5,脱出劇
眩しすぎるシャンデリアが、天井に三つ。床一面に広がる、真っ赤な絨毯。
いくつもの大きなガラス窓には、シルク製のカーテンが吊り下げられている。これでもかと言わんばかりに、贅沢品がそろった部屋。警察署主催のパーティーが開かれるときは、決まってこの広間が使われる。ルージュの、大嫌いな場所の一つだ。そして今、隣にも前にも警察署から来ている出張ガードマン達が沢山いて、気分は最悪だった。
それなのに、こいつは!
「なあルージュ! やっぱお前の家ってすげーな! 広すぎじゃん!?」
縄で引っ張られつつ広間に入った瞬間、ラティスが口にした言葉はそれだった。一体なんなんだ。唐突にそう思った。広間の奥にある長テーブルには、義母と義父が椅子に座って、こちらをじっと見ていた。もちろんその睨む様な視線は、ばっちり自分とこの男に向けられている。それなのに、こいつは!!
さっきのお返しに、是非とも手で口を思いっきり塞いでやりたかった。だが案の定、彼の縄を掴んでいたガードマンが怒鳴った。
「静かにしろ! 指揮官長と奥様の前だぞ!」
「はいはい、わかってるって。そんなに怒るなよ」
しかし笑顔で答えるラティスに、ガードマンは怒る気が萎えてしまったようだ。一度大きくため息をつくと、彼の腕を縛っている縄を引いて、広間の奥に進んでいった。慌ててルージュもそれに続く。残りのガードマン達は、入り口付近で綺麗に横並びの二列を作った。指揮官庁と奥様──義父と義母は、相変わらず機嫌が悪そうに見える。特に“奥様”のほうはことさら。そしてようやく、その彼女は難しい顔で口を開いた。
「……ルージュさん、その侵入者は?」
意外にも冷静な口調だった。しかしいつもと変わらぬ、むしろそれ以上の冷たさを感じた。
「屋敷に、一人で侵入してきたというわけか? ルージュ、この少年と一緒に行動していたというのは、本当の話なんだな?」
続いて義父も、こちらは少し不思議そうな顔をしつつ話しかけてくる。
「あの…この人は、つまりですね」
「俺は盗賊団ダリアのラティスだ。なあところで、そこのあんたが俺達を追ってるっていう、例の指揮官長さんなわけ?」
直後、夫婦は唖然として顔を見合わせた。半年間追い続けている標的が、目の前に現れるなんて。
「この前の事件で、ダリアの者を一人捕まえたが…そのときは人違いだった。しかし君は……本当に、ダリアの人間だというのか?」
「あ〜この前のあれね! ダメじゃん、たまたま現場に居合わせたからって、関係ない人を牢屋にぶち込んじゃ。うちのお頭、随分苦労してそいつを警察署から、逃がしてやったんだよ?」
その言葉で、ルージュはドキッとした。警察署の牢屋から、人を逃がした。つまり自分がエリザと出会った、あの時の事ではなかろうか。
「何だと? その出来事を知っているのか? ならば確かに……」
義父は腕を組んで、考え込みだした。無理もない事だ。始めはルージュですら、この少年が本物の盗賊なのか、疑ってしまった。ダリアという盗賊団が、半年ほど前に突如として現れてから、いくつかの大きな事件を起こしてはいる。しかし彼らに関する情報は、未だにほとんど無いままだ。毎回犯行の手口が巧妙すぎる事に、その原因があるように思われる。一度「美術館でダリアを追い詰めた」という記事が、新聞の一面を飾ったこともあった。写真の中の美術館には、芝生が広がる真っ暗な夜の庭が写っていた。その中で、何人かの警察官達が懸命に走っている。そして彼らの向かっている遥か先に、人間の影らしき形をしたものが二つ三つ、ぼんやり写っているのが確認できた。──たったそれだけ。
そして今目の前にいるのは、たかだか十五・六歳の少年。ジーパンに、長袖のシャツ。その上からジャケットを着ている、ごく普通の身なり。このような、どこにでもいる格好をした少年に、自分達は今まで翻弄され続けていたのか……おそらく彼は、そんな事を考えているに違いなかった。
「もし君がダリアの一人だとすれば、私は君を容赦なく捕まえる。取り調べもするだろう。そして何より、今まで知られていなかった顔を見られてしまったが、この先どうするつもりかね?」
「さあ? 俺は別にかまわないね。むしろ有名になれるからいいんじゃない?」
「ちょっとラティス、この状況わかってる? 捕まってるんだからね!?」
「もちろん。つーかこっちも、あんたに会えてよかったぜ。何せ今まで、下っ端の奴らにしか追われたこと無かったからな。ちゃあんと指揮官長様のお顔が拝見できて、光栄にございます」
そしてふと、彼の表情が鋭くなったのをルージュは見逃さなかった。先刻と同じ、獣の瞳だ。何が起きるんだろう──
「ルージュさん……つまり、今日の夕方ポストに入っていたあのカードは、本物だったというわけね? まさかあなた、盗みの手伝いをしていたんじゃないでしょうね!?」
「残念、少しばかり違うんだなぁ、オバサン。ルージュはね……」
次の瞬間、するりと彼の腕の縄がほどけた。一体どういうわけなのかと、一同が驚愕の表情を浮かべる中、
「俺達の仲間にするために、連れて行く途中なんですよ」
ラティスに続いて言葉を発したのは、なんと彼を拘束していたガードマンだった。制帽を取った彼は、青い髪に茶色の瞳の少年だった。そしてその二人は一度顔を見合わせ、頷きあう。
「じゃ、二色の原石は確かに、戴いていきまーす」
言いながら、ラティスは懐から素早く何かを取り出し、それを床に叩きつけた。
途端に、床のそれから煙があふれ出す。
「さあ行くよ、急いで!」
「え!?」
すると青髪の少年が、ルージュの腕を掴んで走り出した。
彼もまた、ラティスと同じ煙玉を取り出して、こちらに向かってきたガードマン達へそれを投げつけた。先ほどのと合わせてたったの二つで、部屋がたちまち真っ白になる。
「ねえ! あなたも仲間なの!? ちょっと!」
「静かに!」
それは押し殺した声だったが、はっきりと耳に届く。煙のせいで、先が見えてもせいぜい一メートル。それなのに、この人はどうやって前に進んでいるのだろうか。全力疾走しているためか、ルージュはなんだか恐ろしくなってきた。前が見えない事で、こんなに恐怖を感じたのは初めてだ。
「ちょっと! そんなに引っ張らないで! 何かにぶつかったら…」
すると扉の開く音がして、いきなり視界が開ける。だが少年は、ルージュを引っ張りながらそのまま走り続けた。廊下をどんどん進み、あっという間に正面玄関にたどり着く。けれどそこで止まる事は無く、玄関から外へ出てさらに走る。
どこをどう進んだのか、ルージュには全くわからなかった。しばらく走り続け、ようやく速度が緩んでくる。彼が歩く速さになってくれた時、彼女は体全体で呼吸をしなければ、息が持たないほどだった。
「ちょ、ちょっと…まっ、て……」
次の瞬間、ルージュはその場にへたり込んだ。膝がガクガクに笑っていて、もう立ち上がる事さえ無理なように思われた。その消え入りそうな声に気付いたのか、初めて彼がこちらを振り返った。そしてようやく腕を放してくれる。
「あ……ごめん、うっかりしてた!」
「は…?」
「ちょっと、走るの速すぎたよね」
「あなたは…ダリアの人、なわけ?」
「それより大丈夫?」
ルージュの隣にしゃがみ込んだその少年は、心配そうに顔を覗き込んできた。
「はい、まあ一応…」
「ごめん! あ〜、やっちゃったよ〜! エリザ以外の女の子の走る速度なんて、今まで考えた事もなかった…本当に計算違いだ」
「いえ、大丈夫ですよ」
なんとか呼吸が整ってくる。それにいくらか安心したらしく、彼は手を差し伸べて笑顔をつくった。
「立てる? とりあえず、こんな道端にいるのもなんだし、ダリア本部まで向かおうか?」
「え、ええ…」
それにつかまり、なんとか立ち上がる。
「俺はアイオン・ラトクーシャ。よろしく」
「ルージュ・ベルです。よろしくお願いします…」
「あ、やだなぁ、敬語なんて使わないでよ。ラティスなんて、年下の癖に普通にタメ語なんだから。まあ、一つしか違わないんだけどね」
「はい……あ、うん」
あまりの唐突さに、ルージュは困惑していた。とりあえず、この人が仲間だということはわかった。しかし、肝心の何かを忘れてはいないだろうか。
「ねえ…あの、ラティスは?」
「あ、それなら心配ないから。あいつの事だ、上手く逃げるだろうよ」
(それでいいわけ!?)
いたって呑気に歩き出すアイオンに、あきれかえってしまう。あんな風に派手に逃げ出したのだ、きっとすぐに近所中にも知れ渡り、大騒ぎとなるだろう。人も沢山集まってくるだろうし、もし脱出できていなかったら、彼は確実に捕まるはずだ。
「大丈夫なのかな。心配じゃないの?」
「うーん、そうだなぁ。まあいつものことだし…計画通りだよ」
「ていうか、あなたいつからガードマンに扮装してたわけ? その服どこから持ってきたの?」
「これ? 侵入した時にちょっとね。ついでに、ガードマン達に、君達の逃走を報告したのは俺なんだよ。楽しかったなぁ〜、特にあの新人! 警備室に飛び込んできた時の、あの慌てっぷりなんて、最高に可笑しかった。思わず笑いそうになったよ」
「ちょっと訊いてもいい? 何でそんな事するの? …ラティスもそうだけど、あなた達って理解できない。なんでもっと静かに行動しないわけ?」
「それは…なんと言いますか…そういう性質なもんでね。でも俺なんか、まだ良い方だよ。あのラティスの騒ぎっぷり、見たでしょ?」
隣に並ぶルージュをみて、軽く微笑む。きっと黙っていればカッコイイのに。そういう優しそうな顔で、そんなことを言わないでもらいたい。これではあまりに、大雑把すぎやしないだろうか。
「で、これからそのダリア本部ってところに行くの? エリザさんはいる?」
「多分もう帰ってきてるはずだ。四時近いし。予定より少し遅くなっちゃったかな」
本当に、この人についていっても良いのだろうか。
今更ながら、盗賊団へ入ることに、なんだか不安を抱いたルージュであった。