試合と罰ゲーム
目の前には鎧に身を包んだマリッタが。対するは私服に身を包んだ俺。
今はブレイフォクサ公爵家の庭にある原っぱで、木剣を構えた状態で対峙している。
周辺には公爵家の兵士や使用人が珍しい物が見られる、と言った具合に取り囲み――いや、一部の使用人は俺へ対して熱狂的に応援をしてくれている。
負けると分かっている手合せをやろうなんて微塵も考えて居なかったが、こんな事になったのは見物人の輪からやや中に入ったところで体育座りをしながら瞳のハイライトを消しているミーシャが騒いだのが原因である。
「ロベールと今日来た貴族が決闘すんだって!」と、俺とマリッタの会話の一部だけを切り取って言いふらすもんだから、ブレイフォクサ家に居る俺派の使用人が「頑張ってください!」「応援しています!」と口々に言うようになり引くに引けなくなったのだ。
決してメイドの女の子が可愛くて、しかも上気させたテレ顔で言ったからではない。
面倒臭い事を引き起こしてくれた張本人のミーシャにはおやつ抜きの上、当分の間、食事の一部が野草になる事を通達してある。
「やはり、男の子は腹を決めた時が一番恰好良いですよ」
俺との手合せを望んでいたマリッタはニッコリと笑顔で言う。
「いいですか、ロベール様! 相手は女の子ですが、今は敵です! 気合ですよ、気合! 気合で負けなければ、ドラゴンに乗っていないロベール様でも何とかなります!」
セコンドから役に立たない励ましの言葉を頂いた。答えるのが面倒くさいうえに、口が開けられない状態なので頷くだけに留めた。
対してマリッタの方にはフォポールが何かをコソコソと話している。
★
「いいですか、マリッタ様。ロベール様は、勝つためには手段を選びません。老若男女問わず、相手を敵と認識した時点で、不意打ち闇討ち問わず全力で完膚なきまでに叩き潰しにかかります」
「あっ、貴方……仮にもストライカー子爵の部隊の人間でしょ? 隊長に対してそんな評価をして良いの?」
普通であれば絶対に聞くことは無いフォポールの辛辣な評価に、マリッタはやや引いた。
「そう考える時点で、マリッタ様に勝機はありません。先ほどからロベール様が一言も喋っていない事を理解していますか? 口の中に何かを仕込んでいる証拠です」
「それは、口を切らないように布を詰めているんじゃないの?」
マリッタが鎧を着用しているのは、体を傷つけないようにするためではなくただのハンデだ。
動かなくなったら終了、と言う無茶な勝負の付け方では無く戦闘の継続が不可能はほど深く傷つけられたらと言う形式をとる試合方法だ。
だから、鎧を着けていようが服と同じ扱いなので切られれば終わりである。
「相手を煽る為の大事な口です。布なんて詰めません。対人戦のセオリーを無視して、ロベール様はまず目つぶしをしてくるはずです」
「騎士としての誇りはないの!?」
「誇りで飯が食えるのであれば、俺はどれだけでも誇り高く生きていこう――、と言うはずです。ロベール様の頭にあるのは、負傷する事無くマリッタ様に勝つ事です。前に竜騎士隊とは無関係な兵士と手合せを無理やりさせられたときは、試合開始と共に酢となったワインを相手の顔面に吹きかけて勝利しています。たぶん、今回も可能性としては在り得るかと……」
フォポールから聞かされるセコイどころではないロベールの話に、マリッタは頭痛を押さえるようにこめかみを押さえた。
こちらまで聞こえないがセコンドのアドバイスを真剣な顔で聞いているので、噂は噂だと思っていたがそれ自体が間違いだったのかもしれない。
「だけど、本当に良いの? アドバイスは嬉しいけれど、すればするほどストライカー子爵の勝機は無くなるわよ?」
教えてもらわなければ、試合開始直後に目つぶしをされていただろう。しかし今はフォポールからの助言で、まず初めに目つぶしが行われる事を知った。
それに対してフォポールは小さく頭を振った。
「それは問題ありません。私にマリッタ様のセコンドに着く様に言ったのはロベール様の指示です。私は二人とも負けて欲しくはありませんが、どちらに勝ってほしいかと言われればマリッタ様になります。なので、今までの手の内を私がマリッタ様にお話しする事は、ロベール様にとって想定内です。それに……いや――」
ハッ、とフォポールは重要な事に気づいたように目を見開いた。
「そもそも、私がマリッタ様にロベール様の手の内を話す事を前提として、それら全てを覆す――私が話す事自体が罠になる可能性が……」
「彼はどこまで周到なの!?」
どこまで、と言われればどこまでも、としか返すことが出来ない存在のロベールに対し、フォポールはそれなりに長い事隣に居ながらもキチンとしたアドバイスができない事を情けなく思った。
「とにかく、ストライカー子爵の一撃目は目潰しね。それだけ教えてもらえれば大丈夫よ」
「初手は動かずに放ってくるはずなので、暗器の可能性も考慮してください」
「…………」
もはや相手を騎士とは思うまい。そう心に決めたマリッタは試合開始の合図を待った。
★
「それでは、よろしくお願いしますね」
「…………」
挨拶をするマリッタに対し、俺は終始黙ったままだ。何たって口の中の物を出すわけにはいかないからな。
「貴方が話さない事で、フォポールの言っていた事に確信が持てました」
「…………」
マリッタの話を無視して、きちんと準備運動をする。砂地の地面をすり足を多用した運動をする。
「目潰しは私には通用しません。口の中の物を吐き出すのであれば、多少は手心を加えましょう。ですが、吐き出さないと言う事であれば――」
「…………」
分かっていますね? と言う無言の問いに対しても答えない。急いですり足をする。
「ふぅ……では――」
「構え!」
何か言葉を続けようとしたマリッタを無視して、審判役のアシュリーが号令をかけた。
アシュリーの号令で、先ほどまで話していたマリッタが一瞬で戦闘態勢へと移った。目は鋭くなり、木剣をかまえた姿はまさに騎士だ。
「始めっ!」
「フッ!!」
開始の合図と共に、すり足で掻き集めておいた砂の山を木剣ですくうようにマリッタへ飛ばした。
「うっ!?」
マリッタは目潰しの事をフォポールから聞いていたので、毒霧を受ける射程圏内へ俺を入れないように木剣の構え方は前へ突き出すようにしていた。
しかし、砂を飛ばしてくるとは予想していなかったようで、俺が飛ばした砂を顔一面に被っていた。
「真面目に戦いなさ――いっ!?」
それでも、俺の動きに反応して顔を隠すことで目に砂が入る事を防いでいた。その反射神経の良さに驚きつつも、俺は次の手である木剣をマリッタに投げつけている。
「いい加減に――」
全力で投げた木剣だが、訓練を積んだマリッタにとって打ち落とす事は造作もないようで、俺が投げた木剣は簡単にいなされてしまった。
だが、これで良い。もともと木剣は捨てる為の物だ。全力で駆け、マリッタが木剣を打ち落とす頃には、俺はマリッタを射程圏内に収めすでに跳んでいる!
「――ぎぶぃう!?」
狙うはヘソのやや下。俺より体格の良いマリッタだが、全力ですくい上げるように行われたタックルによって浮き上り、今では簡単に地面に仰向けになって倒れている。
「なっ!?」
驚くマリッタに馬乗りになり、俺は口の中に隠しておいたクナイ型のナイフを取り出した。
吐き出したナイフを今だ驚いているマリッタの首筋に這わせ、これでチェックメイトとなった。
「マリッタ様!」
一瞬かつ華の無い一騎打ちだったため、観客からは驚きも歓声もない。そんな中、フォポールだけがすぐにマリッタの元へ駆けつけた。
「マリッタ様、ご無事ですか!?」
「えっ、えぇ……」
馬乗りになっている俺を両脇から抱え持ち上げると横へ動かし、すぐにマリッタを起こしにいってしまった。
「さすがですね、ロベール様! 私のアドバイスが効きましたね!」
「すげぇな。どんなアドバイスだったか忘れたけど、お前が言うなら間違いないんだろうな」
代わりに駆け寄ってきたアシュリーに適当な返答をしておいて、フォポールに抱き起されているマリッタに向き直った。
フォポールに抱き起されてから立ち上がり砂をポンポンと叩き落してもらっている間、マリッタは俺をガン睨みしている。
なので、両手の人差し指を立てて全力で笑顔になってやった。
「――っ! 貴方、それでも騎士なの!?」
「驚くことに、まだ学生なので候補生なんですよ?」
「~~!! ああ言えば、こう言う! こんな勝ち方で恥ずかしくはないのですか、と聞いているんです!」
「誇りで飯が食えるなら、どんだけでも誇り高く生きていきますよ」
「それはもうフォポールから聞きました!」
「マジで!?」
恐るべしフォポール。すでに俺の思考をトレースできるようになっていたとは……。
この叫びは、ブレイフォクサ公爵家の兵士でも共感してくれる人間は多数居るであろうが、すでに見世物は終わったと言わんばかりにメイド長や騎士隊長から解散の言い渡しがあったようで周囲には誰も居なかった。
「そっ、それより覚えていますか? 私が勝ったんですから約束は守っていただきますよ?」
「――えっ?」
不敵な笑みを浮かべる俺に、そんな約束をした覚えが無かったマリッタは顔を青くしながら驚いた。
★
「――あいつ等、どこ行ったの?」
あの試合から一週間。マリッタは良い具合にロベール竜騎士隊色に染まっていた。
「この屋敷の空気が悪いそうで、本日は近くの河原へピクニックに行っています」
ピクニックと言う単語を聞いて、マリッタのこめかみがピクリと動いた。
そう、あいつ等と言うのはブレイフォクサ夫人と娘のノッラの事だ。
良い物を食って動かずにいれば、関わり合いの無い人間にとってあの母娘の所業は「貴族だからそういうものだ」で済まされてしまう。
では、その被害を一番に受ける人間はどう思うだろうか?
答えは簡単だ。今のマリッタと同じようになる。
「人員は?」
「世話人が4名。護衛が騎馬兵4名、歩兵8名。二頭引きの箱馬車と二頭引きの幌馬車での移動です。」
「クッ――! 食べ物は?」
「午前のおやつは、ビスケットと紅茶。お昼は香辛料をたっぷりと効かせたハムサンドとワイン。午後のおやつはスコーンと紅茶です」
俺からの報告を聞き終えると、マリッタは地の底からはい出たゾンビの呻き声の様なため息を吐いた。
「働く気が無いなら、せめて節約しろよぉ~……」
「まぁ、貴族だから仕方がないんですよ」
この言葉は、別に俺のブレイフォクサ夫人と娘に対する理解を深めたから出た言葉ではなく、マリッタが始めの頃に言っていた言葉だ。
彼女は今、俺たちロベール竜騎士隊のメンバーと同じようにブレイフォクサ公爵領を立て直す為に尽力している。
それが、あの一騎打ちで俺が勝った時に要求した事だ。
マリッタは意外と押しに弱いのか、約束したことの無いこの約束に対し強く言うとしどろもどろになりながら受け入れたのだ。
初めは連れて来た執事や使用人を使おうとしていたが、それでは俺達の苦しみを理解してもらえないので、マリッタ直々に仕事をするように指示した。
お蔭で高潔な侯爵家のマリッタ嬢は、初めの頃こそ母娘の所業を「すぐに生活様式を変える事は出来ない」「今まで無理をしていたのだから」と擁護する発言をしていたが、今では口汚く話す汚れたマリッタ嬢となった。
その様子に初めは戸惑っていたフォポールだったが、令嬢としての壁が取り払われたからかとっつき易くなったマリッタに対し仕事や世話以外にも積極的に話すようになっていた。
「それで、私たちのご飯は何なの?」
時間はお昼の少し前。食べても良いが、まだちょっと早いかなと思える時間だ。
「地下深くからくみ上げた天然水と、長期熟成された香り豊かなチーズでございます」
「本当の事を言って」
俺の説明が不服だったのか――と言うか、この一週間遠まわしな言い方ばかりしてきたので、初めは騙されていたマリッタもさすがに理解したようだ。
「裏の井戸水と、食料庫の片隅で不思議なカビをまとった製造年月日不明のチーズです」
これはミーシャに食糧庫の掃除をさせていた時に発見したものだ。俺もミーシャも初めは埃の堆積物だと思っていたが、ズシリと重いうえに山菜の様なカビを纏っていたので試しに切ってみたら中から普通の色をしたチーズが出てきたと言う寸法だ。
この回答が気に入らなかったのか、マリッタは強く額を机に何度もぶつけた。
「そのチーズは食べる事ができるの?」
「毒見研究家の話しでは特に問題ないそうです」
この屋敷で仕事をするようになり、それぞれ部署と言うか仕事が割与えられた。
しかし、戦うこと以外の事を想定していなかったミーシャが自分も何か役職が欲しいと言い出したので適当に付けてやったのがこの毒見研究家だ。
他には、これはミーシャの知識として非常にありがたい物であるが野草研究家と言う物もある。お蔭で食う物が少しだけ増えた上に、薬草の類もあるので軽症の場合はほぼ対応できるようなった。
「本当の事を言って」
「それから数時間してから、腹が緩くなったかもと笑っていました」
再び額を机にぶつけはじめた。何度もぶつけているせいで、マリッタの額は赤くなってしまっている。
「貴方達は、このような扱いを受けても平気なの?」
「平気ではありませんが、やらねばいけないのでやっているだけです」
「そう――。この一週間を、貴方達と共に過ごすことでやっと理解できたわ」
「何を――でしょうか?」
「貴方達――いえ、戦い方を抜けば貴方こそが高潔な貴族と言えるわ」
ブレイフォクサ母娘の我が儘を聞き、国からの無理難題をさばき、自分達は少なく食えるのかどうかも分からない物を食べて日々を頑張っている。
そんな直向きな姿にマリッタは感銘を受けていた。
ヴィットナー家は幾ら高潔と言われようが、それは衣食住満たされての高潔だ。それに対し、ロベール達は――特にロベールは親が侯爵であり、自身も子爵と言う爵位でありながら家に帰れば美味しい食事を好きなだけ食べ、暖かな布団で眠る事ができるにも関わらず、酷い扱いを受けるここで仕事をしているのだ。
なので、マリッタはこの一週間で大分ロベールに毒されている。
「ありがとうございます」
褒められた俺は小さくお辞儀をした。お辞儀をしないと、いやらしく歪んだ口が見えてしまうからだ。
実の所、俺の部隊員は食事に関しては無理をしていない。
竜騎士と言うアドバンテージを生かして、彼らには隣町なりなんなり行ってもらい好きな物を食うように指示している。
だからマリッタの様に追い詰められたりはしない。ただし、ミーシャはふとした拍子にポロリと言ってしまいそうなので、ミーシャと共に俺やフォポールもマリッタと同じように不思議な物を食っている。
お蔭で始めは反発することが多かったマリッタだったが、ここ最近でずいぶんと肯定的な態度をとるようになった。
特に少数精鋭で俺が子爵位を授爵することになった作戦の話をした時は、かなり興奮した面持ちで聞いていた。
「それらに関しては、竜騎士隊のメンバーや――特にフォポールが頑張っているお蔭で成り立っています」
「――そう」
フォポールの名を出すと、マリッタの顔がやや曇った。相性が悪いことも無く、またマリッタ自体も特に嫌っているように見られない事から何か別な事が原因なんだろうと推測されるが、それが何なのかまで分からない。
もう少し深く踏み込んでみようかと口を開きかけた瞬間、ノックも無くドアが開かれた。
「おーい、ロベールー。お前に手紙が届いてんぞー」
入って来たのは屋敷研究家として最近メイドの真似事をしているミーシャだった。
その手には手紙があり、ズイッと差し出してきた。
「ん」
「ありがとう」
手紙の差出人は――何と、アドゥラン第一皇子だった。
皇家の紋章が押していないので分からなかった。たぶん、ニカロ王国から送られてきた物だろう。
「皇都の彼女からか?」
俺が真剣な眼差しで手紙を見ていたから勘ぐったのか、マリッタは的外れな事を言った。
「まさか、アドゥラン第一皇子様ですよ」
「…………凄いな。君くらいの人間になると、皇家の人間と文を交わすようになるのか」
驚いている所申し訳ないが、手紙を貰ったのは今が初めてだ。
そして、内容はとても素晴らしい物だった。
ニカロ王国との技術交換で得た磁器の展覧会を行うので見に来ないか、という内容だったのだ。
6月2日 誤字修正しました。
7月1日 送り仮名を修正しました。