1章「素晴らしき出会い(グッドデイ)」第1話
「ジリリリリリリリリリリリリリ!!!」
金属と金属がぶつかり合う音。カーテンの隙間からわずかに差し込む光。
そして、何より「もう少し寝かせろ」と訴えてきているような、なかなか開かない目蓋。これらの物証が朝が来ていることを証言している。
朝が来たということは、起きて人間活動を開始しなければならない。
それなのに、なかなか動こうとしない体に俺は喝を入れるように口を開いた。
「んふわぁ~」
・・・出たのは、アクビだった。しかも人生最大級の情けない声で。
ベッドの上でゆっくり上半身だけを起こす。その作業と同時進行で目蓋を開ける。
その中で、まず目についたのは勉強机だ。コイツとは小学校低学年からの付き合いだ。俺のコイツに対する愛着も相当なもので、無人島に何か一つ持って行く物を選べと言われたら、俺は迷わず「勉強机」と答えるだろう。まあ、嘘だが。
俺が、勉強机と見つめあいながら妄想一人漫才をしていると、その勉強机の横に明らかにこの部屋の風景とシンクロしていない物が、ハンガーによって吊るされてあった。
真っ赤なブレザーに、黒色のズボン。そして、紺色のネクタイ。
そこまで見て、ようやく思い出した。今日から高校生だということを。
そして、俺は同時にあることを思い出し、
「はあ~・・・」
と、魂までは抜けきらないであろうギリギリラインを保ったため息をついた。
別に、今日から始まる高校生活に不安があるとか、そういう類の意味のため息ではない。
俺はため息の作業によって少し項垂れていた頭と視線を、机の横の制服に向ける。
うん。
やっぱり。
何度見ても。
ダサい。
何故に赤なのか?何故によりによって真っっっ赤なのか?
今日からこの制服を毎日着て、学校生活を送らなければいけないと思うと、その絶望感が新しい学校生活への期待など簡単に塗り潰してしまう。
しかし、それも分かっていたことだ。俺は、この制服のことも覚悟してこの学校を選んだ。
いや、この学校という選択肢しか残ってなかったのかもしれない。
とにもかくにも、もう1日は始まっている。まずは、ベッドの上で半分だけ起き上がっている体を活動モードに切り替えなければならない。
「ほぉ~ほぉ~ほひふは~」
翻訳すると、「そろそろ起きるか」と言いたかった。直前であくびが駆け込み乗車してきやがった。
そうして、立ち上がった俺に待っていたのは、急激な喉の渇きだった。
とりあえず、1階に行って、トイレして歯を磨いて、朝飯を・・・そうだ。面倒くさいから、もう制服を着ておこう。
俺は、寝巻を脱ぎ、ズボンをはき、カッターシャツ、ネクタイ、ブレザーをその身に付けた。
そして最後に、愛しの勉強机に置いてある「新帝 光」と書かれてある、顔写真付きの生徒証をブレザーのポケットに入れ、登校の準備をするべく、俺は1階のリビングに向かった。
その時間はとても長く感じた。
入学当日。さすがに皆早めに登校してくるだろう。そう踏んだ俺は、十分すぎるぐらいの時間の余裕を持って、家を出た。
家からバス停まではそう遠くはない。5分あれば着ける距離だ。
しかし、乗ってからはバスさんと30分はドライブデートをしなければいけない。俺はその間、窓から景色でも見て、暇を潰すことにしていた。
「やっぱ・・・目立つな・・・」
バスが学校の方向へ向かうにつれて、自分と同じ制服を着ている人間を見かけるようになった。
自転車に乗っている人、友達と楽しそうに談話しながら歩いている人、春の陽射しにやられて、ハンカチで顔を拭っている人。
多種多様な光景。
だが、あの赤く目立つ制服のおかげで、自分のイマジネーションが遮断されるのを感じた。閑静な住宅街に濃く赤い制服。まさに極彩色だ。
「次は如月町~如月町~」
独特なバスのアナウンスの声で、窓をぼぉ~と眺めながら詩吟モードに切り替わっていた思考を、慌てて現実モードに戻し、バスを降りるため定期券を片手に俺は立ち上がった。
学校へ歩を進めると、校門を少し入ったところに「新入生受付」と書かれた立札の横に大きなテントのようなものがあった。
そこで俺は、適当に受付を済ませ、自分のクラスとその教室の場所を聞き、向かうことにした。
そこまでが、たった10分前の出来事だ。そう、たった・・・。
「マジかよ・・・」
教室に入った俺に待っていたのは「無」であった。
誰もいない。黒板には席順が書いてある紙が張り出されてあった。そこに、自分の名前が確認できた。ということは、教室を間違えたわけではない。
黒板の上の掛け時計に目をやる。7時50分。確か生徒の集合時間は8時30分。
そう。やらかしたのだ。来るのが早すぎた。それにしても、俺のこのやり切れない思いをどうしよう。
そうだ。
キレよう。
「目覚ましぃ!鳴るのが早すぎだぁ!俺の睡眠時間返せやぁ!」
と、思いっきり心の中で叫んでやった。まあ、目覚ましをセットしたのは俺な訳だが。
なんて、妄想一人漫才パート2なんかやってる場合じゃない。
とりあえず、この空いた時間をどうにかしないといけない。
まず俺は、席順表に書いてある自分の席に座り、人間の一番楽な体勢であろう形に体を動かすことにした。
楽な体勢とは、もちろん寝る体勢である。
やはり、腕を枕にして、頭を地球の重力に委ねるのが一番気持ちいい。当然だが意識ははっきりしている。
これを、俺はカルチャーと呼んでいる。
中には「それは寝たふりだ」とか言う奴がいたが、断じて違う。
これはカルチャーだ。文化だ。まあ、そいつも我がカルチャーでやり過ごした訳だが。
そして、俺は誰かが来るまでカルチャーで時間を稼ぐことにした。
「キーんコーンカーンコーン」
しかし、このカルチャーにも欠点はある。
それは、本当に寝てしまう事があることだ。
意識が戻った時には、すでに教室にはどこから湧き出たのか、クラスメイトであろう人間で溢れかえっていた。
時計に目をやる。
8時30分。
そう。ようやく1日が始まったのだ。
俺の中学校は、生物学で分類するならば、いわゆるヤンキーと呼ばれるであろう生物の巣窟だった。
男子も。女子も。
目が合えば、殴り合いというロックンロールが始まってしまう。そんな学校だった。
だから自然と誰とも目線を合わせぬよう、下を向いて歩くようになっていた。
改めて客観的に自分を見直してみても、いつも俯いていて、誰とも話そうとしない。そんな奴と友達になりたいとは思わない。
俺自身も、一人でいる時間が好きとかでもなく、そんな生活に満足していた訳でもない。
なら、どうして?と聞かれたら「そうしていたかった」としか答えることができない。
とにかく。俺にも友達というものが欲しい。お互いの家庭の卵焼きの味を食べ比べれるような人に出会いたい。
しかし、そのためには中学時代の俺を知ってる人がいると都合が悪い。
だから、地元から離れているこの学校を選んだのだ。
この「私立FEL学園」を。
「全員居るか確認するから、ちょっと待っててくださいね。」
時間を読み間違えての登校。ファーストターニングポイントと言っても過言ではない、集合完了までの休憩時間での爆睡。
朝から最悪の滑り出しを切った俺は、教室の前で指を使いながら、生徒と手に持っているファイルを見比べている女性を、観察するように眺めていた。
「はい。全員居るみたいね。とりあえず皆さん、ご入学おめでとう!ア~ンド、おはようございます!」
満面の笑みを浮かべるその女性は、どこか大人の魅力の中に子供っぽい可愛らしさを兼ね備えているというか・・・なかなかの美人だった。男子からの人気も高そうだ。
「今日から、君達も私立FEL学園の一員です!楽しく充実した高校生活を送るため、皆仲良く、協力しながら3年間頑張っていきましょう!私は、君達1年B組の担任をします、佐々木 良子です。ちなみに、独身よろしくね!!!」
27才だ!・・・ん?俺が一人年齢当てゲームを行っていると、クラスの空気が冷めきっていた。
何故こんな事になっているかは分からないが、皆の視線と、その視線の先のいる頭を抱えて何やら呻き声を出している女性を見て、大体察す事が出来た。
なるほど。彼女にも場の空気を凍らせるというカルチャーがあるという事か。
仮に名をつけるとしたら「魔の氷河期」といったところか。
「入学式をしますから・・・講堂に移動しますよ・・・」
明らかに落ち込んでいる先生の背を追うように、俺たちは講堂に向かった。
入学式を終えクラスに戻ってきた1年B組全体の雰囲気は明らかに朝と違っていた。
例えるなら、日帰り旅行の帰りの車の中のような。
全国共通、神出鬼没、絶体絶命な校長先生の有難~い話に、クラスの皆もTKO状態で、その後の「生徒会長による新入生歓迎の言葉」なんて、恐らく誰も聞いていなかっただろう。
まあ、俺もそのうちの一人だが。まだ本日の学校生活は2時間は残っているが、謎の脱力感によって、俺の脳は早期閉店を希望していた。
ふと、あることを思い出す。
そういえば、校長先生の話にようやくエンジンがかかり出した頃、隣の席の180はあるであろう身長で、制服を着ていても分かるほど、無駄に筋肉質な短髪男、略して「無駄筋」に妙なことを聞かれた。
「お前は何回?」
と。
意味が分からなかったので無視をしていたら、
「なあ!何ポイントだったんだ?」
と、しつこく聞いてきた。
とりあえず、
「何の事?」
と、「ワタシワッカリッマセ~ン」というジェスチャーを交えて聞いてみた。
すると「無駄筋」は、「は~ん」と何やら一人で納得したように頷き、
「気にすんな!頑張れよ!」
と、言ってきた。
俺もしばらく考えたが、何を頑張れば良いのか分からなかったので、「何を?」と聞こうとした時には、「無駄筋」はいびきと、口から汁を漏らしながら、夢の世界へトレーニングに出かけていた。
教室に戻った今でも答えは分からない。
まあ、いっか。
次の時間はHRだ。おそらく自己紹介でもするのだろう。
この休憩時間中も、特にやることも見つからないので、今は我がカルチャーで時間が流れるのを待つことにしよう。
俺は、机に両腕を乗せ、頭を地球の重力に委ねた。
周りと、自分の世界を遮断して、何分経ったであろうか。
まあ、30秒ってとこか。
遮断したといっても、クラスメイトの発しているであろう声や音は、一言一句聞き逃さぬよう、聞き耳を立てている訳だが。
クラスではある程度、友好関係ができ始めているようだ。
中でも、女子の声がよく聞こえる。
「ねぇねぇ、中学どこなん?」
「昨日テレビでやってた○○見た?」
女子ってのは高校に入ってもこんなくだらない話をするのか。
こいつらの仮名は「ねぇねぇ」と「現代っ子」で決定だ。
中学の時、常に逃げる生活をしていただけに、俺は気配を察するのが得意だ。
周りのどんな小さな異変にもすぐ気付く自信がある。まあ、あまりいい能力とは呼べないが暇つぶしにはなる。
座席の位置も、廊下側の一番後ろという事で人間観察にはもってこいの場所だ。
今、こちらに歩いてくる人間。足音的に女子だろう。歩くリズムも早いリズムとは言えない。こいつの仮名は「アンデンテ」で決定だ。
今、やたら甲高い声を発している女子は「ソプルァーノ」でいいだろう。
と、こんな風に自己衛星で周りからの発信を一方的に受信していた。
そこで、気付いた。俺の前に来た時から「アンデンテ」の歩くリズムがアンデンテで無くなっている。
いや、むしろ消えている。
歩いていない・・・?
つまり、今、俺の前には「アンデンテ」が居る。
違う奴と話している様子もない。
何か・・・嫌な予感がする。
俺は、入学以来最大の危機を、入学一時間で迎えているような気がした。
「頭を上げてはいけない」本能が俺に訴えかける。
しかし、人間の好奇心というものは良く出来ている。
俺もたまに「片手で卵を割ってみたい」と思う事がある。結果は目に見えているのに、だ。
だが、面倒くさい後始末や、殻の入ったスクランブルエッグを食べないといけなくなるリスクを背負ってでも結果を見たくなる。自分を試したくなる。
俺は、目の前に誰が居るのか見てみたくなった。
己に負けた俺は、目を開け、顔を上げた。
そこには予想通り「アンデンテ」が居た。
真っすぐで少しだけ明るい色の髪。ナチュラルブラウンという言い方が正しいのかもしれない。長さはセミロングといったところか。
整っている細い眉、堂々とした面構え、そして仁王立ち。その、何事にも動じなさそうな立ち振る舞いは、まさに「凛々しい」という言葉が一番似合うだろう。
かといって、何か近寄りがたいオーラ出している訳でもない。
その原因はおそらく目だ。
他の堂々とした部位に対し「アンデンテ」の目は楕円型というよりは、丸に近く大きく、くっきりしている。
「見る」という表現より「見つめる」そんな表現の方が頭にしっくりくる。そんな目だ。
そう。
俺は今、「アンデンテ」に見つめられているのだ。
「・・・おっ?」
俺が起きたことに気付いた「アンデンテ」は何やら言いたそうにしている。
「おおおっ?」
俺を見つめる目は大きくなる。
「アンデンテ」がさらに、俺に近づいてくる。
「・・・」
何やら目を閉じて考えている。いや、というより溜めている?
「・・・なにか」
用か?と俺が言いかけた時、「アンデンテ」はようやく口を開いた。
「おは・・・」
「おは?」
どこから現れたか、「無駄筋」の「スタート!」の掛け声で、殺人儀式は始まった。
「おっはよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよ」
手の平を開いた状態で、両手を上下に動かしている姿は「窓拭きをするピエロ」のようだった。
・・・なんて、呑気なことを言ってる場合じゃない。
何だこれは!
何なんだこれは!
死滅の呪文か何かか?あ?
しかも、なぜ「言いきったぜ」みたいなドヤ顔で一時停止しているんだこいつは!?
俺が困惑していると、「アンデンテ」の横で立っている「無駄筋」と目があった。「無駄筋」は声は出さず口だけ動かし、俺にメッセージを送ってきた。
「がんばれ」と。
「何をだ!」
俺が困っているのに助けてくれないからか、もしくは、無駄にさわやかな笑顔で親指を立ててきたからか、やけに腹が立った俺は思わずツッコミを入れていた。
「よよ?」
俺のツッコミに返事を言うように、「アンデンテ」が、日本語ではない事だけは確かな言葉を発してきた。
丸い目を存分に開き「何が?」と言いたそうに、首を少しだけ傾けているその様子は餌をねだるリスのようで、ちょっとだけドキッとした。
・・・なんて、呑気なことを言ってる場合じゃないセカンドシーズン。
とりあえず、クラス全員の注目を集めている、この状況を脱すことが最優先だ。
そのためには情報が必要だ。
こいつは誰で、何がしたくて、人間に化けたエイリアンである可能性について問いただす必要がある。
一応、エイリアンかもしれないため、警戒しながら聞いてみた。
「君は誰?名前は?UMA上での名義は?ワッチュアネーム?」
・・・警戒しすぎてしまい、名前の質問しか出来なかったが上出来だ。
エイリアンの可能性も考慮して英語も使ったあたりがグッドだ。これで、こいつの正体を暴けるはすだ。
「よよよ?」
そうか。「よよよ星人」か。それなら安心だ。
数ある星の中の、数あるエイリアンの種類の中でも最弱っぽい名前だ。人間への害も少なさそうだ。
だが、君の母星はここではない。
何なら、帰りの電車賃も出してやるから早く帰ってくれ。
俺が勝手に宇宙規模の話にしていると、「無駄筋」が俺と「アンデンテ」改め「よよよ星人」の間に「そこまで~」と言いながら割り込んできた。
「惜しい!105「よ」ポイントでクラス2位です!ですが、健闘はしました。皆さん。温かい拍手を。パチパチパチ!」
クラスは拍手喝采だった。もちろん「よよよ星人」もだ。
「え・・・?いや・・・何これ?・・・え?」
「よ」ポイント?クラス2位?全てが理解できてない俺に「よよよ星人」が拍手をしながら、話しかけてきた。
「いや~朝からクラスの皆の一人一人に挨拶して回ってたんだけど・・・っよ!アナタ、朝から寝てたじゃん?・・・っよ!んで、最後に君が残ったって訳なんだけど・・・っよ!まだ、スリーピングだったから起きるまで待ってたって訳だけど・・・っよ!それにしても、105ポイントはイイネイイネ~・・・っよ!」
話の途中から「よよよ星人が」コサックダンスを始めた事については、必要ないので説明を省かせてもらう。
てか、コイツ挨拶って言ったか?挨拶?あれが?死言じゃなくて?訳が分からん・・・。
そんな、意気消沈している俺に構わず「よよよ星人」は会話をしかけてくる。
「ねぇ!名前教えてよ・・・っよ!」
「新帝 光だ・・・ってまだコサックやってんのか?」
よかった。
どうやら日本人のようだ。
と、なると、こちらも聞き返さなければならない。
「お前の名前は?」
「俺の名は、色紙 好男!よろしく!」
「無駄筋」!おい!お前じゃねぇ!引っこんでろ!という、俺の暖か~い視線に気付いたのか、色紙は慌てて逃げて行った。
それを確認すると俺は「よよよ星人」に向き直った。
「私は天原!天原 マナ(あまはら まな)!はい!復唱!あ~ま~は~ら~まな板!って、誰がまな板やね~ん!まあ、胸はまな板ですけどね~・・・ってやかましいわ!」
自己紹介を求めたはずだが。
なぜか一人漫才を始め・・・いや、あえて嫌な言い回しをしてみよう。
天原は、少し愉快な独り言を言っていた。
しかし、その独り言は俺に、哀れみや同情の感情を抱かせることはなかった。
言うなれば、もっと気分を炙り出すようにゆっくり黒く染めていくような・・・。
その黒い灰と化した感情の正体こそ、俺がこの目の前にいる少女に抱いた第二印象、そのものだった。
「新帝君、3年間・・・よろしくしんていね~!なんちって!」
「うぜっ」
ウザい。