6,価値観の違い
あれから、白い煙の中を抜けて、ラティスは屋敷の外へ脱出していた。
辺りは次第に、パトカーのサイレンで騒がしくなってきていた。ここはまだ、ウィリアム邸内の庭だ。
「そろそろ帰らなきゃな」
そういって、歩き出そうとした瞬間だった。
「盗賊さん、ちょっと待ってもらおうか」
驚いて振り返ると、そこには屋敷の主人が立っていた。
「お〜、よく出てこられたな。さすが指揮官長」
「私の屋敷に侵入するとは、許しがたい事だ。おまけに、私の所有物まで持ち去るなんてね」
「所有物……? あんた、それはまさかルージュのことじゃないだろうな」
「他に何がある? あれは私の所有物だったのだよ。二色眼の人間なんて、そうそういないからな。君はもう見たかね、あの不気味に光る二つの眼を」
その言葉に、ラティスは怒りがこみ上げてくる。目の前にいる男は、さっきとは打って変わって、少し狂ったように笑っていた。
「あんた、仮にもルージュの親だろ? その言い方はまるで物扱いだ」
「ああ、当たり前じゃないか。他にどう言えと? あれを買ったのは私だ。それに、君は二色眼の能力を知っているか? 警察にとっては、あれはとても重要な道具なんだよ」
「さぁてね…俺にはそんなこと、どうでもいい話だ。ただ一つはっきりしたのは、俺はてめえに相当ブチ切れたってことだ!」
「私をどうするつもりかね? 殺してやるとでも?」
「殺す価値もない! 俺が、ずたずたになるまで切り裂いてやる!」
ラティスは腰の短剣を抜いた。するとどこに潜んでいたのか、ガードマン達が現れる。二メートルほど距離を置いて、ラティスの周りをぐるりと取り囲んだ。そのためウィリアムとの間に、隔たりが出来る。
「くそっ、どけ!」
群がってくるガードマン達を、倒しにかかった。
「私に用事があるのなら、南警察署まで来るんだな」
「待て! ルージュに謝るまで、俺はてめえを絶対許さねえ!!」
しかし、最後の一人を地面に倒した時、ウィリアムの姿はもうどこにもなかった。
* * *
『やあ、ようやく来たね! 待ってたよ』
二人が机と本棚だけの小さな部屋に入ると、中にいた彼女は、書き物を中断してこちらを向いた。相変わらず、前に見たときと同じ大きな青い瞳が、心底うれしそうにルージュを出迎えてくれた。
「またお会いできて、うれしいです」
『あたしもだよ、嬢ちゃん。──アイオンも、ご苦労だったね。』
近づくと、彼女は椅子から立ち上がって手を差し出してきた。そして握手をしながら、ルージュはこの日一番の笑顔で答える。さっきまでの不安な気持ちは、彼女をみた瞬間に消え去っていた。
『改めまして、あたしはエリザ。よろしくね、ルージュ!』
「はい。私の方こそ、よろしくお願いします」
街外れの森の手前に、ダリア本部は建っていた。二階建てのプレハブ小屋。始め見たときは、言葉が出なかった。今まで彼らは、相当な金額に値する品々を盗んでいるはずだ。それなのに、この貧弱な建物は一体どうしたことか。廃墟といっても、誰も疑ったりしないだろう。それくらいボロいのだ。しかしそんなものを全部取っ払ってしまうくらい、この人との再会は、ルージュの心に大きな安心をもたらした。
『大丈夫だったかい? 悪いね、本当はあたしが行くはずだったのに。うちのが何か、気を悪くさせたりはしなかっただろうね?』
「いいえ、全然そんなことありませんでした。始めはちょっとびっくりしたけど…」
『そうかい、ならよかった。……おや、そういや一人足りないねぇ? アイオン、あの鉄砲玉は、飛んでったきりまた帰ってこないのかい』
「うん、どうもそうらしいよ。とりあえず、この通り計画は上手くいったんだけどね」
『そりゃそうさ。でなきゃあんたは今頃、ブタ箱に行ってるよ。でも帰ってこないところをみると…大方、また何か面白いもんでも見つけて、寄り道してるのかね』
ルージュは今の彼女の言葉で、さっきの気分が戻ってきたのを感じた。なぜこの人たちは、そろいもそろって「捕まった」可能性を考えないのだろうか。
「あの〜…なんていうか、私が思うにラティス君は、警察に捕まった可能性があるんじゃないかなぁ、なんて……」
するとエリザは、一瞬きょとんとした顔になった。そして事もあろうに、いきなり笑い出す。
『いやぁ、実にいい! あんたのその心意気に脱帽するよ。さすが目の付け所がいいね、感心した。たしかに、帰ってこない奴は、心配してやるのが道理ってもんだ。そうだろアイオン?』
「まぁ普通はそうだろうね」
『ルージュ、あんたは良い子だよ。でも、あいつのことはそんなに心配いらないから。実はね、ラティスは毎回、仕事後にまっすぐ帰ってきたことなんて無いんだ。』
「でもあの状況を考えたら……!」
「大丈夫、そろそろ連絡がくるよ」
アイオンが、小型の通信機を手にしていた。まだいまいち腑に落ちない気持ちだったが、ルージュはその後すぐに、エリザによって二階の部屋へと案内された。
「ここがルージュの部屋だ。住み心地は、前の屋敷より大分悪いだろうけど、我慢してね」
「はい、ありがとうございます」
確かに前の自分の部屋より、ふた周りほど小さく、お世辞にも綺麗とはいえなかった。明らかに、今まで誰も使っていた形跡がない。とりあえず、一通りの家具は押し込んで見ました、と言う感じだ。しかし埃は積もっていないようなので、おそらく掃除してくれたのだろう。そんなことより、今ルージュが興味を持ったのは、隣にいるエリザ本人のことだった。
「ところで、ちょっと聞きにくいんですが、質問してもいいですか?」
『ん? なんだい?』
近くに来て初めてわかったのだが、エリザは想像よりももっとずっと若く、美しかった。
「私、エリザさんに初めて会った時は、よく見えなかったんですけど──近くでみても、よく判らないんです。差し支えなければ、教えてもらえます?……お歳は、いくつなんですか?」
『あ〜、そのことね。いいよ、そんなにかしこまった口調でなくたって。あたしはそんな事で怒ったりしないよ。年齢のこともね』
しかし、彼女はとんでもない事を口にした。
『あたしは、今年で三十四歳だよ』
「…………」
『どうした?』
「あの……今なんて?」
目の前にいる、この黒髪が魅力的な人は、なんて事を言い出すんだろう。
『だから、三十四っていったんだよ』
「嘘、絶対そんなはずない!」
化粧の薄い、皺一つない顔は、どう見ても十九か二十歳だ。
『あら、若く見てくれたんならうれしいねぇ。まあ言ってみれば、あんたとあたしは“同類”だってことさ。そんなに気にしないでほしいね』
同類。その言葉で、なんだか妙に納得した。もしかして、この人も何か体に異常があるのかもしれない。だとすれば、ルージュがそうであるように、あまり外見の事について触れてほしくはないはずだ。
「わかりました」
『でも、すぐにわかる時が来るよ』
ルージュの頭をなでて、微笑んだ。
『じゃあ、ほとんどもう朝になってるけど…今日はもう寝ていいからね』
手を振ると、彼女はこの場を去っていった。
* * *
妙な音が聞こえてきたのは、ベッドに入ってから五分と経たない頃だった。
ルージュはぱちりと目を見開いた。もともと、音には敏感な方だ。ゆっくり起き上がると、部屋の中を見渡す。クローゼット、テーブル…しかし、どこにも変わった様子は無かった。そこで、もう一度耳を澄ます。
コツン、コツンという、小さいものが何かにぶつかる音。
「何の音…?」
間もなく、それが窓の方から聞こえてくるのに気が付く。そこでベッドから出て、窓を開けてみた。
「痛っ!」
窓を開けた瞬間、運悪く小石がルージュの鼻にヒットした。
「あっ、悪ぃ」
下から、二階にいる自分を見上げていたのは、緑の髪の少年だった。
「馬鹿、何すんのよ!」
「ごめんごめん、失敗しちまった。なあ、ところでちょっと話あんだけど、いいかな」
「私に?」
──部屋に入ってきたラティスは、なんとなく表情が硬かった。とりあえず二人は、テーブルを挟んで椅子に腰掛ける。何を話すつもりなのかと、ルージュはさりげなく彼の顔をうかがう。しかし、一向にその口が開かれる気配は無かった。そこでふと、目が合ってしまったので、さっと逸らす。彼が話を切り出したのは、その時だった。
「なあ、会った時から気になってたんだけど、何で目を合わせようとしないんだ?」
あまりにストレートな言葉に、何も返事ができなかった。そればかりか、顔に冷や汗まで浮かんでくるのを感じる。それは、世界で一番気にしていることだったから。
「俺、あの後指揮官長と会ったんだ」
「え…お義父さまと?」
「ああ。自分の養女を、物呼ばわりしているクソオヤジにな」
彼は、かなり怒っているようだ。
「ルージュ、答えてくれねぇか? なんで俺と目を合わせないんだ」
「それは……。私、二色眼だから、昔からの癖で。気持ち悪いと思われたら嫌だし、不快感を与えるのも嫌だし。なんていうか、自然に身に付いちゃったというか」
「俺は君の目を、気持ち悪いと思ってなんかいない。屋敷の中で言っただろ。それなのに目が合わせられないのか? 癖だから仕方ないって言うのも、あるかもしれないけど…俺は今、その答えじゃ納得できない」
「何が言いたいの? ──ほら、目ぐらい合わせられるよ」
ルージュはそっと、彼の目を見た。しかし、五秒と持たずにまた逸らしてしまう。
「ほら、やっぱりそうだ」
「だって、私は…。私の眼は」
そこまで言うと、目が熱くなった。じわりと涙が浮かんで、口元も震えだす。しかしそんなことはお構いなしといった風に、ラティスはさらに質問してきた。
「なあ、俺は二色眼のこと、すごく詳しいわけじゃないんだ。だから、教えてほしいんだ。その眼には、何かあるんじゃないのか?」
ルージュの頭に、一気に血がのぼった。自分でも無意識のうちに、彼を睨みつけていた。
「何で、あなたなんかに言わなくちゃならないの。あなたがそれを知って、一体何の得があるっていうわけ? そんなこと聞いてくるなんて…。私、あなたの事心配してたのに!
帰ってこないから、ずっと心配してたのに。なのに……何よ、それ」
「何って…だから俺は」
「あなたも同じじゃないの! 結局、他の人と変わらないよ。私の眼を、馬鹿にしてるのと一緒だよ。私が他人と、眼を合わせて話が出来ないこと、そんなに駄目なの? そりゃあなたは良いでしょうよ。よほど自分に自信があるようだし。」
「なんでそうなるんだよ。誰も馬鹿になんかしてねぇよ。俺が言いたいのはそういうことじゃない」
「じゃあ何!? 私の眼に興味があるのはわかるよ。でもいきなり、眼を合わせないとか、二色眼の秘密を話せとか…。あなたは私の気持ちも考えないで、そういうこと言う人なんだね。少しでもあなたに心を許した、私が馬鹿だったみたい」
「違う! そうじゃない、俺が言いたいのはつまり…あぁもう! 何でそういう風に解釈すんのかなぁ? お前さ、ちょっと頭固いんじゃねーの」
「は? 何それ。今度は、人の性格に文句つけるわけ」
「違うってば。ルージュ、そういうことじゃないんだよ。俺は、お前が物呼ばわりされてたことが、頭に来てるんだ」
「じゃあ私の眼とは関係ないじゃない」
「関係あるから言ってるんだろ。なんで隠そうとするんだ? 二色眼のこと、教えてくれって頼んでるんだ」
そこでようやく、ボロボロとこぼれていた涙を拭った。怒りのあまり、乱れていた呼吸を落ちつけるため、一度喉まで出掛かった言葉をのむ。深呼吸をすると、いくらか冷静になれた気がした。そして伏せ目がちに言う。
「ずうずうしいよ、それ」
「何でだよ」
「何で、ですって? わからないの? あきれた。もう私、あなたと話すことは無いみたい。──出て行って」
「おい、ルージュ」
「出て行ってよ、あなたの顔なんて見たくない!!」
立ち上がり、ルージュはラティスの腕を乱暴につかむと、ドアの方へ引っ張っていった。ぶり返してしまった怒りは、止められそうに無かった。
「まてよ、なんでそんなに怒るんだって。意味わかんねーよ」
「まだ何か言うつもり? もう私は言うこと無いって、さっき言ったはずだけど」
「俺はまだお前に用があんだよ!」
「あなたに、「お前」呼ばわりされる筋合いは無いわ!!」
勢いよくドアを引く。
「あれあれ、こりゃまた派手にやってるね」
前から聞こえてきた、能天気な声。
そこに立っていたのは、なんとエリザだった。腰に両手を当てながら、半ばあきれたように二人を見て、それから苦笑い。
「エリザさん…何でここに」
「おいおい、あんだけ騒いどいて何だいそりゃ。こちとら、安眠妨害されてんだ。こんなボロい建物だ、ちょっとばかし声のボリューム考えてから、口論してもらいたねぇ」
「ごめんなさい…でも、ラティスが騒ぐから」
「はぁ!? 俺? お前だってめちゃくちゃに騒いだだろ」
「何よ、もとはと言えばあなたが」
「はいはいはい、そこまでにしてくれ。事情は中でよーく聴こうじゃないか。とは言っても、あんた達の口論は一部始終、聴かせてもらったがね。……ああ、ルージュ泣くんじゃないよ。せっかくの美人が台無しだ。ラティス、今回のことはお前が悪いんだからね! ほら、さっさと中に入りな!」
「え〜!? なんだよ説教たれる気かよ〜。勘弁してくれよ、俺だってさ」
「いいから早く入れっ」
泣き出したルージュを片腕に抱き寄せ、残りの手でラティスを突き飛ばしながら、エリザは部屋の中に入った。その後。
「あの〜、俺は……」
廊下に一人、途方にくれる人物がいた。青髪の少年は、少し寂しそうにしながら、彼らが入っていったドアを見つめた。しばらくじっと、複雑な面持ちでそうしていたが、
「エリザと途中で合流して、一緒にここに来たはずなのに…なんで忘れられるかなぁ…ていうか、会話にすら参加できなかった…」
ため息をついて、アイオンは悲しそうに、ドアをノックしたのだった。
会話がかなり多くなってしまいましたね(A^^;)
しかし、ここはどうしても「会話」で展開したかったので…理解していただければ、うれしいです。