待ち人来る
季節は進み、夏となった。
約束通りラジュオール子爵の子供達は、あれから一週間と経たずに親元に帰された。
食事は栄養面をしっかりと考えた物を食べさせ、兄弟は――特に長男は長男として相応しいように教育を徹底させ、さらに弓矢での狩りを嗜みとして覚えさせた。
来た時はぽっちゃりとしたボンボンだったが、帰るころには痩せて精悍な顔つきになっていた。
父親はその代わりように驚きながらも、逞しくなった我が子を迎え入れたが、母親は精悍な顔つきを酷い目に遭わされていたのだ、と勘違いして送って行った我がロベール竜騎士隊の人間を罵ったようだ。
竜騎士は元から気にしていなかったが、父親であるラジュオール子爵が窘め、さらに長男のカペッサも母親を窘めたことに驚いていた。見た目だけでなく、親元を離れ勉強をすると共に山野を駆けることで心身ともに強くなり変わったようだ、と評価していた。
最近は色々と遊び道具も増えているマシューだが、カペッサはお兄ちゃんという肩書が邪魔をして遊びの輪に入れなかった。
結果として、やることが無いので勉強をするか、大人について狩りをするしかないので、ボーイスカウトのような生活になっていた。
そんなことはさておいて、アドゥラン第一皇子がニカロ王国から帰って来た。そう、留学を終えて帰って来たのだ。
竜騎士の技術と引き換えに教えを受けた磁器技術は、ユスベル帝国に新しい産業をもたらし、評価は低いがその存在感を表し始めた。
その中で最も注目を受けているのが、俺がマフェスト商会と共に売っている磁器なんだけどね。
その留学をしていた第一皇子と一緒に帰って来た人物がいる。マシューからニカロ王国へ農業技術を教えに行っていた、農民のビスだ。
マシューにある俺の畑から、ニカロ王国の畑へ出向していたのだが、今回その役目を終えたのだ。
定期的に会っていたイスカンダル商会の商人の話では、厚待遇を受けているということだったが、どれくらい厚待遇だったのかは帰って来たビスを見ることで良くわかった。
一昨年まで田舎で土に塗れて畑を耕していたというのに、今は瀟洒な服を着て、ニカロ王国で流行りだというエナメルのような光沢を放つ革靴を履いていた。
ユスベル帝国は艶消しの靴が好まれているので、こちらでは浮いているが俺から見てお洒落である。羨ましい。
さらに、農業技術を教えに行ったにもかかわらず、嫁さんまで連れて帰ってきている。住ませてもらっていた家の専属メイドだったようだが、なかなかの大恋愛の末にこちらへ連れて来たのだとか。
平民のメイドなので、ニカロ王国としては特に問題は無く当人同士の問題なので、こちらへは特に連絡は入れなかったようだ。
イスカンダル商会の商人も、メイドは平民で後ろ暗いこともなければ間者の可能性も低いとのことなので、俺も不問とした。
信じて送り出したマシューのビスがニカロのメイドにドハマリして技術と引き換えに連れて帰って来るなんて……。(一部、誇張と嘘を含む――)
それから数日後、待ち人は来た。
★
一世代前のニカロ王国が持つ物によく似た船の船倉――を改装した客室――で、ユーングラント王国からやってきたリットーリオは船酔いをしていた。
ユスベル帝国で戦勝奴隷として過ごしていた時に、同じ貴族の下で買われていた奴隷のシアから、自分の運営する領に来ないか、と打診があったからだ。
自分の爵位は公爵だったが、それも奴隷として捕らえられている時に息子が受け継いでおり、そこにリットーリオの居場所はすでに無かった。
敵国に行くのは少々不安でもあったが、ユーングラント王国に居ても仕方が無いので、ということで行く決心をしたのだ。
そして、この船倉には自分以外にも末娘とメイドのボランも一緒に居る。そう、共に来てくれたのだ。
ボランは旦那に先立たれており、息子も戦争で死んでいるので天涯孤独の身、となっている。
ユスベル帝国に恨みはあれど、生活基盤が保証されているとはいえ、来たいとは思わない、と思っていた。しかし、彼女は元々豪快な女傑であり、リットーリオも心配だがなにより末娘の方が心配だったためついてきたのだ。
「大丈夫ですか、お父様。水を貰ってきましょうか?」
心配する末娘に、リットーリオは歪んだ笑顔でその申し出を拒否した。水を飲めば吐くことを理解しているからだ。
ユスベル帝国はユーングラント王国の隣だが、直接行くのはまだ問題が多々残っており、さらに家督を譲ったとはいえ、リットーリオは公爵だったのだ。簡単に出国とはいかない。
それに、彼の息子のカールスもユスベル帝国への引っ越しは許さないだろう。それが分かっていたので、ある強硬策に出たのだ。
強盗を雇い、それに家を襲わせたのだ。事前に体つきの似た死体を家に置き、強盗は物を盗んで火をつけ逃走。あとに残ったのは、身元不明の家主だと思われる死体だけ。
当の本人は、一度東の国へ行きニカロ王国からやって来たイスカンダル商会所属の船に乗ったのだ。
最近、ニカロ王国と貿易を始めたというイスカンダル商会だったが、この船はさらに東にある小国家群を内包するアンネスリート大王国から来たというのだ。
同じ大国のユスベル帝国と良くも悪くも無い仲だが、そこまで出かける商人魂の凄さにリットーリオは舌を巻いたものだ。他の商会もいるので、冒険とは違い道の航路を踏破する、ということは無いが、イスカンダル商会自体初めての土地へ行くのだから似たような物だと考えたのだ。
荒波で動かないように固定された机に突っ伏しているリットーリオの耳に、半鐘の音が聞こえた。
「まあっ、何が起こったのでしょう!?」
半鐘が鳴らされると同時に船上が慌ただしくなり、それを聞いたボランが不安そうな声をだした。しかし、末娘が不安そうな顔をするとすぐに胸を反らして豪快に笑った。
荒々しいが、これが彼女なりの気遣いなのだ。
ドアの向こうから、階段を駆け下りる音が響く。船内に取り付けられた階段は、梯子といっていいほど急だが、船の上で生きる船乗りにとっては全く気にする角度ではないようだ。
「貴族様! ドラゴンが乗り移りますのでご注意ください!」
「ドラゴンが!?」
海の荒くれ者といった姿には似つかわしくないある程度、丁寧なことばで現状を下せてくれた船乗りだが、リットーリオはその船乗りの言葉に驚愕した。
ユーングラント王国には存在しないが、先ほども言ったアンネスリート大王国には、ドラゴンを乗せる船が存在する。乗せると言っても、餌を運び船上で食べさせるだけの給餌用の船である。ドラゴンが乗り移る時は止まっているし、何よりこんな小さな船ではない。
どこの馬鹿がそんな無茶をやるのか、と思ったがリットーリオには心当たりがあった。シアしかいない。
しかし、奴隷仲間だったシアをあの後調べたが、シアが駆るドラゴンは巨竜といわれていた。
この船に乗り移った瞬間、船が真っ二つに折れるほどだろう。
リットーリオは自分が船酔いをしていたことすらわすれ、船上へ出ようと立ち上がった。
その瞬間だった――。
「船が傾ぐぞぉぉぉぉぉお!!」
船乗りの怒声と同時に、船全体にズシンという揺れと走った。そして、すぐに船が左側に大きく傾いた。
「うおぉぉぉぉ!?」
「きゃぁ!?」
客室にいる三人は、固定されているテーブルに掴まることで難を逃れた。
木が破損する音もマストが折れる音もしなかったので、船へは問題なく降り立つことができたようだ。
第二波が来ないことを確認し、リットーリオは急いで船上へと駆け上がった。
★
「ふぃ~……。練習したとはいえ、やっぱ緊張するな」
陸地に作った実物大の船の模型で、何度も船へ乗り移る練習をしたので今回も問題なく行うことができた。
ヴィリアなら簡単にやってのけそうだが、その巨体では船が破損してしまう可能性がある。ってか、確実にぶっ壊れる。
なので、俺が飼っている普通サイズのドラゴンに乗って来たのだ。ちなみに、ヴィリアは上空で旋回している。
進入角度もバッチリだったし、速度も問題ない。船側も乗り移り易いように舵を切ってくれたのも良かった。
「ようこそ、ロベール様」
話しかけてきたのは、イスカンダル商会の水運責任者だ。皇都・カグツチ国間は部下にやらせているが、今回はアンネスリート大王国という大きな国が相手なので、責任者自らいったのだ。
イスカンダル商会の商会長代理であるグレイスも行きたがっていたが、皇都での仕事が多すぎで動けないと言っていたのも記憶に新しい。
「ありがとう。大変乗り移り易かった。船長に感謝すると伝えておいてくれ」
「はい、かしこまりました。キュリオス様は客室で休まれております」
と、商人が説明してくれたのだが、当のキュリオス――リットーリオは顔色が悪いにも関わらず、駆け足で船上へでてきた。
「おぉ! シア! シアじゃないか!」
そこには、あの日、死にかけの腐ったゾンビのような人間ではない、人間らしいリットーリオが居た。
何が嬉しいのか分からないが、奴隷時代の名前を連呼して抱きついてくる。とりあえず、俺はロベールなので、シアと言う呼び方は止めてもらおう。
リットーリオはあれやこれやと色々話してくれたが、船の生活が堪えているのか体調が思わしくないようだ。直接、カグツチ国へ来てもらおうかと思ったが、一度、皇都へ寄った方が良いかもしれない。
あの時、リットーリオと一緒に居た末娘とメイドにも挨拶した。二人とも、俺の話が美味すぎることを怪しんでいるようだが、裏など無いので説明のしようがない。なので、この二人は放っておくことにした。
「しかし、ドラゴンの扱いが上手いな。こんなに小さな船に、ドラゴンで乗り移るとは。私が現役なら、シア――ロベールにも負けるとも劣らない動きができたかもしれないが……」
「その能力は、我がカグツチ国で発揮してくれ。直接迦具土神へ来てもらうと思ったけど、おっさんの体調が思わしくないから、皇都で降りられるように手配しておくよ」
「すまないな。頼む」
リットーリオも限界だったようで、俺の提案にすぐに乗ってくれた。末娘もメイドも喜んでいる。
「だが、シアと共に肩を並べてドラゴンをまた駆れるとは、まさに夢のようだな」
「そうだな。あの時よりも上手くなっていることは確実だから、今度は俺がおっさんを揉んでやるよ」
ニヤリ、と笑いながらいうと、リットーリオは男らしい大笑いをしながら俺の肩を抱いた。
「ならば、先輩竜騎士として見てやろうじゃないか。どれほど上手くなったかを!」
「だけど、できるのは一回くらいだな」
「ん? 何かあるのか?」
予想外の返答に、リットーリオの雰囲気がしぼんだ気がした。
「ユスベル帝国第一皇子のアドゥラン皇子が帰って来たんだけど、そこで留学の話が出てさ」
「というと、ニカロ王国に、か?」
「そう。面倒くさいけど、色々と行かなければいけなくてね」
「そうか。それは残念だ」
俺も残念だ。留学なんて面倒くさいが、国からの命令にされては断われない。それに、後回しにしていた、ストライカー家へも農業技術を伝えに行かなければいけないのだ。
こちらはすでに色々と済ましているようなので、確認程度でいいと思うが……。
おっさんには申し訳ないが、カグツチ国の代理人と話し合いながら仕事をやっていってもらわなければいけない。
あぁ、留学とか面倒くさいことこの上ない……。
登場人物
カペッサ=ラジュオール子爵の子供。奇襲作戦の時に、人質としてマシューへ連れて行かれる。
ビス=マシューの農民。ロベールの手伝いをしていて、その農業技術をよく理解しているという理由でニカロ王国へ出向となった。
リットーリオ=ロベール(シア)と同じ領主の元で戦勝奴隷として過ごしていた、ユーングラント王国の元公爵。