幕間 『ブレイフォクサ家のお姫様と田舎娘』『候補者』
幕間ブレイフォクサ家のお姫様と田舎娘
「お姫様が居る」
お兄ちゃんのお手伝いでこのお屋敷にやって来てから2日目。豚さんが住むお屋敷には、綺麗なお姫様も居た。
夜が明けると共に、マリッタさんとどこかへ出かけて帰ってくるのは昼過ぎだった。いつもいつも一緒に出掛けるメイドの人達に肩を抱えられて帰ってくるのは、どうやらダイエットと言う痩せる為の運動をしているからって話を聞いた。
お兄ちゃんが町に来てくれるまで、まずお腹いっぱいにご飯を食べる事なんてできなかったし、もしできたとしても仕事以外で動こうと言う意味が分からなかった。
でも、大人になると綺麗な服を着る為に運動しなくてはいけないみたいだ。お姉ちゃんも結婚に向けて服を作る時、体型より少し小さめに作ってしまったらしく何とか痩せる為に食事量を少なくしているのを知っている。
「私も痩せた方が良い?」とお兄ちゃんに聞いたら「人間自然が一番だよ」と言ってくれたので、今のところ私にはダイエットは必要ないようだ。うん、良かった。
そんなお姫様の最近のお楽しみは、肌を焼かないようにとお兄ちゃんが立てた屋根だけのテントの下でする花の冠作りのようだ。
でも、作り方を知らないのかバラバラの長さの草や花を適当に編んでいくもんだから、不格好だったり途中でほぐれたりしている。
だから、私が頑張って作ってみた。花の冠作りはお兄ちゃんに教えてもらってから得意なのだ。
「これ……どうぞ……」
でも、力作の花の冠を渡す所で躊躇してしまう。前にお兄ちゃんとお姫様が本気で言い争っているのを見たからだ。怒っていても本気で怒ったことの無いお兄ちゃんだったが、お姫様と言い争っている時はヴィリアとそっくりだった。
「…………ありがとう」
しかし、この笑顔を見れば昨日の言い争いが嘘なのではと思ってしまう。
病気で亡くなったおばあちゃんが良くこんな笑顔で笑っていた。おばあちゃんは嘘か本当か貴族の出身だったので、貴族のお姫様は皆こんな風に笑うのかもしれない。
お姫様は私に向けて小さく頭を向けた。乗せて、と言う事かな?
恐る恐る花の冠をお姫様の頭に乗せると、お姫様は柔らかく微笑んだ。
「似合うかしら?」
「はい。すっごく!」
やっぱり、豚さんではなくお姫様だ。
幕間 候補者
父からの使いに呼ばれて行ってみると、そこには父とアドゥラン第一皇子様の主催する展覧会で波乱を巻き起こした張本人であるストライカー子爵が話をしていた。
「父上。クラウス、参りました」
胸に手を当てお辞儀をした。
「ロベール様。こちらが、ヴァトレイ家の三男でありますクラウスです。歳は20と若いですが、現在マレッターナ騎馬騎士長の元で研鑽に励んでおります」
どうやら、父はストライカー子爵に私の売り込みをしていたようだ。ストライカー子爵は、私の経歴に驚かれているようだが、これは騎馬騎士本部で大粛清が行われた時に上手く波に乗れただけの産物であり、またそれほど褒められた物ではない。
まぁしかし、勝てばいいと言うのがヴァトレイ家の家訓なので、周囲が何を言おうが私の勝ちなのだ。
「クラウス・ヴァトレイです。今は騎馬騎士本部に所属しており、マレッターナ騎馬騎士長の指揮下の第六部隊で隊長を務めています」
「その歳で、騎馬騎士本部のナンバー2のマレッターナ騎馬騎士長の元で隊長を務められているとは大変すばらしいですね」
「運が良かったとしか言いようがありません。私は、ストライカー子爵がその御歳でありながら、これほど素晴らしい物を次々と発表することが出来る頭脳をお持ちなのが羨ましい限りです」
若干居心地の悪い褒め合い合戦のあと、ストライカー子爵は商会の人間に呼ばれてこの場を離れた。
「クラウス。お前を呼んだのは他でもない。ロベール様からの直々の願いでな」
「私へ直々……ですか?」
「あぁ――」
と話を続けようとした父の手元に、先ほどストライカー子爵が発表した不思議な小箱――オルゴールを持っている事に気づいた。
まだ発表だけに留めており、持っているのはストライカー子爵か今まさに行われているビンゴ大会の勝者くらいだろう。
「――これか? これはな、ロベール様がツェツェリアにと持たせてくれた物だ」
妹にか。妹は身内目を抜いても美人であり利発であり器量も良い。浮いた話が無いストライカー子爵であっても、ツェツェリアの魅力の虜になってしまったのだろう。
しかし、相手は侯爵家の長男だ。しかも、父親のモンクレール様は国議会に出るようなお方で、そのご子息のストライカー子爵は展覧会の出品者側でアドゥラン第一皇子に呼ばれるような方。
正妻は別に居り、残念だがツェツェリアは側室扱いだろう。しかし、それでもヴァトレイ家の為になるのであればあいつも納得するだろう。
「そうでしたか。このような素晴らしい物、ツェツェリアも喜ぶでしょうね」
「ああ、そうだ。それでな、ロベール様のお願いというのがだな――」
父からの話を聞き、耳を疑った。
★
「まさか、ストライカー子爵が男色に興味を持っていたとは……」
薄暗い通路を歩き、父に教えられた部屋へ向かう途中で、男同士で夜の営みを行う方法について考えた。しかし、そのような知識は自分の中に一つもないのでどうにもならなかった。
何を焦っていたのか、父は早口でまくしたてると追いやるように会場から私を追い出した。
そこでの言葉をつなぎ合わせると、ストライカー子爵が部屋で待っていて、自分がストライカー子爵に気に入られよ、と言う事だった。
もちろん、自分も抱くなら女が良い。しかし、自分の体一つでヴァトレイ家をさらに盛り立ててゆけるのであれば、男の体を受け入れるのもやぶさかではない。
ここは清濁併せ呑み、個と言う物を消し去るのが吉だろう。
「失礼します」
ストライカー子爵が待っているであろう部屋を開けると、中にはストライカー子爵ではなく一人の女性がソファに座っていた。
「…………」
それが誰か分からずに数秒だけ固まってしまった。
「ドアを開けたまま、外から中の様子を窺い続けるのは失礼じゃないの?」
「――失礼しました」
険の強い声色で意識が元に戻り、五月蠅くならないように急いでドアを閉めた。
そうだ。このソファに座っているのはブレイフォクサ家の長女のノッラだ。父から何度か聞いたが、領地の立て直しに派遣されたストライカー子爵の邪魔ばかりしているそうだ。
そこで自分がとんでもない勘違いをしている事に気づいた。待っているのはストライカー子爵ではなく彼女だったのだ。
そう。ストライカー子爵は、私に彼女を殺せと暗に言っているのだ。人の上に立つ者は自らの手を汚してはいけない。手を汚すのは自分の様な人間の仕事だからだ。
「しまったな」
今は場所が場所なだけに帯剣どころかナイフすら持っていない。部屋を見渡しても鈍器の類しかなく、使えば衛兵が駆けつけてくるだろう。
ならばベルトか……。いや、ベルトも綺麗に抜き取れる保証は無いので、この際、感触が残って嫌だが手で首の骨を折るのが良いだろう。
「そそっ、それで、貴方がストライカー子爵に言って私へ目通りをお願いしたと言う、素晴らしい経歴を持つ婚約者候補なのかしら?」
意味が分からんな。なぜ殺される人間が私の事を婚約者候補とする?
いや、しかし……そうか。早計だった。ここで殺しては足がつく。言葉で誘いだし、外で殺るために婚約者候補と言う設定だったんだな。
「失礼いたします。遅れてしまい申し訳ありません」
ノックと共に部屋へ入って来たのは。この館のスタッフだった。柔らかな香りが漂うハーブティーの様だが、今は彼女を殺すのをとどまった自分を褒めてやりたかった。
ストライカー子爵の意図を汲み、すぐさま行動へ移していたら部屋へ入ってきたスタッフの彼も殺さなければいけなかった。死体が増えれば危険も増す。彼女一人なら簡単に片づける事ができたが、これが男となるとそうもいかない。
お茶を置いて出て行くスタッフを見送り居ずまいを正すと、ノッラは笑みを浮かべた。
「それで、ストライカー子爵からの話しだと、家ではなく私個人に興味があるとか?」
「そうですね。正直な話、こうして目の当たりにし、ここから連れ去ってしまいたい気持ちに駆られている自分が居ます。ここがアドゥラン第一皇子様主催の展覧会会場でなければ、私は貴女を心ごと奪っていたと宣言できます」
「ヴァトレイ伯爵家は――かなり武勇の家系と聞いてるわ。それと共にあまり良くない噂も――」
スッ、と細められる目で、私の事を射ぬいているつもりだろうが、子供の御遊び程度の視線では馬鹿丸出しである。これがストライカー子爵の考えた設定でなければ、この場で鉄拳制裁を加えていたところだ。
「私個人でも武勇は申し分ないと思います。現在、私の所属はマレッターナ騎馬騎士長指揮下の第六部隊隊長です。200の騎馬騎士兵と500の兵士を指揮下に置いています。良くない噂と言うのは、私の出世を妬んだ者が出した根も葉もない話でしょう。現に私は騎馬騎士長の元で隊長を務めています。噂が本当だったら絶対に居る事が出来ない地位です。それに、万が一、噂が本当だったとしても、それは貴女を守るためにつけた力です」
よどみのない適当な話が効いたのか、彼女はポーっと頬を赤らめた。公爵家の娘と言う話だったが、お高く留まり過ぎて婚期を逃す――いやいや、初心に逆戻りしたタイプか。難儀だな。
「それに、公爵家と言うのは非常に魅力的でありますが、私個人にとってはそこまで魅力的ではありません」
「嘘をつきなさい。地位に魅力を感じない人間など居ないわ」
先ほどまでの呆けた表情から一転し、相手を訝しむ視線で見てきた。
「では、証拠として今すぐ平民になってください」
「はぁっ!?」
「平民になれ」などと言う突然の無礼な物言いに、ノッラは呆気にとられた。そして直ぐに表情にやや怒りの色を見せた。
「貴女が平民であれば、何の憂いも無く連れ去り妻とすることができます。逆の言い方をすれば、貴女の地位がそれを邪魔しています」
なるべく残念そうに言うと、それを本気と感じたのか彼女は完全にこちらへ心を傾けている。
あと一押しである。
「今夜は月が綺麗です。外へ行きませんか? こんな狭い部屋に居ては、貴女の魅力が少なからず落ちてしまう。妖精の様な貴女は、美しき月の下でこそ本当の輝きがあると思います」
ソファに座る彼女へ向けて、優しく手を差し出すと一度は握ろうとするがすぐに躊躇し止めてしまう。
それを2,3度繰り返すと、真摯な瞳でこちらを見つめて言った。
「私の家は、今この瞬間もストライカー子爵に切り取られようとしています。貴方の事を信用したい。でも、貴方はストライカー子爵と親交がある。無害な顔をして、貴方もストライカー子爵の様に公爵家を消し去ろうとしているのかも知れないと思うと、私は怖くてこの手を取る事ができない……」
「ッ!?」
何て私は馬鹿だったんだ。自らの事を察しの良い人間だと思っていたが、ストライカー子爵の考えすら読み取る事ができなかった。
そうか。ストライカー子爵の願いとは、私と彼女を結婚させて、公爵家を乗っ取れと言う事だったのか……。
「(危ない、危ない……)」
取り返しのつかない過ちを犯しそうになっていた自分に背筋が寒くなった。
室温は全く上がっていないと言うのに、額から流れる汗が止まらない。
「そう――」
私が躊躇しているのをどう捉えたのか、彼女は差し出された手を握ることなく引っ込めようとした。――それではダメだ!
「そのような事は絶対に在りません!」
女性の手を自ら握り引き寄せるなど紳士にあるまじき行為だが、これ以上失敗を重ねられない私にはこれしかない。
「相手が誰であろうと私は引かない。私は必ず守り抜く。その為の力も付けます。そして、貴女の願いも叶えて見せます」
今この瞬間を印象付ける為に彼女の手を強く握ると、彼女は手の痛みに少しだけ顔を歪めた。
「だから、私の願いを叶えて頂けませんか?」
「なっ、何を……?」
男に迫られ願いを叶えろ、と言われた彼女は顔を紅潮させながらなすがままとなった。
「――私と一緒に月を見に行きませんか?」
「はっ?」
「今夜は月が綺麗です。この部屋も暑くなっていますので、夜空が見える外でゆっくりとお話しませんか?」
呆ける彼女の手を取り立ち上がらせると、そのまま腕を差し出した。
彼女は「ふん」と鼻息を吐き、試してあげるわと言わんばかりの表情で私の腕を取った。
「公爵家令嬢ノッラ・ブレイフォクサに相応しい相手か見てあげるわ。伯爵家の三男が公爵家の者と付き合うのであれば、それは生半可な覚悟では務まらないわ。覚悟は良いのよね?」
――生意気な女だ。
しかし、偉そうな事を言っても自分がそれ以上の人間と付き合えないとも理解しているようで組まれた腕から伝わる私に対しての期待度が伺えた。
初めは殺すつもりで適当な事を嘯いてしまったが、こうなれば全力で彼女のご機嫌取りをするしかないだろう。
ストライカー子爵。貴方の願いは叶えます。
なので、ヴァトレイ家に永久の恵みを与えてください。それだけが、今のところの私の願いです。
8月5日 誤字修正しました。