公爵家の査定を始める
「普段食べている物よりも格段に劣ってしまうと思いますが、よろしければご賞味ください」
インベート準男爵はそう言ってテーブルに並べられた料理を勧めた。
「ありがとうございます。昨日今日と動き続けているので、久しぶりに真面な食事になります」
昨日の昼過ぎにカグツチ国へ着くと共に、腹を下す原因を探し回った。次の日は原因の究明と対策を考え、その指示を出す事で一日が終わってしまった。
そして、今日になって皇都から砂糖と塩を積んだ俺の竜騎士隊の一部が到着した。
彼らには特に命令を出していなかったが、ある人物を俺の所まで連れていくと言う皇帝陛下からの命令で、カグツチ国へ来る際についでに砂糖と塩を持ってきてくれたそうだ。
たった1日でまた買い付ける事ができたのか、と高騰した金額で計算するのが恐ろしい品物だったが、今回はロベリオン第二皇子が手配してくれたようだった。
皇族のクセに糞の役にも立たないロベリオン第二皇子だったが、ここにきてやっと役に立ってくれたようだ。
「去年は教えて頂いた農業技術のお蔭で作物の成長が良く、今年に入ってからはロベール様が統治される事となったカグツチ国のお蔭で物資の買い付けが容易になり、我が領は大変助かっております」
本当にありがとうございます、とインベート準男爵は夫婦揃って深々と頭を下げた。
農業技術については、インベート準男爵の娘であるブロッサム先生が俺から色々と聞きだしせっせと実家まで教えに来ていたものだ。そして、買い付けと言うのはカグツチ国ができるまでここバルシュピット領は自分の領で賄えない物がある場合は近くの――と言っても片道で何日も歩かなければいけないが――町まで行くか、いつ来るかも分からない物好きな行商を待つ以外なかったのだ。
それが、カグツチ国ができてからは量や種類が豊富な品を割高になった状態で買わずに済み、今までは保存の関係で買う事の出来なかった品も買えるようになったのだ。
辺境の貧乏領であったインベート準男爵が統治するバルシュピットは、最近やっと真面な生活が送れるようになったのである。
他の大きな理由としては、カグツチ国とバルシュピット領では通行税の取り決めが無い。つまり、カグツチ国からバルシュピット領へ荷を運んでも無税なので商品価格はさほど変わらず、買う側にとっては非常にありがたいことになる。
ただこれは、バルシュピットに産業がないのでカグツチ国に卸す物がなく、カグツチ国から常に買い続けている状態なので実現できている話でもある。
「いえいえ、農業技術に関してはブロッサムさんが非常に真面目な生徒で、まさに打てば響くと言った具合なのでこちらとしても教えるのが楽しいくらいです」
ちなみに、ブロッサム先生は2年生になっても対人距離が測れないらしく、何かを聞く度にべっちょりとくっついてくる。
冬であれば良いのだが、今の様な夏はブロッサム先生自体が高熱源体なので熱くてしょうがない。
「そう言っていただけると、親としても大変助かります。あの娘は領地を盛り上げようと頑張ってくれていますが、息子と違って進み出したら止まらない猪の様な娘ですからね」
「ハハッ。確かに。ですが、その猪の様にまっすぐ進んでいくところは危なっかしくもあり、また見ていて清々しくもあります」
最近は落ち着いたが、農業技術を俺から聞きだし隔週でこのバルシュピットまで帰っていた体力とやる気には恐れ入る。
俺にはヴィリアと言う、目的地を言っておけばノンストップで連れて行ってくれる最高のドラゴンが居るのでそれほど辛くは無いが、普通のドラゴンはちょっとずつ方向を修正しないとどこへ飛んでいくか分からない。
カタン砦へ物資投下する時に起きた遭難が分かり易い出来事だ。あの遭難で5人以上が文字通り帰らぬ人となったので、無理な飛行は極力避けるようにと通知が来ていた。
「ですが、あの娘も元気でやっているようで本当に良かったわ」
見れば一発で母娘と分かるブロッサム先生の母親は、安堵と言うか呆れたような口調で行った。去年はあれほど帰って来ていたと言うのに、今年はそれほど帰って来ないのが寂しいようだ。
ちょくちょく帰ってくればその距離から心配し、帰って来なければ帰って来ないで文句を言う、親心子知らずと言うか逆に分からない物だ。
「しかし、皇帝陛下も困ったもんですな。傾いてあとは倒れるだけとなった公爵領地をロベール様に丸投げして、自分は高みの見物ですか。呆れて物も言えません」
「なかなか過激な発言ですね。帝国貴族とは思えない発言です」
自分が言えた事ではないので、含み笑いをしながら言った。
「私はまだ貴族ではありませんからね。それに、武人としての皇帝陛下は尊敬していますが、国主としての皇帝陛下はさほど気にも留めていません」
「なるほど」
帝国民は皇帝陛下を敬っており、貴族も当たり前だが敬っている。
しかし、インベート準男爵は元が帝国民ではない傭兵から準貴族になった人なので、他の帝国民よりも皇帝陛下に対する気持ちは薄い。
初めは貴族になるつもりは無かったが、家族ができた事をきっかけに帝国貴族になることを受け入れた。しかし、フタを開けてみればバルシュピット領を開発したら男爵に陞爵するといった内容だったので大変な目にあっている、と前に聞いた覚えがある。
ここを拓いた時の入植者は、インベート準男爵と奥さんと十数名の仲間だけだったそうだ。
奥さんも元は傭兵だったらしく体力に自信があり、他の仲間達も体力だけはあったので何とか切り拓く事ができたらしいが、俺がその立場だったらとっくに諦めていただろう。
20年をかけてできたバルシュピットだが、陞爵の話はまだ出ていないそうだ。
傭兵上がりというだけではなく、これなら敬意が無いのも仕方が無い。
「普段から忙しいそうですが、これからはもっと忙しくなりそうですね。公爵領地にはいつごろ向かわれるのですか?」
「2~3日はこっちで領民の症状を見るつもりなので、行くのはその後ですね。まずは自分の領地を一番に考えなければいけないので」
腹を下す原因である肥溜めを移動――と言うか、簡単にあの規模の穴を掘る事ができないので今回は特別に堆肥の中に混ぜ込んだ――し、患者は要経過確認とした。
水は当分の間、井戸の使用を禁止し面倒くさいが河から汲んでくることを厳命した。
「我々にも何かお手伝いできることがあれば言ってください。できる事であれば何でもやりますので」
「ありがとうございます。では、早速ですが私の監視役の竜騎士をちゃちゃっと討ってください」
「それは、ちょっと兵種が違うので受けれませんね」
そう言い、インベート準男爵は笑い、俺もつられて笑った。本気で言っていないのは分かっているので笑っていられるのだが、これが帝国貴族や冗談の分からない奴ならどうなっていたか。
今の話に出た竜騎士とは、さっき言った通り俺の監視をするために皇帝陛下が付けた人間だ。
俺の竜騎士隊がカグツチ国へ来る理由となった、ある人物と言うのがこの竜騎士だった。
近衛聖騎士団の竜騎士で、融通の利かなそうな面白くない顔をしている。年齢は30を過ぎており、歴戦の勇士らしいがヴィリアに言わせればドラゴンが若すぎる為に本領は発揮できないであろうとのこと。
本来であればカグツチ国で過ごすつもりだったが、あんな仏頂面と顔を突き合わせながら飯を食う気にはなれなかったので、適当な理由を付けてここへ来たのだ。
「公爵領を持ち直させて――と言う所までは居ないと思いますが、多分私が領民というか公爵の家族を蔑ろにしないか確かめれば帰っていくと思いますがね」
「それでも行動に制限がかけられては、ロベール様も動きにくいでしょう?」
「それはそうですが、手の内を見せるつもりはありませんよ」
監視者を肴に楽しく会話し、夜は更けて行った。
その後、カグツチ国に戻り監視者を引き連れながら隔離施設の慰問とアルコール消毒液の使い方を広める事に尽力した。
監視者は俺の行動をメモ書きし、アルコール消毒液など未知の道具を見る度に質問をしてきたが、前にも言った通り手の内を見せるつもりは無いので適当にはぐらかせた。
それでも臭いを嗅ぐなどの行為をしようものなら、申し訳ないが全力を以って阻止させてもらった。阻止の方法は簡単だ。調子の良くなりだした患者をぶつければいいのだ。
あれだけの惨状を見ていれば、監視と言う仕事のみを言われている監視者は病気にかかるまいと簡単に避けてくれる。
そして、経過を確認後、予定通りカグツチ国を仲間と共に飛び立ち皇都を経由してブレイフォクサ公爵領へと向かう。
★
「ムフー! ムフー!」
「キモイ……」
「ムフフー! ムフッハー!」
「キモイ……」
「ムフ――ギョ!?」
ゴツン、と頭を後ろ側へ振り下げることで頭突きをすると、ヴィリアの背に座る俺の後ろに座っているミーシャから激痛に耐える呻き声が聞こえた。
「何すんだよー! ロベールが黙ってろって言ったから静かにしてたんだろー!」
「人のマフラーに顔を埋めてんふんふすんな」
普段はアムニットに貰った分厚いコートを着込み首は襟を締めて飛んでいるが、今回はミシュベルから真っ赤なマフラーをプレゼントされたのでそれを巻いている。
すると、顔が寒いと騒ぎ出したヴィリアに二ケツしているミーシャがそのマフラーに顔を埋めだし、何が面白いのかさっきの様にんふんふ騒いでいたのだ。
「暇だし寒いんだよー。なんでこんなに高い所を飛ぶんだよー」
「変な奴らに絡まれんようにするためだ」
「あの見張りへの嫌がらせだろー。もう死にかけじゃん。もうちょっと痛ぶれば滑落ちるって」
ミーシャは寒いと唸っているくせにフードをはぎ取ると、隠すことも無く後ろから二番目辺りを飛んでいる監視者を見た。
ロベール竜騎士隊は、任務と言うか俺の仕事の特性上、長距離を飛ぶことに慣れている。
なのでドラゴン自体にスタミナが付き、また竜騎士が各々長距離を飛ぶために携行食や度数の高いワインを用意している。
酒の苦手な竜騎士は、ショウガや唐辛子それに体を温める効果があるとされている薬草を煎じた青汁の様な物を用意する徹底ぶりだ。
一回の飛行時間が長いのが俺の部隊の特徴で、帝国の竜騎士部隊の中でも長距離を飛ぶことに関しては頭1つどころか4つ5つほど抜きんでていた。
そんな部隊の強行軍に、近衛聖騎士団竜騎士部隊がいくらエリートであろうともついてくるのがやっとだろう。
現に何度か落伍しそうになり、その度に殿を務める部隊員に気つけをされる有様だった。
「ロベールもあれだな。陰湿だな」
「よくそんな難しい言葉を知っているな」
「サロンだっけ? あそこに居るとさ、皆がお菓子くれるんだよなー。適当に話を聞いているとさー、そんな話をよく聞くんだー」
俺が学校に行っている間や、この間の様に出かけている時は何をしているんだろう、とは思っていたがサロンで他の生徒と上手くやっているとは知らなかった。
問題が起きていないのは、ミーシャに喧嘩を売る生徒が居ないからだろう。ミーシャは自分から喧嘩を売るタイプではないので、喧嘩さえ売られなければ基本は人畜無害な頭足らん娘だ。
「確かにやり方は汚いかも知れんけど、これはあの監視者に俺達の能力を見せつける場でもあるんだ」
嘘だけどね。ただの嫌がらせです。
「ロベール様、公爵領が単眼鏡での視認圏内に入りました!」
先頭を飛ぶヴィリアの横を飛んでいたアシュリーが、単眼鏡を片手に報告した。
公爵の野盗騒ぎからこちら、貸した単眼鏡がお気に召したのかよく先頭付近を飛行し、目的地や周囲を飛行するドラゴン等を監視している。
行った事のある場所であれば、ヴィリアが居れば間違いなく辿り着くことが出来るのだが、それを言うのは無粋だし、そもそもこういった小さな反復行動の積み重ねが本人の技量に直結するのだから素直に労っておく。
「ご苦労! 皆! 目的地まではあと少しだ! 気を抜くんじゃないぞ!」
「「「了解ッ!!」」」
ロベール竜騎士隊のメンバーは普段と変わらぬ声量で応答し、監視者は息も絶え絶えと言った様子でそれを見るだけだった。
★
「ミーシャ・フォポール・アシュリーは俺と共について来い。公爵夫人へ挨拶をしにいく。他の者はドラゴンから下した荷をまとめて置け」
「分かりました」
まずは着任の挨拶をこの領地を暫定的に管理している夫人にしなければいけない。
ブレイフォクサ公爵の関係者に話を聞いたところ、俺に対して贈り物をして領地の運営資金に打撃を与える自殺点を決め込んだらしい。
いつ送った物かは知らないが、来たものは全部送り返しているので俺が貰ったと言う事は絶対に無い。
実質、返還に奮闘したミナは盗むような人間じゃないし、そもそも度胸も無い。
ミーシャは盗むつもりは無くとも何も考えずに持って行く可能性があるが、その場合は自分で使うか、換金するにしても学校から一番近い商会に隠すことも無く持って行くはずだ。
調べてみてもどちらの可能性は皆無だったので、相手の言い分の全てを適当に聞き流したが。
しかし、相手側にしてみれば俺に対してどれほど悪感情を持っているか分からない。なので、護衛として三人+監視者だ。
「フォポールとアシュリーは、炭箱から催涙スプレーを出して装着しておけ」
「「はい」」
命令を出した俺も他の二人の隊員と同じように、特注で作った革製のタクティカルベストのホルダーに小さな筒を差し込んだ。
この筒の中には唐辛子を始めとする刺激物が乳鉢で微細粉化された物が入っており、先は小さな出っ張りを爪で引っ掻くと小さな穴が開き、反対側から息を吹き込むと中に入っている刺激物が噴出される仕組みになっている。
構造はとてもシンプルで、使い方を誤れば自分が大ダメージを受ける可能性がある。それでも何かの役に立つだろうと持ってきたのだ。
使い方を絶対に間違えそうなミーシャには、筒の代わりにククリナイフを付けさせている。
アルプス系の華やかな民族衣装っぽい服装に不釣り合いなククリナイフは、ミーシャに対して不気味な狂想感を抱かせるのに十分ないでたちだった。
「ロベール様、夫人との交渉は私に任せて頂けないでしょうか?」
先陣は監視者に行かせようと思ったが、それよりも早く用意を終えたフォポールが名乗りを上げた。
「大丈夫か?」
「はい、問題ありません。公爵がまだ健康だった折り、舞踏会やサロンで何度か夫人やご息女と顔を合わせています。ロベール様や監視者が乗り込むよりも話を聞いていただけると思います」
別に殺し合いをしに来たわけでもないのに酷い言いようだ。
しかし、顔見知りであるならばフォポールが行った方が先方も安心するだろう。俺が言っても話を聞いてくれない可能性もあるし、万が一と言う事もある。
「髪型が変わって、お前が誰だか気づかれないって事は無いよな?」
対ブレイフォクサ戦のとき、傭兵のドラゴンの中に火吹きが居り、フォポールはその炎にやられた。
頬が日焼けをしたように赤らむだけで幸い跡が残る様な火傷は無かったが、サラサラとした長い金髪は無残にも焦げてしまったのだ。今は長さ3cm位まで短くなっており、優男系イケメンからスポーツ系イケメンにジョブチェンジしている。
「さすがにそれは無いでしょう。最後にお会いしてからも人相や体型は変わっていませんので、よっぽどの事が無くても気付いてもらえるはずです」
「なら良い。頼んだ」
任せてください、とフォポールは言いブレイフォクサ公爵の屋敷へ入って行った。
監視者も挨拶の為かフォポールの後を追うように屋敷へ入って行き、残された俺を含む3人は手持無沙汰となった。
★
屋敷の中では話し合いが難航しているのか、フォポールと監視者が入って行ってから30分以上が過ぎている。
時間をかけ過ぎた為に、本来なら中で話し合いが終わってから到着するはずだったイスカンダル商会やマフェスト商会の他、幾つかの商会が到着してしまった。
彼等にまだ中での話し合いが終わっていない事を告げると、仕方が無いと言った様子で紹介同士で話し合いを始めてしまった。
手持無沙汰になり過ぎた俺は、公爵家の兵士に見られながら屋敷の前に生えている花壇から筋の強い草を引き抜き、笹船ならぬ草船を作ってミーシャとアシュリーを驚かせた。
「これっ! これ、私が貰った!」
「あぁ!? ズルい!」
ミーシャは勝手気ままに手にした草船を小さな池へ浮かびに遊びに行ってしまい、アシュリーは一瞬ミーシャと一緒に行きそうになったがすぐに自分の任務を想いだし俺の元へ留まった。
「んんっ! フォポールは遅いですね。中で修羅場っているのでしょうか?」
「それは無いだろう。これだけ静かなんだ。それに、監視者も居るからそうそうあちらさんも騒ぎは起こさんだろう」
取り繕うように咳をして中の様子を語るアシュリーに苦笑しながら、その想像は無いと断言した。
おかしくなっているのは公爵であり、その家族は周りが見えていなくとも帝国の――皇帝陛下から命令を受けて来ている監視者が居れば話を聞く耳位は持つはずだ。
「――っと、来た来た」
屋敷の玄関から交渉へ向かったフォポールが出てきた。その顔は話し合いが難航したと言った様子で疲労の色がにじみ出ていた。
「ご苦労。どうだった?」
「公爵夫人は大層取り乱していましたね。ご息女のノッラ様も、外にこの領地の運営を任されたロベール様がいらっしゃっていると聞いてから部屋に引きこもってしまいました」
話は通っていたはずなのに、今さらそんなに取り乱してどうなるというのだろうか?
「なんて言っていた?」
「口にするのも失礼な言葉です」
「いいから言ってみろって」
呆れ顔で言うフォポールを促して口を開かせると、案の定と言うかテンプレ通りの言葉が出てきた。
「夫人は「この家を破壊する気だ」と言い、ノッラ様は「犯される」と言っておりました」
「失礼かつ全く面白みにかける話だな。もっと捻った言葉なら面白かったのに」
二人の意見に対する俺の評価に、フォポールとアシュリーは苦笑いをするだけだった。
「お前が出てきたって事は、屋敷に入って突然刺される可能性はなくなったんだろ?」
「はい。キチンと話は通してあります」
「なら行くか。――ミーシャッ! おやつの時間だぞ!」
小さな池の淵に座り込み、草船に息を吹きかけて遊んでいたミーシャは俺の呼びかけに一瞬で戻ってきた。
「もうそんな時間か!」
「屋敷の中に入る。おやつが欲しければ仕事をちゃんとしろよ」
「任せとけ!」
フォポール・俺・ミーシャ・アシュリーの順で屋敷へ入る。
兵士や家令達は難癖を付けられまい、と言った様子で目を合わせるどころか顔を逸らし、物陰や部屋に隠れてしまう徹底ぶりだった。
これならば、フォポールに話を通してもらわずとも乗り込んで大丈夫だったかもしれない。
★
「初めまして。この度、この領地を治める事になりました、ロベール・シュタイフ・ドゥ・ストライカーです。この領地の現状は資料でのみ把握している状態ですので、公爵夫人には資料では分からない事について教えて頂ければ幸いです」
奥歯を強く噛みしめて、屈辱に耐えるように俺を見ている公爵夫人は震える手で出されたお茶を飲んだ。
「そっ、そうですか……。ですが……この領地の運営は全て夫が執り行っていましたので、私に応えられることはあまりないかと……」
「財産関連についても把握なされていない……と?」
あるかどうか怪しい所だが、この応接間に置いてある調度品はそれなりに良い物らしく、これらを売っていればもう少し公爵領崩壊が引き延ばせたのでは、と思わせる。
「そう……ですね。夫以外には家令に全て任せてあるので」
「なるほど、なるほど。では、その家令は?」
この部屋にいる人間を見渡すと、数人いる使用人の中の一人が名乗りを上げた。
「私でございます」
「そうですか。では、この領地の資産関連の物全てを書き出して持ってきてくれ。最新の物で、嘘偽りの無い物を。万が一、偽られた物が提出された場合はこちらもそれなりの対応をさせて頂くのであしからず」
拒否権の無い話に家令は静かに頷いた。
「では、公爵夫人。ご息女をこちらへ呼んでいただけますか?」
「ッ!? 娘は――娘は体調が悪く部屋で休んでいます」
「ほんの数分です。先ほどまでここに居たのでしょう? 本人にもキチンと話しておかなければいけませんので」
「娘はまだ結婚前です! 酷い事をしないでください!」
公爵夫人の叫びが室内に響き、俺の鼓膜を揺さぶった。威嚇する猫の様に、口から荒い息を吐きながらこちらを睨みつけた。
それに対抗する訳じゃないが、俺も公爵夫人を睨みつけた。
「遊んでる暇は無いんだよ。適当に運営して緩やかな自殺へ向かっている領地の運営なんて御免こうむる。本当ならこう言ってやりたいのは山々だが、何せ皇帝陛下から直々にやってこいって言われたからな。結婚前だ? ハッ、そもそもこんなガタガタな家に居る時点で結婚できるのかよ?」
隠すことの無い侮辱に、公爵夫人の顔が一瞬で沸点まで到達した。次の瞬間には淑女にあるまじき暴言を吐きながら、目の前にあったティーカップの中身を、俺を庇ったフォポールにぶっかけた。
「ロベール様、お気持ちは分かりますが、折角安定しているんです。無暗に揺さぶらないでください」
俺に覆いかぶさるように守っているフォポールから小声で注意された。
フォポールはすぐに俺の上から退くと、真っ青な顔をしたメイドから布巾を受け取ると紅茶のかかったところを拭きはじめた。
公爵夫人はと言うと、キーキーと騒がしく騒いでいる所を執事に抑えられている所だった。
「申し訳ございません、ロベール様! 奥様は、旦那様の代わりに領地運営を始めてから心労が増え、ここ最近は真面に食事すらとる事の出来ない状態が続きまして――!」
「だからと言って、領地立て直しに来た奴にお茶をぶっかけるのが正当化される理由にはなりませんからね」
「御怒りが収まらない場合は、どうか私めに罰をお与えください」
床と同化するのではないかと思わせるほど凄まじい土下座を披露し、家令は暫定的主人の非を謝罪した。
「怒りはどうでも良い。とにかく、真面に話せる奴を連れてこい。それができなければ、そちらの話しには聞く耳は持たず、全てこちらのやりたいようにやらせてもらう」
「お時間を――お時間を頂けないでしょうか……?」
「帝国から連絡があり、俺がここに来るまでどれだけ時間があった? 娘の方は成人もしているんだろう。責任については理解できるはずだ。5分やる。早く連れてこい。連れて来られない場合は全ての要求を呑んだとして、一切の口答えは許されないから承知しておけ」
有無を言わさぬ一方的な通告を出し、すぐに公爵の娘のノッラを連れてくるように言った。
俺の表情と口調から本気と受け取ってくれたようで、家令は普段は絶対にしないであろう慌ただしい足取りでノッラを呼びに行った。
★
そして、俺の目の前には不貞腐れた敵意むき出しの顔で睨むノッラが座っている。連れてくるまでの所要時間は10分強。すでに時間切れだったが、家令の頬に走る爪の痕に温情を出した。
挨拶をするも相手は答える事も無く、ツンとした様子で聞き流すだけだった。この様子を見るだけで、どれだけ甘やかされて育ってきたのかが良くわかる馬鹿娘だ。
余りにも分かり易い性格に、小さな子供など理屈が通じない者を相手にしているような、怒りよりも諦めが先に来るのを感じだ。まぁ、元々怒る気もさらさらないが。
「奥様がお話できない状態となりましたので、ブレイフォクサ公爵家の代表としてノッラ様とお話させて頂きます。よろしいですか?」
「…………」
「無言の場合は同意とさせていただきます」
すると、すぐの家令が「分かりました」と頷いた。ただこれは、無言=同意に従う訳ではなく、先の話し合いを始めると言う事に対しての頷きだった。
「ではまず、この領地――つまりブレイフォクサ公爵家を存続させるために金を作ります。すでに借金塗れの公爵家を建て直す為の金が要りますが、それらはこの屋敷にある資産を売り払います。絵画・置物・食器類・服など必要分以外全てです」
「なっ!? 私たちに裸で暮らせと言うの!?」
「必要分以外、です。外に商人を待たせているので、今から査定に入ります。本当に必要な物――形見など替えが利かない物はその限りではないので別けておいてください。ただし、「この屋敷にある物、全てが形見です」などは却下となり、その場合は形見の真偽に関わらず屋敷の物を全て売ります」
ノッラと家令を見て、家令が頷いたのを確認して次へ進める。
「使用人の資産は公爵家の資産とは別にして、個人の資産になるので売り払う事はしません。ただし、売り払われない様にするために公爵家の資産を個人の資産として受け取り隠した場合は、使用人の財産全てを没収のうえ奴隷として売ります」
使用人に対してすら容赦のない言葉に、使用人は一気にザワついた。
「それじゃあ、無一文になる様なもんじゃない! 宝石も売られては、これからどうやって舞踏会に出ればいいのよ!」
「無一文になる様なものではなく、すでに無一文なんですよ。舞踏会に出る? そんな金がどこにるんですか? ドレスなんて一枚あれば充分でしょう? 次が欲しければ売って、その金で新しい物を買ってください。装飾品に関しても同じです。売るなりご友人から借りるなりしてください。いいですか? 今、この瞬間にもこの家の人間は路頭に迷う可能性があるんですよ。それをさせない為に、私が派遣されました。だから、ここにいる全員は路頭に迷わない様に協力してください。もし私よりも上手く、早く領地を立て直すことが出来るのであればその方法を教えてください。私は喜んで今回の案件から手を引かせていただきます」
できる筈が無いのは重々承知だ。五月蠅いノッラに対して現状を理解させるためには言うほかない。
ノッラは屈辱の為からか嗚咽し、涙を流しながらふざけた事をのたまった。
「これなら奴隷の方がまだマシよ……」
公爵家で厚遇を受けている奴隷が居るのか、ノッラは何の考えも無い、甘くこの場から逃げる為だけの頭の悪い事を言いだした。
「よく言った! 外に居る商人の知り合いに奴隷商も居る。爵位・処女・若さ、何とか高く売れるだろう。行きつく先は貴族の妾か玩具か。それとも、中級商人が貴族に対して持つストレスの発散先か。しかし、貴女の心意気のお蔭で結構なお金が手に入りますよ。ありがとうございます」
笑顔でお辞儀をすると、もう我慢ならんと言った語気で今まで空気だった監視者が声を出した。
「ロベール卿! 先ほどから聞いていれば、人を人とも思わない話ばかりではないか! 領地を立て直す前に、そこに住む者を壊してしまえば後に残るのは廃墟だけです! 皇帝陛下は貴方に期待をして、領地運営を任されたのですよ! そのお気持ちを踏みにじる気か!」
「素ッッッッ晴らしい!! 奥様、ノッラ様、お喜びください! 私めのような者が領地を運営せずとも監視者が公爵家の借金全てを肩代わりしてくださるそうです! あぁ、良かった! これで肩の荷がいくつか下りました!」
ソファから勢いよく立ち上がり、諦めた顔のフォポールと瞑想しているアシュリーを引きつれ応接室を出て行った。
「まっ、待たれよロベール卿! どこへ行く気だ! 私が借金の肩代わりをするだと!? 馬鹿な事を言わないでいただきたい! 公爵家を再興させるのは、ロベール卿が皇帝陛下から受けた任務だ! 皇帝陛下の命に背く気か!?」
部下二名を引きつれて廊下を歩く俺の背から、監視者がピーチクパーチクと騒いでいる。
その異様な状態に、廊下で掃除をしていた使用人達は関わらない様に、とこちらに対して深々とお辞儀をし、目を合わせない様に尽力した。
「聞いているのか、ロベール卿!」
なおも食い下がろうとする監視者を尻目に、重厚な玄関のドアを勢いよく開き外へ出た。
「全員、仕事を始めてくれ!」
突然、強く開かれたドアの音に驚きながらこちらを見ている商人達に、査定開始の合図を出した。
その合図を皮切りに、待ちに待たされた商人達は丸められた羊皮紙の束とインクとペンを持って屋敷の中へ入って行く。
先ほどまで威勢の良かった監視者は吃驚するぐらい静かになっており、どういった様子かと後ろを振り返ると馬鹿にされたとでも思ったのか顔を真っ赤にしていた。
5月11日 誤字修正しました。