「あひゃひゃひゃひゃ!!」
「ロベール様、お酒を飲まれたんですか?」
「うん」
「ロベール様は、お酒を飲まれるのですね。お好きなんですか?」
「けっこう」
「そうですか……。何杯くらい飲まれたんですか?」
「今日は、4杯くらいかな?」
「今日は、ですか」
なんだろう。先ほどから、ミナから飲酒に対する追及が強い気がする。
それに、チラッチラッとこちらを見る視線も気になる。
「えっと……、ミナもお酒好きなの?」
「――ちょっと……です」
「ちょっとぉ?」
「けっ、けっこう……です」
「じゃぁ、今度飲みに行くか?」
「はっ、はいっ!」
この判断が軽率だったと、その時の俺は知る由もなかった。
酒豪フラグがたったんだろうか……!?




