ストライカー侯爵家より
まだロスタイム投稿なはず。
ヴァトレイ伯爵の子供――20歳で騎馬騎士団所属――とノッラを引き合わせる事も完了し、喫緊の問題であったジョシュアもマリッタの友人である子爵子女に囮となってもらう事で離す事に成功した。
フォポールもマリッタも何も聞かないのは気にしていないからか、それとも全てを知った上で気にしていないのか分からないが、知らないフリをしてくれるのであれば俺も気にせず自分のやりたい事――やらなければいけない事をするまでだ。
「こんばんは、ストライカー子爵様」
テーブルの下から追加の遮光器土偶を出すマフェスト商会の人間に指示を出していると、後ろから声の高い、幼い少女の声で名を呼ばれた。
「こんばんは。――おめでとうございます。ビンゴ大会では大当たりでしたね」
振り返ると、そこにはオルゴールを持った自分と同じかそれより少しだけ幼い少女が立っていた。少し背伸びをしたツンとした表情をしているが、ませたような雰囲気が出ていないのは理知的な瞳をしているからだろう。
会場の雰囲気に呑みこまれていない、場馴れした悠然とした態度に加え、こちらを見る目が何かを見透かす様な視線となっているのが気になった。
「ありがとうございます。ですが、これは子爵家の御子息から頂いたんです。『貴女の為に勝ち取りました。よろしければどうぞ』って……」
「なるほど。その方は見る目がありますね。今でも美しい貴女が成長すれば、さらに美しさに磨きがかかる事でしょう。――ところで、お名前を頂いてもよろしいでしょうか?」
相手がこちらを知っている状態で会話から始まると、なかなか名前を聞きにくい。知っていて当然と考えている貴族が多く居るので、名前を聞く時は本当に神経を削られる思いだ。
現に、目の前の少女も俺から名前を聞かれると少しだけ驚いた表情をした。それも、すぐに消えて同じような笑みに変わったがな。
そして、名前を聞いて表情を変えるのは俺だった。
「これは申し訳ありません。私の名前は、ルイス・シュタイフ・ドゥ・ストライカーです。貴方の妹ですよ」
ほんの少しの表情の変化だと思うが、俺の驚いたのが面白かったのか声を出すことなく口角を少しだけ上げる笑いを零した。
本物のロベールには一つか二つ下に妹が居り、もっと下に弟が居たはずだ。
妹を騙る人間かもしれないと思ったが、背後に付いた黒服染みた男たちがその可能性を否定させた。
「ここは騒がしいので、場所を変えませんか?」
そう言われてから周囲を見渡したが、俺に対して話しかけようとしていた人間も、またこれから何か始まる様な様子も無かった。
「わかりました」
逃げようとは思っていないが、黒服に背後を固められてはどうしようもなかったからだ。
大声で叫べば上空で待機しているヴィリアが天井をブチ破って、それこそ怪獣映画さながらの登場シーンを演出してくれるだろうが、当たり前だが今はその時ではない。
★
「気持ちの良い風ですね。皇都の夏は夜でも暑いと聞いていましたが、それほどでもありませんね」
夜風に髪を流しながらルイスは微笑んだ。
今は会場の2階にあるバルコニー付きの休憩室に居る。ミシュベルの時は1階の胸の高さからしか窓の付いていない部屋だったのに対し、この部屋は大きな窓がついている。
ルイスのお供が開場スタッフに休憩場を開けるように言うと、スタッフが慌ててかけていったところを見ると、この部屋は、元は空いていない部屋だったのだろう。さすが国議会に参加できる上級貴族は違う。
「この度は失礼いたしました。ストライカー侯爵様からお聞きになられていると思いますが、私は賢者の弟子としてロベール様と入れ替わるまで生きていました。お蔭で賢者のみが知りえる知識を持つ代わりに、一般人が知っていて当然の知識が欠如しております。本来であれば、私の恩人であるストライカー侯爵様のご息女であるルイス様を知っていなければならないはずですが、私の不勉強さのせいで不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」
休憩室の中には俺とルイス以外にもちゃんと護衛が付いている。逃げ出せぬように出入口はもとよりバルコニーにも。例え襲いかかろうにも、手をかける前に俺は護衛に殺されて終わるだろう。
「えぇ、存じています。賢者ヒポポタマス様から教えを享受し、その知識を振るいここまで成り上がった人間だと言う事を」
ヒポポタマス――無駄に懐かしい名前だった。その意味を知らない者は真剣な顔をしているが、知っている側からしてみるとその真剣な顔は笑いでしかない。
呼吸を整えていないと、アシュリーの専売特許であるブタ笑いみたいな声が出てしまいそうだ。いや、別にアシュリーも好んで出している声じゃないだろうけどさ。
しかし、あの父親が娘に話しているとは思わなかったな。身内の恥として、絶対に秘密にしていると思っていた。
「本来であればこの会場にはお父様が来る予定でしたが、貴方も出品すると言う話を聞いてくることを辞めてしまいました。お父様は貴方の事がお嫌いの様ですね」
「それは酷い評価ですね。私は、ロベール様とストライカー侯爵様に言われて入れ替わりをやっているだけだと言うのに。ですが、ルイス様は私に対するストライカー侯爵様からの評価を真に受けず、そのままの見て頂けているようで非常に嬉しく思います」
しかし、凄まじく聡い子だと思う。レレナも聡いが、それはあの年齢にしてはと言う、奴隷時代の俺と同じ評価で、だ。
ルイスの話し方は堂に入っており、こういった話し合いに慣れている印象を受ける。
「お兄様のやりようは、幼い私から見ても酷い物でした。そして、それを許すお父様もまた。だから、私はそんな風に人の命を蔑ろにするような人にはなりたくないんです」
なんと、ストライカー侯爵家に真面な人間が居たとは驚きです!
その兄の酷いやりようのお蔭で、俺はすんなり――うん、すんなりと竜騎士育成学校に入る事ができたのだから、そこは良くやったと言ってやってもいいとは思う。
「お優しいのですね」
「優しい? えぇ、確かに優しいと思いますよ。お兄様について何かを知っているであろう人物を前にして、このようにお話できているのですから」
「……えっ?」
「貴方に会う事で理解する事ができました。お父様は、貴方がお兄様について何も知らないと言っていましたが、貴方はお兄様の行方について何かしらの情報を持っていますね?」
今まで笑顔だったにも関わらず、今は刺すような冷たい目つきになっている。今まで出会った年下の人間――特に女の子では見たことの無いほど強く冷たい視線だった。
確固たる意志――いや、何か確信めいた情報を持っているからこそ俺を疑っている……?
「ロベール様を探しているルイス様には申し訳ありませんが、あの日、ロベール様から入れ替わる事を提案されてから今までお会いしたことはありません。もちろん、別れ際にはどこへ行くとも教えられてもいません」
「死人に口なし……。教えてもらえなかったのではなく、教える事ができなかったのではありませんか?」
――どこまで知っている?
いや、ブラフの可能性が高い……。先ほどの父や兄を批判する話も父親から揺さぶるように言われての話しの可能性がある。
見つかっては……いないだろう。ロベールの死体は旧道から少し離れた場所に穴を掘って埋めた。岩混じりの土は狼には掘り出せない。もちろん、ドラゴンなら掘る事ができるが、ドラゴンはそんな腐肉漁りはしない。
なるべく不自然にならないように盛った土だったが、自然ではない不自然さに気付いた死体漁りが掘り返したか?
だとしても、それならば皇都でも話題になっているはずだ。
――よって、これはブラフである!
「申し訳ございませんが、言っている意味が理解できかねます。ストライカー侯爵様にお話させて頂いた通り、私はあの場でロベール様から入れ替わりを提案され、自らの力を揮える場所を得る為にその提案に乗りました。それ以上でも、それ以下でもありません。もしお疑いになられるのでしたら、貴女のお父上であるストライカー侯爵様も交えての御話し合いになりますが、よろしいですか?」
心外である、と言った雰囲気を出す為に少しだけ声を落として言った。
それでもルイスは怯んだ様子もなく、代わりに周囲に侍る護衛が少しだけ動いた。
少しでもおかしな動きをしてみろ。殺すぞ。そんな雰囲気がひしひしと伝わってきた。
「お父様が貴方の味方になると思っているのですか?」
「味方になるならないではなく、ストライカー様も私とロベール様の入れ替わりには賛同していただいております。つまり、これは私とロベール様の間だけではなく、ストライカー侯爵様の意向も含まれているのです」
「そうですね。その辺りもお父様から聞いています。それに、貴方自身が侯爵家にとっての弱みになる訳ですから、お父様もそう簡単に事を起こせません。しかし、自らの知識を振るいたいと言っている割には、貴方はすでに信頼のおける仲間を集め自身の――知識ではない武力を持とうとしています。これは、ストライカー侯爵家を裏切るつもりがあるのではないのですか?」
ここに来て、やっと俺が彼女と何を話しているのか理解できた。
ストライカー侯爵家として、俺の動向を確かめるだけではなく釘を刺しに来たのだ。
ロベリオン第二皇子が創設した天駆ける矢に入隊し、今はアドゥラン第一皇子の主催する磁器の展覧会にも出品者として居る。
しかも、ユスベル帝国でも上位に来る大商会のマフェスト商会と協力しているだけではなく、勢いのあるイスカンダル商会とも仲が良い。――まぁ、これは俺が作った商会だからあたりまえだが。
今日は今日で、ここへ出席した貴族とつながりを作り、他の商会とも伝手を作っている。
入れ替わりの時の名目は、自身の持つ知識を存分に振るいたいと言う物だが、今この状態は予想以上の行動だったのだろう。
侯爵家の名を使っているとはいえ、一年半ほどでここまで上り詰めると言う功績は侯爵家にとって脅威でしかないはずだ。
「別に約束を違えたつもりはありませんよ? 知識とは使い方によっては善にもなり悪にもなります。私は全ての人に幸せになってもらいたい、などと傲慢な事を考えるほどできた人間ではありません。ですが、私と知り合った人達くらいは守りたいと思っています。それが人の常ではありませんか?」
「……では、今回の伝手作りも武力も全てはその知り合った人達を守る為だと言うのですね?」
「正確には、私が管理する準統治領のマシューとカグツチ領にこれから入植する住民ですね」
「竜騎士育成学校でのご学友はその中に含まれないんですか? 酷い人ですね」
「クラスメイトは自らの身を守る手段を持っています。ですが、町民や領民は守ってもらわなければいけません。ストライカー侯爵様の領民もそうではありませんか?」
その問いに、ルイスは人差し指を唇につけ「ふむ」と可愛らしく黙考した。
先ほどまでのこちらを射刺す視線はなく、年相応の可愛らしい考えるポーズにこちらの方が素であると思った。
ルイスは、誰かから入れ知恵をされてこうやっているのか……?
「その通りですね。お兄様のせいで、領民は常に脅かされていました。最近は、お兄様が居ないお蔭で平和になっていますが、脅威は他にも――不作や獣害など様々ですからね」
お兄様は災害指定しなきゃならんほどの生き物かもしれんな。妹にここまで言われる兄と言うのもなかなか珍しいだろう。
「色々言いましたが、私としては貴方にとても期待しているんですよ? お父様は嫌がって貴方を領地に来させないようにしていますが、領民を豊かにするために貴方の知識は必要だと私は思っています」
「期待していただいているところ申し訳ないのですが、私はカグツチ領の開拓とブレイフォクサ公爵領地の再建もありまして、割ける時間が全くもってない状態となっています」
「もう二ヶ月もしない内に収穫期に入ります。そうなれば、できることは土づくりだけになるはずなので、まずは土づくりの資料だけくだされば春までに立派な土を作っておきましょう」
あぁ、そうか。カグツチ領にはストライカー侯爵家の監視員が来ている。色々と調べて回っていたから、大体の事は分かっているのだろう。
俺から資料を請求しているのは、調べただけでは分からない部分を捕捉するためか?
それにしても面倒くさいな。仕事が増えすぎる。
「それに、お父様はブレイフォクサ公爵領地再建についてかなり憤っていました。余りにもふざけた采配である――と。ここは場所が場所だけに余り大きな声では言えませんが」
フフッ、と当時のストライカー侯爵の事を思い出してか、ルイスは小さく笑い声を出しながら言うが、周りに侍る護衛は冷や汗をかいている。
やはり、今までのは演じているだけのようだ。
「そう言っていただけるだけで、私は救われる思いです。ですが、ストライカー侯爵様に嫌われているであろう私を、なぜルイス様は信じていただけるのですか?」
「それは、貴方が話に聞くほど悪そうな人ではないと思ったからです。今も話して分かりましたが。それに、貴方は平民の子供にも優しく接しています。腹に一物抱えた人間にはできない、自然な接し方だと思います。特に最近、メイドとして入った平民の少女の明るい笑顔は貴方のお蔭だと聞いています」
「いやはや、お恥ずかしい。そこまでルイス様に期待されているのでしたら、私も頑張らねばいけませんね」
「期待していますよ」
話しもひと段落したところでルイスも満足したのか、テーブルに置かれた水をコクリコクリと飲んだ。
「人気者のロベール様を独り占めするのはいけませんね。お引止めして申し訳ありませんでした」
「あ、こちら――」
返事をしようとしたところで、出入口を固めていた護衛が俺の目の前に立ち、手を使わずに圧迫感だけでグイグイとドアまで押しやり、終いにはそのまま外へ出されてしまった。
そして、何の言葉も発する事無くドアは閉められた。
「なんでぇ、いけ好かん奴等だな」
中に聞こえないように小声で悪態を吐くと、皆が待っているであろう会場へ向かった。
「しかし、しまったなぁ……」
ブレイフォクサ公爵家に務めている人間は全て洗ったはずだ。それに、商人も背後関係はキチンと調べてある。
だと言うのに、3週間くらい前に来た平民の少女の事がルイスの耳に入っていた。
カグツチ領では隠れることなく、さも当たり間と言わんばかりに堂々と調べて回っていたストライカー侯爵家の人間だったが、場所が変われば静かに間者の様に動いていると言う事か。ちょっと舐めすぎていた。
これで再度調べに入っては、謀反の恐れありと思われてしまうので、今回は良い勉強として我慢するほかないだろう。
★
「どうだったかしら?」
賢者の弟子が出て行った部屋には、その雰囲気に似つかわしくない少女の楽しげな声が響いていた。
「素晴らしかったですよ、お嬢様」
それを褒める家令然とした姿の人間が発する声も、何処か発表会で演奏を上手くできた孫を褒めるお爺ちゃんの様な感じが出ていた。
「バレて怒られてしまったらどうしようかと思っちゃった」
「いいえ、お嬢様。彼は、言わば雇われの身。農民と同じなのです。お嬢様にひれ伏す事はあっても、怒る事など絶対にありません」
「そうかしら?」
そこに居るのは、先ほどの印象とは全く違うルイスだった。刺すような視線も相手を突き落す様な語気もない、ただの幼い少女であった。
ルイスは本物のロベールとは違い、幼い時からお茶会や夜会に参加していた。
そのお蔭からか、自らの雰囲気を偽る事に長けており、それは大人ですら舌を巻くほどだった。
「でも、賢者様の弟子って思ったより普通の方なのね。もっとお話に出て来るような古臭いお人だと思っていたの」
「人里に下りてくるような人間なので、賢者の弟子になりきれなかった俗物なのでしょう。しかし、上手く言い逃れられてしまいましたな」
「何かいけなかったのかしら?」
自分が何か失敗したせいで、相手に逃げる機会を与えてしまったのではないか?
ルイスは眉を寄せて自らの行動を思い返した。
「いいえ、お嬢様は十二分にモンクレール様から言われた役目を果たしました、向こうが少しだけ上手だったのでしょう」
「悔しいわ。これじゃぁ、お父様に怒られちゃう」
「そんな事は、絶対にありません。褒める事はあっても怒る事など絶対に。私がキチンと、ルイス様がどれほど真剣に今回のお仕事に取り組んだのか説明いたしますので」
「ありがとう」
笑顔になるルイスに、家令もつられて笑顔になった。
「だけど、領民の生活の為にもあの方には土づくりとやらの資料を送っていただかなければいけないわね。ブレイフォクサ公爵様の屋敷へ直接行った方がいいかしら?」
「別の者に行かせますので、お嬢様の手を煩わせるほどではありません」
「そう? じゃ、お願いね」
「畏まりました」
ルイスは再び冷えた水を嚥下した。すでにバルコニーへ続く窓は閉め切られており、少しずつ室温が上がっているのを感じられた。
ルイスは兄であるロベールの事を余り良く思っていない。それは、先に言った通り領民を蔑ろにし過ぎるからだ。
だからという訳でもないかも知れないが、とても優しく育った。だから、身内である兄の行方を知っている可能性のある偽物のロベールに強く言い放つことが出来た。
つまり、方向性は違っても本質は同じなのだ。だから、家令は今回の件についてシナリオを書き、ルイスはそれに沿って話をしたに過ぎなかった。
家令にとって、入れ替わりは僥倖であった。怪しい所は多々あるが、それでも問題を起こされるよりは良かった。
なればこそ、偽物のロベールには侯爵家の為に勢いよく働いてもらいたかった。
ルイス=ストライカー侯爵家の長女。本物のロベールの妹。
賢者ヒポポタマス=主人公が知識を受けたと言った架空の人物。すでに死んでいる設定。
レレナ=マシューに住んでいた町長の娘。今は主人公付のメイド見習い。
ヴァトレイ伯爵=ロベール派の貴族。息子はノッラの生贄となった。
次回は幕間を入れて、その次から普段通りの話になります。
7月21日 誤字修正をしました。
7月23日 執事→家令に変更しました。