8,前へ進むこと
その日の朝早く、シーラカンス島南警察署に一通のハガキが届いた。
「今晩十二時に、そちらの警察署にお邪魔します。
金庫の中身には、十分にご注意を。 盗賊団ダリアより」
この予告状に、警察署は騒然としていた。ダリア対策本部では緊急会議を開き、これをどう対処するかが話し合われた。結果、ダリアを捕まえるという事を前提で、金庫を中心に厳重な警備を行うことが決定された。指揮官長ノルズ・ウィリアムは、会議後自分の事務室で改めて今晩の段取りを確認していた。
「ウィリアムさん、新聞会社に今回の事を記事に載せるよう手配したって、本当なんですか?」
コーヒーを持ってきた秘書の女は、やや神妙な顔つきでウィリアムに話しかけた。
「ああ、もちろん。彼らは公にされるのが好きらしいからな。号外でも出してやれば喜ぶだろう」
「そうなんですか。さすが対策本部指揮官長だけあって、彼らの事には詳しいのですね」
「いや、私は何も知らんよ。……ダリアという盗賊団についてはね」
「しかし少なくとも、私みたいな一般人よりは良くわかっていらっしゃるでしょう」
それから事務的会話を二言三言交わすと、秘書は部屋から出て行った。
ノルズはしばらく書類に目を通していたが、やがて疲れた表情でため息をついてつぶやいた。
「盗賊になってしまったあいつの事は、もう何も……」
スーツの内ポケットから、ロケットペンダントを取り出す。
ロケットの中の写真には、美しい黒髪の少女が写っていた。ボブカットで無造作な髪が、彼女のはつらつとした表情をより際立たせている。
「エリザ……」
そして一言、消えそうな声で彼はつぶやいた。
* * *
時刻は午後十一時五十七分。
南警察署は、静寂に包まれていた。特に金庫室を警備する者達の顔は、皆緊張で強張っている。何しろ、半年間このシーラカンス島を騒がせてきた盗賊団を、捕まえる絶好のチャンスだ。この機会を逃すわけにはいかない。誰もがそう思っていた。間もなく、時計の針は十二時を回ろうとしている。
そして署内が驚愕に包まれたのは、本当に秒針が十二の上を通ったその瞬間だった。
「…皆さん、時計が十二時を回りました。こんばんは、ダリアです。ただいまから……というか、もうすでに侵入済みなんですが──金庫へ向かわせていただきます」
各部屋や廊下の天井にあるスピーカーから、男の声で放送があったのだ。
「ノ、ノルズさん、これって……! どうなさいますか!?」
金庫室の前で、一緒に警備していた警官が、慌てたように話しかけてきた。
「落ちつけ。とりあえず、今やつらは放送室にいる。無線で放送室前にいる奴に、連絡するんだ」
「了解です!」
ノルズでさえ、この突然の出来事に冷静さを保つことで精一杯だった。既に侵入していようとは、夢にも思っていなかった。しかしそれならば、彼らは必ずここへやってくる。きっと自分が捕まえてみせる。彼の脳裏には、黒髪の少女が浮かんでいた。良く似た、二人の少女が。
* * *
「けけけけけ、焦ってる焦ってる。いやあ、実に滑稽な眺めよのう」
「何だその喋り方。お前一体何人だよ……」
南警察署の庭にある高い木の枝に、二人の人間が腰掛けていた。下には警察官が行ったり来たりしているが、他の場所に比べると、ここはいわゆる“警備が手薄な場所”だった。ラティスは、先ほど異様な笑い方をしつつ双眼鏡を覗いていたエリザに、あきれたような視線を向ける。
「だって、あいつの慌てっぷりが面白過ぎなんだよ。ほら、あんたも見てごらんよ」
渡された双眼鏡を覗いてみる。するとあのノルズ・ウィリアムの姿があった。冷静さを装ってはいるが、確かにどことなく焦っているように見受けられる。
「あんなおっさんの慌てるとこ見たって、面白くねーし」
ぶすくれた顔で、ラティスは双眼鏡をエリザに返した。
「はいはい、またアイオンが先に侵入したからって、そうすねるんじゃないよ。あんたにはこれから、色々とやってもらわなくちゃならないんだから」
「でもさぁ……」
「はいはい、おまけにルージュまでアイオンに取られたからって、焼餅焼かないこと」
「や、焼餅なんか焼いてねぇよ!」
「あたしの苦渋の判断だ、わかってくれ。今あんたとルージュを組ませたら、お互い気を使っちまうだろ? また些細な事で、喧嘩を始める可能性だってある」
「そんな事誰がわかるかよ」
「わかるさ……人間ってのは、想い人が出来るとそっちに気をとられて、道を踏み外すことさえあるんだ」
その表情がいつになく切なく儚げで、思わずラティスは喉まで出掛かった反論の言葉を飲み込んだ。
「よし、それじゃあたしらも行こうか」
しかし、次の瞬間にはいつもの笑顔でラティスを見ている。今のは気のせいだったのか──だがラティスは、それ以上考えるのをやめた。今は仕事に集中しなければならない。何より、今回はルージュのためでもある。
「うーん……もしやこう思うことが駄目なのかな」
「何言ってんだい? ほら、行くよ!」
「あ、うん」
そして二人は颯爽と木から飛び降りた。調度側を通りかかった警察官が、突然の侵入者に驚き声を上げようとしたが、その前にエリザに蹴り倒されて意識を失った。
* * *
暗闇の中、二人の人間がつぶやいた。
「誰もいないよね?」
「おそらくね」
もしこの部屋の中に誰か警備の人間がいたのなら、二人の声は天井から聞こえてきただろう。しばらくすると、調理室の天井にある大きな換気扇が、がしゃりと音をたてて外れた。それに続いて、一人の少年が床に音も無く降り立つ。最後に、黒髪の少女がぎこちなく飛び降り、
「ひゃあ! 痛っ!!」
どすんと音を立てて、床に尻餅をついた。
「あはは、大丈夫? でも静かにしてね」
「ちょっとアイオン君! 受け止めてくれたって良くない?」
「あ、忘れてた。ごめん」
全く悪びれた様子も無く、アイオンは笑う。いざ一緒に行動してみると、あの狂犬よりはましだが、彼も凄く行動的だった。だがラティスと違うのは、アイオンが常にこれからの事を計算しながら動いていることだ。つい先ほどまで、自分達は警察署の放送室にいた。しかし、警官達が入って来てからでは遅いからと、アイオンはあらかじめルージュを天井に押し上げておいた。それからマイクに向かって喋ると、あっという間に自分も天井に上り、板をはめ直してここまでルージュを先導してくれたのだ。もちろん彼は、天井の上の道もしっかり把握していて、迷うことなく予定の時間通りたどり着いた。何から何まで、計算されている。
「さて、俺達はこれから上手いこと、ウィリアムさんを一人で屋上に呼び出さなくちゃならないわけだ。ルージュ、計画はちゃんと頭に入ってる? わからないことがあったら今聴くよ」
アイオンは、ラティスよりずっと賢いであろうルージュを、期待の目で見下ろした。今までこうして同じようにラティスへ問いを投げかけても、まずまともな返事が返ってきたことなどない。ぼんやり遠くを見つめていたり、ガムを噛みながら耳にイヤホンを突っ込んでいたりと、あいつの集中力は五分と持たないのだ。せっかく時間通りに事が運んでいるのに、ラティスのせいで途中途中、何度計画を練り直すはめになっただろうか。でも、ルージュならきっとまともな返事をしてくれるだろう。
「ねえ、アイオン君の髪の毛って、暗い場所に来ると藍色に見えるのね!」
「……はい?」
駄目だった。ああ、この子も駄目だった。また話を聴いてもらえていなかったのか──結構な脱力感を味わいつつも、アイオンはルージュの声に耳を傾ける。
「そりゃ、誰だって暗いところに来れば、髪の色は同じように暗くなるんじゃない?」
「確かにそう、そうなんだけどね。でもちょっと違うよ」
ルージュはなんだか嬉しそうに、少し興奮気味に言う。
「アイオン君の髪は、本当に綺麗な藍色! 暗闇に紛れる藍色っていうか、本当、何て言ったらいいのかなぁ。とにかく、髪の毛綺麗ね! シャンプー何使ってるの?」
「いや、あははは。それ程でも……」
「色が変わるの、私と──同じね」
それまで楽しそうだった彼女の表情が、少し強張った。それは、緊張と少しの期待感が詰まった表情だった。そこで気付いた。なぜ彼女が自分の髪を褒めたのか。
「……そっか、うんありがとう。大丈夫、ちゃんと伝わったよ」
“同じね”この言葉に、彼女は託したのだ。仲間として、これから同じ時間を共有する自分に、よろしくお願いしますという気持ちを。
「大丈夫だよ。きっと成功する。それにはルージュ自身が、ウィリアムさんと決着をつけなくちゃならない」
「わかってる。私はダリアに入るってこと、ちゃんとお義父さまに言うから。もう警察のためなんかに、能力を使いたくないってことも」
強い意思の宿ったルージュの灰色の瞳は、今までより自信に満ちたものだった。
毎回読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。ここまでで、読者様が共感できる気持ちを持ったキャラクターが、つくれているといいなと思っています。