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翌朝、目を覚ますと僕は人間の姿に戻っていた。
琴音さんが朝早く、屋敷に戻って僕の鞄や勉強道具を持ってきてくれたお陰でこのまま学校へ行けそうだ。
「じゃあ麻奈も学校へ行ってくるのだ。さ、幸長、別れのチューなのだ」
なんでここでチューをすることになるのかまるで分らない。
「さっさと行け」
「ぬー、まあいいのだ。おじゃましましたなのだ!」
琴音さんのお母さんに頭を下げた麻奈は行ってしまった。
「さ、幸長くん。行きましょう」
「あ……うん」
「行ってらっしゃい。いつでも帰ってきていいからね」
琴音さんのお母さんが手を振って僕たちを見送ってくれるのだった。
△
教室に着くとルードが先に来て手を振っている。
「どうにか誓子の怒りを抑えることが出来たよ」
「悪いな」
「良いんだよ。兄さんが悪くないのは分かってる」
タイミングが悪かっただけだと理解してくれる弟の優しさが身に染みた。
「桜花さんは?」
「追い出すまでじゃないと思ってたみたい。大丈夫だよ」
「そっか」
「ふふ、もう大丈夫ですよね」
「そうだね。あの家は兄さんの家なんだ。桜花たちの思い通りになんてさせないさ」
仲の良い二人が四天王への作戦を練るその姿になんだかなぁと思ってしまう。
△
誓子が余りにも怒り心頭だったので私は逆に冷静になってしまった。
ルード様も誓子をなだめるのに苦労なさって……琴音さんからの情報によると幸長さんも反省しているご様子。
いえ、よく考えれば事故なのですから反省も何もありませんか。不幸な事故が重なっただけで。
しかし……幸長さんはスライム姿だとお湯が苦手と……致命的な弱点ではありますね。
魔王軍においてこのような弱点があるのはこの先、不安な点ではありますか。
「ん?」
休み時間にルード様たちのご様子を確認して戻ってくると私の机の中に手紙が入っていた。
桜花さんへ。
昨日の事で話したいことがあるんだ。昼休みに裏門の所に来て欲しい。
短い文面でしたが、内容からして幸長さんでしょう。しょうがありませんね。
もう怒っていないと説明しに行くとしましょう。
昼休みになり、私は学校の裏門へと足を運ぶのでした。
待つこと5分。
足音に私が振り返ると想像していた人物ではなく、数人の男子生徒がこちらに向かって歩いてきます。
「!?」
良く見ると学校の生徒にしては体格が良い。鍛えている印象を受ける。
中には教師と思えるくらいの年齢の人物が居ます。ですが私のおぼえる限りあのような人物はこの学校には居ないはず。
「おー、ちゃんと居やがるじゃん。さっさとやるか」
言動から間違いなく敵と推察、私は刀を鞘から抜きました。
「やる気は万全って所だな」
「ルード様が目的なのでしょうが、やらせるわけには行きません!」
全身の魔力を潤滑させ、私は敵に向けて走り出しました。
「だとよ。さっさと準備を始めようぜ!」
「「「おー!」」」
茂みの影や裏門を乗り越え、塀の上からも現れる無数の敵の数に内心の驚きを覚えながら……。
△
昼休みを過ぎた辺りで琴音さんと桜花さんが姿を消した。早退したと先生から聞いた。
「あれ? どうしたのかな?」
「どうなんだろうね?」
ルードも気楽な様子で僕の問いに返事をする。
こりゃあ家に帰ったら何か準備しているな。
放課後になり、帰りの準備を始めた頃、ルードが首を傾げて尋ねてくる。
「しょうがない今日は二人で帰ろうよ」
「まあ……良いけど」
「初めてだね。兄さんと二人で帰るなんて」
言われてみればルードの近くには何時も桜花さんがいて、最近では琴音さんも一緒にいることが増えた。
「まあね。じゃあ夕食の材料でも買って帰るか」
「うん」
こうして僕は珍しく、ルードと一緒に家に帰る。
家で何かの準備が行われている。
そんな予想をしていたのだが特に何もなかった。
おかしいな。大方、僕がルードの気を引いている内に何かを画策しているとでも思ったのに。
「ただいまー」
……誰も居る気配が無い。早退したはずなのにいないとはどうしたのだろう。
暇さえあれば遊びに来る麻奈の姿が見えないのはおかしい。
家に入り、部屋に鞄を置いた時。
ジリリリリリリリリリン!
家の古い電話機が鳴った。
「はいはーい」
急いで電話機のある玄関に行くとちょうどルードも電話を取ろうと来ていた。
ルードは僕に取るように譲る……まあ、この家の代表は僕だしね。
「もしもし?」
「……塩見幸長だな?」
抑揚の無い合成音声のような声だった。
「どちら様ですか?」
嫌な空気が背中に張り付いているのを感じた。
覚えがある。幼少時に居た戦場での匂いだ。
「お前の家にいる三人の女の身を預かっている。女の命が惜しければこっちの指定する場所へ来い?」
「……なんの冗談かと思えば」
よりによって桜花さんと麻奈と琴音さんを誘拐したという。
冗談も大概にしてもらいたいものだ。
琴音さんだけならありえるが、麻奈や桜花さんがむざむざ捕まるはず無いじゃないか。
「ふざけるのも大概にして欲しい」
「……冗談ではない。証拠が欲しいのなら今すぐ貴様の携帯に送ってやろう」
「は?」
ピリリリリリリ。
僕の携帯端末にメールの着信音が響く。恐る恐る中を確認すると、桜花さんが真ん中に琴音さんと麻奈が手錠を掛けられて宙吊りにされた画像が添付されていた。
合成の可能性もあるが、手が込みすぎている。
これには桜花さんの携帯端末が使用されていた。
「信じて貰えないとなると、どういった手段を使ったかを教えよう」
「回りくどい……」
だが、相手が嘘を言っていないと戦場の経験が教えてくれる。
「まずは桃宮桜花をどのようにして捕まえたのかを教えるとしよう」
「!?」
「昼休みに学校の裏門に呼び出し、数にものをいわせて捕縛させてもらった。何、魔力根絶器を使わせたら容易く捕まえられたよ」
「くっ!」
「同様に浦島琴音も捕まえさせた。まったく、シュレイルードを殺すには周りから削っていくというのを理解していない連中が多くてね。苦労したよ」
呆れ返るかのように抑揚の無い声は説明を続ける。
「平賀麻奈を捕らえるのはその比ではなかったな、仕事と称して罠にやすやすと掛かってくれた」
「……なるほど、で? 僕がその求めに応じるとでも?」
誘拐の場合、相手の思惑通りに動いて良い場合と悪い場合がある。
大方、相手の狙いはルードの命、これに応じるのはこちらの敗北を意味する。
「掛からないだろうなぁ。今までの傾向を見る限りね。だからこうして指名している訳だ」
「僕を大きく見ているね」
「見ているとも、君は軍人だ。その気になれば彼女達を見捨てる選択すら選べると踏んでいる」
「情には熱いつもりだけど?」
「あくまで可能性とだけ言っておこう。君の資料が少なくてね」
つまり僕の事をそこまで詳細に調べている訳では無いということか。兄弟という情報も嘘か本当か分かりにくい要素の一つだ。僕の資質を見て信じる奴はいない。
「さて、来てくれるかな?」
「……」
「肯定と受け取って置くとしよう。十分後に車が来る。それに乗りたまえ」
電話相手がクスリと笑ったのを僕は聞き逃さなかった。
「シュレイルード殿下にはこの会話が聞こえるようにとある道具を忍ばせてもらっている」
「何!?」
では――とだけ答えられ、電話は切れてしまった。振り返るとルードが顔を青くして僕を見ていた。耳元には小さなイヤホンが掛けられている。
「下駄箱に入ってたんだ……付けておかないと非常に後悔するって置手紙と一緒に、だから」
先ほどの会話が筒抜けだった。
「兄さんは行かないよね?」
「う……」
誓子さんに連絡すれば、ルードの身柄は安全だろう。けれどそんな事をしたら、間違いなく桜花さんたちの命は無い。
こんな回りくどい手段を使っているのだから何か、僕が思っているのとは異なる目的があるに違いない。
だが、それが何なのか。
「大丈夫だよ! 次の応援が来るまで逃げ切れば!」
「お前――」
桜花さん達を見捨てるつもりか! と、言う前にルードが遮る。
「だってしょうがないじゃないか!」
「しょうがない?」
桜花さんだって、琴音さんだって、ましてや麻奈だってルードとは仲良くしてくれていたではないか。
「奴等はボクの命を狙っているんでしょ? なのになんで兄さんが呼ばれなくちゃ行けないんだ」
そう、僕にも理解できない所だ。回りを崩している間に目標に逃げられたら元も子もない。
にも関わらず……もしかしたら既にこの辺りには敵が潜んでいるのかもしれない。
気配を探るが感じられない。
……ここにいるルードが本人かどうかを泳がせている可能性が高い……か。
求めに応じさせ、守りが手薄になった所で観察するか攻め入る。
もしくは応援を呼ばせて本物であると断定する。
大方この辺りだろう。ならば安全策を取って応援を呼び、ルードには逃げてもらうのが正しい。
「逃げよう兄さん!」
「しかし……」
「婚約者なら幾らだって居るよ。だからさ」
「ん?」
なんか、ルードが変なことを言わなかったか?
「琴音さんを選んだのは兄さんと同じ学校だからであって他に一杯候補はいるよ」
やっと恩返しが出来ました。
琴音さんが僕に向けて言った言葉が蘇る。
「お前、琴音さんの事を僕と同じ学校に入るためだけに選んだのか?」
「確かに気の会う人だとは思うけど……それとこれとは別でしょ?」
「桜花さんが頑張って琴音さんとお前との仲を取り持とうとしてくれたじゃないか」
「だって、それが四天王の仕事だし、危険なのは分かりきってるはずだよ」
……桜花さんはこんな極東の端の島国へルードの為に何の文句も言わずに来てくれたんだ。僕に厳しいのも全てはルードの為。
「麻奈だって巻き込まれたんだぞ」
麻奈は昔からの顔馴染みで事件が起きた時、ルード達は大丈夫だろうと思って見捨てようとした僕を引き止めた。
「それは……しょうがないよ。世の中自分達の身を守るだけで精一杯なんだから!」
僕はルードが伸ばした手を振りほどいた。
「何を言ってんだお前、それでも次期魔王なのか?」
そうだ。僕が小さな頃に見た魔王様は部下に全てを任せて逃げるような人物ではなかった。
魔王は魔物たちの権利を主張する存在。
いたずらに魔物を悪と決め付けるような奴等から魔物としての本分を守る為に君臨し続ける存在なのだ。
魔王は強くあらねばならない。魔物たちを守る為に。
それなのに自らの命が惜しいからと逃げる選択などは取ってはならない。
「兄さん? どうして?」
「分からないのなら分からせるしかないんだ」
……ここまで用意周到な奴を相手に勝てる見込みは無い。だけど相手の出方を見るにまだルードを完全に狙っていない。
僕が相手の手の内で踊っている限り時間は稼げるはずだ。
誓子さんの電話番号に電話。
「僕だ。緊急事態発生、ルードの国外脱出を要請する」
「何があったのですか?」
「……緊急事態だ。そっちの桜花が敵の手に落ちている。ずいぶんと絡めてで来られていて守れる確証がない」
「……貴方には色々と言いたい事がありますが良いでしょう」
電話を切って俺はルードに告げる。
「なるべく穏便に連れてって貰え」
「それはどういう意味?」
「僕はこれから相手の手の内に入って時間を稼ぐ、応援が来たら日本を出ろ」
他の魔王の親戚を警護している奴等にルードを任せれば問題は解消する。
これは個人的な決闘に近い。僕がみんなを助けたいだけなんだから。
逃げた所為で失うものもある。桜花さんには悪いけど、ルードの護衛任務からは解任させて貰う。責任というものをルードは理解せねばならないから。
「嫌だよ兄さん!」
「これがお前の選んだ選択で、僕が選んだ選択なんだ」
「……嫌だ」
ルードの呼び止める声が聞こえる。だけど聞き入るわけには行かないんだ。
「嫌だ!」
「な!?」
事もあろうにルードは僕に飛び掛り、後ろから羽交い絞めにした。そしてズボンのベルトで僕の両手を後ろ手に縛り上げた。
止めとばかりに両足まで下駄箱に入っていたビニールロープで縛る始末。
なんという怪力と早業……ここ2週間で僕は腕力でも手際のよさでも負けてしまった。
不意打ちに僕の腕力じゃ抵抗が出来なかったんだよ。くそう……。
ああ、悲しきかな……魔王に普通のスライムは勝てません。
「兄さんに行かせるくらいならボクが行く!」
「お、おい!」
さっきは逃げなきゃと連呼していたくせにどうしてそんな決意が出来る。
「兄さんは……父さんと母さんと同じ顔をしてた。死ぬ事を何時でも覚悟していたあの顔」
今にも泣きそうな顔でルードは僕を見ている。
「最後にあった時、父さんも母さんも自分の死期が分かっているみたいだった」
どうか、勇者を憎んだりしないで欲しい。私達は自らの身を守るため、世界のために何千と言う人を殺してきたのだ。
魔王は勇者を憎んではいけない。
と、ルードは両親に念を押されていたという。
「……兄さんの言っている意味、分かってたんだ。ただ、ボクは兄さんに生きて欲しい」
僕は致命的な思い違いをしていたのかもしれない。
ルードは今まで一緒に居た両親を失ったんだ。留学していても、余裕があったら何時でも会いに行けた両親、優しく育てられ、甘やかされた子供が、肉親を失った。
残っているのは僕だけ。血が繋がっていないのは分かっているんだ。だけどそれに縋りたかったんだ。
「兄さんが伝えたかった事、分かるよ。世界中の魔物たちをボクは家族だって思わなきゃいけないんだよね。だから……兄さんを守る為にボクは行く、そして桜花達を取り戻して見せるから」
帰ってきたら褒めて欲しいな。笑ってルードは駆け出して行った。
「おい! ルード!」
僕の制止を無視して、ルードは屋敷から出て行く。
玄関から走っていく車の音が聞こえてくる。
「くそ!」
縛られていて動けない。
応援が来るまで時間が掛かるだろう。となればどうやってルードを追いかける?
ふと、僕は自分が大怪我を負ったときの事を思い出した。
致命傷を受けるとスライムになる。
これは確かだ。では僕は思い通りにスライムになる事は出来ないのか?
今まで自分の意思で変われると思ったことが無い。
思い込んでいた。じゃあ……僕は自分の心臓の鼓動が強まるイメージをする。
ドクン――。
思いに応じて心臓の鼓動が強まり、
ポン!
見事スライムに変身出来た。
ピョンと跳ねて玄関から外に出る。
ルードの姿は既に無い。
何処へ行ったのか検討も付かない。
「……何があったの?」
「!?」
声の方に振り向くとシオンが鎧を着て、帯剣した格好で佇んでいた。
スーパーでコロッケを売っていた時とは雲泥の違いだ。
「それはこっちの台詞じゃ――」
「麻奈からの定期連絡が無かったから気になって来た。シュレイルードが車に乗っていったけどどうしたの?」
「え?」
そう、説明を忘れていた。シオンはブレイブハート学園のエリートなのだ。
階級は麻奈よりも上らしく、海外に遠征に出ているのも優秀。もしかしたら魔王領で活躍する次代のエースかもしれない。
「次期魔王の警護を魔王軍だけでする訳ない」
「そ、そうだよな」
つまり、麻奈はルードの警護を遣わされていた訳だったのか。
「私達の警護対象は――」
「そうだ! ルードも麻奈も桜花さんも琴音さんも、敵に連れ去られて大変なんだ」
「……そうだったの、分かった。急いで……こっちでも怪しい連中の動きを把握してる。行きましょう」
僕にはもう一人の協力者がいる。急いで電話を掛ける。
「……何でしょうか? すぐに行くと言いましたよね?」
「誓子さん? ルードが僕を縛り上げて敵の車に乗って行っちゃった」
「なんですって!?」
△
情報は思いのほか簡単に集まった。
ブレイブハート学園と魔王軍の情報網を駆使すれば分からない事は無い。
それでも難しかったら僕のコネも使うつもりだったけどあっさりとヒットした。
桜花さんたちを始め、ルードが連れ去られたのはブレイブハート学園の卒業生が就職する、大規模アミューズメント施設の地下に作られたコロシアムだ。
「……画像解析の結果、人質には魔力抑制リングがはめられている。まずは制御装置を破壊するのが第一優先」
シオンは装置の写真を僕に見せた。発電機に酷似した大型のジェネレーターだ。
シオンは掃除婦の格好をし、スライムの姿になったままの僕を背中のリュックに入れて施設に堂々と入る。
誓子さんは別働隊を用いて準備中だ。
「ん」
ブレイブハート学園の校章を見せ付けつつ、施設に入っていく。
「よく入れるね」
「……表でも裏でも有名、それに……色々泳がせていたから大丈夫」
「何を?」
「秘密。気にしないで」
コロシアムとはどういうものかというと、建物内を満月光で魔物を魔物の姿に変身させ続け、勇者志望と魔物を殺し合わせてどちらが勝つかというギャンブルをする場所だ。
勇者志望の連中は魔物を殺す経験を覚える。
主催者側はギャンブルで儲けるという一石二鳥という施設だとか……今じゃ魔王領外での魔物の殺害は立派な殺人罪だというのに時代錯誤もはだはだしい。
日本にもこんなヤバイ施設が未だにあるんだな。
さて……建物の内部には様々な魔物の得意とする檻が用意されている。
……時間は短い。如何に早く見つけ出さねば。
琴音さんたちは大丈夫だろうか……。