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夕御飯は豪勢にもステーキが出てきた。
テーブルの上に乗ったステーキを見て、僕と麻奈は思わず生唾を飲み込んでしまう。
何でそこまでに至っているかと言うと、豪華な木製の箱から取り出された霜降り肉を惜しげもなく焼いて出されたからだ。
箱には綺麗な焼印と有名な国産牛の牧場名。一枚で何万円もする高級品である。
「時間があったらもっと良い食材を準備出来たのですが、これで我慢してくださいね」
「い、いえ! これだけでも十分です!」
なんて豪勢な食卓なのだろうか。
「そっか……今日は野生の肉を用意できなかったんだー……」
「野生の肉!?」
「ええ」
何か当然と話を進めていく浦島親子だけど、野生の肉って何を出すつもりなの?
ジビエ? あれってそんな美味しいっけ?
僕も魔王領に居た頃に食べた事あるけどそんなごちそうでは無かったけど?
「とっても美味しいんですよ」
笑顔だけど琴音さん……あなたは果物とか草食系を好んで欲しいと思うのは僕の我侭ですか?
そして琴音さんのお母さんはステーキを焼くのを終えて食卓に並べる。
付け合せのサラダにスープ、お好みでパンと御飯が用意された。
「召し上がれ」
「「「いただきます」」」
僕は滅多に無いご馳走に恐る恐るフォークとナイフを使って一口食べた。
それからの事はあんまり覚えていない。
とても美味しかったという記憶だけが脳に焼き付いて離れないのだ。気が付いた時には食器の片づけを終えてリビングで寛いでいた。
……まだ僕はスライムの姿のままだ。今日は変身時間が長い。
琴音さんの家のカーテンが開けっ放しなのと天窓から月が見える。
「さあさあ、皆さん。そろそろ寝る時間ですよ」
食事を終えてゆっくりした僕たちに琴音さんのお母さんは就寝を進める。
「麻奈さんは琴音の部屋で琴音と一緒に寝てください。幸長くんはー……」
そうねーっと微笑を崩さないまま。
「私と一緒に寝ましょうか」
いきなりとんでもない事を言い出した。
「お母さん!?」
「だめなのだ!」
ここで琴音さんと麻奈が大声で注意する。
「冗談よ。幸長くんは客間で休んでもらうわ」
ニコニコと笑いながら琴音さんのお母さんは麻奈と琴音さんを部屋に連れて行く。
「ゆ、幸長くん! もうちょっと話を」
「な、なのだ。幸長を」
なんか二人とも後ろ髪を引かれるまま琴音さんのお母さんに連れられていく。
しばらくドタドタと足音が聞こえた。何をしているのだろう。
それからしばらくして琴音さんのお母さんは戻ってきて、リビングのドアを閉める。
……なぜか耳を澄ましていた。
「うん。戻ってこないわね」
「どうしたのですか?」
「いえね。ちょっとやんちゃな女の子達が共同戦線を張って野獣になりそうだったから注意してきたのよ」
「はぁ……」
何のことを言っているのだろう? 野獣とか女の子に使う言葉だっけ?
「じゃあ幸長くんを客間に案内してお布団を布かないとね」
「ありがとうございます」
「いいのよ。あの子の子供なんだし、幾らでも甘えていいわ」
「あの子?」
「ええ、貴方のお母さんよ。私の小さい頃からの大親友で魔王の妻になった人、私もね。魔王軍には居たのよ?」
琴音さんのお母さんは僕を客間に案内しながら話をしてくれていた。
「貴方が死産だったと言われた時はずいぶんとやつれていたわ。弟さんをすぐに作れって親戚みんなに言われててどうなの? とも思ったわね」
僕は魔王様の養子だ。
王妃様は僕を一目見るなり、死んだはずの子供だと連呼した。
「それまでは散々ノロケを言ってたのだけどね。懐かしいわぁ……」
琴音さんのお母さんは琴音さんを身ごもっていた頃、魔王城で王妃様の話し相手をしていたそうだ。
驚いたことなのだけど、僕が魔王軍に居た頃、西方を守護していた四天王が琴音さんのお母さんだったらしい。
琴音さんと日本に帰国すると同時に魔王軍を引退し、四天王の座を譲り渡したそうだ。
「だから我が家と思うくらいゆっくりしていってくださいね」
「はぁ……ありがとうございます」
「ふふ、幸長くんは本当にあの二人に良く似てるわね」
これは僕が魔王様夫妻に似ていると言っているんだよね?
「えっと、どちらかというとシュレイルードの方が似ているかと」
「いいえ、顔ではなく、オーラのようなものよ。お義父さんはボケっとしてる所があったけどいざって時はしっかりしてて、その辺りがよく似てる」
「はぁ……」
血が繋がっている訳じゃないはずだけど、良く似ているのかな?
「……琴音の事を守っていただき、ありがとうございます」
数時間前に琴音さんから言われた事を思い出す。幼少時に僕が琴音さんを助けた出来事だ。
「仕事でしたので……琴音さんからも感謝の言葉を既に頂いています」
「ふふ……それだけではないのですけどね。貴方からは不思議なものを感じるわ」
「へ?」
△
「うー……お母さんの頑固者ー……」
お母さんは麻奈さんと私を部屋に無理やり案内すると外から出られないように強力な結界を張った。
満月だから使える魔法なのですが、今の私じゃ解除するのは出来ない。
麻奈さんも同様で最初は力ずくで壊せたのだけど、直ぐに強力な結界を張られてしまい。脱出の手段がなくなってしまいました。
「こんのー!」
窓ガラスを破壊しようと麻奈さんが拳を振るいました。
けれど、鈍い音と共に麻奈さんは弾き飛ばされてしまいます。
「琴音、家を壊してもいいのだ?」
「だめですよ」
さすがに壊されたら困るし、お母さんに怒られちゃう。
変身しようにも魔力要素が足りない。
この結界は私と麻奈さんから魔力を供給して作られているみたい。いつの間にか両手に魔力を奪う手錠を掛けられていました。
だから麻奈さんもオーラを展開できないし、結界から筋肉弱体化の魔法が常時掛かっていて窓ガラスすら割れない。出るには明日にならなきゃ無理。
「麻奈を出し抜くなんて……とんでもない事をするお母さんなのだ」
「はい……」
用意周到すぎます。まるで私達が部屋から抜け出して幸長くんと添い寝するのを分かっているようでした。
幸長くんの家では皆さんの目があって実行に移せません。麻奈さんとは既に話を付けていたと言うのに。特に桜花さんの目が非常に厳しいので今回がチャンスだったのに……。
「完璧に出し抜かれるなんて、幸長と戦わせられた時以来なのだ」
「戦わせられた?」
幸長くんと麻奈さんが戦った事があるようです。私の興味は部屋を出ることよりも麻奈さんの話に向かっていきました。
「そうなのだ。麻奈は昔、自分でも言うのもなんだと思うくらい暴れん坊だったのだ」
どう答えれば良いのでしょう。今でも暴れん坊に見えます。
ですが……もっとひどかったのでしょう。
「でも麻奈が7歳の時、父上が幸長を紹介したのだ。ちょうど今夜みたいな満月の夜に」
「麻奈さんのお父さんが?」
「そうなのだ」
麻奈さんは7歳の時、乱暴者で力が有り余っていたそうです。元々資質が高かったためか、喧嘩でも負けなしで調子に乗っていた。このままでは我侭な子に育ってしまうと事態を重く見た麻奈の父親は戦友であった魔物に相談し、幸長と勝負すれば性格が直るのではないかと持ちかけられました。
幸長くんとは既に話が通っていて、約束通り麻奈さんと勝負する事に。
「7歳でも麻奈は大人より遥かに強かったのだ。最初はスライムだって知って馬鹿にしたのだ。動きも緩慢で力も無い、勝負は目に見えていたのだ」
でも、と麻奈は夢見る乙女のように両手を合わせて月を見つめます。
「幸長は凄かったのだ。麻奈の顔面に力の限り覆いかぶさって窒息させようとしてきたのだ」
麻奈さんと言えど必死に覆いかぶさった幸長くんの攻撃を振り払えなかった。
「それでも振り払って追いかけた麻奈だったけど、幸長が仕掛けた罠にどんどん引っかかってフラフラになった所で再度組み付かれたのだ」
「罠ですか……?」
幸長くんはそんな技能も持っていらっしゃるのですか。
「そうなのだ。気がついた時、麻奈は地面に伸びていたのだ」
「……さすが幸長くんですね」
「幸長は弱くても勝つ方法が幾らでも存在する。油断してはいけないと教えてくれたのだ」
「どうしてそれが乱暴者からの脱却になるのですか?」
麻奈さんという人間を相手にするには大幅な理解力が必要です。
「傲慢は敗北を呼ぶ。どれだけ力で劣っても知恵と勇気ですべてをひっくり返せる。麻奈は今でも幸長の本質に敵わないのだ」
「つまり幸長くんを見て大事な所に気づいた?」
「そうなのだ」
麻奈さんは私の顔をマジマジと見つめました。
「琴音には絶対に負けないのだ」
「え!?」
「分かっているのだ。琴音が誰を好きなのか、だから麻奈は琴音と正々堂々好きな相手を賭けて戦っているのだ」
はぐらかす事は幾らでも出来ます。ですが、私の脳裏に幸長くんとの出会いから全てが思い浮かびます。
始まりは命を救って貰ったのを覚えていたからですが、それ以降も学校で助けられました。
困っている時は必ず励ましてくれました。無自覚で人を助けることが出来るあの人のように私はなりたいです。
「はい。絶対に負けません」
勇気を振り絞って私は麻奈さんに宣戦布告をしました。
目の前に居るのは私の天敵ではありません。大好きな相手を奪う宿敵なのです。
正々堂々とした精神を持つ恋敵、最後に勝てばいいなんて卑怯な事をするなんて私のプライドが許しません。
正面から勝ち取ってこそです。
私の魔物としての、魔物の王とするドラゴンの本能が逃げるなと叫んでいます。
「麻奈も負けないのだ」
「はい!」
△
「あの子も大変よね」
「申し訳ございません。どうも襲撃が多く、対処が遅れております」
僕は琴音さんのお母さんに謝る。ここ最近、勇者志望の連中の襲撃が活発化している。
その所為で様々な事件に琴音さんを巻き込んでしまったのだ。
「ルードとの関係は滞りなく進んでおりますのでご安心を、極力、琴音さんには被害が及ばないように努力しております」
「あらあら……」
琴音さんのお母さんはクスクスと笑い出してしまう。
「そっちも大変ね。だけどあの子達には良い経験よ。だから気にしてないわ」
そして同じ返答。
僕は何か間違ったことを言ってしまっただろうか?
「……もしかして魔王云々の説明をご存知でない?」
「いいえ、家の娘が次期王妃候補なのは知っているわ」
「で、では何故? 命の危険でもあるのですが」
「もうあの子は何もできない雛ではないからかしら……我が血族の者として、その程度で命を落とす事は恥でしかない……と言えば厳しいのかしらね?」
布団を敷き終わり、琴音さんのお母さんは僕に横になるように手で指示を出してから明かりの電源に手を伸ばす。
電気を消すかに思えたその手が止まった。
「幸長くん」
「はい?」
「琴音の事をお願いするわね。あの子は何もかもが特殊なの……だから、幸長くんにしか守れない時が来ると思うわ」
「この命に代えても守ります」
それが僕の仕事なのだ。琴音さんがルードと婚約して魔王領に戻るまでの間、僕はルードと琴音さんを守る。例え弱いスライムであっても。
「あらあら……本当に頼むわね」
パチンと明かりを消して、琴音さんのお母さんは客間から出て行った。
僕はぼんやりとしながら琴音さんの事を考えてしまう。
とても頑張り屋さんで優しい女の子。時々僕は彼女の事を異性として意識してしまう。だけど琴音さんとの結婚はありえない。
だって……琴音さんは僕と付き合うよりもルードと一緒になるほうが幸せなのだから。
なぜか……体の奥で何かが燃えているような感触を覚えるのだった。