騎馬騎士達の考え
今回は間に合った。
「クラウス!」
廊下を歩いているところで呼び止められたクラウスは歩みを止め、背後を振り返った。
静粛にしなければいけない訳ではない騎馬騎士本部の厩舎へ通じる廊下だが、かといって騒がしくして居ては身内の敵につけ込む隙を与えてしまうので、名を呼んだ友人に対してクラウスは溜め息をついた。
「ラドル、騒がしくしないでくれ」
兵士学校から騎馬学校まで同じクラス、似たような成績と言ういわゆる腐れ縁と言う仲のラドルは笑いながらぶつかるようにクラウスの肩を組んだ。
「何だよ、酷い言い方だな。次期公爵様は、俺の様な子爵家の次男坊はお呼びじゃないってか?」
「まだ公爵になれると決まったわけじゃないし、そもそも公爵になるのはロベール様あっての事だ」
「粛清の嵐を軽やかに乗り切り、さらにはマレッターナ騎馬騎士長直轄部隊の隊長をしている人間とは思えないほど、あの竜騎士サマに入れ込んでいるな」
ニヤニヤと笑うラドルの腕を解き、クラウスは溜め息を吐いた。
「互いに利益が一致したから声を掛けられたまでだ。お前ももう少し大人しかったら、もしかしたら声を掛けられていたかもしれないのにな」
「大人しい奴は、みんな粛清の嵐で下に落っこちて行ったぞ? 上の言葉にハイハイ頷くだけや、その席にしがみ付く能しか無い奴は最後には死ぬ。現に皆死んだ」
「俺は、そんな奴らと同じヘマはしない」
「あぁ、分かって居るさ。しかしな。傾いているとは言え当主不在の公爵家令嬢に取り入り、なおかつ仲も良いときている。さらには、没落急降下真っ只中にありながら何とか貴族としての体裁を整えられているのは、都市発展にこの者ありと言われているストライカー卿がテコ入れし、蜂蜜とは違う蜜で作られた甘いお菓子を卸しているからだと聞いている」
蜂が集める花の蜜が蜂蜜であると言うのは、蜂蜜を食べた事がある者――扱っている者も含め――であれば誰しも知っている。
しかし、蜂蜜と言うのは自然界にある物を集めるか、とある領地に伝わる秘儀によって蜂を集め採取するしかない。
そして、ラドルの言った蜂蜜とは違う蜜とは蟻蜜の事だ。
ブレイフォクサ公爵領地の北には砂地の山があり、そこにはアリ塚を作る蟻が住んでおり、その蟻は越冬する為に蜜を集めているのだ。
蟻が蜜を貯めると言う話にも驚きだが、さらに言うなら蜂を集める秘儀――養蜂と呼ばれる方法があると聞いたクラウスはさらに驚いた。その知識量であれば、領地の再生どころか建国も容易ではないのかと思ってしまうくらいだ。
「それら全てはロベール様あっての事。ロベール様が居なければ、ブレイフォクサ公爵は没落し、一家離散後に娘はどこぞの領主の妾になっていただろうな」
「その通りだ。しかし、今だ没落していない。ストライカー卿のお蔭でな。そんなストライカー卿がテコ入れしているブレイフォクサ家の御令嬢からの手紙を、優しい俺が持ってきてやったぞ」
ほらよ、と手渡されたのは厚みのある綺麗な色をした封筒だった。
「……何か汚れが」
綺麗ない色をした封筒ではあるが、所々にヨレがあり一部に見慣れた赤黒い点々が付いている。
「だから言っただろう? 優しい俺が公爵令嬢の手紙を持ってきてやったって。没落へ突き進む公爵家には用は無いが、上昇しつつある公爵家には用がある奴らがお前の手紙を盗もうとしていたんだ」
「誰だ?」
悪い笑みを浮かべるラドルに対し、クラウスは目つきを鋭くして問うた。
あの展覧会では腫物に触るように接していたくせに、いざ復興の目途が立った途端に腹を空かせた野良犬の様に集ってくる。
さらに言うなら、ブレイフォクサ公爵領地がロベールとマフェスト商会の作った磁器製品の集積地に選ばれたからだ。
もともとそのつもりで公爵領地を取ったのかも知れないが、お蔭で公爵領地復興に食い込み利権を得ようとする貴族や商人が多くなっている。
そう言った輩が公爵の娘に手を出してくるのも時間の問題だと理解はしていた。それ以外の、粛清の嵐の時に蹴り落とした連中に対しては心当たりが多すぎて見当がつかない。
「お前のそば仕えのビーグナーだ。あの野郎、お前に散々面倒見てもらっていたくせに目先の安銭に目がくらんでこのザマだ」
「そうか」と、クラウスは小さく呟いた。
そば仕えと言えど、騎馬隊長であるクラウスには馬の世話をする者から身の回りの世話をする者まで、騎馬騎士になったばかりの新人が常に数人侍っている。
件のビーグナーはその中の一人だ。特筆する所は特にないが、気が利き磨けばそれなりに上を目指せる人材でもあった。
騎馬騎士としてそれほど目をかけていた訳ではないが、隊長としてはそれなりに面倒を見て来たので裏切られた感はある。
「それで、どうなった?」
「他の素行に問題のある連中と一緒にお山へ訓練に行かせた」
「いつごろになる?」
「もう出発している」
「なら遅くても4日後か」
「予定通りならな」
お山とは騎馬騎士にとって恐ろしい存在だ。兵士学校から騎馬騎士へ行く騎馬騎士候補生が連れて行かれる場所で、そこで行われる選考訓練はそれなりにキツイ。
もちろん、近衛の様な存在にする為の行事ではないので兵士学校で真面目に訓練をしていれば問題なくクリアする事ができるのだが、今まで町で過ごしてきた少年少女達にとって、突然山に連れて来られて行われる訓練は心身ともに消耗させるには十分だった。
ただ二人の言うお山と言うのは建前の目的地で、本当の目的地はもう少し手前の森だ。
その中には色々な意味で優秀な山賊が住んでおり、よほどの大部隊でなければ勝てない相手だ。
ある程度の金品を持たせて邪魔になった者をお山へと向かわせれば、後はその山賊たちが綺麗に片づけてくれる。クラウス達は手を汚さずに邪魔者を排除でき、山賊達は制裁の来ない相手から金品を奪う事ができる、両者ともに益のある契約となっている。
「それにしても、そのかなりの厚みだな? プレゼントも入っているのか?」
クラウスが持つ封筒は人差し指の第一関節分くらいある。どんなに小さな物でも仰々しい飾り付けのされた箱で送るのが貴族の習性でもあるので、ラドルは手紙数枚と一緒に皇都に居るクラウスへプレゼントも送って来たのだろうと当たりをつけた。
「この中は全部手紙だ。ちなみに、中の紙はこの間さしあげたイスカンダル商会の上級紙50枚だと思う」
「これが……全部だと!?」
製紙技術の低いこの世界では、紙一枚分の厚さがそれなりにある。それでも、50枚分の手紙と言うのは在りえない枚数だった。主に『恐ろしい』と言う意味で。
ラドルは、紙一枚の値段が銀貨一枚と言うのが常識だった今までの値段で考えているので、そこに枚数を掛ける事ででた金額に驚いてもいた。
「手紙ってあれだろ? 近況とかそんな事しか書く事ないだろ? 50枚分の近況って、一体どれだけの事が公爵領で起こっているんだ?」
「主にロベール様に対しての文句と豊かにならない領地についての愚痴だ。この間は『手紙が欲しい』と言われたので同じくマシュー産の便箋を送ったら、それについての愚痴も書かれて送られて来たぞ」
同じマシュー産の便箋と言うのであれば、今クラウスが持っている押し花が漉き込まれた物だろう。
着色や絵描きが書いた模様には無い可愛らしさが受け、女性に贈るならコレが一番と評判が良い。
最近になって似たような商品が売り出されているが、値段が安いにも関わらず品質が大変いいので、イスカンダル商会の販売するマシュー産の紙が業界では一番売れていると言う。
「まさかと思うが、真っ新な何も書かれていない便箋を送ったんじゃないだろうな?」
「そのまさかだ」
「ただの嫌がらせじゃねぇか」
「何を書いて送ろうが、自分の望む事が書かれていなければ愚痴となって返って来るんだ。何も書かない方が経済的だろ?」
「確かにな……」
しかし、送られた便箋全てに文字を書いて送り返すと言うバイタリティは素晴らしかった。
薄氷を渡る生活を送っていたからか、あの展覧会の後に聞いたダイエットの話に加え彼女には根性があるのは確かだ。
ただその根性が捻じ曲がっているせいで、余りよろしくない方に進みそうなのが珠に傷だった。
クラウスは、公爵家に間者が紛れ込んでいると言う事をロベールから聞いていたが、そいつらに唆されないかと言うのが目下の心配事でもあった。
「それで、用事はこれだけか?」
クラウスは騎馬訓練に向かおうとしたところでラドルに呼び止められたのだ。用が済んだら本日の訓練内容をさっさと消化したいと思っている。
「つれない事を言うなよ。用事はもう一つあるんだ」
そう言うと、ラドルは耳打ちをするように顔を寄せた。
「ストライカー卿が兵を集めていらっしゃる。建前は自領周辺の野盗討伐だが、あの方の事だ、何をやろうとしているのか分かったもんじゃない」
言葉尻だけ捉えればロベールが何か悪さをしようと企んでいる、と言う告げ口にしか聞こえないが、ラドルの表情や雰囲気からそういった物は感じられない。
彼はそう言った自分の為の――自分の利益となる可能性のある悪さと言うのを許容する度量があるからだ。
「野盗討伐だろうが、何か別の事をしようとして居ようが、何か考えがあっての事だろう。公爵家令嬢攻略を任されている俺に、その事に対してとやかくいう事は無い」
「違う、そうじゃない。お前が自分に任された仕事を全うしようとしているのは理解している。それについて俺はとやかく言えないし、言うつもりも無い。ただ、マレッターナ騎馬騎士長も立場が立場だから、そろそろ竜騎士本部との伝手を作ってもらっていた方が良いと思ってな」
彼の心配と言うのは、結果的に言えば自分の地位の心配だ。
騎馬騎士本部で粛清の嵐が起こってから、当時カタン砦防衛作戦時に軍を指揮していたマレッターナ騎馬騎士長は難を逃れた。
ただこの難を逃れたと言うのが曲者で、どうみても騎馬騎士本部内でトップ争いを起こさせない為の生贄だからだ。
今の騎馬騎士本部でトップを狙っている人間の流行は、ロベリオン第二皇子の推奨する竜騎士と共闘できる人材をアピールすることだ。
現に様々な貴族が竜騎士と伝手を作り派閥を作り始めている。だと言うのに、彼らの大将マレッターナは動かないで……いや、動けないでいた。
「無駄にデカい組織だからな。下がチョロチョロしていても尻がデカくて動けないでいる」
ちょっとでも動けば何かが起こるのが今の騎馬騎士本部の現状だ。マレッターナ騎馬騎士長が何を考えているのか分からないが、何かが起こると言う事は何かを起こしてこの地位に就いた二人にはよく分かって居る。
「それで、ロベール様と伝手を作ろうと?」
「幸いにも、ストライカー卿は騎馬騎士本部の人間がお嫌いだ。まだ伝手は誰とも作っていないだろう」
ロベールは別段、騎馬騎士本部を嫌っている訳ではないのだが、前トップ陣営とは確執があった。
粛清の切っ掛けを作ったのかもしれないが、粛清に至るまでは騎馬騎士本部の腐敗が原因なので全てにおいてロベールが騎馬騎士本部を嫌い、嫌がらせをするために引き起こした物ではないと言うのは見て取れる。しかし、それに巻き込まれた人間はそんな事を言っていたれないだろう。
さらに言えば、貴族の半数から嫌われていると噂され、爵位を与えた皇帝陛下にも爵位を突き返すと言う暴挙に出た事で、皇室からもやや煙たがられる存在とも言われている。
それでも表だってとやかく言われないのは、ロベール――ヴィリアも含め――の能力の賜物だった。
仲間だった騎馬騎士を蹴落としこの地位に就いたのだが、それでも自分の家を盛り立てようとしてくれている人間にまで後ろ足で砂を被せる事ができないクラウスは逡巡した。
騎馬騎士本部に味方の居ないロベールにとって、この話を持って行くのは渡りに船のはずだ。もちろん、マレッターナ騎馬騎士長にとっても。
しかし、これによって起きる荒波を公爵令嬢に悪い虫が付かない様にしながら乗り切れるのかが問題だった。どちらにしても時間と人手が足りな過ぎる。
「よしよし。なら、まずはマレッターナ騎馬騎士長に話を通しておくだけにしよう。クラウスは心配事が多いが、マレッターナ騎馬騎士長も乗り気になってくれれば、こちらに人員を回してくれるだろう」
ラドルは、逡巡するクラウスに助け舟を出した。まずは話だけをして様子を見ようと言ったのだ。
他の騎馬騎士本部の連中がロベールに手を出して、こちらが後手に回る可能性もあったのだが、それはつながりのあるクラウスが挽回してくれるだろうと言う望みがあっての様子見だった。
今の騎馬騎士本部でロベールに直接的な伝手があるのは、雫機関で勉強している一部の騎馬騎士とフレサンジュ家だけだ。
雫機関は現在凍結中だし、そもそも後ろ盾としての伝手を作ろうとすれば退塾させられる可能性もある。それ以前に、入塾にはその人物の人と成りや背後関係をしっかり洗われているので、伝手作りの為のみで入ろうとした人間は全て落ちているはずだった。
残るフレサンジュは、騎馬騎士で上へ行こうと画策することすらないはずなので無視して構わなかった。
「…………仕方がない。行くか」
「あぁ、そうだな。お前の決定は、決して無駄にしない」
選択の遅さで潰れていく家が多かった粛清の嵐を渡った人物とは思えない先延ばしだが、我が身さえ守れば良いラドルとは違い、クラウスは我が身のみならずヴァトレイ家の地位も守りながらノッラを落とさなければいけないのだ。
それを理解しているラドルは、その選択についての遅さに何も言わなかった。
それ以上に、友人として何とかしてやりたいと思っているからこそ、この話をクラウスに持ってきたのだ。
話をするだけと言う簡単な方針を打ちたててからのクラウスは早かった。すぐに適当な理由を作り、忙しいマレッターナ騎馬騎士長に時間を作ってもらうように言い面会をしたのだった。
登場人物
クラウス=ヴァトレイ家の三男で20歳。粛清の嵐を巧みに乗り越え、この歳で
騎馬騎士長直轄部隊の隊長を任されている。
ラドル=クラウスと同い年で、似た成績の騎馬騎士。クラウス隊の副隊長を務め
る。
マレッターナ騎馬騎士長=騎馬騎士本部のトップ陣営で、たまたまカタン砦防衛
に出ていたので粛清の嵐の被害に遭わずに済んだ――となっている。
12月9日 誤字修正しました。
12月12日 誤字修正、文章の一部を書き換えました。