元奴隷同士
めちゃ遅れました&今回はちょっと長いです。
結果だけ言うと、昼に行った俺とアシュリーの模擬戦は俺達の圧勝だった。
二人でやったはずの模擬戦で圧勝とはどういうことか、と言うと、途中からユーングラント王国の候補生達も参加してきたのだ。
手合せと言う形での模擬戦であったが、刃物を持っていないだけでほぼガチの戦闘だった。
模擬戦中に両国から待ったが入らなかったのは、エリートとは言え非公式な結果の残らない戦いだからか、それとも両国とも事前に話し合っていたからか。
詳しい事は分からないが、とにかく勝った。圧勝することはできなくても、一頭ずつ倒していくのであればアシュリーだけでも良かったかもしれない。
模擬戦終了後、相手側から難癖を付けられないようにそそくさと退散しようとしたが、ユーングラント王国側はそこまで優しくは無いらしく、退散を始めた俺達へ駆け寄ってきた。
さてどんな事を言われるのだろうか、とアシュリーを背中に隠して待ち構えると、かけられた声は難癖でも罵声でも無かった。
「この度は、手合せをしていただき、ありがとうございました。我々は、例え相手が竜騎士の本場の竜騎士であろうとも負ける気は全くありませんでした。しかし、それが己の傲慢さであり学校でトップに立っているからと言うだけで鼻を高くした若輩者だと言う事を痛感させられました」
これが逆の立場だったら、彼の様な事を言えただろうかと思った。
礼から始まり、今回の模擬戦を通して自分を見直す事ができたと言う素直さと強さ。それは彼だけではなく、後ろに控えている今回模擬戦を行った竜騎士候補生全員がそうだった。
同じ竜騎士候補生でもユスベル帝国はどうだろうか。果たしてできるのだろうか?
「模擬戦をしてもらった上に、図々しい事を承知の上で聞きます。もしよろしければ慰めると思っていただいて、後学の為に今の我々に対し忌憚ない意見を頂きたいのですが」
そして、強くなることにどん欲だ。ハングリー精神が旺盛と言っても良いだろう。
学生ではあるが、ついこの間まで敵国だった竜騎士学校の候補生相手に、自分達に対する意見を求める事などできるのか?
俺だったら聞くことはせず、身内で相手側の強さを茶化して終わりだろう。故に末恐ろしい。
しかし、聞かれたのであれば答えるべきだろう。肉体年齢では彼等より年下だが、精神年齢は彼等より遥かに上だ。最近は肉体年齢に引きずられて下がっている気がしないでもないが、それでも子供が物事に真剣に取り組み、なおかつさらに上手く強くなろうとして意見を求められているのだから答えぬわけにはいかない。
「こちらこそ手合せをしていただき、ありがとうございます。身内ではない学校の竜騎士候補生と手合せができ、大変良い経験となりました。先ほどの意見ですが、簡単に言ってしまえば皆さんの技量にドラゴンが全く付いて行っていない印象を受けました。上からの指示で仕方が無い事だと思いますが、ここはやはり年齢がアレの二回りほど上のものが良いと思います。牽制の為と言う事は分かりますが、やはりある程度戦いに慣れたドラゴンでないと模擬戦は難しいと思います」
俺の意見ではなく、先ほどヴィリアが言っていた話を元にして、あとは適当に話を盛って言った。
それほどおかしくも見当違いでもない意見に、ユーングラント王国の竜騎士候補生たちは一様に納得したような顔をした。
逆の言い方をすれば、年下の竜騎士候補生の意見はこの程度と言う感じだろうか。いや、これはさすがに穿ちすぎか。
さすがに、ヴィリアの咆哮で逃げたドラゴンが居るとは言え、ここには10騎以上のユーングラント王国の竜騎士候補生が居る。ユーングラント王国の竜騎士候補生のエリート達が、たったの2騎に翻弄されやられたと言う事実に上の人間はヤバいと思ったのか、会話する俺達の間に学校関係者と思われる人間が割り込みエリート達を連れて行った。
大切な金の卵なので酷い目には合わされないだろうが、この圧倒的な状況に何らかの罰がある事は間違いない。さすがにやり過ぎたかも、と言う考えが頭に浮かんだ。
その日の夜はささやかではあるが宴会となった。
連日連夜、大公家で振舞われる豪華な食事に舌鼓を打つ日々であるが、今は大部屋に特使全員が集まって干物や煎り豆と言った乾物を肴に酒を飲んでいる。
「ストライカー子爵、今日は本当に良くやった。それに、エコールも」
ありがとうございます、と二人そろって総責任者である特使隊隊長に頭を下げた。
彼は交渉組の責任者なので俺とアシュリーの模擬戦を見ていないが、手持無沙汰となっていた他の隊員から子細を聞いていたようでかなり上機嫌に褒めている。
この飲み会は俺とアシュリーの模擬戦勝利祝いと、交渉の進行状況の目合わせを行うための物だった。
やはりと言うかまたかと言うか、今日も今日とて難航しているようだが、今回の模擬戦の圧倒的勝利は俺達特使側にとって非常に有利な物となるようだった。
★
翌朝、ロベールとアシュリーが寝泊まりする部屋を早くからノックする音が聞こえた。
本来であれば、男部屋と女部屋が分かれているのだが、ロベールの意向によりアシュリーは同室となっている。
未婚の年頃の男女が同衾する事は良くない、とユスベル帝国でも考えられている。
特使隊のメンバーも、フォポールではなくアシュリーを連れて来た理由はもしかしたら……、と考えているのは、ロベールが同部屋を申し出た際に当たり前のように二つ返事で頷いたからでもある。
その時の様子も、「隊長でも同じ部隊の人間が相部屋の方が、気が楽」と言った類の物ではなく、さも当然と言わんばかりの態度だったからだ。
別に本人同士が納得しており、なおかつアシュリー自体も満更ではないので問題は無いのだが、今は交渉途中のいつ敵になってもおかしくない国の、しかも大公家の屋敷なのでやましい声を出しては欲しくないのだ。
念には念を、と言った態度の隊長を尻目に、ロベール自体が「何言ってんだ、コイツ?」と言った態度だったのが隊長の疑念に拍車を掛ける結果となった。
お蔭で、部隊の人間が定期的に見に来る状態となっていた。
ロベールと同室のアシュリーがドアを開けると、そこにはバース子爵が居た。
「どうかしましたか?」
アシュリーの服は、プライベートな場では礼を失さない程度のゆったりとした部屋着を着ていた。
麻でできた運動用の服と言っているが、絹の服を愛するバース子爵にとってはちょっと遠慮願う服である。
「いやなに、ロベールと手合せをしようと思ってな」
大体の隊員は見るだけに留めているが、中にはバース隊長の様に手合せを言ってくる人間も居る。
面倒臭がりのロベールは、のらりくらりと理由を付けてかわしているが今回は少し事情が異なった。
「申し訳ありません。ロベール様は体調を崩していまして、今日はゆっくり休ませてほしいと……」
悲しそうに眉根を寄せて言うアシュリーの向こう側に目をやると、天蓋から吊るされたレースのカーテン越しにあるベッドにロベールが横たわっていた。
横たわっていたと言っても、本当に体調が悪いのか余り動くこともせずに身じろぎもしない。だが、被っている布団から出る黒髪の頭は確かにロベールだった。
「疲れか?」
「今は季節の変わり目ですし、昨日の模擬戦で少しはしゃぎ過ぎたのかもしれません」
昨日の模擬戦はバース子爵も、その目で見ていた。学生とは思えない鮮烈な手綱さばきでドラゴンを操り、四方八方からアプローチしてくるユーングラント側の竜騎士候補生達を翻弄していた。
かと言って、アシュリーがサボっていた訳ではない。ロベールに近づく竜騎士候補生を牽制しつつ、自らも前へでて戦いもした。
アシュリーにとって隊長であるロベールへのサポート面が強かったが、行動指針にブレが無く絶妙な具合で互いの間合いを取っていたので、それだけアシュリーの技量が高いと言う事もうかがえた。
「そうか。それは残念だな……。食事はどうする? もしアレなら貰ってくるが?」
何かとロベールの事を気にかけてくれるバース子爵だったが、アシュリーは勢いよく首を振った。
「いえいえいえいえ。バース様のお手を煩わせるなど! 昨日の飲み会の時に食べた物がまだお腹に残っているそうで、食事は後で好きな時に食べると言っていたので!」
「そっ、そうか。まぁ、今日は特に重要な話は無かったからな、ゆっくりするように伝えといてくれ」
アシュリーの剣幕にやや気圧されながら、バース子爵は頷いた。
アシュリーの肩越しに養生するように声をかけてから、半ば押し出されるような形でバース子爵は部屋を出された。
「ふぅー……」
何とか危機は去った、と言わんばかりのため息を吐いて、アシュリーはロベールが寝ていたベッドへ歩み寄った。
「よっと」
そのまま無造作にベッドに体を投げつけ、バース子爵がロベールの頭と勘違いした黒髪のカツラを掴みあげて自分の頭にかぶせた。
「う~ん、良くできてるな」
その黒髪のカツラは馬のたてがみから作られた物で、質が良く一定の長さを揃える為に黒毛の馬4頭分の毛が使用されている。
掛布団を捲ると中からクッションと縛られた、これまた同じ掛布団が姿を見せた。
中で寝ているはずのロベールは日の出と共に、迎えに来た兵士と共に出かけている。
その兵士はマフェスト商会の伝手を使いユーングラント王国で商会を営んでいる商人に雇われた兵士で、ロベールの目的を達成する為に重要な第一歩を担う人物でもあった。
アシュリーが同じ部屋になったのは、まさにこの抜け出しを手伝ってくれる人間だったからだ。そして、これはユスベル帝国もユーングラント王国も知らない。
竜騎士候補生と言えど、特使の一人である事に変わりないロベールが両国に黙って抜け出すと言うのがどれだけの事かアシュリーにも分かっている。
しかし、ロベールの真剣な願いを断れるはずもなく、また夜のアレやコレや以外で同室になる事は何か意味があるな、と何となく考えており心構えができていた事も大きかった。
アシュリーは頭から黒髪を取り外すと、先ほどと微妙に形を変えて掛布団を被せたロベール人形の頭に再び被せ直した。
★
夜明け前に大公家を抜け出し、ヴィリアの居る厩舎へと向かい荷物を引きとりそれを用意された馬車に乗せた。
ヴィリアの厩舎へ行くまでは、協力者である兵士から貸してもらったユーングラント王国で良く着られている平民服を着用していたので疑われることも無く、また今はマフェスト商会からの紹介でバロッサ商会の商人に身柄を預けており、服装は高級商人の身内と言ったところだった。
「商人街を通って行くので、ここまで来ればロン様の顔と名前を知っている人間はほぼ居なくなると言ってよいでしょう」
「何とかなりそうですね」
オレンジに染めた髪をくしゃりと触ると、まだ乾き切っていなかったオレンジ色の色粉が手に着いた。
さきほど商人に名を呼ばれた通り、今は娼館街と言う名の居酒屋通りに良く出没するロンの姿をしている。恰好は先に言った通りだ。
「それにしても、初めにマフェスト氏から連絡があった時は驚きましたよ。何せ、この間まで戦争をしていたユスベル帝国から来るエリートの学生が、我が国の貴族と連絡を取りたがっていると聞いたもんですから」
「先のイザコザの時に知り合った方でして、その時のお礼と近況の報告をしたいと思いまして。今後、停戦協定が結ばれると思いますが、それでも自由に行き来できるわけではありませんからね」
俺が無理をして、こうやってとある貴族に会いたがっている理由を説明すると商人は頷いた。
俺がユーングラント王国へ派遣されることになってから、直ぐにマフェスト商会へ行きユーングラント王国と伝手が無いか聞いた。
戦前は元より戦中から現在へ至るまで少ないがやり取りがあるバロッサ商会を紹介してもらい、今日に間に合うようにドラゴン便と早馬を併用して何とか約束を取り付ける事ができた。
これから会いに行くとある貴族と言うのは、俺がオルトラン家で奴隷として過ごしていた時にユーングラント王国の宮廷剣術のパンネシアや竜騎士のいろはについて教えてくれた貴族だ。
彼が居なければ、俺は竜騎士になろうとも思わず、ヴィリアと出会えることも無くこの地位に来るまでもっと時間がかかっていたはずだ。
もちろん、全く危険ではないと言う訳ではない。あの時は共に奴隷だったが、今は貴族に戻っている。
会った後に何らかのアクションを取られる可能性も否めないが、それでも過去に世話になった人だ。筋は通したい。
バロッサ商会の商人ととりとめのない話をしていると、大きな屋敷に到着した。
元はレンガ造りの屋敷を増改築したのか、左へずれるごとに漆喰で固められたモノとなっており、レンガ造りの方はツタが巻き魔女の館の様な姿になっている。
しかし、「古い」や「汚い」と言った印象は受けない。歴史を感じる事の出来る佇まいだ。
「さぁ、公爵邸に着きました。あちらには話を通してあるので、すぐに当主と面会できると思います」
増築しているせいで、門からやや西に延びる道を辿って玄関に着いた。
そこには執事と軽装の兵士が立っており、バロッサ商会の商人はその執事と2,3言交わすと、馬車の荷台から荷物を下ろすように下男に指示を出した。
知り合いとはいえ、相手はこの国の貴族――しかも公爵様だ。新製品のユスベル磁器を手土産にここへ来た。
見栄で塗り固められたような応接間に通され待つこと数分。扉の向こう側から大人数が移動する気配が近づいてきて、その勢いのまま扉が開かれた。
「御久しぶりでございます、カールス様。突然の面会にお応え下さり、ありがとうございます」
扉が開け放たれた瞬間、バロッサ商会の商人に促されて共に立ち上がりお辞儀した。
それと同時にこの商人が間違いを犯している事にも気付いた。
俺と共に奴隷をやっていた公爵の名前はリットーリオだったはずだ。決してカールスなどと言う愛称では呼ばれない。
それに、カールスと呼ばれた公爵はドスドスと自らの力を誇示する獣の様な足音を出しているが、リットーリオはそんな歩き方はしない。
奴隷になっても、常に貴族らしく気高く生きようと身の形を整えると共に、歩き方と言った日常の動作にも気を付ける人物だった。
「今日は、私に会いたいと言う者が居ると聞いたからな。それに貴様の頼みであれば聞かない訳にもいかないだろう」
顔を上げて、カールスと呼ばれた公爵を見て俺は息を呑んだ。
リットーリオとは似ても似つかない、自身に満ち溢れた獣じみた生き物が目の前に居た。
「それで、そちらの子供が俺に会いたい――と?」
顔を上げた俺の驚きの顔に気をよくしたのか、カールス公爵は片眉を上げて笑みを浮かべた。
そこで、あぁ、と気付いた。この動作はリットーリオもやっていた。面影からリットーリオが投影され、こいつがリットーリオの息子であると言う事を理解した。
「あっ、あの……」
とはいえ、商人の話しではカールスがこの公爵家の現当主なる。
俺はリットーリオが当主とばかり思っていたので、何の策も無く正面から来たのだが、相手がこれでは昔馴染みと言った物は通用しない。
「はっ、初めまして。この度は面通りしていただきありがとうございます」
予想外の人物の登場に若干の焦りを覚えつつ、何とか無難に挨拶をした。
「私は、駆け出しの商人、ロン・カッツェでございます。本日は、公爵様にお勧めの品をご用意させていただきましたので、御笑覧いただけたらと思い馳せ参じました」
「ふむ、そうか。駆け出しの商人がそれほどの物言い。それはそれは素晴らしい物なんだろうな」
横柄な言葉に俺のテンションが駄々下がり。こんなのがリットーリオの息子なのか、と。
しかし、それもすぐに悪い方に崩れる。
「――が、その前に私は、ロン・カッツェなる人物を知らない。私は、今回の場において「古き知り合いが訪ねてくる」と聞いていた。もう一度言う。私は、ロン・カッツェなる人物を知らない」
怒気を孕み始めるカールスに、即座に反応したのは商人だった。
「もっ、申し訳ございません! 此度の面通りの際に、ウチのコイツが素晴らしい物を手に入れた事により、失礼ながらもカールス様と「古くからの知り合いの様な仲になれたら」などとのたまいまして。それがカールス様へと届くころには、そのような内容になってしまったのかと! 本当に申し訳ございません!」
ほら、お前も謝らんか! と、商人は何の遠慮もなく俺の後頭部を鷲掴みにするとテーブルへ叩きつける勢いで頭を下げさせた。
「もっ、申し訳ございません! 独力で素晴らしい品を手に入られたことに舞い上がってしまい、思い上がりによりあのような言葉を口走ってしまいました!」
公爵家当主だと思っていたリットーリオに不振がられないようにと、バロッサ商会を通しての自身の紹介をあの様に言ったのが仇となった。
だってそうだろう。まさか代変りが発生しているとは思わないぞ!
「フン」
商人の咄嗟の機転により言葉の綾としたことが功を奏したのか、カールスは鼻を鳴らすと腕を組んでこちらを睨みつけた。
「駆け出しの商人如きが、私を満足させられる物を揃えられると言うのか?」
どうやら、興味は俺が言った事から俺の持ってきた品に移ってくれたようだ。
しかし、それはそれで問題だ。何せ、俺の持ってきた物はユスベル磁器なのだから。
「はい。こちらにございます」
ソファの横に置いてある荷物置きから木箱を取りテーブルの上に置き、フタを開けて中から布に包まれた壺を取り出す。
芸術品に関して造詣が深いのか、布を取るとカールスは驚きの息を吐いた。
色つきの壺の他に、俺が師事したマフェスト商会のみが作る事ができる白色のボーンチャイナを興味深そうに見ている。
「ニカロ磁器か――。素晴らしい白だな」
特に興味を引かれたのはボーンチャイナのようで、むんずと無造作に掴むとその白が着色ではない事を確かめるように顔の近くまで引き寄せた。
「申し訳ございませんが、カールス様。そちらはニカロ王国から技術協力によって作られたユスベル帝国の磁器でございます」
俺がカールスの言った産地と違うどこ産の磁器かを訂正した瞬間、一気に目の色が変わった。
「貴様ァ……。我が公爵家があの国のせいで、どれほど辛酸をなめさせられたか理解した上でこれを持ってきたと言うのか!」
怒髪天を突く、または逆鱗に触れると言った言葉がしっくりとくるカールスの激昂。今は言葉だけで済んでいるが、いつ剣でぶった切られても不思議ではないほどのブチ切れ具合だ。
どれだけ辛酸をペロペロさせられたのかは知らないが、この程度の事でブチ切れていてはこの先が思いやられる。
「しかしっ! 今回これを持ってきたのには意味があります!」
何とか理由を考えなければ。何か無いだろうか……。
「下らぬ理由であれば、貴様も、コイツを連れて来た商人も処刑する」
俺の言い分を聞くだけの理性が残っていてくれたようで、とりあえず話だけは聞いてもらえるようだ。隣でガタガタ震えている商人には申し訳ないが、俺の言葉だけで何とか怒りを抑えてくれることを祈っていてくれ。
「現在、ユスベル帝国はユーングラント王国に停戦協定を申し入れています。今回行われている協議により、停戦協定は締結される予定となっています」
「どこのどいつが言っていた? 王国は負けぬ。帝国の様な腰抜けの集まりなど、貴族・平民問わず一丸となり蹴散らしてくれるわ」
「私が帝国まで赴いて友人より聞いてきた物です。今後はユスベル帝国より様々な品が入ってくることとなりましょう。さすれば、先ほどのカールス様の様にユスベルの品をニカロの物だと間違える方々も多く出て来るでしょう」
さっきの話を蒸し返したからか、カールスが若干イラッとした顔つきになった。
「師匠が良いからでしょう。ユスベル帝国も良い仕事をしております。これほどの品がニカロ王国の物よりも安く売られており、心無い商人がユスベル磁器をニカロ磁器として売り出すかもしれません。そこで、今回こちらを持って来た理由は、まさにそうなった場合に見分ける事の出来る審美眼をカールス様に持っていただきたいと思ったからです!」
「審美眼……とな。貴様は、私に見る目が無いと言いたいのか?」
「見る目があるからこそ持ってきた次第です。見る目が無い者の所には、そもそも良い品は集まりません。その壺を見てお分かりのように、ユスベル帝国は後発でありながら素晴らしい品を作っています。そして、今はまだユーングラント王国ではユスベル磁器は売り出されておりません。審美眼を磨きつつ、良い品を持つ。先の事を鑑みればユスベル帝国の物を持つなど、自身を穢していると御思いになるかもしれませんが、良い物に罪はありません。良い物は良いと言う大海原の様な広い心を持ち、今後出て来るであろうユスベル磁器をニカロ磁器と偽って売りに来る商人に騙されない為にも、これを是非にと思っております」
俺達が作った磁器がニカロ王国に劣っているとは思わない。しかし、ニカロ王国の磁器は歴史があり、少しずつ変わっていく姿形にも流行と言う物以外にも理由がある。
つまり、凝り固まった考えを持たず、良いと思った物を良い形として出していく柔軟性がある。つまり後発の強みである『歴史に囚われない柔軟な作品を生み出す』と言う物が使いにくくなるのだ。面白いじゃないか。
半分本音。半分適当な俺の言葉を聞いたカールスは、俺の狙い通り考え込んでくれた。さすがに、リットーリオの息子と言うだけあって馬鹿な貴族ではなく、きちんと考える事の出来る下地があるようだ。
カールスは俺の言った話と見栄とその他の何やかんやと天秤にかけ、黙考する事、数分。
「貴様は、今後このような帝国の製品が王国にたくさん入ってくると言ったな?」
「はい。今すぐにではありませんが、近々確実に。初めは他の貴族の方達はひっそりと持っているだけでしょう。しかし、誰かが口にした瞬間、堰を切ったように話題になる事は間違いないと私は確信しています」
ニッコリと笑顔で答えると、カールスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「子供が知ったような口をきく」
「良い物は良いと思えるだけの目はあると自負しています。今回の品は、本当に良い物と確信したからこそカールス様に喜び勇んで持ってきた次第です」
先ほどは本当に申し訳ありませんでした、と頭を下げると、カールスは面白くなさそうに蝿を追い払うように手を振って、もう良い、と言ってくれた。案外良い奴かもしれんなカールス。
「ならば、その二つは貰おう」
「ありがとうございます。お値段の方ですが――」
今回は初顔合わせの為にお安く~、的な事を言って適当な値段を付けようとしたら再びカールスに止められた。
「お前はこれを手に入れる為にユスベル帝国に行ったんだな?」
「はっ、はい。風の噂でこの磁器の話を聞き、すぐに馬を手配して伝手を辿りながら」
難癖でも付ける気だろうか? ユスベル帝国の製品など賎貨1枚で十分だわい、的な。
「一人か?」
「はい。別の商会の商隊にくっ付いては居ましたが、基本は一人ですね」
「何故だ?」
「コレだ! と思ったので、仲間に声をかける時間がありませんでした。あとは、仲間に負けたくないと言うのが心情ですね」
カールスは俺の言葉を聞くと、そうか、と小さく呟いた。
「商人とは難儀な物だな」
「私にはまだ分かりませんが」
「2つの壺を金貨500枚で買おう。それと約束しろ。幾ら他人を出し抜きたくとも、無理な行軍はするな。無理をしたがために敵に掴まり、家族だけではなく親族や知人にまで迷惑をかけた奴を私は知っている。それが守れると言うのであれば、お前の持ってきた良い品をまた買ってやる。良いな。絶対に無理をするんじゃないぞ」
話しは以上だ、と言わんばかりにカールスは席を立つと部屋を出て行った。
迷惑をかけた奴とは、カールスの父のリットーリオかな?
あとに残された俺は呆気にとられ、生きた心地がしなかったであろう商人は大きく深呼吸し、カールスの執事は料金の支払い準備を始めた。
今回はお試し価格で、壺2つで金貨50枚を予定していたので、10倍の値段で売れた事になる。美味い話だ。
★
「本当に良かった。今生きている事を、私は神に感謝します」
公爵家後にし、馬車に乗りこんでからと言うもの商人は肩を震わせて神に感謝し続けている。
「いやいや、申し訳ありませんでした。公爵家当主が代替わりしているとは思いもよらず」
何せ、俺とリットーリオのおっさんが奴隷として生活していたのは2年ほど前だ。しかも、その時のおっさんは公爵家当主。代替わりはしていなかった。
今のカールスの話を聞いていれば、おっさんが奴隷として生活している最中にカールスが当主になったのだろう。そして、親族や友人知人の力によって帰って来たおっさんは強制隠居と言う塩梅だろうか。
「こちらこそ申し訳ありません。現当主と面会したいとばかり聞いていたので、まさか前当主様だとは思いもよらず」
それも仕方のない事だろう。特使に同行する事になってから少しながら日数があったとはいえ、この世界の様な通信システムが確立していない所でツーカーの連絡が取れる筈もない。
多分、手紙には一方的な事が書いてあったのだろう。何せ話し合う為に手紙のやり取りをする時間も、そんなお金も使えないのだから。
それでも、このように俺の望み通りユーングラント王国の商会が動いてくれているので、これ以上は高望みと言う物だ。
「こちらです。こちらが、前当主リットーリオ様の邸宅です」
「これがって――マジで?」
先ほどの歴史を感じる建物とは違い、こっちは古いだけで歴史を感じない汚い家だった。
確かに手入れはされているのだが、手入れではどうにもならない建物の痛みがそこらじゅうに発生しており、修繕と言うか大規模な改築が望まれる物件だった。
まずもって家督を譲った貴族が住むような家ではなく、没落してから何世代か経った名も名誉も過去ではなく消滅したような貴族が住む家であった。
「ご存じだと思いますが、リットーリオ様はユスベル帝国で捕虜となった後、身代金が支払われずに奴隷となりました」
これは、オルトラン家でのことだな。あの時は、身代金さえ支払われれば帰ると言っていたおっさんだったが、なかなか支払われずにずっと奴隷に身をやつしていた。
「息子である先ほどのカールス様は、捕虜となってしまったお父上を蛇蝎の如く嫌い、身代金は支払わない方向で決まりました。しかし、捕虜となる原因となってしまったリットーリオ様の部下や弟や友人が金を出し合い捕虜返還となりました」
捕虜の額は公爵と言う事もあり、かなり高額だったと記憶している。
それまではごく潰しだのなんだのとおっさんを罵っていたオルトラン家の面々だったが、捕虜が引き取られるとホクホクとした顔で、俺達奴隷にも果物を買い与えてくれたくらいだ。
「リットーリオ様は、やっとの思いで王国の自宅へ戻ってきました。しかし、家督はすでに息子が継いでおり、その息子は帰って来た父をなじり倒しこの屋敷へ放り込み表へ出る事を禁じました」
ここで話は終わりなのだろう。おっさんは貴族なら当たり前なのだろうが、知識人で話のうまい人間だった。
捕虜――奴隷になった時も、家は息子が居るから大丈夫だと言い続け、当時助けた部下や友人の安否を気遣っていた人だった。
人生とは、何とも上手く行かない物だ。
「失礼。バロッサ商会の者です」
ノッカーの壊れたドアをドンドンと叩くが、中から生体反応はない。静かな物だ。いや――ドアの向こう側、遠くから人の歩く音がする。
控えの人間が居ないのか、ずいぶんと遠くに居た人間が玄関まで迎えに来てくれたようだ。
「――どちらさまですか?」
そして、ドアを開けたのは40歳を越えたくらいのおばさんメイドだった。
玄関を少しだけ開けて俺と商人を怪しい者を見るような目で見たメイドは、そんな風に聞いてきた。
「御久しぶりです。バロッサ商会の遣いで来ました」
商人が挨拶するのに合わせて俺も小さくお辞儀した。きちんとスマイル付きでた。
「ここはリットーリオ様の屋敷です。カールス様のお屋敷は向こうにあります。こちらでは物を買う事はできません」
お引き取りを、とこちらの言葉に耳を貸すことなくドアを閉めようとするメイドだが、俺も帰宅の時間が迫っているのだ。こんな所で時間を食っている訳にはいかない。
やや強引だが、玄関が閉められる前に足を突っ込んで施錠できないようにした。
「すみません。リットーリオ様と面会させてください」
「なっ!? 貴方、それでも商会の人間なの!? 無礼ですよ!」
「人の顔を見て直ぐにドアを閉めるのが公爵家のやり方であるのなら、これも商人のやり方として諦めてください。とにかく、リットーリオ様にシアが来た、と伝えてください。それだけで私が誰か伝わるはずです」
突っ込んだ足のつま先をメイドが踏む。「足をどけなさい」「いやいや、俺の胴回りほどの足が乗っかっていて動きません」「ムキー!」と言ったアホなやり取りをしているが、屋敷を守る兵士の一人も来やしない。
押し問答をしていると、やっとこさメイドが折れてくれたようで、とりあえずおっさんにシアと言う人物が来たと言う事だけを伝えに言ってくれた。
待つ事数分。先ほどのメイドが息せき切らして俺達を迎え入れてくれた。
★
屋敷の中は空気の流れが悪いのか、窓を開けていると言うのにカビ臭く湿気っていた。そこ湿気っぽさが外観に影響をしているのかも知れない。
通された――おっさんが居る部屋は屋敷の奥まったところにあり、廊下よりもさらに陰鬱な雰囲気を発している、
おっさんに会うにあたって商人には別室で待ってもらい、俺一人で会う事にした。
「しっ、シア……なのか?」
一人掛けのソファに座っていたのは、俺の記憶よりも大分痩せて整えられていたヒゲは生え放題で滅茶苦茶。
体全体の生気を失っており、夜中に見れば半生半死の幽鬼に見えただろう。
おっさんは俺の顔を見るとワナワナと震えだした。
「おっす。家に帰ったら手紙を送るって言ってたくせに、全く送って来ないから来てやったぜ」
馴れ馴れし俺の口調に、メイドやオッサンの隣に座っていた若い女性が目をむいて驚いた。
「おまっ、お前は、どうやってここまで来たんだ? あぁ、あぁ、そうか。お前は頭が良かったからな。そうか。商会に取り入ったのか」
幽鬼の様なおっさんの目に光がともり始め、俺が会いに来てくれたことを喜んでくれた。
「んまー、若干違うけどね。それで、できれば色々話すにあたって人払いをしてもらいたいんだけど」
おっさんがこんな所でこんな風に腐っているとは思わなかった。初めは会ってちょっと話て終わりって感じだったけど、ここはスカウトするのも良いだろう。
「あぁ、紹介がまだだったな。こちらは、私の末の娘だ。あちらは、古くからウチに――私が公爵だった頃から身の回りの世話をしてくれていたメイドだ。二人とも悪い人間じゃない」
おっさんから紹介されると、二人とも俺の事を怪しい珍妙な生き物を見るような不躾な視線を送ってきた。
それに対して同じく不躾な視線を投げつけると、末娘さんの方はバツが悪そうに視線を外した。勝ったぜ。
「それで、シアは私に会いに来てくれたのか?」
悪い人かどうかではなく出て行ってほしかったのだが、おっさんは俺の事を身内に紹介したい。彼女らは、怪しい俺を監視したいといったところだろう。仕方ないので、このまま行く事にした。
「まぁね。さっきも言った通り、連絡の一つも寄越さないから気になって来てやったよ」
久し振りに孫が遊びに来たお爺ちゃんの様な口調に驚いたが、会いに来たことには間違いないので肯定すると、おっさんは嬉しそうに頷いた。
「そうか、そうか。それで、商会の伝手を辿ってここまで来てくれたのか……。本当にありがとう」
「いや、俺は商会の人間じゃないよ」
「……ん? では、どうやって帝国から?」
おっさんの口から帝国と言う単語が出て、末娘とメイドの口から小さな悲鳴が出た。この家にとって――いや、公爵家にとってユスベル帝国は禁句クラスの言葉なのだろう。
「おっさんのお蔭で、今や学校では負けなしの竜騎士候補生だよ。剣技もクラスでそこそこ良い位置に居るしね。もう一度言うけど、俺が竜騎士に慣れたのも、こうして会いに来れたのもおっさんのお蔭だよ」
ユーングラント王国に居るユスベル帝国の竜騎士と言えば、停戦協定に来ている竜騎士だけだと言う事は、貴族や貴族の末席に位置する人間であれば知っている。
知っているからこそ、ユスベル帝国の竜騎士がこんな所に居る筈がないと思っている二人は「何を言っているんだろうか」と首を傾げた。
唯一理解しているのは、俺と同じ奴隷として過ごしていたおっさんだけだ。
「そうか――そうかぁ……。私の今までは無駄な事では無かったんだなぁ……」
無精ひげがたくさん生える顔を手で押さえ、その手を上下させるたびにジョリジョリをおっさん音がした。上を向き、震えた声が出ているのは泣いているからだろうか。
「本来であれば酒でも開けて歓迎パーティーを開きたいところだが……。ハハッ、見ての通り隠居生活でな。余り豪勢な事は出来ないんだ」
目を真っ赤にして周囲を示して見せたおっさんは笑っているが、その顔にはすでに何もかも諦めた廃人の気が出始めていた。
「まぁ、おっさんが愉快な生活をしているとは思わなかったよ。本家の方に行ったらカールス君が現当主として出てきて、危うく切り殺されるところだったわ」
「そうか……。あいつは、いつも通りだな」
「んでも、話の分かる人だったよ。俺の生活についても初対面なのに色々と心配してくれたし、おっさんへのお土産で持ってきた幸運の壺も高値で買ってくれたしね」
カールスに対する俺の評価がそれほど悪くない事に驚いたのか、おっさんも二人の女性も目を丸くした。ご家族からのカールス君の評価はイマイチの様だ。
「おっさんは、これからどうするつもりなの?」
「どうするつもり、とは?」
「いやさ、このままこのカビ臭い部屋で一生過ごすのかな~って」
「…………そうだな。私は沢山の人に迷惑をかけた。ここで朽ち果てるのが一番良いだろう」
先ほどとは打って変わり、やっとい活き活きとしはじめたおっさんの瞳は濁り、陰鬱な表情へとなった。
「お父様! お父様は国の為に、竜騎士として活躍してきたじゃない! あの時は、部下を救って仲間も無事に逃がした! 確かに身代金で迷惑をかけたかも知れないけど、あれは馬鹿なお兄ちゃんのせいで、お父様のせいじゃないじゃない!」
「そうですよ、旦那様! 旦那様は恥じることない立派な方でございます!」
沈むおっさんに娘とメイドが励ましの言葉を投げかけた。俺を睨む二人の視線が痛い。
いやいや、奴隷時代のおっさんであれば大爆笑して適当な言葉を吹っかけて来たと言うのに、ここでの生活はよほど堪えているのだろう。
「今からいう事は内密にしてもらいたいんですけど……」
と、俺が声を出すと、先ほどまでおっさんを励ましていた女性二人は静かになり、おっさんも濁った眼でこちらを見てきた。
「これから皆さんが聞く話は、かなり危ない物です。聞いた後に選択しない場合は心の内に秘め、絶対に口外しないと誓ってください。もしできないのであれば、お二人は部屋から出て行っていただいてもよろしいですか?」
俺の真剣な表情に、一体どんな話が始まるのか、と不安な表情を見せる女性二人に対し、おっさんは濁った眼に少しだけ光りが戻った状態となった。
おっさんは二人に部屋から出て行くように指示をし、怪しい人間である俺と二人にはできないと食い下がられても頑なに首を横に振り出て行くように指示をした。
最後に部屋に残ったのは俺とおっさんだけだ。なにかあればいつでも飛び込んでこられるようにドアに耳をあてている可能性もあるが、この距離では話し声はモソモソとした音となり詳しくは聞けないだろう。
「それで、話とは一体どういった?」
「簡単に言えば、俺と一緒に帝国に来てください」
「帝国に……?」
言っている意味が分からない、とおっさんは目を丸くした。
「帝国と言っても、俺が統治しているカグツチ領です。大きな声じゃ言えませんが、俺は今国を作っています。国に必要なのは色々あれど、民は問題なく集まっており金も何とかなると思います。しかし、軍が無い。いや、まだそんな大それたものを作る事ができるとは思っていません。なので、今必要な物は軍へと成り代わる事ができる下地を持った人間の育成です。そして、今一番欲しいのは竜騎士です」
「ちょっ、ちょっと待て。国を作る? それは何だ? おとぎ話か? それとも、おままごとの事か?」
「おとぎ話でもなく、おままごとでもない。俺は今、全力で国を作ろうと思っている。ユスベル帝国にも、このユーングラント王国にも負けないような国を。今は食糧増産計画に則り食料を増産しているけど、今後必要になるのはそれら財産を守る武力だ。騎馬兵が欲しいところだけど、今は攻撃力が高く広範囲の土地をカバーできる竜騎士が欲しい」
「竜騎士だと!? そんな物は、国が管理しているだろう!?」
ユーングラント王国はユスベル帝国と竜騎士――いや、ドラゴンの管理法が違うようだ。
しかし、今はそれを論する時間ではない。
「こちらではどうか分かりませんが、ユスベル帝国の方では野良や野生のドラゴンが生息しています。基本的な動きは俺が仕込みますが、その後の竜騎士の教育に関してはおっさんにやってほしいんです」
俺の言葉がどこまで本当なの見極めようとしているのか、おっさんは口の中であーでもないこーでもないと議論を重ねている。
そんな事をやっても意味が無い事は、多分おっさんが良くわかっている。だけど、迷う。旨い話だから。
「なぜ、その話を私に……? 帝国には私と同じような技術を持った人間が多く居るだろう?」
「多く居るとは思いますが、知り合いには居ません。俺がおっさんを誘ったのは、おっさんがこんな愉快な生活をして腐っているからです。竜騎士はドラゴンと共に空を飛んで何ぼの物ですよ? こんなジメジメした部屋で不健康に過ごすくらいなら、一念発起してもう一度空を飛びませんか?」
ドラゴンと共に空を駆けるのは竜騎士だけの特権だ。まぁ、最近の俺の知り合いは竜騎士じゃなくても飛んでいる奴が多いけどな。
それでも、空に憧れて空を飛んだものは地上で燻る事を嫌うはずだ。
甘美な誘惑に心を揺らされているおっさんだが、もう一歩の所で踏み出せずにいる。
「そっ、それは我が王国を裏切れ、と言う事と同義だろう」
「この国に居てもドラゴンには乗れないでしょう? 別に裏切らなくても良いんですよ。戦争にならないように、おっさんが頑張れば良いんですから。ちなみに、渡航費や向こうでの家や向こうで生活が安定するまでのお金も全額、私が負担しますのでご安心を」
奴隷時代の馴れ馴れしい口調をいったん止め、営業スマイルを浮かべて営業活動を行うとおっさんの心のゆれ幅が一気に上がった。
こんなボロ屋敷に住んでいるのだから、お金はカールス君から必要最低限貰っているだけだろう。
そこに、渡航費や家や一時的な生活費を全額負担してくれると言う。
「クッ……」
リットーリオは悩んだ。今まで仕えてきた王国から敵国だった帝国へと移住するのだ。
戦争は自分次第と言っていたが、いざ戦争になった場合に自分はどうするのか? 王国を裏切るのか?
国を作ると言うが、本当に国は作る事ができるのか? そもそも、これは自分を貶める為の仕上げなのではないのだろうか?
そんな事をぐるぐると考えているとシアが立ち上がった。
「時間が押してるんで帰ります」
「あっ、あぁ……。バロッサ商会か?」
「俺は、ユスベル帝国の竜騎士だよ? 泊まっている所は大公家さ」
おっさんはソファに深く座り直し、そうだったな、と小さく呟いた。
「返事はなるべく早い方が嬉しいけど、俺はいつ帰るか分かんないからな~……。もし結論が出る前に俺が帰っちゃったら、手紙はバロッサ商会によろしく」
それじゃあ、とおっさんの顔を見ることなく部屋を出て行った。
部屋を出る際にドアを開けると、ドアに耳をくっつけていたおっさんの末娘とメイドが部屋に雪崩れ込んできた。
おっさんに駆け寄る二人にも挨拶をして、商人を連れて外へ出た。
「急いで戻らねばなりませんね」
「えぇ。もう少し収穫が欲しいところですが、急いては事を仕損じますからね」
「全くです」
馬車を急いで走らせてもらい、明るい内に何とか大公家までたどり着くことが出来た。
部屋ではアシュリーが上手く誤魔化してくれていたようで、竜騎士仲間も大公家の人達にも怪しまれる事無く部屋に戻る事ができた。
★
交渉は紆余曲折あった物の、その3日後に協定は締結されユスベル帝国とユーングラント王国は完全に停戦となった。
俺はと言うと、帰る直前に受け取った手紙を空を飛ぶヴィリアの背中で読み、喜んだ。
登場人物
リットーリオ=オルトラン家で戦勝奴隷として捕まっていたユーングラント王国の貴族。
息子のカールスに家督を取られてから強制隠居をしていた。
カールス=リットーリオの息子。敵国の捕虜(戦勝奴隷)となったリットーリオを蛇蝎の如く嫌っている。
そのせいもあり、捕虜返還の交渉も行わなかった。
オルトラン家=ロベール(シア)やリットーリオを奴隷として飼っていた貴族。
10月10日 誤字修正しました。
10月11日 誤字修正しました。
10月13日 後書きの誤字修正しました。
11月21日 ルーカスをカールスに修正しました。




