ヴィットナー侯爵家令嬢マリッタ
遅れた上に短いです……。
「売り上げは、金貨2500枚か……。良いと言えば良いけど、個人的な期待よりは安くなっちまったな……」
各商会が書き上げてきた買い取り表と、公爵家から売った物を見比べて差異が無い事を確認しながら呟いた。
初めは調度品等のみを売る事を考えていたが、とある商会が「布団も買い取る」と言い出した。
さすがに寝る場所が無いと困るので次回持越しにしようと思ったのだが、この商会は準備がとてもよく、上級商人が使うようなある程度質の良い布団を持ってきていた。
それと交換すると共に差額の支払いで、ブレイフォクサ家の三人の布団を売り払った。綿は打ちかえすればフカフカになるし、包んでいる布はシルクで汚れも無いとの事なので高く売れるらしい。
布団何てかさ張る物を買い取ると思っていなかったので、商人魂に恐れ入った。
商人の勢いは凄まじい物で、母娘がどれだけ「無礼物!」と叫ぼうが全く気にすることも無く、まさにイナゴの群れと言うべき勢いで査定と買い取りに走った。
それどころか、母娘が着用している服も問答無用で一瞬の内に査定する始末だった。
査定・売買・持ち出しまでに1週間ほどを要したが滞りなく進み、今の公爵の屋敷は貴族らしい感じが全くなく、マシューにある俺の家の様なシンプルな内装になっている。
母娘は様々な物が売られてしまった無残な屋敷に心を弱らせ寝込んでしまったらしいが、風の噂で聞く公爵家の掃除メイド達からは「楽になる」と言う声が聞こえてきた。
給金さえ貰えれば良い、と言うスタンスを保つ者が多く、お家とり潰しにならないと聞いてからは大部分が俺の側に付いた。守る物が無いと言うか、どちらでも良いと言う奴はこういう時は本当に強いと思う。
「ロベール様、少々お時間をよろしいでしょうか?」
「どうかしたか?」
広くなった部屋の床に座り込み、買い取り表を読んでいる俺の背後からフォポールが声をかけてきた。
「ヴィットナー侯爵家から速達が届きました」
「ヴィットナー? 知らん名だな……」
公爵夫人が応援を寄越す様に言ったのか、それとも監視者が嫌がらせの為に呼んだのか……。
少なくと自分が知らない名前が出てきたので、その対処法を頭の中で構築し始めた。
「ヴィットナー侯爵家の知り合いは私です。たぶん、公爵家での話を聞きつけたかどこかから応援を頼まれたのかもしれません。後は、ただ単に私の仕事ぶりを見る為か……」
申し訳なさそうに顔をしかめるフォポールだった。
「何かやらかしたのか」
「ヴィットナー家の令嬢であるマリッタ様と私は婚約する可能性のある人です。可能性としては……いえ、まずはこの手紙を読んでいただいた方が良いかもしれません」
フォポールから手紙が入っているであろう筒を渡された。
差出人はフォポールの言うヴィットナー侯爵家。あて先は、ストライカー子爵となっているので、俺で間違えないだろう。
内容は挨拶から始まり、公爵家の立て直しの為の支援を行わせてほしいとの内容だった。来させる人員としては、件の令嬢であるマリッタが筆頭だそうなのでフォポールの予想通り婚約者として仕事をキチンとしているかと言う監査も兼ねているのだろう。
「お前としては良いのか?」
「何がでしょうか?」
「俺はお前が婚約しているなんてこれっぽっちも知らなかったから何も言わなかったが、俺の部隊に居る時点で武勇とは程遠く、また嫌われ者の日陰者になる可能性が高いぞ?」
婚約までは行っていないが、それも時間の問題なのでフォポールは特に訂正しなかった。
「構いません。と言いますか、嫌われ者の日陰者と言うのはさすがにへりくだり過ぎだと思います。もしそうであるならば、帝国からはとうの昔に見限られ、そもそも雫機関は機能していません。今もなお雫機関の再開講をするように手紙が来ている時点で、ロベール様のお力が――影響力がどれほどの物か物語っています」
俺の言った事など些細な事だと言わんばかりに、フォポールは肩をすくませていった。
確かに、フォポールの言う通り雫機関の再開講の嘆願が参加していた貴族達から続々と届いている。場所が無ければ場所を貸します。お金が必要なら差し上げます。帝国への口利きします。などなど様々な方法で再開講の呼びかけがあった。
その中でも一番心に響いたのがブロッサム先生の手紙だ。俺が「先生」と呼んでいるが為に、本当に俺の先生だと思い込んだ人間が押しかけて困っているらしい。申し訳ないが、彼女は犠牲になったのだ。
「それで、マリッタ某とはどんな人物だ?」
「武を貴ぶ祖父の教えをこれでもかと受けた人物です。真っ直ぐな性格で曲がった事を嫌います」
「絶対に俺と引き合わせちゃいかん奴じゃねぇか」
会ってすぐに喧嘩になる未来が簡単に予想できる。
俺の竜騎士の運用を見れば一目瞭然、正面から真っ当に戦うなんて考えてい無いしな。この世界の騎士はもう少し肩の力を抜いて被害を少なくすることを考えないといけない。
「そこは、私が何とかします。少なくとも、ロベール様は倒した敵の数より救った味方の数の方が多いです。それに、私は参加できませんでしたがカグツチ領での件については誇れるものです。それらが分からない方ではありません」
「だといいけどな。何か言われたら、俺は手加減せんぞ」
「承知しています。では、回答はどのように」
「来て構わん、で良いだろう」
「分かりました。すぐに返信しておきます」
少し困ったような、それでいて少しよりも少しだけ多く嬉しそうなのは、フォポールがマリッタの事を少なからず思っているからだろうか。
さっきはあぁ言ってしまったが、言い返すにしても少しは考えた方が良いだろうかと考えた。
★
「ふむ。前に来た時よりも、あまり変わりが無いようね」
「そうでございますね」
箱馬車の中、カーテンを少しだけ開けて外を確認した少女は昔と変わらないブレイフォクサ公爵領の風景を見て安心した。
「ブレイフォクサ様が倒れられ、その代わりに派遣された子爵様が領地の舵取りを行っているそうだけど、悪い方へと導いていないようで安心したわ」
「余り大きな声では話せませんが、手を出したのはブレイフォクサ様です。言わば敵と言える人物の治めていた領地を立て直せと言われ、粛々と従うだけではなく上手く運用している時点でストライカー侯爵の嫡子であるロベール様は忍耐力に優れ頭もキレるのでしょう」
「そうね。悪い噂を気にしなければ、フォポールが近衛の話を蹴っても入るくらいだもの。それくらいの事をしてもらわないと御爺様が何を言うか分かった物ではないわ」
シャッ、とカーテンを閉めなおし向かいに座っている話し相手の執事へ向き直った。
「その悪い噂と言うのもどれほどの正確な物か分かっていませんので、くれぐれも本人の前では口にせぬようにお願いします」
「分かっているわよ。私だって、ただフォポールの仕事ぶりを見に行くだけではなく、ブレイフォクサ様のご家族や領民が蔑ろにされていないか確認する為に来たんですもの。まずはこの目できちんと確かめない内に結果を口にすることはないわ」
だと良いのですが、と執事は心の中だけで呟いた。
ヴィットナー家の御令嬢であるマリッタは言わばお転婆である。その証拠に、馬車に乗る時はドレスを着用するように、と言われ屋敷から馬車に乗るまではドレスを着用していたのだが、屋敷が見えなくなると共にドレスを脱ぎ、その下に来ていた男子の身につける様なパンツスタイルの制服に着替えたのだ。
ドレスよりも動きやすいと言う、真っ当ではあるが女の子としては欠陥だらけの理由で。
そして、腰にはサーベルを差しているいる。常在戦場とまでは行かないまでも、そう言った教えをしているマリッタの祖父が原因だった。
とにかく、子爵との事は構えない様に注意しなければ、と執事は心の中で力強く唱えた。
マリッタの祖父は武闘派だが、父親の方はそうではない。武で優劣を決める事ができる時代は過ぎていると言う考えから、どちらかと言うと商売の方に力を入れている。
そして、子爵の開いている先進的農業技術を教える雫機関に落選した人物でもある。それに対しては憤ることなく、自治領が上手くいっている証拠だとポジティブに考える事で済ましてはいるが、それでも諦められないらしく執事に手紙を託し渡す様に言っていた。
前評判からは敵に対して容赦はないが、普段から苛烈な性格ではない事を執事は確認している。それでもマリッタが失礼な事を言えばどうなるか分からないので、マリッタの世話はフォポールに任せ自分は手紙を渡すことに専念しなければいけない。
「あら、アレは何かしら?」
そんな事を考えていると、マリッタは再び窓の外を見ていたようで何かを見つけてしまっていた。
「ちょっと止めて」
屋根付近にある紐を引っ張ると御者の頭の上にあるベルが鳴り、馬車はユルユルと速度を落とした。
「安全を確かめますので、お嬢様は少々お待ちください」
「ここは公爵領よ。それに、あそこには子供しか居ないわ」
執事が止めるのも聞かずに馬車の外へ出たマリッタは、フットマンを使うことなく地面に降り立った。
「何か気になる物でもございましたか?」
小言を言うことなく、全てを諦めたようにお転婆なマリッタとその視線の先を見た。
そこには板に絵を描いた物を子供達に見せている子供が居た。確かに何をしているのか気になる物だった。
執事は兵士に指示をだし周辺の警戒とマリッタの警護をさせると共に、自分もマリッタを守れる位置についた。
「これは何をしているのかしら?」
絵が描かれた板を子供達へ見せて何かを話している子供に聞いた。
「楽しく面白い話を子供達にしています。途中参加でもお聞きになる場合は、あちらのお菓子をご購入ください」
板を持ち話している子供に聞くと、マリッタが貴族であるにも関わらず臆することなく、木製の箱を持った女性を手で指した。
手で指された女性はニッコリと笑うと、抱えていた木箱の中から饅頭を取り出した。
「御幾らかしら?」
「銀貨一枚になります」
「高ッ!? それは少々ボッタくり過ぎじゃないの?」
「人を見る商売ですので、相手が貴族様であれば遠慮なくとって行きます」
「貴女、仮にも商人ならそういう事を正面切って言わない方が良いんじゃないの?」
「大丈夫です! うちの大将がそう言う人なんで!」
そう言う問題じゃないだろう、と商人みたいな人を父に持つマリッタは差し出される饅頭に押される形で銀貨一枚と交換した。
貴族でありながら屋台で売られている食べ物を躊躇なく食すマリッタは、少しも考えることなく渡された饅頭を食べた。
「あら美味しい。それに甘い……」
「でしょう? 中身は秘密ですけど、こんなに甘い食べ物は無いと思いますよ!」
高級な甘味料を使ったお菓子をこんな道端で売っているとは思わなかったマリッタは驚き、二口三口と急ぐように饅頭を食べた。
「それで、ここは何をしているのかし――ら?」
再び何をしているのかを聞こうとすると、今度は視線を感じて質問を止めるしかなかった。
先ほどまで板を見ていた子供達が羨ましそうにマリッタを見ていたのだ。
「………………こういう場合はどうすれば良いのかしら?」
「ほっとけば良いと思いますよ? 貴方は貴族様です。貴族らしくシッシッと追い払えば良いのです」
さも貴族のやり口はこうである、と言わんばかりに答えられマリッタは少しだけムッとした。
「いっ、いいわっ。ここの子供達にも同じ物を」
「銀貨9枚にないまーす」
「だからボッタくり――いえ……でもまぁ砂糖が使ってあるなら仕方が無い値段なのかな……?」
「ちなみに、砂糖と言う物は使っていません」
「やっぱりボッタくりじゃない」
「銀貨9枚になりまーす」
ぶつぶつと文句を言いながらも、マリッタは商人の女性に銀貨を渡して饅頭と交換をした。
「ボッタくりで買った物だから美味しく食べなさい」
憮然とした態度で子供達へ饅頭を渡していくマリッタと、その顔に引きながらもお礼を言い饅頭を貰って行く子供達。その子供達は饅頭を受け取るとすぐに板芝居へ興味を移した。
「それで、アレは何をやっているのかしら?」
「本当は紙に書いた物語を読むんですけど、今は板しかないので板芝居ですね。上層部の不祥事により娯楽が一気に減ったこの領地で、新しく領主代行となったロベール様が発案し実行している事業です」
「なるほど。話に聞いてはいたけど、新しい物を思いつく方の様ね」
マリッタは納得したように頷き、目の前の板芝居を読んでいる人物こそがロベールだとは気付かずに童話の三匹の子豚に見入った。
その後、三匹の子豚を終わりまで見ることなく、マリッタは執事に促されてブレイフォクサ公爵家まで急ぐ事となった。
「領主代行のストライカー子爵は領民を蔑ろにはしていないようね」
マリッタは箱馬車の窓から板芝居を見ている子供達を見て言った。
ブレイフォクサ公爵領から来る商人から聞いた話しでは、領主代行として来たロベールは公爵家にある全ての物を売り払い、公爵の家族はみすぼらしい生活を強いられているらしいと言っていたが、それは尾ひれがついた話の可能性も出てきた。
「左様でございますね」
そんな考えをするマリッタとは違い、執事は静かに同意するだけだった。
「あっ、ドラゴンだ。フォポールかしら?」
公爵家へ向かい進む馬車とは反対方向に飛んでいくドラゴンを見つけ、マリッタは婚約者候補の名を呼んだ。
「あれは多分違いましょう。フォポール様のドラゴンにしては大柄すぎます」
「そう。なら、ストライカー子爵のドラゴンかしら?」
「かもしれません」
ロベールの操るドラゴンが大柄なのはとても有名になっていた。そんな巨竜を操るロベールの実力も共に。
だからかも知れないが、マリッタは舌戦になるかも知れないロベールとの顔合わせに向けて腹に力を入れた。
5月19日 誤字修正しました。