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双子近親相姦もの  作者: 柚井 ユズル
冷たい手
9/14

因果の果てに 3

頭の中では同じ言葉が繰り返し繰り返し、とんでもないスピードでリフレインしていた。

やっぱり、もう取り返しがつかないのだ。理央は新しい世界を見つけてしまったのだ。私はもう、彼の側にはいられない。

私と顔を会わせた時の理央の表情、驚愕したような表情の後に表れた複雑な表情。あんな顔を彼が私に向かってして見せたのは、初めてだ。その上、その後のどこかよそよそしい態度も、絶対に私に触れようともして来ないのも。

私が帰ると言って初めて、私に悪いと思ったのか気を使う素振りを見せたけれど、それは私にとって痛いだけだった。そういう社交辞令のような気の使い方はして欲しくなかった。

あれだけ傷つくのを覚悟で来た、と自分に言い聞かせたのに、胸は疼き、全身で理央の出したその答えを拒否していた。理央が私以外の人と一緒にいる。私以外の人を見ている。

身を焼かれそうなこの想いは、自分で反吐が出るくらいに腹立たしいのに、だけど抑える事はできない。結局私は、何を期待していたのかは火を見るより明らかだった。私は、理央がまだ自分に囚われている様を期待していたのだ。私がこうして理央に囚われているように、理央もまた、私に囚われている事を。

それでも私は、感情がそう望んでいても、理性でそれを厳しく拒否していた。もしそんな事になってしまえば、私達は取り返しのつかない一線を越えてしまうかもしれない。これでよかったのだ。たとえどういう形であれ、ちゃんと思い知れば、もう私の心は理央に会いたいなどと馬鹿なことを考えなくなるだろう。そうしてこの先きっと、時々は痛んでも疼いても、穏やかに理央のいない自分の道を歩む事が出来るだろう。

家に行く道を、雪を踏みつけて歩きながら、ひたすらそうして感情と理性とを戦わせていた。冷たい雪も、今の私の頭を冷やす効果はとてもなく、ただ燃え盛る火のような感情をもてあましていた。

不意に鞄の中の携帯電話が震えているのに気がついて、私はそれを取り出した。暗くなってしまった道の中で、着信を知らせる七色の光は場違いなほど妙に明るく光っている。開いてみれば、「メール着信」の文字があった。

『弟のカノジョを見て凹んでるんなら俺に電話しろよ、愚痴くらい聞いてやる。溜め込むのはやめろよ?』

仕事帰りにでも打ったのであろう憎たらしい田崎のメールは、悔しいけれど的を射ていた。

理央の態度は二の次で、何よりも私はその時点でもう、ショックを受けていたのだ。彼女になんか傷つけられてやらないと、虚勢を張ってその場は冷静に対応したけれど、本当はその時点で充分に傷つけられていた。嫉妬と敗北感で打ちのめされていたのだ。

そして、彼女の方も、私が理央に対して持っている姉として以外の気持ちを、なんとなく気付いていたのだろうと思う。どんなに無邪気そうに振舞っていても、彼女もまた、女特有の独特のカンみたいなものがあるはずだから。

私はこれと言って返信もせずに携帯をたたむと、それを鞄に放り入れてその場にしゃがみこんだ。

田崎のメールで改めて突きつけられた事実に、どんどん惨めな気分になって行く。これに耐えるのは簡単ではなかった。

目を腫らして行けば、母親は心配をするだろう。だけど、どうしても耐える事は出来なかった。人通りの少ないのを幸いに、私は暗い道にしゃがみ込んで啜り泣きを始めた。

傘の上にはどんどん重く白い雪が積もって行った。


積もりかけた雪で目を洗って、私はなんとか言い訳のつく顔になったと確認してから家のチャイムをならした。

母親はとても驚いて、そうして満面に笑みを浮かべて喜んでくれた。その瞳の中で、かつては絶対に見つけることの出来なかった安らかな光を認めるにあたって、私は内心で「これでよかったのだ」と改めて思った。少なくとも、目の前の白髪がめっきり多くなった女性にとっては私の取った行動は救いをもたらした事になる、と自分を慰める事ができる。

日は既に暮れていた。母親は何かご馳走を振舞うと張り切ったが、食べてきたからと嘘を言って旅の疲れを理由に早々に風呂に入って部屋に戻らせてもらった。明日になればもう少しきちんと母とも話が出来るのだろうが、今はまだ駄目だ。

部屋に戻ると大きく息を吐いて、ベッドに倒れこんだ。長らく使っていなかったベッドは、客室用のマットや布団一式と取り替えてもらったために、あまり使われていない布団特有の柔らかさをもって私を包み込んでくれた。

しばらく柔らかい羽毛の布団に顔を埋めていると、それは段々まどろみへと誘ってくれる。だが、その前に少しだけ、本当にこれが最後だから、過去の思い出に浸りたいと、私はまどろみに導かれかけた体を無理矢理布団から引き離して立ち上がり、暖房がきいているとはいえ少し冷たい床を素足で歩きながら、窓際に近づいた。

数年前までは、ここからこうして理央が見えないものかとよく目を凝らしていたのだ。耳は常に電話の音を求めて、目は常に窓の外へと向かっていた。

少しだけカーテンをのけて、隙間からその向こうへと滑り込む。ガラス越しに見える暗い世界は私の部屋や一階にある部屋の窓のカーテンごしの光を受けてようやく、その向こうに降る雪の姿を輝かせていた。それが例え白い物であろうとも、夜の暗闇には呑まれてしまうのかと、他愛もないことを考えるふりをしながらも、瞳は必死に闇の中を誰かの姿が見えないか探っている。例えば幻覚でも、それが見えてしまえば私はきっと恐ろしくなってしまうのに。

私は矛盾している。心は常に理央を求めていて、理性はそれを必死に拒否している。

額を目の前の窓ガラスにつけると、鋭い冷たさが額に伝った。それが、丁度良いと思えるのだから、私の頭はどんなに沸騰してしまっているのだろう。

軽く瞼を伏せる。目裏に浮かべる姿は言わずと知れている。

開いた私の瞳に失望を。そして、私はベッドへと戻るはずだった。

それなのに、開いた瞳に写ったものは、信じられない物だった。

カーテンごしの淡い光に朧げに照らされながら、妙に白く見える顔がこちらを見上げていた。その瞳の中に、はっきりと燃える炎のような色を見つけて、私はぞくりと背筋が粟立つと共に、これから起る事への期待でか、沸き立つような喜びも感じた。

その顔は、この世の物とも思えない程、ただただ美しく感じた。美しくて、禍々しいもののように感じられた。

拒否する理性の声を押し切って、私の手は部屋の窓を開けていた。

「理央」

一階にいる母親に聞こえないようにと潜めた声は、掠れてしまっていた。



見上げた先にいた未央は、顔面を蒼白に引きつらせて俺を見下ろしていた。耐え切れず、闇が深まるのを待って家を飛び出してきた俺は、その姿を見ると衝動を止めようもなくなって、早足に窓へと駆け寄った。未央は明かりのついた一階の窓を、警戒するようにちらりと一瞥したが、窓際には母親の部屋はないし、今この時間帯は母親は部屋で休んでいる時間だから大丈夫だろう、と俺は気にもせずに未央の開けた窓の下まで足を進めた。

囁くような未央の声を耳にした。体中が粟立って、そうして自分を抑えられなくなる。警戒するような未央の視線など目に入らないように、俺は未央に向かって潜めた声でもむしろ堂々と言った。

「迎えに来たんだ、未央」

未央の瞳が愕きに大きく見開かれた。瞳が大きくゆらめく。

俺は熱に浮かされたように言葉を続けた。無意識に紡ぐ言葉程、俺の本音を、願望をストレートに示していた。

「俺は、会えるのを待っていた。もう一度、会いたかった。……未央、二人でここから逃げよう」

俺がそう言った瞬間、揺らいでいた未央の瞳が急速に硬度を増したように思えた。それは、即座に鏡のような硬質で冷たい物へと変容して行き、俺の熱っぽい視線を受け容れずに弾いてしまう。

「逃げる?」

未央は俺の呟いた言葉を口の中で転がした。それは、何の感情も含めずに、ただ俺の言った事をもう一度反芻してみたに過ぎないというような、そんな口調だった。

「どうして逃げるの?行く場所なんてないのに」

思わぬ反論を受けて、俺はたじろいだ。ただ、二人でいられれば良いと思っていた。そんな具体的な、現実的な事は何も考えて居なかったからだ。

未央は硝子で出来ているのではないかと思われる薄い桃色の唇を微かに開くか開かないかして、呟くように言う。

「帰って、理央。あなたは今日はここに来るべきじゃなかったわ」

それは、明らかに拒絶の言葉だった。未央の瞳が、表情が、仕草が、物語っている。まるで何か硬いものに覆われてしまったかのように、未央はただ冷たい瞳で俺を見下ろしていた。

「叔父さんに、あなたはもう大丈夫だと聞いたから、私は帰って来たの」

言い訳のように、捨て台詞のように、そんな言葉を残して未央は窓を閉め、ピンク色のカーテンの向こう側へするりと消えてしまった。

俺はただ、呆然と未央の消えた窓を見ているしかなかった。体が凍りついたようにそこから動かない。今見たことを、光景を信じたくなかった。

未央が俺を、明らかに拒絶した。

カーテンを透かして灯る明かりはそのまま。ピンクのカーテンは重そうに一度ゆらりとゆらめき、後はもう動かずにまるで百年も前からそうしていましたとでも言うように未央の部屋の中身を隠していた。

雪はただ無遠慮に、俺の上へと降り注いでいた。



しばらくは自己嫌悪のループの中に包まれていた。

薄着のままで冷え切った体は冷たく、冷たい床の上の素足の感覚も麻痺している。

理央の言葉を聞いた時の、瞬間的かつ絶頂の喜びは、すぐに後ろめたさと自己嫌悪に形を変えた。

―――理央まで、こんなどろどろとしたものの中へもう一度巻き込むわけにはいかないもの。

理央にはもう、私ではない相手がいるのだ。それなのに、また以前のように戻るわけにはいかない。こんな時にのこのこ現れた自分が言う事ではないけれど。

―――とっても嬉しかったのは事実だけど。

理央が私をまだ引きずっていた事。迎えに来てくれた事。……もしかしたらあの子よりも私を選んだのかも知れない事。それらは身を震わすほどに嬉しい事だ。

そう、思ってしまう自分に嫌悪する。

不意に、膝を抱えて部屋の中にうずくまっていた私の耳に、聞き慣れた電子音が聞こえた。おざなりに置いておいた鞄の中から着信音のメロディーが高らかに響く。

―――この音は、電話だ。

私は重い腰を上げてのろのろとそれを取りに歩く。七色に安っぽい光を放つそれを開いて画面を確認すると、『田崎』という文字が目に入った。

一瞬迷った物の、私はすぐにそれを耳に当てる。

「どうしたの?」

そう言った私の声は、少しかじかんで硬質なものへとなっていた。携帯電話の向こうで、田崎が苦笑したのが感じられた。

「落ち込んでると思ったんだよな。メールの返事もないしよ」

「わざわざそれで気を使ってかけてきてくれたの?」

私は呆れた声で言った。まったく、この男の面倒見の良さったら。

ところが、田崎は軽快な口調のままそれに反論する。

「確かにそれも半分くらいはあるけどな。俺の愚痴もたまには聞いてくれよ。俺の事情知ってるの、お前しかいないんだから」

「何が?」

「今日、友人宅に夕飯よばれに行ってさ、もう、その友達と彼女と俺の三人。まさに、拷問だろ?好きな人と友達がいちゃついて……はなくても、仲睦まじい姿を目前に見せ付けられる悲しさったら」

その言葉に、私は呆れた声を上げた。

「まだ、友達の彼女諦めてなかったの?」

「諦めてないわけではないんだ。もうふっきったと思ってたのにさ。やっぱ当たって砕けられないシチュエーションって結構尾を引くな。やっぱ素敵な人だったよ」

「田崎、もう彼女だっているでしょ?それに、自分で諦めるって選んだんだから……」

私が言うと、田崎は恨めしそうに低く唸った。

「分かっているけどお前さん、愚痴の一つや二つ、言いたくなるってもんでしょう?消化し切れなかった想いは、そう簡単に消滅してはくれないよ」

「じゃあ、どうしたいの?」

私の問いかけに、しばし沈黙が訪れた。

「そこなんだよな。どうしたいの?俺もお前も。他の人と目一杯幸せになって、いつか良い思い出になれば幸せなんだけど。いや俺は、そうなるのをもうずっと待ってるんだけど。……だけどお前は、どうしたいんだろうな。俺よりも諦めが悪くて、東京に来てからもずっと引きずってたお前は」

時々、この男は真面目な声を出す。私は怯んだのを悟られないように精一杯静かな声を出した。

「理央を巻き込むわけにはいかないわ。だって、もう、彼には新しい人がいるんだもの」

薄っぺらい携帯電話の向こうでも、田崎はどうしようもないというように苦笑するのが見えたような気がした。

「そう言いながら、お前は会いに行ったんだ。それこそが、お前の本心だろう」

「私の本心なんて、大きく両極に分かれてるわ。……それに、自分の我が侭な方の心に従ってばかりいてもしょうがないでしょう?」

「でも、それがきっと本質なんだよ」

田崎は、恐いほど真面目な声で言う。

「そうやって理性で押さえつけていても、お前は結局会いに行った。それが、何よりの証拠だ。……いや、言い方が悪いな。人を好きになるって結局そうなんだと思う。そうやって、自分でどうしようもない願いや想いがあるのなら、何をおいてもそれを優先してしまうんだ。少なくとも、俺が映画や本で知った愛とかなんとかはそういうのだな。そういうのを、情熱的とか言うんだ」

「情熱的な愛が長く続くとは限らないでしょう。情熱的と破滅的って隣り合わせだと思うわ。私の友達で、燃え上がるような恋をした子で長く付き合い続けた例って一人もいないもの。もっと、そうね、穏やかに慈しみ合うような、そんな風がいいわ」

またもや田崎が苦笑したのが感じられて、私は少し反抗的に言う。

「大体、始めに理央との事で私を批判したのはあなたでしょう?」

「俺が言ったのは、お前の心のあり方だよ。お前らの関係事態は差別も軽蔑もしてない。ただ、見極めろって言っただけさ」

心外だと言うような口調で田崎は抗議した。

「それに、本当に、本当の意味でお前らが好きあってるっていうんなら、俺は全力でお前らを応援するよ。……そうだな、4年も離れてても続いた想いなら、本物かもしれないって少し思うな。生半可な期間ではないよ」

私は驚いて、返す言葉もなく絶句してしまった。本当にこの男は、なんと面倒見の良い男だろう。結局、電話をかけてきたのもきっと、愚痴などではなく私が沈んでいるんだろうと思っての事だったのだろう。

「ありがとう。……明日、仕事でしょう?そろそろ寝たら?」

「そうだな。じゃあ、またちょくちょく電話しろよ。あと、メールには一応返事くらい書けよな。へこむから」

そんな言葉を残して彼は電話を切った。

私は少しの間その携帯を見つめていたが、やがて大きく溜息をつくと、それを置いてベッドに登る。

田崎には感謝しなければならない。少なくとも、私の気持ちを落ち着けて、整理させてくれた事には。付け加えるなら、それに励まされた事も。

電気を消すとき、窓の外が気になった。

雪はまだ降り続いている。理央の上に、冷たいそれが降り注いではいないだろうか。この部屋の電灯が消える事で、彼の心にもまた冷たい痛みをもたらすかもしれない。

心によぎったそんな思いを打ち消して、私はぱちりとスイッチを消した。



未央の部屋の明かりが消えるのを確認して、絶望的な気分で俺は帰路についた。

雪は俺の頭の上にも降り積もっていて、長時間そこへ立っていた事と麻痺してき始めた寒さのせいで体中がぎしぎしと軋んだ。

体中の熱は取り除かれたようだった。最後の希望もなくなった。

未央が、俺を拒否した。

目の前に写る光景が虚ろに見えた。暗闇の中にその部分だけ浮き上がらせるように白い雪を照らしている街灯の光が、なんだか忌々しかった。その部分だけ、妙に雪が清浄なように見えて、それが憎たらしくて、そこだけ無茶苦茶に踏みにじった事だけ、鮮明に覚えている。

ふと気付くと、足は自然自宅に向かっていたようだった。機械的にポケットの鍵を探りながらドアに近づいた時、それに気付いた。

ドアの前に何か黒い塊が縮こまっている。

始め、それが何か分からなかったが、俺の気配に気が着いてそれが身動きした事で、ようやく理解できた。

ドアにもたれて、うずくまって膝を抱えていたのはサホだった。暗い中にも、俺を見上げてくる哀れで惨めな、媚びるような瞳が確認できる。

「理央君……」

サホは細い声でそう言った。震えているのは、寒さのためだろうか?

「ごめんね。理央君。あたし、無神経でごめんね。だけど、側にいさせて欲しいの」

体中は冷え切っていた。サホを追い越して早く部屋の中へ入りたい。だけど、よもやこのままにはしておけないだろう。

「ねえ、中に入れて?」

サホの懇願するような声が耳に入る。

体は冷え切っていた。出て行った時と違って、未央に拒絶された今、心も冷え切っていた。

この暗い暗い穴は、ただ一人を除いては誰も埋める事が出来ないだろう。だけど、せめて温もりをとってほんの少し和らげる事はできるかもしれない。

俺は手の中で弄んでいた鈍い銀色の鍵を鍵穴に差し込む。

「入れば?」

言うと、サホの顔が奇妙な具合に歪んだ。それは、泣こうか笑おうか決めあぐねているといった顔だった。

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