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「うん……」
寝苦しい。というか布団が妙に纏わり付いている。
「おはよう。兄さん」
朝起きたらブラゴンの弟が同じベッドの中で添い寝していたらどうする?
げしっ!
僕は問答無用で蹴り飛ばし、弟をベッドから追い出した。
「いた! まったく、兄さんは恥ずかしがり屋だなぁ……」
「自分のベッドで寝ろ!」
……イケメンであっても男と添い寝なんてさすがに勘弁してほしい。
△
「お邪魔します」
翌日、琴音さんは大きな荷物を背負って僕の家に上がりこんだ。
「昨日のうちに空き部屋を用意したから荷物を置いてくると良いよ」
ご両親の許可を得たのか良く分からないけれど桜花さんは問題ないと琴音さんの家に電話をしていた。
「はい。これからよろしくお願いします幸長くん」
「気を使わず自分の家だと思ってゆっくりしてください」
実はあなたを罠に掛けて同居させていますなんてとても言えそうに無い。
「あ、はい。桃宮さん」
「これから一緒に生活するのです。桜花と名前で呼んでください」
営業スマイルが眩しい桜花さんが琴音さんに提案する。
「じゃあ、お言葉に甘えまして。よろしくお願いします桜花さん」
「はい、よろしく」
部屋の割り振りは桜花さんの企みを拒む事が出来ず。ルードの隣が琴音さんの部屋になった。
僕の家は前も言ったとおり屋敷なので空き部屋がそれなりにある。
日当たり良好、六畳の部屋が琴音さんの部屋となった。
で、ルードの部屋を中心に琴音さんの部屋の反対が僕の部屋であるのはお約束。廊下を挟んで向いにあるのが桜花さんの部屋とまあ偏った部屋割りとなっている。
空き部屋はまだあるけど……偏らせすぎだ。
「広いお家に住んでいるんですね」
「まあね」
王妃様は代々スライムの系譜のエリート。
祖父母たちに僕は良くして貰った。お陰でこの屋敷の管理を引き継いでいる。
権利周りは魔王軍の偉い人たちがしっかりとしてくれているので大丈夫だ。
「それじゃあ晩御飯になったら呼ぶね」
「あ、幸長くんは晩御飯の準備ですか?」
「今日の当番は僕なので」
本日、風呂は桜花さんで炊事は僕となっている。
「手伝います」
「いえいえ、今回は幸長さんに任せておいて欲しいです」
何時の間にか部屋の前で桜花さんが立っていた。
「せっかく我が家に来たばかりの桃宮さんに不慣れな場所で料理の手伝いなどさせるのは失礼に当たります。是非、ゆっくりと、そうルード様とのびのびと親交をお深めください」
我が家って、元々僕の家なのに何時の間に桜花さんの家になったんだ?
「だ、だけど幸長くんもコレだけの人数分の料理を作るとなると大変では――」
「問題ありません。殆ど料理は出来ております。あなたを歓迎するために」
念押ししつつ、桜花さんは僕を肘で小突く。
そんな準備しているなんて初耳だよ? そりゃあ歓迎するためにご馳走を作ろうとは思ったけど、これではパーティーでもするかのようだ。
サッサトカイダシニイッテコイ。
目で語らないで、というか準備は嘘ですか。
アタリマエデショウ。コレヲコウジツニナカヨクサセルノデ、ジャマデス。ハヤクカイダシニイキナサイ。
はいはい。
「というわけで簡単なんだ。出来上がったら呼ぶから楽しみにしていて、腕によりを掛けるから」
「あ……はい」
目で語り終えた僕たちに疑惑の目を向けていた琴音さんだけど、素直に引き下がってくれた。
「楽しみにしていますね」
「じゃあ僕は最後の仕上げに行ってくるね」
桜花さんが長話になりそうだからと何度も僕を小突く、お願いだからやめて。
足早に僕はキッチンに向かい。料理の準備に取り掛かる。
……色々と食材が足りない。
買出しに行くにも手伝いを呼べない……琴音さんとルードを仲良くさせる作戦の邪魔になる。
はぁ……仕方がない。急いで近所のスーパーへ買出しに行こう。
音を立てないように注意深く僕は自分の家から出て、スーパーへ走る。
△
スーパーに行くと調度、揚げ物の割引が行われていた。
即席で作られたテーブルの上に商品が置かれている。
そこで僕が気が付いた。売り子をしている知り合いの女の子を。
「やすいよー……やすいよー……」
常に無気力な喋り方でベルを片手に客を呼んでいる子。
青っぽい銀色の髪に誰もが美しいと目を留めるだろう。次に整った顔立ち、琴音さんは可愛くて美人だけど、この子はそれに匹敵する。無表情だけど、琴音さんが太陽に例えるのならこの子は月に例えられる美しさだ。
次に体形、胸の大きさは琴音さんにこそ及ばないが桜花さんには勝っている。
少し大きすぎるかなと思うくらい爆乳である琴音さんよりも形は良い。
肌は純白で動く芸術品のようだ。と級友達は分析するだろう。
年齢は確か僕と同じ……のはず。
なのだけど、なんだろう……僕には特に何も考えてない虚無な瞳で雑に仕事をしているように見えてしまう。
「それは売り子としてどうなんだ?」
名前をシオン=エーターフィーと言う美少女だ。
幼くして身寄りを無くし、日本に住む遠い親戚が引き取った帰化外国人の女の子で昔からの友人だ。
「やすいよー……」
コロッケを指差して買わないかと目で訴えてくる。
「うん。じゃあ貰おうかな」
「……何個ほど?」
「一通り5個ずつ」
「……何かのお祝い?」
袋に揚げ物を詰め込みながらシオンは僕に尋ねる。
「まあ……そんな所かな」
「そう……」
「そういえば日本に帰ってきてたんだね」
「……うん」
昔、同じ学校に通った事もある。
成績優秀で特待生として海外留学によって日本を離れたのが数年前。
長期休暇になると日本に帰ってきてアルバイトをしに家に来たりする。
このスーパーでも昔、働いていた。
ヘルプで呼ばれたとかだろうか?
どうやら留学が終わって帰ってきたようだ。
「……また掃除に行っていい?」
……今、シオンのような美少女が家に来たらどうなるだろうか。
十中八九、ルードと桜花さんが大騒ぎするのが目に浮かぶ。
「うーん。ちょっと家が騒がしくなってね。掃除はみんなでやる事になっているから大丈夫」
「そう……」
憂いに満ちたような瞳で僕を凝視しないで……罪悪感が募るから!
「じゃあね……」
手を振るシオンに答えつつ、足早に家に帰った。まだまだすることは山ほどある。
△
ふう……どうにか間に合った。
テーブルの上には大量の料理が並んだ。
から揚げにコロッケ、フライドポテトにフライドチキン、てんぷらとカレー。
御飯も炊いたし、パンもある。他にすき焼きと焼肉も出せる。
お惣菜を買えたのは運が良かった。手作りとなると時間が掛かるからね。
メニューが偏ってるのはしょうがない。炒飯とか麻婆辺りも用意すべきだったか?
窓の外に目を向けると黄昏時を越えてとっぷりと夜が更けだしていた。
そろそろ呼んでも大丈夫だろう。
「ごはんができたよー」
みんなが居るであろう各々部屋に大きく呼びかける。
返事が無い。しかも来る気配も無い。
一体どうしたというのだ?
心配になって僕は部屋の方へ歩いていく。するとルードの部屋の前で戸を少しだけ開けて覗き込んでいる桜花さんを見つけた。
「何を――」
「シッ!」
尋ねようとした所で桜花さんに人差し指を立てて止められた。
何? 折角作った料理が冷めてしまうよ?
そう言おうとしたが桜花さんは部屋の中が気になるようで視線を向けている。
一体何が起こっているんだ? そこまで関係が進んでいるとでも言うのか?
僕は桜花さんが覗き込んでいる隙間から部屋の中を見た。
ルードと琴音さんが仲良く並んでパソコン画面に意識を集中している。何を見ているか。
『あ……ああんっ!』
……変な嗚咽が聞こえた。
この声は琴音さんでもルードでもましてや桜花さんの声でもない。パソコンから聞こえてくる。
琴音さんの頭が邪魔で僕には画面が見えない。
桜花さんが覗き込んでいる位置からは微妙に見えるっぽいのだが、一体何を見ているのか。
『や、やめて。どうして私がスライムに――ああんっ!』
ちょっと待て、なんだこの台詞。
「何をしているんだ!」
バン! 僕は勢い良く戸を開けて室内に入る。
「に、兄さん!」
「ゆ、幸長くん!?」
突然の事態に驚いたかのように二人は振り返る。
見えなかったパソコン画面に目を向けるとそこには可愛らしい2Dの女の子が液体生物に蹂躙されている一枚絵が映し出されていた。
「御飯が出来たと呼んでも来ないからどうしたのかと思ったら……」
ゲームをしていたのか、しかもこれはギャルゲとか言う奴だ。
エッチなシーンが入っているという事は18歳禁止の類。
「あ、あのね兄さん。誤解なんだ。ボク達は別に二人してスケベなゲームをしていたい訳じゃない」
「へー」
どんな訳があってこのようなゲームをしていたのだろうね。ルードは冷や汗を流しながら画面を消そうと躍起になっている。
「そ、そうですよ。スライムである幸長くんの事を少しでも理解するためにこのゲームをプレイしたんです」
「へー」
「ま、まったく、折角仲良くゲームをしていた二人の邪魔をするとは幸長さんも無粋ですね」
そこで何故僕が話題に出てくるのかな?
琴音さんも顔を紅くしてルードと何故こんなゲームをしているのかな?
耳まで真っ赤になっている桜花さん。何で二人にこんなゲームをさせているんだ。普通止めるべきでしょ。
「ちなみにコレはどんなゲームなのかな?」
「スライムという不遇な立場に生まれた少年が自分を馬鹿にして虐げてきた女の子達を満月の晩に無理やり押し倒して蹂躙し快楽漬けにするゲームだよ」
「僕が性犯罪者予備軍か何かだとでも思っているのかお前は!」
「そんな訳ないじゃないか」
どの口で言うか。
一体どのような知識でスライム=犯罪者と思っているのか。世界中のスライムに謝れ!
「ボク達は兄さんの気持ちを完全に察する事は出来ないんだ。だから少しでも兄さんの気持ちに近づくためにスライムが主人公の物語を疑似体験しているわけでね」
「別に僕の気持ちを理解しなくても良い」
はぁ……どうしてこんな弟がいるんだか、これが次期魔王だと思うと魔王軍の未来は暗いぞ。
琴音さんも話をあわせて一緒にプレイしないで欲しいよ。
「実は琴音さんと最近読んだ小説の話が弾んでしまってね。ついでにプレイをしたんだ」
「そうなんですよ。ルードさんの部屋にあった本を見て話をしていたんですよ」
「それは桜花さんが熟読している本か?」
検閲とでも言うかのように桜花さんはパラパラと読んでいる。
カバーが掛けられていてどんな本なのかは分からないけど……。
「なんて破廉恥な、貴方はいつもこんな事を考えているのですか。色情の権化!」
「一体どんな本なの!?」
僕が手を伸ばして本を読もうとしたら桜花さんは懐に入れた。
「何で懐に? その本をどうするつもりだ!?」
内容が非常に気になるよ!
「まあまあ、桜花。兄さんは本の内容を飛び越えて賢者になっているから問題ないよ」
「ふむ、そうですか……いいでしょう許します」
一体どうして僕が攻められる立場になっているの?
「良く分からないがその本が卑猥すぎる内容なのだというのが分かった」
ルードはともかく琴音さんもなんて本を読んでいるんだ。
「分かっていますよ。このゲームだって、本当のスライムさんはこんなにスケベじゃないってくらい」
琴音さんは片目でパソコンを操作しつつ呟く。
「でも擬似的に恋愛するって面白いですよね」
「まあ……そうだね」
恋愛とは凡庸な人生のスパイスだとは誰の言葉だっただろうか。人生を楽しませる要素を擬似的に味わえるのなら面白い。
「幸長くんはどんな子が好みなんですか?」
「そうだなぁ……」
ゴクリ。なんか音が同時に聞こえた気がする。
「やっぱ人間の子が一番かな」
「「「えー!!」」」
「何、その反応。僕が好みの子を話して何か不満があるの?」
「なんで人間なんですか!」
その中で一層強く琴音さんが言う。
「いや、だって僕はスライムだし、下手に魔物の子と結婚をしたら……ねぇ」
魔物同士の婚約においての起こる問題点。
それは両者の種族や能力による弊害だ。
スライムである僕と仮に魔物の子との間に子供が出来た場合。二分の一の確率でスライムの系統が生まれる事になる。
相手が人間の場合、スライムと人間は人間の方が優性遺伝子に該当して産まれる子供は人間として生まれる。
もちろん、魔物化するという可能性を所持し、特定の手術を行えば魔物になる事も出来るようにはなれる。
けれど望んでスライムになりたいなんて奴はいないだろう。
それは親の心とて同じはずだ。
「幸長くん、子供と結婚するのではありませんよ? 相手を見てください」
「え? 好みの子って話じゃないの?」
僕はそういう所が気になるから人間の子が好みだって言っただけなのになんで怒られているの?
「本当に、だから貴方は不出来な兄でしかないのですね」
「一体どういう事だよ」
「兄さん。さすがに種族差別はどうかと思うよ」
ルードまで僕を蔑む目で見てくる。一体僕が何をしたというんだ。
「「愛があれば良いんだよ。子供なんて二の次さ」」
ルードと琴音さんがハモった。
「好みの子が人間だってだけでどうしてそこまで言われなきゃいけない訳?」
「え、あ……」
何故か三人とも沈黙する。
「そもそもさ……僕は自分がスライムだって好きな子に話さないといけないんだよ」
僕は魔物の中でも最底辺であるスライムなんだ。
魔物同士の場合は相手の種族を気にする人も多い。
満月の日にしか魔物に成れない日本でも、相手に求めるスペックという物は生物の本能か、有能な者を欲する。
どれだけ知能が上がってもこの本能は中々克服できない。
婚活に入る魔物の中でスライムであるというのは非常に悪いアドバンテージを引きずっている。
人間は子供が人間ならば魔物ほど騒ぐ人は少ない。
結果、人間と婚約をするスライムが歴史の中で姿を消すのは当たり前の結果となった。
同族で慰めあうように結婚する事こそあれど、少しでも子供が良い地位へと望む風潮があるらしく難しい。
人間と結婚できないスライムは家庭を持たずに死ぬ。
これが常識なのだ。
「いえ! きっと幸長くんを受け入れてくれる魔物の子もいるはずなのです!」
何故か琴音さんが食いついてくる。
「そう言ってくれるのは嬉しいね」
ガララ! ちょうどその時、大きく玄関の戸を開ける音が聞こえた。
「お邪魔しますなのだー!」
「お? この声は」
ドタドタと騒がしい音が玄関の方から聞こえてくる。
「ぬあ! 今日はご馳走が並んでいるのだ」
僕がルードの部屋から出て居間の方へ歩いていくと三人が首を傾げてついてくる。
もっちゃもっちゃ。
遠くからでも聞こえてくるつまみ食いの音。まったく、あの馬鹿はいきなり上がり込んで勝手に食いだしたな。
「コラ!」
「ぬお! あ、幸長なのだ!」
「なのだじゃないよ!」
居間には盛り付けの終わった食べ物が山のように置いてある。その食べ物に手を伸ばして食いまくっているのは僕の知り合いの女の子だ。
「ぬ? 後ろに居るのは誰なのだ?」
この子の名前を平賀麻奈。年齢は15歳。とはいえまだ誕生日が来ていないだけで僕と同じ学年だ。
年齢不相応に幼い外見をしていて、小学生に間違われて怒っていた。
親しい間柄による贔屓目を除いても可愛らしい美少女だ。
髪の色は紺色でショート、瞳の色がやや赤く、本気になると何故か黄色く猫のような目になる。
人間だけど猫系の女の子だったか。
「弟のルードとクラスメイトの浦島琴音さんだよ。で――」
「こ、こいつは!」
桜花さんが顔を引きつらせて刀の柄に手を掛ける。
「ど、どうしたの?」
「幸長さん。どうしてコイツと親しげに話しをしているのか理由を問いただしたい」
「おおお! 桜花なのだ。ここで会うとは偶然も凄いのだ」
「知り合いなのですか?」
「はい。コイツは平賀麻奈、私との出会いは数ヶ月前――」
△
数ヶ月前、魔王城ではちょっとした騒ぎがあった。
魔王城はほぼ毎日、勇者が魔王領に乗り込んで来る。まあ魔王城にまで到達できるのは大部隊を編成せねば不可能なのだが。
昔の英雄譚のように単身で魔王を倒せると乗り込むのは馬鹿がする事で、物量の前に単身で乗り込む勇者達は倒される。
そんな中、単身で魔王城まで乗り込んで来た侵入者の討伐に騒ぎになったのだ。
物量作戦の場合、相手を発見するのは容易に出来るのだが、単身で乗り込んでくる相手には発見が困難となる。
今時珍しいその行動力と強さに魔王や四天王は警戒を強めた。
「貴様か!」
その時、桜花さんは父親と共に侵入者の排除に乗り出していた。
「……」
身長よりも大きな剣をまるで玩具のように振り回しながら高速で駆け回り、魔王の間へと突撃してくる勇者。
「何?」
勇者の姿を目撃して桜花さんは驚いた。
幼い少女だったのだ。衣服はチャイナ服のようだけど上に竜革の胸当てを着用しているだけ。
薄着にも程がある。
少女の突進を止めようと前に出る近衛の魔物。
「させるか!」
何か風を切るような音が聞こえた。
少女は特に構える気配も無く、大きな剣を動かしてなどいない。
「グハ!」
ただそれだけだというのに向っていった魔物は肩から血を噴出して倒れた。
桜花さんは少女が物凄い速さで剣を振りかぶって魔物を切ったのだと辛うじて目視していた。
「ほう……」
桜花さんの父は相手の力量に、片手を挙げて周りの魔物たちを引かせる。
少女は立ち止まり、桜花さんの父親の前に立って見上げた。
「邪魔なのだ。そこを退くのだ」
「そうは言ってられない。一応、四天王に名を連ねるものであるからな」
四天王とは、魔王を守護する近衛隊長の呼び名で、欠員が出ない限り変わることがない。
そして重要な事なのだが、魔王一人に対して四天王がいる。
つまり、桜花さんはルードの四天王であり、桜花さんの父親は当時の魔王の四天王である訳だ。
「退かないなら突き進むのだ」
少女は大きな剣を右肩に乗せるように構える。桜花さんは父親と共に構えた。
「ふむ、一応名前を聞いておこう。魔王様へ謁見する条件だ」
「……平賀麻奈」
「ほう……和名か、私の名前は桃宮立春、この子は桜花だ」
麻奈は桜花さんの父親のいる謁見の間への扉に向って走り出した。
勝負は一瞬だった。
元から麻奈は四天王と戦うつもりは無かった。振りかぶる桜花さんを無視して進み、桜花さんの父親の右わき腹を切りつけ、そのまま流れるように謁見の間の扉をけり開ける。
「グ……」
桜花さんの父親のわき腹から微かに血が吹き出る。致命傷には程遠いが一撃を加えた事は変わらない。
「いかせるか!」
魔王の間へ行かせまいと腕を振るう桜花さんの父親だったが進む事のみに特化した動きをする麻奈を止めるには対処が遅れた。
「魔王様!」
玉座に座っていた魔王が立ち上がり、麻奈に目を向ける。
桜花さんの父親は風も魔法を唱え、攻撃の準備をする。
しかし、麻奈は魔王を見るなり構えを解き、つまらなそうな目をして、出口へ歩き出した。
「……コイツじゃないのだ」
「何!?」
驚いたのは魔物たち全員だ。
「ふざけるなぁ!」
魔法を解き放つ桜花さんの父親に魔王様は命令する。
「やめろ!」
しかし時遅く、魔法は麻奈に向けて飛んでいく。しかし……スパァン!
綺麗な音を立てて魔法は二つに分かれて魔王の間の隅で二つの竜巻になる。
「邪魔をするなら本気で相手をするのだ」
実戦を経験していた桜花さんですらも背筋が凍りつくような殺気を放ち、麻奈は歩いていく。先ほどまでのただ目的に向って進んでいたときとは雲泥の違いだった。
「やめるんだ皆のもの!」
「魔王様! 何故!」
歩いて脇を通り過ぎる麻奈を尻目に桜花さんの父親は魔王様に向って進言する。
すると僕と桜花さんが目で会話するように魔王様と桜花さんの父親は意思疎通をする。
ただ、難しい意思伝達を行っていて桜花さんは理解できなかったのだという。
「わ、分かりました」
スタスタと歩いていく麻奈に誰も手を出す事ができなかった。
「父上! 何故手を出してはいけないのですか!」
「魔王様の命令だ。お前も従え」
「しかし!」
今にも飛びか掛かろうとする桜花さんを桜花さんの父親は力ずくで止めた。
△
「今でも腹立たしい!」
シカモ、コトモアロウニ、コイツモ婚約者コウホナノデス。
そうなの?
エエ、マオウノマニマデキタコトガ、エラバレタゲンインデス。
うわぁ……と言うことは追い出せるの?
悶々とした様子で桜花さんが顔を横に振る。
どうも麻奈の意思で出て行ってもらうしかないらしい。
エヘヘ! マナモコウホナノダー!
視線会話に紛れられてるしー……。
「へ、へぇ……魔王の間まで行ったんだ」
顔を引きつらせつつルードが麻奈に向って微笑む。
「あれくらい簡単なのだ」
「つ、つよいんですね」
もっちゃもっちゃと、僕が用意した夕食を貪りつつ麻奈は答える。
「それはみんなのものだ。お前だけのじゃないんだぞ」
僕が注意すると麻奈は口に物を入れながら頷き、食べるペースを落す。
コイツ、無くなるまで食う気だ。
「みんな、早く食べないとこいつに全部食われる!」
僕が提案すると、ルードと琴音さんは顔を合わせてから夕食に箸を伸ばした。
「「いただきます!」」
見る見るうちに減っていく夕食にここが戦場になっているのを理解したのだろう。
桜花さんは腕を組んでストライキを敢行しようとするので、僕が手を伸ばして座らせた。
ナニヲスルノデス!
いいから食べないと無くなるよ!
オオキナオセワデス! コレクライヌイテモモンダイナイ!
「折角の歓迎会なんだから食べなきゃ失礼だよ」
「そうなのだ。桜花は贅沢なのか?」
「ぶ、ぶれいな! いいでしょう!」
麻奈の挑発に桜花さんは眉を跳ね上げて夕食を食べだした。
其処から先は食べ物を味わう暇無く、僕が時間を掛けて作った夕食はものの数分で食卓から消えた。
「ふう……もっと食べたいのだ。所で誰の歓迎会なのだ? 麻奈のか?」
「勝手に上がり込み、食い散らかしてからそれは無いだろ」
まったく、麻奈はいつもこうだ。
「今日は琴音さんが家に住む事になった歓迎会なんだよ」
「ぬ? じゃあ麻奈のライバルなのか?」
「ライバル?」
麻奈が琴音さんを睨みつけた。琴音さんがビクッと身体を竦ませる。
「幸長の家は麻奈の縄張りなのだ。勝手に縄張りを荒らすというのは敵と思っていいのだ?」
「勝手に敵にするな、そもそも人の家を縄張りにするなよ」
「ぬう。学校の寮より幸長の家が住み心地がよいのだ」
「寮へ帰れ」
「嫌なのだ。最近、騒がしいから来たのだ」
「寮?」
「ああ、ブレイブハート学園って知ってる?」
「知ってるも何も次期勇者を育てるエリート校じゃないですか、小中高大一貫の」
ブレイブハート学園。
魔物のエリートが入るのがマジックキングダム学園、対して人間が入るエリート校と認識するのが正しいだろう。
ブレイブハート学園自体は能力主義の学校で僅かながら魔物が入ることを許可されている点が大きく異なる。
まあ、マジックキングダム学園でも同じ制度があるのだけど、その制度を行える逸材の数が魔物の方が多いという違いがある。
その制度とは完全に人間になるか魔物になるかの違いだ。
魔物は世界に掛けられた呪いの所為で魔王領か満月の日にしか魔物の姿に成れない。
だが、魔王領や満月の日で変身する事が出来なくなる術が存在するのだ。
完全人間化と言われるその術を行えば魔物は殆ど人間となれる。
その術を行う事を前提に入学を許可されるのが魔物の入れる枠という所である。
逆にマジックキングダム学園に人間が入るには魔物の因子を所持していなければならない。これは親の種族に関わる。先ほどルード達との好み云々を持ってくると魔物との間に生まれた人間でなければいけないのだ。
魔物化という技術を用い、魔物化できるように施すのだ。
「麻奈はブレイブハート学園所属の居候なんだよ」
「何か魔王の子供が日本に来ているから学園が騒がしいのだ」
「やっぱり」
「ぬ?」
ルードの問いに麻奈が首を傾げつつ頷いた。
「クラスメートの何人かが退学になったのだ」
「そうだろうね」
「幸長さん」
チャキ。
桜花さんが刀の柄に手を伸ばす。
「事と次第によっては殺しますよ」
ヤベェー……桜花さん殺気出して脅してくるよ。
「何を騒いでいるのだ?」
「お前の所為だろ」
「一体桜花は何が不満なのだ?」
「貴方が我が敷地に居る事に問題があるのです。あと勝手に呼び捨てにしないでください」
「桜花は細かいな」
「誰の所為ですか!」
「麻奈は魔王の息子に興味ないのだ」
「へ?」
間抜けな声を桜花さんは出した。
嫁候補者なのは知ってるけど興味ないとは。
「興味があるのは幸長だけなのだ」
ガバっと麻奈が僕に抱きついてくる。
ミシミシミシ。
僕の身体から変な音が聞こえてくる。どんだけ力を入れてやがる。
ビチビチ……やばい。
胴体が千切れそう。
「離れろこの!」
「照れちゃって、幸長は可愛いのだ」
麻奈は懸命に抵抗する僕をどう勘違いしたら可愛らしく見えるのだろう。
「それってどういう意味ですか?」
今度は琴音さんが食いついてきたよ。
「お二人はどのような関係なのですか?」
何だろう、複雑な顔つきの琴音さんが僕たちを見ている。
「一応、幼馴染かなぁ?」
僕がこの家に厄介になった小さな頃からの付き合いだ。
シオンもそうか。
「そうなのだ。で、幼馴染から後一歩を踏み出そうなのだ」
「誰が踏み出すか」
「というわけで麻奈は幸長の弟には興味が無いのだ」
シッシと手を振る麻奈にルードは顔を引きつらせ、僕の腕を掴んで言い返した。
「幼馴染と兄弟とでは切っては切れない大きな差、血の絆があるからボクは気にしないよ」
ルードの言葉に麻奈は顔を膨らませる。
「血の絆よりも愛が重要なのだ!」
「そうです!」
麻奈の言葉に琴音さんが同意する。そして視線を合わせたかと思うと頷き、ルードを睨む。
「私を無視しないで貰いたい!」
バチバチと視線が交差している中に桜花さんまで混ざりだした。
もう、一体どうしたらこんな事態になる!