その2『冷たい手』
この思いをなんと言おう?
俺は生憎、ボキャブラリーがとても貧困で、この気持ちを見事に表す言葉を探し出せはしないけれど。
君を想う時の、胸の奥でジンジンとした熱が撒き散らされる様な、この思いをなんと言おう?
窓の外には雪が降っている。
俺は特に何も考えることなく、窓を開けた。
夜。闇、雪、白。
目の前の光景は、確たる文章を持たずに曖昧な印象で俺の目に映る。
夕方から降り始めた雪のお陰で、外はいつもの情景とはまったく変わった真っ白い色に覆われている。
この家の辺りは、閑静な住宅街が並んでいるし、今は深夜なので、音もなく、明かりも俺の部屋の窓から漏れるもののみ。闇の中には雪の白だけが、ぼぉ、っと浮かび上がっていた。
冷たい空気は、徹夜の受験勉強で沸騰した頭には程よい刺激になる。スゥ、と頭が醒めていく感じがする。
雪がふわふわと窓辺から部屋の中に入ってくる。ただ、儚いそれは、すぐに机の上で水滴となってしまう。
そんなものを見ていたら、ふと、子供の頃のことを思い出した。
雪の結晶を探しに行こう。
そう、言い出したのは、どちらからだろう?
よくは思い出せないけれど、多分俺だったように思う。
テレビか何かでやっていたのだ。
雪の結晶を『雪の中に咲く花』と。
まだ幼かった俺と未央は、それが比喩だとは考えることもせず、本当に雪の中にあんな綺麗な花が咲いているのだろうと、雪の中を探しに出たのだ。
未央の赤い長靴と俺の青い長靴。
未央の赤い傘と俺の青い傘。
未央の赤い手袋と俺の青い手袋。
小さな足跡で、2人して、庭に出て、誰にも荒らされていない雪を掘る。
しばらく掘ると、手袋に水が染みてきて、指先が冷たくなった。
未央を見れば、いつの間にやら手袋は外して、頬を真っ赤にして、小さな手を真っ赤に染めて、直接素手で雪を掘っていた。
その手が、あまりにも寒そうで、俺は手を伸ばして未央の手を両手で包んだ。温めてやろうとしたのだ。
だけど。
未央の手と同じくらい、俺の手も冷たかった。
分け合う程の温もりも、お互い持ち合わせていなかった。
未央がふふ、と笑う。
「理央の手も冷たいね」
未央とおんなじね、と言って未央は俺の手を握る。
「見つからないねー。お花」
うん、と頷いて俺は途方もなく白い、そして子供の目には広大に見える庭を見渡した。
「きっと、もっとずっと遠くにあるんだね。お庭よりもっと遠いところにあるんだね」
俺が言うと、未央はうん、と頷いて笑った。
「帰ろうか?理央」
「うん。帰ろう」
『雪の中に咲く花』は見つからなくて。
つないだ手は相変わらず冷たくて。
それでも俺はその時、とても満たされていた。
そろそろ、窓を閉めようかと腕を伸ばした時、地面の雪に映った俺の窓の明かりの隣に、パッと明かりが点いた。
明かりを受けた部分の雪がキラキラと柔らかいクリーム色に輝くのを少し眩しく見ていると、電話が鳴った。
俺は苦笑して受話器を取る。
「どうした?眠れないの?」
尋ねると、ううん、と答えが返ってくる。
「夢をね、見て目が覚めたの。懐かしかった。…覚えてる?昔、雪の結晶を2人で探したでしょう?」
俺は内心の驚きを隠しつつ、答える。
「覚えてるよ。今、丁度思い出してた所」
地面の雪にできた光の窓に、未央の影が映る。こちらの窓には俺も映っている。
「やっぱり、双子ね。私達」
言って未央はクスクスと笑う。
「そうだ、理央、左手をこちら側に伸ばして」
「何?」
「いいから」
弾んだ声言う未央を訝しがりながら、言われたとおりにする。
未央が、右手をこちら側に伸ばす。
「ちょっと離れすぎちゃってるかな。でも、なんだか手を繋いでるみたいでしょ?」
未央はそう言ってまた、クスクスと笑う。
なるほど。
雪の上の影たちは、窓越しに、長く長く手を伸ばして、繋がっている。
「ホントだ」
同意すると、嬉しそうな声で「でしょ?」と返って来た。
決して触れることが出来ない俺たち。
影だけでもせめて、しばらくこのままで。
この思いをなんと言おう?
俺は生憎、ボキャブラリーがとても貧困で、この気持ちを見事に表す言葉を探し出せはしないけれど。
だけど多分、つまりはこういうこと。
繋いだ手が、お互い温もりを分かち合えないと分かっていても、それでも満たされてしまうような。
多分きっと、そういうもの。