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「お母さん……お母さん……」
夜になるとみんな、苦しそうな寝言を言っている子達が多かった。
僕は身寄りの無い子達が身を寄せ合って育つ教会の寝室で、そんな子の寝息が静かになるよう優しくそばにいてあげる事しかできない。
夜の月が窓から指し込み、静寂が辺りを支配していく。
いつも寝苦しそうにしているのは角ウサギちゃんだった。
この子がどんな苦しみを経験したのか、僕はわからない。
だけど、苦しんでいる声を聞いていると切ない気持ちになる。
どうか、夢の中だけでも良いから微笑んで欲しいと願う。
どのような経験をしたらこんな風に苦しい顔をするのだろうか……。お父さん、お母さんとはどんな人なのだろう……。
フッと浮かぶのは隊長と呼ばれていた魔物とシスターさんだった。
「う……うう……」
苦しげに唸る角ウサギちゃんの手に触れる。
「う……すー……」
キュッと角ウサギちゃんは僕を握り、安らかな寝息を立てた。
「良かった」
そう……僕もウツラウツラと眠り始めた時。
ピーーーーーーーーー!
村の方から大きな笛の音が聞こえて目が覚めた。
急いで何があったのかと寝室を飛び出して跳ねる。
「スライムさん!」
血相を変えたシスターさんが僕の方へカンテラを持って駆け寄ってくる。
「どうしたのですか?」
「人間の殺戮者がこの村を襲ってきたそうなのです! 自警団の方々が応戦していますが……どうなるかわかりません。スライムさんは子供達を落ち着かせていてください」
シスターさんと話をしていると、ダダダダダダダダという聞き覚えの無い音が外から聞こえてきていた。
ヒュン! ヒュン! という空気を裂く音まで聞こえてくる。
大丈夫だと思いたかった。ここに隠れていればこの不安はどこか遠くへ行ってくれる。
そんな淡い期待を僕は抱えながら寝室へ戻る。
子供達は騒がしい音を聞きつけて、全員、目を覚ましていた。
「スライムちゃん。大丈夫なの?」
シスターさんの落ち着かせて欲しいという言葉に、僕はみんなに向けて頷く。
「うん。たぶん大丈夫だよ。シスターさんもそう言ってた。だから……」
みんな落ち着いて、と出来る限りの顔で笑ったつもりだ。
僕はこれが初めての恐怖なのだと自覚する。
みんなが何に怯えていたのかを肌で感じ、一刻も早く平和な日常に戻って欲しいと祈った。
雛ちゃんは僕の上に乗ったまま震え、アリクイちゃんは部屋の隅で怯える。
角ウサギちゃんは震えたまま動かない。
「怖い……」
「コワイ、コワイ!」
恐怖は連鎖する。
だから僕は体を伸ばして怯える子を抱擁する。
「大丈夫、大丈夫」
自分すらも宥める言葉を繰り返し、僕は音が遠ざかるのを願う。
だけど音はどんどん大きくなってくる。しかも大きな音が増えてきていた。
爆発する音が聞こえてくるし、夜なのに昼のように明るくなってきていた。
それが家の燃える明かりだと気づくのに時間は掛からない。
バン!
耳を劈くような音を立てて、扉が開き、みんながビクリと仰け反る。
「シスターさん!」
そこにはシスターさんが息を切らして入ってきた。
「皆さん! ここは危ないので避難しますよ」
「あ、あの……他の人たちは?」
恐る恐る僕が尋ねると、シスターさんは微笑む。
「皆さんを守るために戦っています。ですが、ここに皆さんが居ると全力で戦えないのですよ」
「逃げるの?」
角ウサギちゃんが声を震わせてシスターさんに聞いた。
「ええ、皆さんは避難するのですよ」
ピクピクと角ウサギちゃんは耳を震わせる。その瞳はシスターさんを凝視している。
「……」
まるで目で会話したように角ウサギちゃんはシスターさんの後ろを通り、廊下を駆けていく。
「皆さんは教会の裏口から避難してください。私は最後に行きます」
「急げ! 急げ!」
「怖いよー!」
みんな競うように廊下へ飛び出して、走っていく。
「じゃあ行くよ、雛ちゃん」
「イクーイクー!」
僕は雛ちゃんを頭に乗せてみんなの後を追った。煙が教会内に充満し、事態が悪い方向に進んでいるのがヒシヒシと伝わってくる。
もう、辺りは火によって昼のような明るさを出していた。
シスターさんが僕の直ぐ後ろを走っている。
みんなは教会の裏口で、待っている。
「ここからどこへ逃げるの?」
村を出ると平原だ。遠くの方には山や森、湖があるけれど、どこへ向えばいいのか。
待っていた子供達は逃げる方角を尋ねる。
「森へ逃げなさい。あそこまで逃げられれば村の人たちも戦えます」
「はい!」
子供達は我先にと裏口から飛び出して森に向けて走り出した。
僕は遅れる子がいないか心配しながら跳ねる。
「!?」
シスターさんが懐から金属の棒を取り出して構え、左側に向けて引き金を弾く。
ダダダダダダダダダ!
金属の棒から火花が飛び出し、何かが飛んでいく。
ヒュンヒュンと音を立てて、燃える村から出てくる影に向って飛んでいった。
影はシスターさんの攻撃に伏せて攻撃をやり過ごす。
「×××××!」
何を発しているのかわからないけれど、これが言葉なのだと理解した。
「逃げなさい!」
僕はシスターさんのほうを見て放心してしまっていた。
一体何が、いや、誰をシスターさんは攻撃したのかを理解できなかったのだ。
あんなに優しい顔をしていたシスターさんがとても怖い顔で伏せた影の主を睨みつけている。
「に、人間だ!」
「に、逃げろーーー!」
子供達は恐怖に駆られて逃げ出す。
「早く!」
「はい!」
「ニゲロ! ニゲロ!」
僕は無我夢中で跳ねる。
怖い……何が怖いってもうこの生活が終わってしまう予感に恐怖を感じる。
何かが僕の目の前で失われてしまう。
そして自身の本能が教えてくれる。自分の命すらも失い……終わってしまう恐怖。
死とは、死ぬとはこういう事なのだと本能が教えてくれる。
嫌だ!
何が何でも生き延びたい。
生き延びて……生きて……ヒュンという音が近くで聞こえた。
「あ……」
目の前を走っていた魔アリクイちゃんがありえない動作で横に吹き飛んでいく。
ピタリと歩みを止め、僕は恐る恐る魔アリクイちゃんに駆け寄った。
「アリクイちゃん?」
ビクン、ビクン!
魔アリクイちゃんは倒れていて、後ろ向きで顔がわからない。
僕は魔アリクイちゃんを抱き寄せた。
くたり……力なく、僕が抱き上げた体勢のまままったく動かない魔アリクイちゃん。
「……」
ビクリと時々痙攣するけれど、魔アリクイちゃんは僕の声に何の反応も見せなかった。
ドロドロと赤い何かが体から漏れていて、魔アリクイちゃんにとんでもない何かが起こったのだと僕は知る。
「ニゲロ! ニゲロ!」
雛ちゃんが必死に僕へ逃亡を指示する。
だけど僕は目の前で動かなくなってしまった魔アリクイちゃんを見て頭の中が真っ白になる。
さっきまでお話が出来たのに、今は答えてくれない。
寝てるんだよね?
でも、徐々に冷たくなって、それで赤いドロドロが溢れて……
「ねえ、起きてよ。早く逃げなきゃ!」
だけど魔アリクイちゃんは一向に答えてくれない。
「キャアアアアア!」
「イヤアアアアアア!」
辺りにはヒュン、ドガ、とか戦いの音が木霊していた。
爆発が何度も巻き起こり、ここが戦場なのだと理解する。
ぼんやりとしていた僕、夜の動かないスライムは半透明で識別が遅れる。
だから僕は運よく、いや運悪く敵に狙われるのが遅れた。
元々倒れた魔アリクイちゃんの近くにいたお陰だろう。雛ちゃんも死んだものだと敵に思われた。
一生懸命、魔アリクイちゃんを連れて行こうとしたけれど、腰が抜けたように力が入らない。
ハッとなり、振り返った僕は近づいてくる影に気づく。
急いで近くの木の下に隠れて、何が起こるのかを見る。
シスターさんのような狼男のようだけど、体に毛が生えていない二足歩行で歩く、人物が近づいてきた。
そして無造作に魔アリクイちゃんを持ち上げたかと思うとニヤリと笑いそのまま持っていってしまう。
「ま――」
まて! と言おうとした僕を雛ちゃんが必死に止める。
ブンブンと全身を使って喋らないで欲しいと口を抑えられた。
煌々と照らす明かりの中で、僕は魔アリクイちゃんと同じように金属の棒……銃器を片手に動かなくなった子供達を持ち運んでいく人間達が居た。
……地獄絵図だ。
これが悪夢でなくてなんなのだ。
返せ! みんなは、お前達のものじゃない!
みんなを、どこへ連れて行くつもりだ!
恐怖と共に怒りが全身に駆け巡るのを感じる。
雛ちゃんの制止を振り切り、飛び出そうとしたその時。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオウ!」
全身をボロボロにさせたシスターさんが爪と牙で人間達に向って突進していった。
人間達はシスターさんの猛攻に狼狽しながら銃器を向けて撃ち殺そうとする。
しかし、シスターさんの動きは早く、一向に致命傷を与えるのに叶わない。
だけど人間達の中に一人、淡く光る膜に包まれた人間が聞き覚えのある旋律を呟いていた。
正確には似た旋律というだけだ。確か初級爆裂魔法に似たフレーズがあったはず。
すると人間の手の上に魔法の玉が生み出され、シスターさんの居る付近へ投げ飛ばす。
一瞬、目が麻痺するような閃光が巻き起こり、その次に大爆発が起こる。
「キャン!」
爆発に吹き飛んだシスターさんの声が聞こえた。
「う、うおう!」
それでも受身を取り、シスターさんは戦闘意思を失わない。
木の下に隠れていた僕と受身を取ったシスターさんの目が合う。
「ウ、ウオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「うわ!」
バックステップで距離を稼いだシスターさんは僕達を抱える。
「×××××!」
「×××!」
「オオオオオオ……!」
銃声が何度の響くけど、シスターさんは凄い速度で森の方へ走り去っていく。
その最中に見覚えのある子が震えていた。
シスターさんは即座に折り返してその子も掻っ攫っていった。
「わ!?」
じたばたと暴れるその子は角ウサギちゃんだった。
どうやら逃げる途中で僕と似たように怖くて動けなくなってしまったようだ。
僕と目が合った角ウサギちゃんは自分がどんな状況になっているのか理解して、大人しくシスターさんに捕まる。
トタタタタタタタタ!
シスターさんは凄い速さで草原を駆けていく。
だけど、村から遠ざかってからスピードが徐々に落ち……そして。
ズシャ!
シスターさんは大きく転び、僕達は放り出された。
「わ!」
ボヨンと転んだ僕は直ぐに起き上がり、雛ちゃんと角ウサギちゃんを受け止める。
「大丈夫?」
「ダイジョウブ! ダイジョウブ!」
「う、うん」
雛ちゃんと角ウサギちゃんに怪我は無いみたいで、僕は急いでシスターさんの方へ駆け寄る。
「シスターさん!」
倒れたシスターさんはゆっくりと顔を持ち上げ、精一杯立ち上がろうとするけれどうまく立ち上がれない。
「く……」
ドシャっと力なく倒れこみ、それでもシスターさんは僕達に目を向けた。
「早く逃げなさい。直ぐに人間がやってきます」
「で、でも……」
シスターさんを置いていくなんて出来ない。
僕はシスターさんを背負おうと下に潜り込む。
だけどシスターさんからどろりと赤い液体が滴る。
「私は良いのです。早く、早く安全な所に逃げるのです」
「だけど……それにみんなは……」
先頭を走っていた角ウサギちゃんをシスターさんが拾っていったということは他のみんなが残されているはず。置いていくなんて出来ない。
「みんなは……」
角ウサギちゃんが震えながら涙を流して力なく蹲る。
フッと、魔アリクイちゃんを思い出す。
まったく動かなくなった魔アリクイちゃんを笑いながら乱暴に扱う人間。
みんな、みんなあんな状態にされちゃったの?
「さあ、早くここからお逃げなさい。少しでも……みんなの分まで生きなさい……」
息も絶え絶えにシスターさんは言葉を紡ぐ。
でも、僕は、先ほどと同じように放心しかけていた。
「もしも、助かることが出来たのなら、お城を目指しなさい。あそこには、警備隊が……」
隊長と呼ばれた人の事を思い出した。
あの人ならこんな事を止めてくれる。そんな気がする。
でも、だけど、どうして、人間は――
「どうして、どうしてあいつ等はこんな事をするんだ!」
僕は自分が激高して叫んでしまっているのに気付いた。
シスターさんは静かに目を閉じて、呟く。
「行き過ぎた正義か、もしくは魔物の死体が目当てなのでしょうね」
「死体?」
「ええ、魔物の体は様々な武器や薬の材料に出来るのです。他には……魔物食いの可能性はあります」
「ま、魔物食い?」
「病室に搬送された方が、いました、よね。あの方はスライムさんの集落へ行った方だったのです」
シスターさんは少ない言葉で教えてくれた。
スライムの集落は襲撃され、壊滅していた。
そして、スライムの体を集める人間が居たそうなのだ。奴らの話を盗み聞くと、とある好事家が魔物の肉を欲しているから収集していると。
もちろん、人肉を食すようなゲテモノ食いで見つかったら罰せられる。だけど奴らはそれを目的にこのあたりを荒らしまわっている集団なのだ。
情報を収集していたその魔物は敵に見つかり、命からがら僕達の村へ逃げ帰ってきたのだ。
「そんな、そんな身勝手な理由でみんなは……」
死と言うのを理解した。殺されたのを知った。
僕の心にどす黒い何かが渦巻くのを感じる。
「早くお逃げなさい……私は、もう」
「ダメだよ。シスターさんも一緒に……」
「もう、無理、なのですよ」
ドクン、ドクンとシスターさんの鼓動が遅れて来ていた。
だけど、僕はそれを留めたくて、どうにかしたくて、でもどうにもできなくて泣いていた。
雛ちゃんも角ウサギちゃんも泣きじゃくる。
「さ、おいきなさい」
「でも……」
「行きなさい!」
強い声に僕達はビクリと仰け反り、森の方へ駆け出す。
「逃げなさい。みんなの分まで……」
僕達は森の中へと入ることに成功するのだった。
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